マリオネット 6
蓮姫の黒い瞳に迷いが生じたのを確信したユージーンは、蓮姫を言いくるめる為に指を二本立て、彼女にある選択肢を提示した。
「姫様。今の姫様には二つの選択肢があります」
「二つの…選択肢?」
蓮姫の言葉にユージーンは頷くと、今度は人差し指だけを立て彼女に見せる。
「そうです。まず一つ目。自分の意志を曲げずに正々堂々と戦い、試合に負けて星牙と俺達全員を罪人にする」
「そんなの…選べる訳ないでしょ!」
「姫様ならそうでしょうね。もう一つ。卑怯だと知りながら【マリオネット】をこのまま使用し、闘技場を優勝する」
「そんな偏った選択肢…」
ユージーンから出された選択肢に蓮姫は困惑する。
どちらも蓮姫には選べない…選びたくなどない選択肢だ。
その上、蓮姫が言うようにこの選択肢は随分と偏っている。
言葉の内容もそうだが、勝つ為の選択肢など一つしかないのだから。
だが、蓮姫が選ぶ…いや、不本意ながらも選ばざるを得ないのも一つしかない。
それをわかっていながら、ユージーンはあえて蓮姫が嫌がる言葉を選び、選択肢として口にしたのだ。
蓮姫に彼女の今の実力、そして自分達の置かれた現状を思い知らせる為に。
「偏っていますね。ですが今、姫様が直面しているのはこういうことです。自分の力で戦って負けるか、俺の【マリオネット】で勝つか。そのどちらかしかない」
「どちらかしか…選べない」
ユージーンの思惑通り、蓮姫は自分の今の状況を理解し、悔しそうに目を伏せる。
そんな蓮姫を更に諭すよう、ユージーンは優しく言葉を続けた。
「いいですか?人は生きていく上で必ず何かしらの選択を迫られます。それも一つの生涯で何度も。姫様は『弐の姫』。王たる者は下々よりも多く、それも厳しい選択を迫られるんです」
ユージーンは蓮姫の目を真っ直ぐに見据える。
蓮姫もまた揺れる黒い瞳でユージーンを見返した。
星牙は口を挟もうと口を開きかけるが、結局はユージーンを説得できる言葉など思い浮かばず、直ぐに悔しそうに口を閉じ、二人のやり取りを見守る。
「姫様。もう一度言いますが、姫様は『弐の姫』です。未来の女王となられる方です。王たるもの、自分の気持ちを隠し、民の為に最善な道を選ばなくてはならない時は必ずある」
「自分の気持ちを…隠して…」
「今だってそうです。たとえそれが卑怯でも、自分の信念を曲げる事だとしても…誰かを守る為なら、自分にとって不本意な選択を選ばなきゃいけない」
それはもはや、説得というより誘導尋問に近い。
それでもユージーンは蓮姫が正しい選択をするよう仕向けた。
彼女の意志を、心を守りたいという気持ちはユージーンにだってある。
蓮姫のヴァルとなったその時から、ユージーンは蓮姫の為に生き、彼女を守ることを心に決めていた。
それでも…綺麗事ばかりで、馬鹿正直な偽善的な考えだけで生きていけるほど、世の中は甘くなどない。
「姫様の心は…俺が誰より知っています。だからこそ…変に意地を張って後悔してほしくないんです。なんの結果も出せずに自己満足で終わらせるか…納得していなくても正しい結果を出すか。それを今、決めて下さい」
「…ジーン」
「もし姫様がそれでも…正々堂々と戦いたいというのなら、俺ももう何も言いません。何もしません。正直…確実に負けるとは思いますが、その時は…どんな手を使ってでも全員ギルディストから逃げ出してみせます」
優しく、だが少し困ったように微笑むユージーン。
彼ならきっと、本当に蓮姫を含めた仲間全員、無事にギルディストから逃がしてくれるだろう。
彼はそれだけの実力を持つ男だから。
それが蓮姫に掛けたあの【マリオネット】より卑怯なやり方だろうと、彼は言葉通りどんな手を使ってでも蓮姫を守る。
