女帝エメライン 3
誰もが魅了されるような…心を許してしまうようなエメラインの微笑み。
だが、その微笑みに蓮姫が激しい悪寒と深い恐怖を抱いたのは事実。
そして蓮姫やエメラインから遠く離れた蓮姫の従者にも、それを感じていた者達がいた。
ユージーンは遠く離れた観客席で静かにエメラインを見つめ…いや睨んでいる。
「……あの女…」
「…はは…旦那も気づいた?女帝様の物凄いプレッシャーにさ」
ユージーンがエメラインの恐ろしい気配に気づいたように、暗殺ギルド朱雀頭領である火狼も気づいたらしい。
ユージーンはエメラインを睨みつけているが、火狼は乾いた笑いを浮かべている。
しかしその首筋には蓮姫のように冷や汗が流れていた。
「気づくも何も…あの女はわざとやったんだろ」
「そうね。久々だわ~。この重くてキッツい感じ。旦那から殺気向けられた以来ね。ありゃただのふんわりほんわかお姉様じゃねぇや。あの人は…ただの一国の皇帝じゃねぇ」
エメラインから確かに感じた強者の気配に、ユージーンと火狼は確信した。
エメラインとは…この強き国ギルディストを治める女帝とは…ただ者ではないと。
ユージーンは初めて会った時からエメラインを警戒していたが…今になってそれが確信へと繋がる。
「あんなもんまともに受けてさ…姫さん大丈夫かね?」
「『今は大丈夫』…とは言ってるが……どうだろうな」
「いや、そこじゃなくてね。そりゃ今も当然心配だけどさ…一番はこれからよ。女帝様はあのシュガーちゃんと一緒にこのタイミングで出てきた。これから決勝戦が始まるっつう今にさ。つまり…そういうことだろ?」
火狼が何を言おうとしているのか?
それはユージーンが…いや、会場の誰もが勘づいている。
何故エメラインが今、リングに立っているのか?
その理由を…。
ユージーンは眼光を更に鋭くしエメラインを強く睨みつけ、視線は外さずに火狼へと答える。
「そういうことだろうさ。しかも決勝戦の説明だ?クソ…嫌な予感しかしねぇ」
「旦那のそれマジで当たるから、あんま言わないでよ」
彼のこういった言葉、予感が今まで的中してきたのをよく知る火狼は、ユージーンの言葉に力なく項垂れた。
丁度その時、エメラインが会場に向けて『決勝戦の説明』を始める。
「これから行われる決勝戦は少しルールを変更致します。変わらないのは二点。挑戦者と対戦者は二名づつ。そして殺しは御法度…という点です」
エメラインは全員に見えるように、高く手を挙げて二本の指を立てた。
そのルール続行には誰もが納得し頷いている。
そしてエメラインは手を下げると、観客達に向けていた視線を蓮姫へと戻した。
「決勝戦で戦う挑戦者は勿論、弐の姫蓮姫殿とスターファング殿。対戦者はここにいる私の息子シュガー。そして…」
エメラインはマイクを持っていない方の手を自身の胸に置くと、ニッコリと蓮姫に向けて微笑み口を開いた。
まるで会場…というよりは、蓮姫本人に聞かせるように。
「私です」
エメラインが自身の参加を口にした途端、観客達はざわめく。
混乱したように騒ぐ者、何処か納得したように頷く者、またエメラインの参加を喜ぶ者など…その反応は様々。
そんな観客達の反応を見て火狼は呆れている。
「なんで皆ビックリしてんのよ?女帝様が出て来た時からわかりきってた事じゃん?」
「まぁな。だが皇帝自らが試合に出るなんざ…どの国でも前代未聞だろ」
「そりゃそっか。王族ってのは普通こういう時、高みの見物してるかんね。国のトップの王様や皇帝様なら特に」
「だが女帝が出て当然騒ぐ奴もいるが、笑ってる奴、喜んでる奴も少なくない。つまり…あの女帝は闘技場に、それも決勝戦に参加するに相応しいって事だ。あの女が強いのは…間違いないからな」
「間違いであってほしいわ。我等の麗しい姫さんが戦うんだから余計にね」
不安げに翠の瞳を揺らし蓮姫を見つめる火狼。
いつも軽口ばかりたたいている火狼だが、今はその口以上に彼の翠の瞳が雄弁に彼の心情を語っている。
火狼の不安を…蓮姫を深く心配する彼の心を。
だが火狼は「ん?」と何かを思い出したようにユージーンへ視線を戻した。
「あれ?でも戦うのは…結局旦那か?じゃあ大丈夫?」
火狼に問い掛けられ少し考える素振りをするユージーンだったが、やはり彼の口から出たのは彼らしい自信に満ちたもの。
「………あの女…それとシュガーの強さは未知数だが…俺なら十分戦える」
「勝算は?」
「ある」
「即答かよ。なら…そっか。心配いらねぇか」
ユージーンの言葉に安心した火狼は、今度は楽しむように蓮姫を見つめた。
ついさっきまで不安に染まっていた翠の瞳は、もはや安心しきっている。
ユージーンが相手なら、たとえどんな相手だろうと蓮姫が負ける訳がない。
彼は、ユージーンはそれだけの強さを持つ男であり、必ず蓮姫を守り抜く男だから。
ユージーンが今まで通り蓮姫を操り、彼女の代わりに彼が戦うのなら蓮姫には何も問題無いだろう。
しかし…女帝であり次の対戦者でもあるエメラインは、とっくにユージーンの【マリオネット】を見抜いている。
エメラインは今までそれを観客にバラす事も、試合を中断することも無かった。
傍観し、そのまま試合を続けさせた。
だがそれも………ここまでだった。
ここにきてエメラインは…自分の目的の為に動く。
「そして変更点ですが……先ずは魔道士の皆さん。どうぞお入り下さい」
エメラインがそう告げると、リングを囲む四方の扉から魔道士達が入ってくる。
それは数人ではなく…かなりの大人数だった。
元々リング外で待機していた魔道士達も、新たに出てきた魔道士達と合流し、彼等はリングを取り囲むように円形に整列する。
(凄い数の魔道士。まるで人の壁みたい。でもなんで…こんなに?)
