女帝エメライン 10
再び剣を構えた蓮姫を見て満足したのは、エメラインだけではない。
観客達もまた、エメラインに屈する事無く立ち上がる蓮姫を、仲間の応援に応えようとする蓮姫を賞賛する。
「いいぞ!弐の姫!」
「まだ戦う気か!?すげぇよ!アンタ!」
「陛下と互角に戦えるだけでも凄いわ!弐の姫!頑張って!!」
「弐の姫!」
「弐の姫!!」
観客達から発せられる声に、残火も満面の笑みを浮かべて自分の席へ座り直す。
「ふふん!やっとわかったようね!そうよ!姉上は凄い方なんだから!」
その顔は自信に満ち溢れ、賞賛を浴びる蓮姫よりも、残火の方が誇らしげだった。
そしていつまでも立ったままの二人に気づくと、今度は怪訝そうな顔を浮かべる。
「ちょっと。ユージーンも焔も何突っ立ってんのよ。後ろの人に迷惑でしょ。座りなさいよ」
「いや、お前も立ってたよね?しかも試合中断するくらい叫んでたじゃん」
「私は今座ったからいいの!」
キー!と金切り声を上げる残火だったが、火狼の意識は残火ではなく、隣のユージーンへと向いた。
それはユージーンが素直に椅子に座り直したからだ。
「あれ?旦那………座っちゃうの?」
「あぁ。今はまだ、な」
「ふーん。今は、ね。あいよ」
リングへ視線を戻したユージーンと少しだけ言葉を交わすと、火狼もまた自身の椅子に腰掛ける。
何故、残火だけでなくユージーンと火狼まで立ち上がっていたか?
それはあの時…エメラインが蓮姫に向けてデスサイズを振り下ろし、蓮姫が負けを覚悟した時。
ユージーンと火狼は、二人だけで話していた計画を実行しようとしたからだ。
二人が立ち上がった瞬間…行動に移す前に、残火の大声が会場中に響き渡った為、その作戦も実行される事は無かったが。
火狼としては、このまま作戦を続行してこの場から逃げても良かった。
しかしユージーンが、戦意を取り戻した蓮姫を見て『今はまだ何もしない』と判断した為、火狼もまた素直にそれに従う。
ただ、僅かに残った疑問を率直に彼へとぶつけた。
「本当にいいの?旦那」
「くどい」
「そりゃごめんなさいね。でもさ…姫さんの危機的状況は何も変わってないぜ」
「あぁ。だが姫様は女帝に勝つつもりでいる。まだ闘志もある。そんな姫様を無理矢理試合から引き剥がすのは、姫様の意思に反するからな」
「『逃がす』って作戦自体が姫さんの意思に反してるけど?そこはいいん?」
「そこは最終手段として納得してもらう。今はまだ…ソレをする時じゃない」
「ふ~ん。わかったよ」
ユージーンと少し会話を済ませると、火狼もまたリングへと視線を戻した。
戦闘態勢万全の蓮姫と、それを見て微笑むエメライン。
蓮姫が復活したことで、観客も今になってこの二人の試合を心から楽しんでいる。
むしろ、この場で誰よりも蓮姫の復活に喜んでいたのは、エメライン。
ニコニコとした微笑みは、何処かウキウキしているようにも見える。
それでも…エメラインは更に蓮姫の闘志を高めるにはどうするべきか?
どうすれば、蓮姫はもっと強くなるか?
どうすれば、本気で自分と戦うかを考える。
(蓮姫ちゃんは…誰かの為に、誰かを守る為に強くなるタイプなのね。それにさっき…スターファングさんが傷つけられて本気で怒る蓮姫ちゃんは、とてもいい目をしていたわ。うふふ。それなら…こうしようかしら?)
