女帝エメライン 5
蓮姫もそれ以上は何も答えず、ただエメラインを見据えるだけ。
彼女はわかっている。
自分達には拒否権など最初から無いこと。
主導権を握っているのは、あくまでエメラインであり、自分達は今後の命運を握られている立場である…ということを。
そもそも先にルールを破り、ズルをしていたのは蓮姫の方だ。
提案を拒否するどころか、文句を言う権利も無い。
それら全てを考慮した上で、蓮姫はエメラインの提案を受け入れることにした。
しかし蓮姫が納得しても、もう一人の出場者である星牙は未だ納得など出来ていない。
「おい蓮!俺は反対だ!どう考えてもこんなの互角じゃない!」
「星牙の気持ちも、言いたい事もわかる。でも…私達には最初から『断る』なんて選択肢はないでしょ。ズルをしたんだから…尚更ね」
「ぐっ!?そ、それは…そう…だけど!でもさ!あの…えぇと…」
蓮姫に正論を突かれ言い淀む星牙。
納得は出来ないが…自分達は拒否出来る立場ではない、という事を彼もまた理解したようだ。
ここで自分が何を言っても、言い訳やワガママにしか聞こえない。
そう思うと上手く言葉が出ず、ただ悔しそうに『ぐぬぬぬ…』と唸るだけ。
そんな星牙の頬を、蓮姫は優しく両手で包み込む。
「星牙」
「っ!?れ、蓮?」
蓮姫の急な行動に頬を染めて驚く星牙。
勿論、驚いているのは星牙だけでなく観客も同じ。
それぞれが顔を赤らめたり、野次を飛ばしたりしている。
ちなみにユージーンはこめかみに青筋を浮かべ、その眼力で人を殺せそうな程に星牙を睨んでいた。
しかしそれに気づいているのは、必死にユージーンを視界に入れないようにしている火狼だけ。
火狼は必死にユージーンから顔を逸らすが、燃え盛る嫉妬の炎を感じ、顔を青ざめた。
(姫さーん!頼むから余計なことしないでー!旦那めちゃくちゃ怖ぇからぁああ!!)
当然、心の中でのみ叫ぶ火狼の言葉など蓮姫にも、誰にも届くことはない。
リング上では変わらず至近距離の蓮姫と星牙の姿。
蓮姫は動揺する星牙の顔を真っ直ぐに見つめると、ふっ…と優しく微笑む。
「私は星牙を信じるよ」
「俺…を?」
「うん。エメル様達は…きっと今までの誰より強い。でも私達は勝たなきゃいけない」
「そりゃ俺だって!………勝ち…たい」
勢いよく蓮姫の言葉を返そうとした星牙だったが、最後の言葉は少し自信なさげに呟く。
彼も修行中とはいえ武人の端くれ。
自分とエメライン達の実力差は既に気づいている。
星牙がエメラインの提案を受け入れられない原因はここにもあった。
あの条件では、自分達が勝てる見込みなど薄すぎたからだ。
ここにきて少々弱気になっている星牙に、蓮姫は笑みを絶やさず、優しく声をかける。
「私もだよ。私も勝ちたい。星牙と一緒にね。だから私は、星牙を信じる。星牙も私を信じて。…一緒に勝とう」
「………蓮」
微笑むその姿はエメラインと重なるものがあるが、星牙にとってエメラインと蓮姫の微笑みは全く違うものとして映った。
蓮姫のこの微笑みは…心から星牙を安心させた。
自分の頬を包む蓮姫の手を、一回り大きい星牙の掌が包む。
まだ少し不安に揺らぐ星牙の漆黒の瞳を、同じ色の蓮姫の瞳が見つめ返した。
「星牙。控え室で約束したでしょ?二人でやってやろうって。だから…私と星牙で優勝しよう。二人一緒に。ね?」
蓮姫がそう尋ねた直後、星牙は蓮姫の手を強く掴む。
今度は自信に満ちた、満面の笑みで。
「っ、あぁ!俺達でアイツら倒してやろうぜ!蓮!俺は!俺を信じてくれるお前を信じる!約束も守る!だからさ!一緒に勝とうぜ!」
「うん!」
星牙の返答に、蓮姫も嬉しそうに笑った。
星牙が蓮姫の手から自分の手を離すと、蓮姫もまた星牙の頬から手を離す。
