マリオネット 9
試合が始まった時はお互い武器を構えたまま、しばらく微動だにしなかった蓮姫とサイラス。
観客達はまた今回も同じような展開になると予想していた。
だがその予想は直ぐに破られることとなる。
サイラスと蓮姫…正確にはユージーンに操られている蓮姫の体は、ほぼ同時に地面を蹴ると相手へと駆け出し、一瞬でお互いの間合いへと入った。
瞬時にお互いの武器が交差し、ガンガン!という木製武器がぶつかり合う鈍い音が会場に響く。
観客達は激しい二人の攻防に歓声を上げて楽しんでいたが、中には言葉を失っている者も何人かいた。
その観客達は純粋に…サイラスと互角に戦っている蓮姫を見て、驚きを隠せないでいる。
騎士団長でもあるサイラスは蓮姫よりも遥かに背が高く、がっしりとした巨体。
だというのに、その巨体から繰り出される大剣の攻撃を、蓮姫は全て短剣で受け止めている。
この国一番の戦士と名高いサイラス騎士団長と互角に戦っているのは、まだ10代の…それも弐の姫と呼ばれる少女。
その事実に…ただただ驚き、目を丸くする観客。
「お、おい。サイラス団長…まさか負けちゃうんじゃ?」
「はぁっ!?あのサイラス団長が女の子に負けるわけないだろ!?」
「…そうだよな。でもよ…じゃあなんで…なんで団長は女の子一人倒せないんだ?」
「え?…そ、そりゃあ……て、手加減してるんだろ?」
「闘技場で手を抜いてるって言うのか?あのサイラス団長が?その方がありえないだろ」
自国の最強戦士が女の子一人を倒せないというこの現状に、困惑する観客も増えていく。
そんな観客達の心境の変化に気づいているのか、いないのか?
ユージーンはここにきて防戦一方だった戦法を変えてきた。
木製の大剣を振り回すサイラスの攻撃を全て紙一重でかわし、着実に細かく体術や木製の短剣で攻撃を当てていく蓮姫。
これがユージーンの体ならば、サイラスの攻撃を何度受けようがダメージはあまり無い。
だが今サイラスと戦っているのは蓮姫の体。
攻撃力、防御力、持久力においてはサイラスの方が遥かに上。
だからこそ、ユージーンはサイラスよりも勝っているスピードと、小柄な体型を活かした戦法へと変えたのだ。
ユージーンは蓮姫の体を巧みに操り、何度も何度もサイラスからの攻撃をヒラリとかわしては、確実に攻撃を一撃づつくらわせる。
その攻撃は、喉元やみぞおちといった急所ばかりに集中し、特に後半はサイラスの巨体を支える右足を重点的に狙った。
それは小さな体から繰り出される軽い攻撃かもしれない。
だがどんなに軽くても、何度も同じ場所ばかりを攻撃されれば、確実にダメージは蓄積される。
何より、サイラスの表情がそれを物語っていた。
木製の短剣とはいえ、攻撃を受ける度にサイラスの顔は歪んでいき、その巨体を支える右足は僅かだが震えている。
その僅かな震えを、ユージーンが見逃すはずは無かった。
(そろそろ…仕留めるか)
サイラスが息を乱しながらも再び大剣を振り上げた時、ユージーンは紅い右目を大きく見開いた。
魔力が強く込められた蓮姫の体は高く飛び上がると、自分に向けて振り上げられた大剣を両手で抱きしめる。
突然の蓮姫の行動にサイラスが驚く瞬間、蓮姫は右足を大きく振り、サイラスが大剣を掴んでいた掌を力いっぱい蹴り上げた。
「ぐっ!?」
その衝撃でサイラスは大剣を手放してしまった。
大剣を抱えたまま、蓮姫はサイラスの目前で一回転し見事リングに着地する。
そして奪った大剣を持ち直すと、サイラスの右足目掛け、野球のバットのように大きく振りかぶった。
バキッ!と何かが折れたような、鈍く大きな音が会場に響く。
「ぐ、ぐぁぁああああ!!」
サイラスはバランスを崩すと、その場に倒れ込み、冷や汗をかきながら右足を抑えた。
あの音から…そしてサイラスの様子からして、彼の右足は今ので完全に折れたらしい。
何とか立ち上がろうとするサイラスだが、今度はその巨体が仇となり左足だけでは上手く立ち上がることが出来ない。
あの大剣があればそれを支えに立つ事も出来ただろうが、大剣は蓮姫が持っている。
また激しく動き続けた蓮姫の体も限界が近づいていた。
肩を激しく上下させ、息も荒くなっている。
「………はぁ……はぁ……サイラス…団長………はっ…どうか…降参…して下さい…」
サイラスを見下ろしながら息も絶え絶えに告げる蓮姫。
未だリングにうずくまるサイラスは顔だけを蓮姫へと向けた。
「降参…ですと?私はまだ…戦えます」
「はぁっ…はぁ………ふぅ~…………サイラス団長。貴方の武器は私が持っています。その右足では立つことは出来ない。それにさっきの私の蹴りで利き腕も負傷したのでは?その状態で戦うのは…無謀すぎます」
息を整えると、蓮姫はサイラスの現状を淡々と口にした。
自分の体がどのようにダメージを受けているか、今の自分がどれだけ不利か?