何かを思いついたエメラインは、いたずらっ子のように笑うと、シュガーへと顔を向けた。
「シュガーちゃん。いつまでも寝てちゃダメよ。ほら、起きてちょうだいな」
「えぇ~。だってやる気起きないもん。ふぁ~~~」
母親であり皇帝であるエメラインに催促されても、シュガーは一向に起き上がらない。
むしろ欠伸までしている。
それでも母親を無視は出来ないのか、律儀に会話を続けた。
「俺に何しろってのさ~」
聞いてはいるが、何を言われてもやる気は全くない。
そう全身で伝えているシュガーに…エメラインはとんでもない提案をした。
「そうね。スターファングさんの腕をもう一回斬り落としてちょうだい」
「ひっ!!?」
「っ!!?エメル様っ!?」
エメラインのとんでもない発言に驚愕する星牙と蓮姫。
星牙の方は先程の激痛や恐怖が蘇ったのか、目に涙を溜めてガタガタと震え出した。
「あら?蓮姫ちゃん。何か問題があるのかしら?」
「問題って!」
「これは試合なのよ?シュガーちゃんもスターファングさんも、ちゃんと戦わないと盛り上がらないわ」
「盛り上がりって!?その為に星牙にまた酷いことをするんですか!?そんなことの為に!?」
「蓮姫ちゃんにとっては『そんなこと』でも、闘技場を盛り上げるのは大切な事なのよ。私にとって『そんなこと』が大事なの」
まるで蓮姫への仕返しのように『そんなこと』という言葉を強調するエメライン。
まるで子供のようなやり口に、蓮姫の瞳は怒りの色に染まっていくのを、エメラインは楽しそうに見つめた。
そんな中、シュガーは空気を読まない発言を寝転がったまま口にする。
「試合とか盛り上がりとかどうでもいいけどさ~。俺もうこんなゴミクズの相手したくないよ」
「そうなの?じゃあ…試合が終わったら、あの観覧席にいるさっきの女の子。残火ちゃん…と言ったかしら?あの子にも同じ事をしていいわ」
「っ!?待って下さい!残火は関係ないじゃないですか!」
何故かこの場にいない残火へ矛先が向き、蓮姫は慌てたように抗議する。
蓮姫の反応などわかりきっていたエメラインは、蓮姫とは逆に慌てる様子など全くなく、いつもの優しい口調のまま言葉を続けた。
「それが関係あるのよ。シュガーちゃんがやる気を出す為にね」
「ジョーカーさんのやる気って…」
「ねぇ、シュガーちゃん。あの子を傷つけたら、きっと銀髪さんも、他の従者達も本気でシュガーちゃんと戦ってくれるわ」
蓮姫の言葉を無視してエメラインは息子に説明するが、当のシュガーもその発言には少々困惑気味だ。
「え?そうかな?でも弐の姫ならともかく、あの女の子はただの仲間でしょ?」
「わからないわよ?仲間を傷つけられて黙ってはいられないハズ。ほら……今まさに、私達に凄い殺気が向けられてるわ。結界を張っていてもわかるほどにね」
エメラインの言う殺気の正体。
それはシュガーが戦いたがっているユージーン…ではなく、残火を誰よりも大切にしている火狼のもの。
火狼は読唇術でこの会話を理解し、激しい殺気をエメラインとシュガーへ向けていた。
「ふふふ。銀髪さんだけじゃくて、他の従者さんも本気でシュガーちゃんと戦ってくれるみたいよ。本来なら客人への無礼など許されないけれど…皇帝である私が許すわ。そうしたら…シュガーちゃん、きっと楽しめるわよ」
「え?俺楽しめるの?ホントに?」
「えぇ。その為にはまず、スターファングさんの腕をもう一度斬り落として。足でもいいわ」
楽しそうに、しかしとても物騒な内容を口にするエメライン。
シュガーもやっと話に興味を持てたのか、寝転がっていた体を起こし、その場にあぐらをかいた。
「う~ん。そんなもんかな~?でもあの子弱そうだし…やる気がイマイチ湧いてこないんだよな~。このゴミクズの相手もしたくないし…でも銀髪さん達と殺し合いはしたいし~」
強者と殺し合いはしたいが、弱者の相手はしたくないらしく、シュガーは首を捻りながら唸る。
いつまでも答えを出さないシュガーだったが、エメラインの方が先にしびれを切らした。
「もう。しょうがない子。仕方ないわね。私が代わりにスターファングさんを…」
そう言いかけてデスサイズを構えたエメラインだったが、そんな彼女の前に蓮姫が立ちはだかる。
その目に強い怒りの炎を燃やして。