そしてエメラインとシュガーを見つめる星牙の瞳には、もう不安など微塵も感じない。
良くも悪くも、星牙という男はとても単純な男だ。
単純だからこそ、蓮姫の言葉が彼の心に響いた。
星牙は蓮姫の言葉を素直に、それはもう真っ直ぐに受け止め、彼女を信じ、また自分達で勝利を掴むと強く心に決めた。
(良かった。これでもう星牙は大丈夫)
ホッとしたように安心のため息を吐く蓮姫。
星牙はあの飛龍元帥、蒼牙の息子であり、この国の騎士団長サイラスにすらその才能を認められている。
相手に初めから敗北感を抱いたり、不安のまま戦えば実力などほとんど出なかっただろう。
蓮姫の言葉で自信を取り戻したのなら、星牙は本来の力を十分に発揮出来る。
(星牙は…星牙ならきっと戦える。自分の力で、自分の試合が出来る。…だけど…)
蓮姫の想像通り、星牙はもう大丈夫。
そう…あくまで、星牙『は』もう大丈夫なのだ。
問題が残っているのは別の人間。
(問題なのは…私だ)
それは…蓮姫の方だった。
蓮姫は星牙に悟られないよう笑顔を浮かべているが、その内心はかなり焦っている。
(たった三回。たった三回の想造力で…エメル様とジョーカーさんに…私が勝てるの?)
蓮姫の心は、先程までの星牙とは比べ物にならないくらい不安で満ちていた。
星牙は戦う相手が強者という漠然とした不安だけだったが、蓮姫は違う。
蓮姫の不安…それは、この試合に自分達は勿論、従者全員の命運がかかっているということ。
この試合…勝たなければ意味が無い。
勝たなければ、自分達には昨日と同じような明日は訪れない。
かといって、相手は簡単に勝てるような者達ではない。
(でも勝たなきゃ…星牙が…皆が罪人になっちゃう。でも…どうやって勝てば?)
「ねぇ~。いつまで話してんのさ?さっさとやろうよ。どれだけ俺を待たせれば気が済むわけ~?」
蓮姫の思考を中断したのは、今までずっと…それはもうずっっっと待ちぼうけをくらっていたシュガー。
イライラとした様子を隠す事無く、ブンブンと乱暴に刀を振るシュガーに蓮姫は慌てて頭を下げた。
「す、すみません!もう大丈夫ですから!」
「あっそ。ならいいや。まだ俺を待たせるつもりなら、試合始まる前に指を何本か切り落としてやろうと思ったけど」
「ふふ。さぁて…そろそろ始めましょうか?」
エメラインが静かに呟くと、蓮姫と星牙はお互い顔を見合せ、同時にエメラインに向けて頷く。
それを見ていた審判もまたエメラインに向けて頷いた。
エメラインが今一度微笑んだのを確認すると、審判はついに、高く右手を上げる。
「これより!闘技場最後の試合を執り行うっ!!」
審判の宣言に会場は過去最高の歓声を、そして盛り上がりを見せた。
今や闘技場を見届ける観客の興奮は最高潮に達している。
ついに…闘技場最後の試合が…蓮姫と星牙の最後の試合が始まろうとしていた。
「それでは!闘技場決勝戦!………始めっ!!」
大きく手を振り下げた審判の開戦宣言に、エメラインは再び微笑みを浮かべる。
「さぁ…楽しみましょう。蓮姫ちゃん」
誰しも魅了される美しい微笑みの奥で、誰よりもこの戦いを楽しむという闘志を燃やしながら。
エメラインが呟いた直後、シュガーは強く地面を蹴り、一瞬で星牙との距離を詰めてきた。
そして自身の刀を星牙目掛けて振り下ろす。
「っ!?」
あまりにも早すぎるシュガーの行動に驚く星牙だったが、彼には悠長に驚く暇などない。
星牙もまた反射的に自分の愛刀、彩一族の家宝の剣でシュガーからの攻撃を受け止めた。
ガキィッ!と金属が激しくぶつかる音が会場に響く。
刀を全力で星牙に向けて押し付けるシュガー。