そんなものは蓮姫に言われずとも、当のサイラスが誰よりも理解している。
それでも騎士団長の誇りが彼に『降参』の一言を言わせない。
だがサイラスには自分の誇りよりも大切なものが…自分の意思よりも優先させるべき事がある。
サイラスは視線を蓮姫から外すと、この国の皇帝であるエメラインへと向けた。
エメラインは満足気に微笑むと、サイラスに向けて小さく頷く。
その仕草で、サイラスは今の自分が何をすべきか?何を言うべきか?皇帝が何を望んでいるか…全てを改めて理解し、受け入れる事にした。
サイラスは蓮姫へと視線を戻すと、ハッキリと、そして大きな声で発言する。
「弐の姫様……降参です!」
サイラスが蓮姫に向けて頭を下げた直後、審判の男が右手を高く振り上げた。
「それまで!闘技場準決勝戦!勝者は挑戦者達!」
高らかに告げられた判決に、観客達は再び大きな歓声を上げ、会場は大いに盛り上がる。
リング外にいた星牙は蓮姫の元へと駆けつけると、嬉しそうにバンバンとその肩を叩いた。
「やったな!蓮!これで残りは一試合だけだ!」
「あ、あはは…そうだね………うん。…痛いからそろそろやめてくれる?」
困ったように笑う蓮姫と慌てて謝る星牙。
そんは二人の元に、騎士団員に支えられたサイラスが近づいて来た。
「………弐の姫様…」
「…サイラス団長」
サイラスと蓮姫はお互いを呼ぶが、その後の言葉が出てこない。
特に蓮姫は悔しそうに、申し訳なさそうに唇を噛み締めてサイラスを見つめる。
【マリオネット】というやり方を、従者であり術者であるユージーンの提案を受け入れたのは蓮姫。
そのおかげで準決勝戦も見事勝利したが、正々堂々と戦ったサイラスに対して蓮姫の戦いは卑怯極まりないもの。
その上、そんなサイラスに右足を折るという大怪我までさせた。
現にサイラスに肩を貸している騎士団員の男は、激しい憎悪のこもった目で蓮姫を睨みつけている。
だが蓮姫に負けたサイラス本人は違った。
彼は何処か…哀れむような目で蓮姫を見つめる。
少しの沈黙の後、先に口を開いたのはサイラスだった。
「弐の姫様。準決勝戦の勝利、そして決勝進出…おめでとうございます」
「サイラス団長………本当に…申し訳」
「それ以上は口になさいますな。どのような理由があれ、負けたのは私です。勝者から敗者への謝罪など…侮辱以外の何物でもありません」
「っ!?す、すみま…あ……………はい。サイラス団長」
サイラスの言葉を聞き慌てて謝ろうとした蓮姫だったが、それもまた彼への侮辱だと気づき、一度口を噤むと、頷くだけにとどめた。
だがサイラスは怒る事も呆れる事もしない。
ただただ哀れむ目を蓮姫に向けるだけ。
そんなサイラスの視線に気づいた蓮姫は、不思議そうに首を傾げた。
「サイラス団長?…どうされました?」
「………弐の姫様…『おめでとうございます』とは申し上げましたが…弐の姫様は私に…準決勝で勝つべきではありませんでした。決勝になど行けぬ方が…弐の姫様には良かったのです」
「え?それって…どういう意味ですか?」
サイラスの言葉の意図が分からず、困惑する蓮姫。
それは蓮姫だけでなく星牙、そしてサイラスを支える騎士団員も同じ。
だがサイラスが全てを語る前に、今度は審判が蓮姫達の元に来て話を中断させた。
「サイラス団長。直ぐに決勝戦が始まります。早々にリングからお立ち退き下さい」
「わかっている。それでは弐の姫様…失礼致します」
「あ、はい。サイラス団長」
サイラスは騎士団員と共に蓮姫へ背を向けると、リングを下りるため足を進める。
だが数歩進むと、その足はピタリと止まった。
そして振り返ることなく、更に意味深な言葉を蓮姫へかける。
「どうか決勝では、無理をなさらず降参して下さい。あの方に…勝てるはずないのですから」
「……あの方?」
サイラスの言葉をオウム返しするように問いかける蓮姫。
だがサイラスは蓮姫の問いには答えず、そのままリングを去っていった。
残された蓮姫はサイラスの言葉の意味を考えようとするが、そんな時間は彼女に与えられない。
「これより!決勝戦を執り行う!」