「いい加減にして」
「蓮姫ちゃん?」
「そんなに私の友達を…私の仲間を傷つけたいの?」
「そうね。だって…スターファングさんも、あの女の子も弱いでしょう?だったら…その程度の価値と使い道しかないもの」
エメラインは、ただシュガーを戦わせる為、この試合を盛り上げる為に星牙と残火を傷つけようとしている。
それも冗談などではなく…本気で。
クスクスと悪意の満ちた笑みを零す目の前の女に、蓮姫の中では初めて確実な殺意が沸いた。
蓮姫はエメラインを強く睨みつけると、今までの敬語ではなく、素の彼女の口調でエメラインに叫ぶ。
「エメライン!私は貴方を許さない!絶対に!私が倒すっ!!」
先程と同じ言葉をエメラインに向けて放った蓮姫。
だが、先程とは決定的に違う。
あの時も蓮姫の声と瞳には強い意思が込められていたが…今はそれ以上の強い感情が含まれている。
それは相手を倒すという意志だけでなく、エメラインに対する強い怒り。
蓮姫は自分の事よりも、大切な友や仲間を傷つけられる事に心を痛め、怒りを覚えるタイプ。
だからこそ、エメラインのやり方が、自分本位であり勝手極まりない理由で星牙と残火を傷つけようとするエメラインが…許せなかった。
今までエメラインに抱いていた憧れや遠慮といった感情が、全て怒りへと塗り替えられる程に。
その蓮姫の眼差しを、怒声を一身に受けているエメラインは、全身にゾクゾクゾクッ!と鳥肌が立つ。
それは恐怖ではなく…喜びから。
エメラインの頬は段々と紅に染まり、その顔も恍惚めいたモノへと変わっていく。
同じリングにいた審判や星牙も、蓮姫のあまりの気迫に気圧されていた。
何も感じていないのは…シュガーただ一人で「だ~から、『許さない』とか君が使っても意味ないってば~」と呑気に話している。
エメラインを睨んだままの蓮姫と、蓮姫を見つめ返すだけのエメライン。
そしてそれを見守る…いや、見つめることしか出来ない審判と星牙と観客達。
そんな中、ある女の狂ったような笑い声が会場中に響き渡る。
「ふふ…ふふふふふ…あははははっ!あはははははははははははっ!!」
その声の主は、このギルディストの女帝であり、蓮姫が許せない相手…倒したい相手である女……エメラインだった。
急に大声で笑い出すというエメラインの謎の行動に、会場の誰もが困惑し驚いているが、蓮姫はただ一人エメラインへの警戒を一切解かない。
ただひたすらに自分を睨みつける蓮姫に、エメラインは笑顔のまま、心底楽しそうに言葉を放つ。
「そうよ!蓮姫ちゃん!その目よ!その目が見たかったの!!」
興奮したように、だが何処かうっとりとした口調で蓮姫へ叫ぶエメライン。
「思った通り!蓮姫ちゃんならきっと!きっと私を満足させてくれる!楽しませてくれると思ったわ!」
今この瞬間、エメラインの心は喜びで溢れていた。
この蓮姫の表情こそ、蓮姫の決意こそ、蓮姫の怒りこそ、エメラインが蓮姫に望んでいたもの。
エメラインは蓮姫と本気で戦うことを、ずっと心から願い、楽しみにしていたから。
それはエメラインが、蓮姫という弐の姫の存在を知った時から、ずっとずっと心に思い描いていた願望。
「でも足りない!もっと!もっとよぉ!さぁ!その美しい眼差しで私を見つめて!私に挑んでらっしゃい!」
エメラインは狂気すら感じる満面の笑みで、両手を広げると蓮姫に向けて言い放つ。
「言われなくても…そのつもりっ!」
蓮姫は二つの剣をより強く握りしめると、エメラインへと駆け出した。
紅月とオリハルコンの短剣を一心不乱に振り回し、エメラインへと攻撃していく。
一切の躊躇いも迷いもなく、エメラインに攻撃を繰り出す蓮姫。
対するエメラインは、蓮姫からの攻撃を全てデスサイズで受け止めていた。
ガンガンッ!と今までで一番激しい金属音が、刃物がぶつかり合う音が会場中に響き渡る。
蓮姫が攻撃を繰り返し、エメラインがそれを受け続けるという、今までとは真逆の攻防。
あれほど興奮していた観客達も、ユージーン達ですら試合の雰囲気に呑まれ、二人から目を離せないでいる。
誰一人として声を出す事も出来ずに、二人の激しい攻防を見つめていた。
「凄いわ蓮姫ちゃん!スピードもパワーも今までとは段違いよ!」
「くっ!このぉっ!」