そしてシュガーからの刀を二本の剣で受け止め、全力で押し返そうとする星牙。
シュガーはニヤニヤと余裕の笑みを浮かべていたが、それに対する星牙は眉間に皺を寄せ必死の形相。
最初のような大きな金属音が発せられることはないが、隣にいた蓮姫の耳にはギリギリと二つ…いや、三つの刃が擦れる嫌な音が響く。
シュガーが駆け出してから星牙が刃を受け止めるまで、まさにほんの二、三秒の出来事。
「星牙っ!」
蓮姫は咄嗟に二人の方を向き星牙の名を叫んだが、彼女にもまた危機が迫っている。
「余所見をしている暇はないわよ。蓮姫ちゃん」
「っ!?」
蓮姫の耳元に微かな風とあの穏やかな声が響く。
蓮姫が視線だけ横を向けると、そこには今の今まで離れていたエメラインの美しい顔があった。
エメラインは蓮姫の頬に口を寄せると、チュッ…と優しく、唇で触れるだけのキスをする。
そしてそのまま蓮姫の耳元で呟いた。
「可愛い蓮姫ちゃん。ほら…私を楽しませて」
エメラインの言葉にゾワッ!と鳥肌が立つ蓮姫。
いつものように、優しく穏やかなエメラインの声と口調。
それでもエメラインの言葉は…その声は、蓮姫の体に大きな恐怖を与える。
星牙の体が反射的に防衛本能でジョーカーの刃を防いだように、蓮姫の体もエメラインから逃げるように後ずさった。
蓮姫はまだエメラインから何もされていない。
ただ自分も気付かぬ一瞬の間に間合いを詰められ、耳元で囁かれただけ。
それだけだというのに、蓮姫の胸は激しく鼓動を刻み、冷や汗が流れていた。
真っ青な顔でエメラインを見つめる蓮姫。
そんな蓮姫をエメラインはクスクスと笑い、持っていた大鎌を構えた。
「うふふ。さぁて、私達も始めましょうか………ねっ!」
エメラインは大鎌…デスサイズを振り上げると、彼女の息子や先程のように蓮姫との距離を一瞬で詰めてきた。
「はぁあああっ!!」
エメラインがデスサイズを振り下ろす瞬間、蓮姫は咄嗟に後方へと飛ぶ。
その直後、蓮姫が今までいた場所…リングからはバゴッ!という激しい音が響き、辺りには土埃が舞った。
舞い上がる土煙と飛び散る小さな石の破片。
蓮姫は片腕で顔を覆い、それらから自分の顔や目を守る。
そして土煙が少なくなり、蓮姫が恐る恐る腕の向こう側に目を向けると、驚きの光景が広がっていた。
そこにはデスサイズの軌道に沿って、大きく抉られたリング。
それを見て言葉を失うのは蓮姫だけではない。
見ていた観客達もまた唖然とした表情で無惨なリングを見つめていた。
この闘技場のリングは石製で出来た物。
普通の刃物や普通の攻撃では、多少の傷は出来ても、抉ったりすることは出来ない。
つまり…デスサイズとはそれだけの威力と重量があり、扱うエメラインもそれに見合う攻撃力を持っている、ということ。
エメラインはデスサイズを持ち直すと、その大きな鎌をクルクルと片手で回す。
「うふ。良かった~。蓮姫ちゃんが避けてくれて。こんなに簡単に終わってしまったら…つまらないものね」
エメラインは軽く振り回すだけだが、その大鎌が回る度に風圧が蓮姫の髪を揺らした。
『闘技場は殺し御法度』だと何度も聞いたが、こんな攻撃を目の当たりにして蓮姫の心は…いや、誰だろうと穏やかではいられない。
体が震えるのは…死への恐怖を感じているから。
しかしそれを感じているのは蓮姫であって、デスサイズを振り回しているエメラインは楽しげな笑みを崩すことはない。
「まだまだ行くわよ。蓮姫ちゃん」
律儀にそう宣言すると、エメラインは先程以上に激しくデスサイズを振り回し、蓮姫へと向かって来た。
蓮姫は自分を追いかけるエメラインから必死に逃げ回る。
(…こんなの…まともに戦えるわけない!逃げるしか出来ない!)
