マリオネット 5
自分を背に庇っている、自分と同い年のこの少年は…自分とはまるで違う。
この世界の女王陛下をお守りする飛龍元帥の息子であること、武人であることを誇りに思っている星牙。
蓮姫を守り、正々堂々と相手と戦おうとしている星牙。
それに比べて…蓮姫は自分が、とても卑しい存在に感じた。
「星牙…私…」
「正直さ…俺もさっきの蓮は変だと思うよ。でも…今の俺達は勝たなきゃ。後でちゃんと聞かせてもらうから!まずは俺の戦いを見ててくれ!」
それだけ告げると、星牙は残った騎士団へと突進していった。
二人は何度も木刀を交わし、激しい戦いを繰り広げる。
だが蓮姫の予測不能な動きや、仲間が倒された事で騎士団の男は酷く動揺していた。
それが響き、この一騎打ちは星牙の勝ちに終わる。
星牙による激しい攻撃で騎士団の男が倒れた後、審判の男は声高々に叫んだ。
「それまで!第一試合終了!勝者は挑戦者達!」
審判による試合終了の宣言に、観客は昨日同様大いに盛り上がりを見せる。
今や蓮姫にブーイングをする者は誰一人おらず、観客は全て蓮姫の戦いぶりに興奮していた。
しかしそれはあくまで観客…蓮姫が自分自身の力で勝ち抜いたと思い込んでいる者達のみ。
蓮姫を闘技場に参加させた張本人、女帝エメラインは皇帝専用スペースからリングを見下ろす。
そして一つため息をつくと、困ったように頬に手を添えて「あらあら」とだけ呟いた。
そんな呑気な母親の様子を見て、シュガーもため息をつくと、椅子から立ち上がり母親の隣へと立つ。
「『あらあら』…じゃなくない?今のってどう見てもズルじゃん。いいの?母上」
「あら?シュガーちゃんは見抜いていたの?」
「見抜くも何も…あんなの見たまんまじゃん。今のアレ…【マリオネット】でしょ?多分…あの強い銀髪さんの仕業かな?つまり、弐の姫は自分で戦ってなんかいない」
「えぇ、そうね。アレは蓮姫ちゃんの戦いじゃないわ。従者の魔法で勝たせてもらっただけ。闘技場であんな戦い方をするなんて…本来なら、とても許せるものではないわ」
闘技場開催者として、もっともな意見を述べるエメライン。
エメラインもシュガーも、蓮姫の今の戦いのカラクリに直ぐ気づいていた。
だからこそシュガーは蓮姫を心底呆れた目で見ている。
しかしエメラインは『本来なら許せない』と言った。
つまり今の段階では、エメラインは蓮姫を罰する事も、闘技場を中止する事も考えていない。
そんな母親の思考が理解出来ず、シュガーは不満げに母親へと意見した。
「ねぇ…許せないんなら、もう中止にしちゃえば?弐の姫は真面目に戦わない。真面目に戦っても弐の姫は弱い。これ以上闘技場を続ける理由なんて無いでしょ」
シュガーの言葉に後ろで控えていた親衛隊達も頷く。
彼等も…蓮姫に掛けられた【マリオネット】を見抜いており、今の試合に納得していない。
だからこそ、その中の一人がエメラインへと近づいた。
「陛下。恐れながら、弐の姫は我が国の神聖なる闘技場を侮辱しております。あのような戦い方…納得出来ません。即刻、闘技場を中止し、奴等に厳罰を与えるべきかと」
「ほら。親衛隊もこう言ってるじゃん。もうやめようよ、母上」
闘技場中止、そして蓮姫への厳罰を望む親衛隊達。
だがエメラインは顔だけ彼等へ振り向くと、満面の笑みを浮かべて宣言した。
「いいえ。闘技場は続けます」
「っ!?しかし!陛下!」
「皆の気持ちもわかるわ。でもね…これだけで蓮姫ちゃん…弐の姫を見極めるのはどうかと思うの」
「陛下は…まだ弐の姫にチャンスを与えるというのですか?」
「えぇ。それに皆も知っているでしょう?闘技場はただ勝ち抜く事は出来ても…最後まで勝ち抜くのは…とても難しいわ」
そう言うとエメラインは口元に手を当て、クスクスと楽しげに笑い出す。
エメラインの考えが分からず、親衛隊は困惑し、シュガーもまた首を傾げた。
「ふふ。大丈夫よ。蓮姫ちゃんの事は…しっかりと私が見定めるわ。この国の皇帝である私が、ね。その為の闘技場なのよ。だから心配しないで」
「か、かしこまりました。陛下」
「ありがとう。さて、そろそろ第二試合が………あら?」
自分達が長々と話している間に、第二試合の準備が済んでいると思ったエメラインはリングに視線を戻す。
しかしリング上では、蓮姫が審判に向けて何かを話している最中。
何かを必死に訴えかけている蓮姫に、審判も困っているようだ。
審判はふと、助けを乞うようにエメラインへと視線を向ける。
彼の意図は分からなかったが、エメラインが一つ頷くと、審判はマイクを取り出しエメライン、そして観客に向けて言葉を発した。
「挑戦者より要望です!少しの間でいいので休憩を頂きたいと!」
審判の言葉に観客も驚きザワザワと騒ぎ出す。
たった今、第一試合が終わったばかりだというのに、もう休憩したいとはどういう事なのか?