しかしここは強国ギルディスト。
ユージーンも他の従者達も強者揃いだが…全員が無事逃げ出すことは、そう簡単な事ではないだろう。
自分の従者達を苦労させる未来など目に見えている。
蓮姫は俯き、両手を強く握りしめた。
どのような理由であれ、自分は今、女帝の開催する闘技場に参加している。
試合に負けたからといって、自分達にはなんのペナルティも無いかもしれない。
負けたらギルディストから出られなくなる、罰を受ける…というのは、あくまで自分達の勝手な推測に過ぎない。
試合に負けた時、蓮姫や従者達がどのように扱われるかなど、誰にもわからず、なんの確証もないのだ。
だが一つだけ確かなこともある。
負けた時の未来が決まっている人間が…一人だけいる。
蓮姫はチラリと星牙の方に視線を向けた。
スパイ容疑を掛けられ、闘技場に参加させられた彼は、試合全てに勝ち抜き優勝しなくては疑いが晴れることはない。
負けてしまえば…彼は罪人として捕らわれることとなるだろう。
(私がワガママを通して…負けて星牙が罪人に逆戻りしたら………。ダメ。それだけは絶対にダメ。………なら…私は…)
長く葛藤していた蓮姫も、やっと自分の中で答えを出した。
蓮姫の表情から何かを悟ったユージーンは、蓮姫へ再度問いかける。
「姫様。そろそろ休憩も終わります。姫様の答えを…聞かせて下さい」
「……私は…」
蓮姫は絞り出すように声を出すと、ゆっくりと顔を上げ、ユージーンの赤い瞳を見つめて口を開く。
「私は…この闘技場に勝ちたい。勝たなきゃいけない。だから…ジーン。力を貸して」
それは蓮姫にとって、ある意味苦渋の決断でもあった。
本当はあんな戦い方…もうしたくなどない。
勝ったところで胸など張れない、優勝したところで心から喜べるはずもない。
それでも…勝つ為には、星牙を救う為には、この選択肢しかないのだ。
蓮姫の答えを受け、ユージーンもまた静かに頷く。
「かしこまりました。なら俺は今後も、観覧席から姫様をサポートいたします」
「うん。お願い」
「はい。では俺は観覧席へと戻ります。姫様と星牙も、そろそろ会場に戻った方が良いでしょう。それでは姫様。失礼します」
それだけ告げると、ユージーンは蓮姫に向けて一礼し、空間転移を発動してこの場から消えた。
残された蓮姫と星牙を取り巻く空気は暗く重い。
どちらも暗い顔をして黙り込んでいたが、先に口を開いたのは星牙だった。
「…蓮……その…俺はやっぱり、あんな戦い方…おかしいと思う。納得出来ない」
「…うん。私もそう思うよ」
「え?」
蓮姫が言葉が意外だったのか、星牙は弾かれたように驚きの表情を浮かべる。
今まさに卑怯な戦い方をすると決めた張本人が、批判する自分と同意見とは思っていなかったのだ。
星牙は直ぐに蓮姫へと詰め寄り、まくし立てるように言葉を続けた。
「だったらさ!もうやめないか!こんな試合!闘技場なんかやる意味ないって!今からでも遅くない!女帝に全部話して!謝ってさ!全部無かった事にしてもらおうぜ!」
「星牙。そんなこと出来ないって、本当はわかってるでしょ。そんな事言ったら本当に星牙が罪人になっちゃう。星牙が罪人になって悲しむのは蒼牙さん達…星牙の家族なんだよ?」
「っ!!?そ、そりゃ…そうだけど…」
家族の話を出されると、星牙も何も言えなくなるのか口ごもってしまう。
そして今の言葉からも星牙は悟った。
何故、蓮姫がそうまでして勝とうとするのか…その理由を。
「なぁ…やっぱり…俺の為なのか?俺のせいで…蓮はユージーンの力を借りるのか?俺を勝たせる為に?」
ここにきて、やっと蓮姫の真意を汲み取った星牙。
目の前の女を…友となった家族の恩人でもある弐の姫を、苦しめているのは自分だという事実に胸が締め付けられた。