「なんだよコレ?こんなに魔道士いるか?武器なんて木製だし…残りは一試合だろ?なんの為にこんだけの魔道士入れたんだ?」
現れた魔道士達に困惑する蓮姫と星牙。
蓮姫は心の中でのみ呟くだけだったが、星牙は馬鹿正直に自分の思いを口にする。
エメラインは二人の反応に笑みを深くすると、魔道士達へと声を掛ける。
「では魔道士の皆さん…よろしくお願いします」
「はっ!」
エメラインの言葉を受けた魔道士達は、服から何かを取り出した。
そして彼等が一斉に両手を前に出すと、それぞれの手から光が現れ、瞬く間に天へと登りドーム状となってリングを包む。
それはあのコサゲ村で見たモノと同じ光景。
蓮姫達が立つリングは、一瞬にして結界に包まれた。
蓮姫はこの結界に…いや、自分達が閉じ込められたという現状に、驚きを隠せず声を上げる。
「っ!!?結界!?」
「は!?なんで結界が!?」
急に出現した…いや、ギルディストの魔道士達によって作られた結界に、慌てふためく蓮姫と星牙。
驚いているのは二人だけではなく、観客や蓮姫の従者達も同じ。
「なによ!あの結果は!?」
「…母さん…閉じ込められた?」
「なんで今になって結界なんざ…しかもアレって」
チラリとユージーンを見る火狼。
火狼の言いたい事はユージーンも同じだったらしく、顔を歪ませたまま呟く。
「多くの魔晶石で作られた結界だ。つまり…かなりの強度。並大抵の攻撃じゃ破れねぇ」
ユージーン達が見つめる魔道士達の手には、大きさや形こそ違うが…全員が全員、石を持っている。
それは一見してただの石。
だが火狼とユージーンは一瞬でそれが魔晶石だと見抜いた。
魔晶石とは術者の魔力を増幅させる物。
リングを取り囲むほど大人数の魔道士達がそれを使用して結界を作れば…その強度はかなり強い。
一方リングでは、星牙がリングの端へと駆け出し、その拳で結界を力の限り叩く。
「おいっ!!なんだよコレ!?なんなんだよコレッ!!?」
ドンドン!と激しく結界を叩きながら、外にいる魔道士達に呼びかける星牙。
当然、その程度では結界にヒビすら入らず、魔道士達も星牙の問いに一切答えない。
「クソッ!おい!聞けよお前ら!聞こえてんだろ!おいってば!!なんなんだって聞いてんだよっ!!」
「それについては、私から説明致しますわ。スターファングさん」
声を荒らげる星牙とは対照的に、落ち着いた声で告げるエメライン。
とてもこの現状を作り上げた張本人とは思えない程、その声はとても穏やかで静かだった。
エメラインは普段通りの微笑みを浮かべたまま蓮姫と星牙…いや、この場に集った全員に向けて説明を始める。
「先程も言ったルール変更ですが、この結界はその一つです。決勝戦は結界に包まれたこの中で行います」
「だから!なんでわざわざ結界なんて張ったんだ!って聞いてんだよ!」
エメラインの言葉に納得出来ない星牙は、噛み付くように声を荒らげる。
ルール変更の一つと言われればそうなのだろう。
だが理由もなく決勝戦のみ結界を張る…と言われても納得は出来ない。
ギルディスト国民である観客達とて女帝のこの行動には驚いているらしく、困惑しつつもエメラインの言葉を待った。
「我がギルディストにとって闘技場は神聖なるもの。特に決勝戦は、挑戦者の命運を決める最後の試合として、その意味が強いのです。だからこそ…誰にも邪魔をさせる訳にはいきません。これはその為の結界なのです」
エメラインはチラリとユージーンを視界の端に映しながら、言葉を続ける。
「もし仮に…あくまで仮に、万が一の話ですが。決勝戦ともなれば…第三者が出場者を手助けしたり、逆に危害を加える可能性もあります。もし試合中、結界の外から出場者になんらかの干渉があれば、試合は即刻中止。その場合、挑戦者二人は不戦敗となります。弐の姫殿とスターファング殿、そして弐の姫殿の従者の皆様方はすぐさま拘束。揃って私…ギルディスト皇帝からの罰を受けて頂くことになりますわ」
エメラインから発せられた言葉に、ギョッと目を丸くする蓮姫と星牙。
そして観客席でもユージーンと火狼が同じ表情を浮かべていた。