蓮姫は困った顔のまま、エメラインに向けて手を合わせ、何度も頭を下げる。
蓮姫の様子に苦笑すると、エメラインもまたマイクを持ち立ち上がった。
「分かりました。挑戦者の御要望、お受け致しましょう。では今より、30分間の休憩とさせて頂きます!」
エメラインが休憩を宣言すると、観客達は困惑しながらも拍手をし、それを受け入れた。
蓮姫はエメラインに向けて深く頭を下げると、星牙の腕を取って、そのまま自分達の控え室へと走って行く。
そんな蓮姫達を不思議そうに見送りながらも、観客は談笑したり、今のうちにトイレに行こうと立ち上がる。
ふとエメラインが蓮姫の従者達へと目を向けると、ユージーンが椅子から立ち上がり、一瞬で姿を消した。
恐らく空間転移を使ったのだろう。
そんな彼が何処に向かっているのか…エメラインにも簡単に予想がついた。
(…蓮姫ちゃんの所に行ったのね。蓮姫ちゃんの様子を見る限り…誰よりも蓮姫ちゃんが【マリオネット】に納得していなかったわ。きっとアレは…彼の独断でしょうね)
エメラインは全てを見透かしたように、楽しげに笑う。
エメラインの言葉通り、蓮姫は誰よりも今の戦いを納得していなかった。
そしてエメラインはこの闘技場を…蓮姫の戦いを…誰よりも楽しんでいる。
(でもね蓮姫ちゃん。普通に戦うだけじゃ…闘技場は勝ち抜けないのよ。蓮姫ちゃんは弐の姫として、仲間やファングさんを守る為、今後どう判断するのかしら?今後どう戦うのかしら?ふふ。もっと私を楽しませて。そして…必ず決勝まで勝ち抜いてね)
エメラインがニコニコと蓮姫へ思いを馳せている頃。
蓮姫は星牙の手を引いたまま控え室へと入る。
そして二人が控え室へと入った直後、ユージーンもまた空間転移を使用し控え室…蓮姫と星牙の前へと現れた。
彼は悪びれる様子もなく、笑顔を浮かべて蓮姫へと声を掛ける。
「お待たせ致しました、姫様。」
「ジーン!さっきも言ったけど…一体どういうつもり!?」
現れたユージーンに蓮姫は怒りの形相で、怒鳴りつけるように問いかけた。
彼女が怒っているのは星牙が見ても…いや誰が見ても明らか。
しかし蓮姫に怒鳴られた張本人、ユージーンは笑顔を崩すことはない。
「………まずはここに結界を張りましょう。誰かが聞いてるとも限りませんからね」
ユージーンは宣言通り、三人を囲むように小さな結界を瞬時に発動させた。
結界が張られると、ユージーンは笑顔のまま、しかし淡々と蓮姫に答える。
「俺も先程お伝えしましたが、俺は従者として、姫様のお手伝いをしたに過ぎません」
「あんな卑怯な真似をして!私があんな勝ち方をして喜ぶと思ったの!?」
「いえ全く。姫様が納得されない事も、こうして怒り出すことも、全て承知の上です」
顔を赤く染めて激昂する蓮姫に、笑顔を浮かべているのに極めて淡々としか答えないユージーン。
能天気な星牙にもさすがに二人の雰囲気が悪い事は伝わり、彼は困ったように蓮姫とユージーンの間に立ち二人を仲裁しようとする。
「なぁ…何があったのか知らないけど…お前達仲間なんだろ?だからさ…その……仲良くしろよ」
「………星牙…。さっきの試合の私…『変だった』って言ったよね?」
蓮姫は星牙に止められたことで少し冷静になる。
だが眉を悲しげに寄せると、自分の身に起きたことを全て星牙に話すことを決めた。
蓮姫の言葉に一度キョトンと目を丸くした星牙だったが、戸惑うように頷き、自分の感じた違和感について説明する。