「あははっ!楽しいわ!!楽しいわね!蓮姫ちゃん!!」
エメラインが笑いながらデスサイズを一振りすると、蓮姫の手から紅月が吹き飛ぶ。
それでも蓮姫は怯むことはせずに、短剣のみでエメラインへと攻撃を続けた。
あの大きなデスサイズという凶器に対する恐怖など、今や蓮姫の中には無い。
蓮姫の中にあるのは『エメラインを必ず倒す』という強い意志だけ。
それが余計にエメラインを興奮させ、喜ばせる。
「短剣だけで私と互角に戦うの!?戦えるの!?蓮姫ちゃんは本当に!本当に素晴らしい弐の姫だわぁ!!」
「ぐっ!!……たぁっ!!」
「あぁっ!!こんなに楽しいのはいつぶりかしら!さぁ!もっとよ!もっともっともっとぉ!!私を楽しませてぇ!」
必死に攻撃を続ける蓮姫と、それを楽しみながら受け続けるエメライン。
互角とエメラインは言うが、やはり力の差はありエメラインの方が優勢。
蓮姫の攻撃は全て、エメラインによって簡単に防がれていた。
一方エメラインからの攻撃…大きく重いデスサイズの攻撃を短剣で受け止める蓮姫は、その度に短剣を持つ手がビリビリと痺れていく。
それでも蓮姫は短剣を振るう事も、エメラインからの攻撃を防ぐ事もやめはしない。
ただひたすら…自分より格上の存在であるエメラインに勝つ方法を考える。
(これじゃダメだ!私の攻撃はなんの意味も無い!いつまでもこれじゃ…私のスタミナがもたない!短剣で攻撃するにはもっと懐に入らないと!でもデスサイズが邪魔でそれが出来ない!)
考え事をしながら攻撃と防御を繰り返す蓮姫の顔には、疲労が見え始めてきた。
蓮姫の予想通り、このままではスタミナ切れで蓮姫が負けるだろう。
最初から蓮姫の力量では、エメラインと互角に戦うなどほぼ不可能だった。
それを可能にしたのは、無意識に発動した蓮姫の想造力と……蓮姫の持つオリハルコン製の短剣。
それは蓮姫よりも、試合相手であるエメラインの方がよく理解している。
「オリハルコンの短剣。…オリハルコンの強度はこの世界の誰もが知るところ。でも…所詮は短剣ね」
「うっ!…はぁ…はぁ……このっ!!やぁっ!!」
息を乱しながらやっとの思いで短剣を振るう蓮姫だが、その攻撃は簡単にデスサイズによって弾かれた。
いよいよ蓮姫の限界が近づいている。
「あらあら?息が切れてるわよ?そんな短い剣で…私のデスサイズをいつまで防げるかしらぁ!」
「はぁ…はぁ。いつまで?…そんなの…はぁ……私が勝つまでに…決まってるでしょ!!」
「まぁ!まだそんな事を言う元気があるのね!いいわ!そうこなくちゃ!!」
息を切らし、体力も限界に近づいている蓮姫だが、その闘志は全く切れていない。
(やっぱり…この人に勝つにはデスサイズを破壊しないと。この短剣ならそれが出来るはず)
蓮姫がエメラインに勝つ為に導き出した答え。
それはデスサイズの破壊。
星牙が蒼月を折られて倒されたように、エメラインのデスサイズも破壊出来れば、蓮姫は自分が勝てると考えた。
そしてこの短剣ならデスサイズの破壊も出来ると、エメライン達の言葉で蓮姫も理解している。
しかし、そのデスサイズを扱うエメラインには一切の隙がなく、デスサイズ自体も強力な武器。
この短剣も強力な武器ではあるが、17歳の非力な少女が短剣で大鎌を折る事など不可能。
ならば…普通の少女ではなく弐の姫として、蓮姫しか使えない力でやるしかない。
(破壊するなら…想造力を使わないと。でも…近距離で想造力を使うには……一瞬でいい…隙を作らないとダメだ)
蓮姫が考えに浸っている間もエメラインによる攻撃は続く。
「ほらほら!もっと私に攻撃して!もっもちゃんと防いでちょうだい!じゃないと!スターファングさんみたいに!蓮姫ちゃんの腕が吹き飛んじゃうわよぉ!!」
「っ!!」
蓮姫を挑発するように告げたエメラインだが、今の言葉の中で蓮姫はある作戦を思いついた。
(そうか!その手があった!)
その作戦の内容は無茶苦茶であり、思いついたからといって実行しようとは普通思わないもの。
それでも蓮姫は、自分の無茶苦茶な作戦に全てを賭けることにした。
(上手くいくかわからない。下手したら私が…死ぬ可能性もある。…でも残った想造力を二回とも使えば…一瞬の隙をつくことが出来れば………っ、やるしかない!)