彼等はこの結界が張られた本当の意味にやっと気づいた。
この結界は…このルール変更は、ユージーンによる【マリオネット】を封じる為のものだと。
「これはあくまで仮の話です。そのような事態……決して有り得ぬと、私は信じておりますよ」
穏やかな微笑みを浮かべ観客達に説明するエメラインに、ユージーンは自分の中で強い殺意が湧き上がるのを感じた。
『信じている』と簡単に言い放つエメラインだが、それはユージーンへの挑発ともとれる。
これはユージーンに今後一切の干渉をさせない為の措置。
もしユージーンが感情のまま魔法を使えば…問答無用で蓮姫達の敗戦となってしまう。
そして蓮姫を含める全員の拘束とまで言われたら…蓮姫から遠く離れ、尚且つ結界の外にいるユージーンには為す術もない。
だがユージーンの手助けが一切無いまま、蓮姫がエメラインとシュガーと戦うのは無謀そのもの。
こうなってしまえば蓮姫達の負けは…ほぼ確定となる。
(クソッ!あの女!どうあっても姫様を勝たせねぇつもりか!!)
エメラインはユージーンから向けられる殺意に怯みもせず、一度マイクを下げると蓮姫へと近づいた。
ニコニコと変わらず笑みを浮かべるエメラインに、蓮姫は青い顔をし、震える口でエメラインへと尋ねる。
「エメル…様。エメル様は全てご存知だったからこそ…この結界を?私達を…勝たせない為に?」
「ふふ。それは違うわ、蓮姫ちゃん。この結界は蓮姫ちゃんを勝たせない為の物じゃないもの。勝たせたくないのなら【マリオネット】を使った時点で国民に全てを暴露し、闘技場は中止。蓮姫ちゃん達を退場させたわ」
静かに交わされる蓮姫とエメラインの会話。
エメラインがマイクを使っていない為、その会話は結界の外に漏れる事はない。
だからこそ、エメラインは今まであえて口にしていなかった【マリオネット】という言葉を発した。
会話の内容を知るのは結界内の者、そして読唇術の使えるユージーンと火狼のみ。
「それをしなかったのは…理由があるから。蓮姫ちゃんに勝ち進んでほしかったから。私は蓮姫ちゃんの負けなんて…望んでない」
エメラインは蓮姫とユージーンの不正に気づいていながら、それを黙認し決勝戦まで進めた。
「でも…やっぱりズルはいけないと思うの。だから最後の試合くらい、正々堂々と蓮姫ちゃんが戦ってちょうだい。そうしたら…【マリオネット】の件は皆さんに黙っててあげる。知ってる人達にも他言しないようにお願いするわ」
それは脅迫ともとれる言葉。
元をたどればズルをしていた蓮姫が、そしてユージーンが全面的に悪い。
エメラインからの提案…蓮姫には断る権利すら無い。
今になってこの女帝の恐ろしさを垣間見た蓮姫は、自然と顔を歪ませる。
まるで親に叱られた子供のように…。
だがそんな蓮姫に、エメラインは手を伸ばした。
そして慈しむように、愛でるように、蓮姫の頬を優しく撫でる。
「…エメル…様?」
「うふふ。怖がらせてしまったかしら?それとも傷つけてしまった?でもね蓮姫ちゃん…私は蓮姫ちゃんが好きよ。とっても好き。大好きなの。私はね…もっともっと蓮姫ちゃんを…好きになりたいの」
「え?」
「【マリオネット】を黙認したのは…蓮姫ちゃんに勝ち上がってほしかったから。私が出場するこの決勝戦までね。始めて蓮姫ちゃんの…弐の姫の話を聞いた時からずっと……ずっと私は蓮姫ちゃんと…戦いたかったのよ」
とろけるような微笑みを浮かべるエメライン。
蓮姫の頬を撫でる手も、優しく、暖かい。
蓮姫が振りほどくことが出来ないほどに。
振りほどきたいとは思えぬほどに。
蓮姫を『好きだ』と言ったのも『戦いたかった』という言葉も、どちらも紛れもなくエメラインの本心。
優しく暖かい手から、自分を見つめるとろけそうなワインレッドの瞳から…それはひしひしと蓮姫に伝わってくる。
「ようやく望みが叶うのね。やっと蓮姫ちゃんと戦える。だからこそ…誰にも邪魔なんてさせない。私はギルディスト皇帝として、蓮姫ちゃんは弐の姫として…誰の邪魔も入らないこの闘技場で戦うの。…………本気でね」
最後の一言を告げた時、エメラインの瞳が怪しく光ったのを蓮姫は見逃さなかった。