しかし蓮姫はまた無理をして笑顔を浮かべると、星牙に向けて言葉をかけた。
「星牙の為だけじゃないよ。私自身の為でもあるの。星牙が罪人になるのは…私が嫌なの。私が闘技場を優勝したいの。だから…ごめんね。星牙、私のワガママを聞いて。一緒に優勝しよう」
蓮姫が謝る理由など何一つないのに…蓮姫はそう言うと星牙に向けて手を差し出す。
星牙もまた悲しげな表情で蓮姫の手を握り返した。
「………蓮。…ごめんな。……ありがと」
「うん。私こそごめん。それとありがとう」
「蓮が俺に謝ることなんて何も無いだろ。お礼言うのもおかしいって」
「それを言うなら星牙だって………って、キリがないね。もうやめようか」
苦笑を浮かべながら蓮姫は握っていた星牙の手を解放する。
「………このままじゃ…ダメだな…」
「え?蓮、今なんて?」
蓮姫の呟きは傍にいた星牙にも聞き取れないほど小さい。
彼女は星牙にまた笑顔を向けると、大きく息を吸い込み、そして深く息を吐き出した。
深呼吸で自分の気持ちを落ち着かせた蓮姫。
すると今度は壁に向かって一直線に歩いてき、壁の前でピタリと立ち止まった。
そして彼女は星牙が予想もしていなかった行動に出る。
蓮姫は壁に両手をつくと、そっと目を閉じる。
そして蓮姫が目を開けた瞬間、彼女は勢いよく首を後ろに引き、そのまま壁に向かって首を振り下ろす。
なんと蓮姫は壁に向けて頭突きをしたのだ。
ゴッ!!と鈍い音が部屋中に響き渡り、予想だにしない蓮姫の行動に星牙も目を丸くしている。
壁に頭をつけたまま何故か動かない蓮姫。
「………お、おい。蓮?」
心配になった星牙が声をかけるが、蓮姫はそれに答えることなく、また何度も壁に向かって頭突きを繰り返した。
ゴン!ガン!ゴッ!という鈍い音が絶え間なく響く。
それは少女が一人壁に向かって頭突きをし続けるという、あまりにも異様な光景。
だが何度か頭突きを繰り返すと、蓮姫はまた下を向き深く息を吐き出した。
そしてガバッ!と勢いよく顔を上げると、壁に向かって一人叫ぶ。
「よしっ!気合い入った!吹っ切れた!もう大丈夫!やってやる!」
それは星牙に向けた訳ではなく、蓮姫が自分自身に言い聞かせる為の心の叫び。
蓮姫はクルリと星牙へと振り替えると、満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「星牙!私は大丈夫!だから勝とう!何がなんでもこの闘技場!優勝してやろうよ!」
それは先程までの作り笑いとは何処か違う笑顔。
当然、彼女の心の中にはまだわだかまりが残っている。
完全に全てを納得した訳ではないし、そんなもの簡単には出来ない。
それでも額を真っ赤に染めた蓮姫の笑顔は…何処か吹っ切れたような笑顔だった。
「蓮?吹っ切れたって…お前」
「星牙も私も本当はジーンのやり方に納得なんかしてない。でもね…勝たなきゃ意味がない。私達は絶対に勝たなきゃいけない。そうでしょ?なら…勝ってやろうよ!何がなんでも!二人でさ!」
「でも…いいのか?蓮だって本当は嫌なんだろ?」
「本当はね。でもさ…綺麗事ばかりじゃ何も出来ない。綺麗事を言える程の実力が…今の私には無い。だから今は、この現実を受け入れるよ。この悔しさや不甲斐なさを私は決して忘れない。こんな卑怯な戦い二度としなくてすむように…絶対強くなってやる。未来の為にも…今日私はどんな手を使ってでも勝つ。そう決めた」
ニコッと微笑む蓮姫に星牙も何処か思う所があったらしく、自身の胸元をギュッと握りしめた。
(俺がもっと強ければ…昨日のユージーン達みたいに戦えれば、蓮だってあんな戦い方しなくてすんだのに。でも…俺が負けて捕まれば…蓮達にも迷惑かける。玉華のお袋達や…親父にだって)