「あらあら~?逃げてばかりじゃダメよ~。ちゃんと戦って。ほら、魔法でもその短剣でもいいわ。いくらでも私に向かって来なさい」
蓮姫に話しかけながらも、エメラインは追いかけるスピードを一切落とすことなく、またデスサイズを振り回す事をやめることはない。
蓮姫を追いかけながら、時々足元のリングを抉っていく。
それが更に蓮姫の中の恐怖を駆り立てた。
蓮姫は必死に逃げながらも、頭の中ではなんとかエメラインと戦える手段はないか?と考えを巡らせる。
(魔法!ジーンやロージーに習った攻撃魔法を………ダメだ!ファイアーボールやマジックアローみたいに弱い魔法を使っても意味が無い!)
蓮姫はあのミスリルで、大賢者でもあるローズマリーから【マリオネット】以外にも様々な魔法を教わった。
そのどれを使ってもエメラインとまともに戦えるとは思えなかった。
エメラインの使うあの大鎌は、振り回すだけで大きな攻撃力を誇り、また大きな防御へと繋がるはず。
魔法がエメラインに届く前に、大鎌で弾き返されるのがオチだ。
(強い攻撃魔法ならデスサイズを破壊出来る?でも…それでエメル様まで倒れたら?失格になったら意味が無い!)
あの大鎌を破壊出来る程の強力な攻撃魔法。
それを放つ事は蓮姫にも出来るが、あれだけ大きく、石のリングを破壊出来るほどに頑丈な大鎌だ。
それを破壊する程の攻撃魔法など、かなり強力な…それこそエメラインごと倒す魔法になる。
相手を気絶させたり、殺傷能力の高い魔法の使用は禁止。
つまり相手を魔法でダウンさせたところで、それは蓮姫達の勝利でなく負けとなってしまう。
(結界を張ってエメル様の攻撃を防いでも…そんなのただのその場しのぎだ!そんな事に貴重な一回を使えない!)
攻撃に転じれないならば防御に…と考えた蓮姫だが、それもまた無意味な行為だと直ぐに気づく。
(魔法は…想造力は三回しか使えない!なら…一回でも無駄に出来ない!)
蓮姫は魔法を使えなければエメラインと互角に戦えない。
しかし三回という制限がある為、一つも無駄には出来ず、蓮姫もまた魔法の使い道に悩み想造力を発動出来ずにいた。
チラリと蓮姫は、エメラインから逃げながらも星牙に目を向ける。
どうにかして助けてもらえないか?という淡い期待を込めて。
しかし星牙とシュガーは膠着状態から、お互い剣を交える状態へと変わっていた。
いや、むしろ二つの剣を持ち一見有利に見える星牙は、シュガーからの攻撃を受け防戦一方。
蓮姫の目からも星牙が押されているのがわかる。
星牙には蓮姫を助ける余裕も、彼女の元に駆けつける暇など微塵もない。
そしてエメラインも、それを黙って見過ごすような女ではない。
「もう~、蓮姫ちゃん余所見はダメって言ったじゃない。戦いましょう?ほら、その短剣はオリハルコンでしょ?大丈夫よ。デスサイズもオリハルコンだから、攻撃を受けても短剣は折れたりしないわ」
(オリハルコンだからって!こんな短剣であんな大鎌とまともに戦える訳ない!攻撃を受け止めようとしたら、短剣が弾き飛ばされるだけ!もう!どうすればいいの!)
攻撃魔法も結界も使えず、短剣での戦闘もほぼ無意味。
蓮姫にはもうどうにもならない。
蓮姫ではエメラインとまともに戦えない。
そう誰もが思った瞬間、リングの端から蓮姫に向けてある物が投げられる。
「クソッ!使え!蓮っ!」