審判の男は何処から取り出したのか、マイクを持ち高らかに告げる。
その言葉で会場は再び観客による歓声に包まれた。
「うぉおお!ついに決勝戦だ!」
「サイラス団長の次だろ?一体誰が出るんだ!?」
「誰だっていいさ!あのサイラス団長まで倒したんだ!弐の姫とスターファングの強さは本物だ!」
「弐の姫ー!スターファングー!頑張れー!」
「応援してるわー!貴方達なら優勝間違いなしよー!」
「弐の姫!弐の姫!」
「ファング!ファング!」
観客は口々に「弐の姫!」「ファング!」と二人へ歓声を上げる。
最初はただ闘技場を楽しんでいた観客達。
蓮姫達が勝ち抜くことなど考えもしなかったギルディストの民達。
だが、ここにきて彼等の心境は大きく変わった。
準決勝…それもギルディスト最強の戦士と言われたサイラスにまで勝った事で、観客は全員蓮姫と星牙を心から応援している。
彼等は二人の優勝を信じ、また心から期待していた。
そんな観客の変化に蓮姫の従者達も大いに満足している。
「ふん。やっと姉上の凄さがわかったようね。姉上なら闘技場の優勝なんて簡単よ」
「…母さんなら…簡単なのか?」
「簡単簡単!未月も見たでしょ?あんなに強い姉上が負ける訳ないわ」
「…あれ…母さんじゃない」
「何言ってんの?どこからどう見ても、あれは姉上じゃない」
「…うん。…あれは母さん。でも…戦ってるのは…違う」
「え?い、意味わからないんだけど」
最初は蓮姫の戦いぶりに困惑していた未月だったが、試合が進むにつれて、どうやら彼もそのカラクリに気づいたようだ。
ユージーンによる【マリオネット】を見抜いている未月と、何も知らない残火では話が食い違っている。
しかし未月は元々多くを語らない為、残火にはただ意味不明の発言としてしか伝わらなかったらしい。
そんなお子様二人の横で、全てを知っている火狼とユージーンは言葉を交わす。
「いよいよ決勝戦だね、旦那」
「あぁ。これで終わりだと思うと、強国ギルディストも大したことなかったな」
「でもさ…決勝には多分、アイツが出てくるっしょ。女帝の可愛い可愛いシュガーちゃんがさ」
二人の脳裏には昨日の晩餐が、シュガーのあの行動が蘇る。
なんの躊躇もなく剣を振り下ろしたシュガー。
そのスピードも殺気も…常人とは桁外れ…その上シュガーの本質は恐らく戦闘狂だろう。
そういう相手は…普通の騎士や兵士に比べて、何倍も厄介であり戦いにくい相手でもある。
「恐らくな。昨日感じた奴の強さは…本物だった。その上、もう一人は誰が出てくるかわからねぇ」
「あれ?旦那ってば弱気発言?」
「んな訳ねぇだろ。誰が相手だろうと俺の敵じゃない。さっさと倒して、このくだらねぇ闘技場を終わらせてやる」
弱気発言どころか自信満々に答えるユージーンに、火狼もまたニヤリと笑う。
確かに昨日の晩餐で、ユージーンと火狼はシュガーから異様な気配を、そして未知数の強さを感じていた。
だからといってユージーンが負けるとは微塵も思っていない。
決勝だろうと、相手が未知数の力を持つシュガーだろうと、ユージーンの相手ではない。
このままいけば優勝確実だと…ユージーンも火狼も楽観視している。
確かにこのまま同じ戦法を使えば、蓮姫の優勝は確実であり、簡単だ。
そう。
それは本当に…あくまで、このまま同じ戦法が出来ればの話。
既に油断しきっている蓮姫の従者、そして大いに盛り上がる観客を鎮める為、審判の男は再びマイクを使って大きな声で発言する。
「皆!静粛に!ついに決勝戦!これが本当に最後の試合!これで挑戦者達の命運が決まる!決勝戦で挑戦者達と戦うのは……この方々だ!」
審判の言葉が終わった直後、蓮姫達の正面…観覧席の影となった部分から現れたのは二人の人物。
一人はユージーン達の予想通り、女帝の愛息子シュガー。
そしてもう一人は…この場にいる誰もが予測していなかった人物だった。
それは蓮姫も同じで、漆黒の瞳を大きく見開き、シュガーと共にリングに上がるその人物を凝視する。
「…え………エメル…様?」
「ふふ。お待たせ、蓮姫ちゃん。さぁ…楽しみましょう」