星牙は武人としての誇りが、飛龍元帥の息子としての誇りが、卑怯な戦いなど許せなかった。
それでも…自分を守ってくれた、守ろうとしてくれる目の前の蓮を犠牲には出来ない。
そして蓮姫の言葉がまた星牙の心にも深く突き刺さった。
(弱いクセに綺麗事ばかり言っても…そんなの意味無い、か。…そうだよな。正々堂々と戦うのが武人の務め。だけど………大切な人を守り抜くのも…武人の務めだ)
星牙も蓮姫の言葉で心を決めた。
弐の姫と言われる少女が全てを受け入れ戦おうとしているのなら、武人である自分もそれを受け入れようと。
二人共こんな戦い方は望んでない。
それでも弱さゆえに、それを受け入れねばならない。
蓮姫が受け入れたように、星牙もまた現状を受け入れようと覚悟した。
すると星牙は先程の蓮姫と同じように、突拍子もない行動…いや言葉を発する。
「蓮!俺のこと殴ってくれ!」
「えっ!?な、なんで!?」
「俺にも気合い入れてくれよ!自分でやるんじゃ意味無い!俺は蓮に気合いを入れてほしいんだ!頼む!」
フンっ!と鼻息を荒くして頼む星牙。
蓮姫と同じ黒い瞳はしっかりと蓮姫を見据え、強い意志が込められていた。
自分が無理矢理気合いを入れたこともあり、蓮姫もまた星牙の気持ちを汲みとり頷く。
「……わかった。でもグーはしないよ。ほっぺにビンタ。それでいい?」
「おお!ドンと来い!」
「うん。じゃあ…いくよ」
星牙が目を閉じたのを確認すると、蓮姫は右手を大きく振りかぶり、星牙の左頬目掛けて全力でそれを振り払う。
バチン!という大きな音と共に、一瞬だけ星牙の体が揺らいだ。
どうやら星牙が予想していたより、蓮姫のビンタは相当重いものだったらしい。
「~~~っ!!?蓮…細い体してんのに…結構馬鹿力だな…」
「え!?ご、ごめん!?つい全力でやっちゃった!痛かった!?」
「ハハッ!めっちゃくちゃ痛かったぜ!よしっ!俺も気合い入った!今度こそ俺も大丈夫だ!やってやろうぜ!蓮!」
「星牙………うん!やってやろう!」
二人が今度こそ心からの笑顔を浮かべていると、控え室の外からバタバタと誰かが走って来る音が聞こえた。
それは段々と控え室へと近づき、遂には息を切らせた女の親衛隊が二人の待つ控え室へと入って来る。
「弐の姫様!スターファング!もうお時間です!急いで会場にお戻り下さい!」
「え!?もう休憩終わりかよ!?」
「話し過ぎちゃったね。すみません、今行くので」
「お急ぎ下さい」
親衛隊の女が二人を促すが、蓮姫はふとその女の髪型に目を止めた。
親衛隊の彼女は長い赤茶色の髪を高く結い上げ、ポニーテールにしている。
「あ、待って下さい。すみませんが、ヘアゴムとかリボンって持ってませんか?」
「は?リボンでしたら…常に予備を持っておりますが」
「もし良かったら貸して頂けませんか?髪をまとめたいので」
「かしこまりました。ですが本当に時間がありません。ご自分で歩きながら結って頂いても?」
「それで大丈夫です」
蓮姫は親衛隊の女からリボンを受け取ると、歩きながら簡単に自分の黒髪をまとめ上げる。
(よし。これで本当に気合い入った。ごちゃごちゃ考えるのはもうやめよう)
髪を結い上げるという些細な行為だったが、それで蓮姫の中の士気は確実に上がった。
(エメル様…観客の皆さん、ごめんなさい。でも…私は絶対に優勝します。星牙と一緒に)
蓮姫も星牙も…もう迷いはない。
二人は同時に顔を見合わせて微笑むと、揃って会場へと戻っていった。
何故か額が真っ赤に染まっている弐の姫と、左頬に赤い紅葉をつけたスターファング。
そんな二人の姿を観客や皇帝関係者、そして蓮姫の従者達が不思議そうに見つめていた。