「え?…う、うん。なんか急に強くなったし、動きも早いし、無駄が全く無かったしさ。なんていうか…親父みたいな…百戦錬磨の武人みたいな動き。女の子らしくないっていうか…蓮じゃないみたいだった」
「…私らしくない、か。…そうなんだよ。だって戦ったのは…試合に勝ったのは私じゃない」
蓮姫は深くため息をつくと、軽くユージーンを睨みつけた。
そんな蓮姫の言葉の意味が理解出来ず、星牙はただ困惑するだけ。
「え?蓮じゃないって…どういうことだ?」
「私はさっきの試合で体を操られてたの。ジーン…彼にね。私自身は何もしてない。あんな風に戦えたのも、試合に勝てたのも、全部はジーンの魔法があったから」
「えっ!!?なんだよそれ!そんなの卑怯じゃないか!ユージーン!なんでそんなことしたんだよ!」
蓮姫の説明でやっと試合のカラクリを理解した星牙は、今度はユージーンに食ってかかる。
先程の蓮姫と同じように…いやそれ以上に怒りの形相を浮かべる星牙。
彼の中にある武人としての誇りが、ユージーンの行為を許せなかったのだろう。
そんな彼に対してユージーンは笑顔を消し、呆れたようにため息をついた
「はぁ…………やれやれ。姫様に怒られるのはともかく…星牙。君に文句を言われる筋合いはない」
「なんだって?」
「女帝の思惑がどうであれ…今回の闘技場の原因はお前だろ。お前の考え無しの行動が女帝の目に留まり、闘技場開催、そして姫様の出場に繋がったんだからな」
「そ、それは…」
「ジーン!星牙だけが原因じゃない。首を突っ込んだのは私でしょ。エメル様だって私を戦わせるつもりだった、ってサイラス団長も言ってたじゃない。今回のことは私にも責任がある」
ユージーンの正論に言葉を詰まらせる星牙だったが、蓮姫が直ぐに彼を庇うように後方から声を上げる。
そんな蓮姫と星牙を見て、ユージーンは肩をすくめると、チラリと時計を見てから真剣な表情で二人に向き合った。
「時間もないので言いたい事だけ言わせてもらいますよ。姫様…申し訳ありませんが、【マリオネット】を解くつもりは俺にはありません。今後の試合も姫様には先程同様に戦い、勝って頂きます」
「ジーン!何言ってるの!?そんなこと出来るわけないじゃない!」
「そうだぜ!こんな卑怯な真似…武人として有るまじき行為だ!蓮だって嫌がってるだろ!やめろよユージーン!」
ユージーンのとんでもない提案に、蓮姫も星牙も納得出来ず声を荒らげる。
そんな二人の反応もユージーンには予測済み。
だからこそ、あえて淡々と正論で返していく。
「ハッキリ言いますが…想造力も使えず、また俺達がいないので昨日のような戦法も使えない姫様には、闘技場での勝算は極めて低いです」
「それは…わかってるけど!でも!」
「でも?なら姫様は負けてもいいんですか?負けて星牙が罪人になってもいいと?俺達も何かしらの罰を女帝から受けることになってもいいと?そうおっしゃるんですか?」
「そ、そうは言ってない!でも相手だって正々堂々戦ってる!なら私達だって同じように」
「同じようにしていたら姫様は確実に負けます。星牙は…まぁ戦える方なので勝てる可能性は十分にありますが…姫様には無理です」
キッパリと蓮姫の敗北を告げるユージーンに、蓮姫は返す言葉がなくなる。
ユージーンは誰よりも蓮姫を理解している従者だ。
彼の言う通り、蓮姫は闘技場で戦うことは出来ても、勝ち抜く事は難しいだろう。
そして蓮姫も、本当は自分の力量をちゃんと知っている。
星牙はいるが、従者の助けなく、また想造力を使えない蓮姫が、強国ギルディストの騎士団相手に勝てる見込みなど…到底ない。
この事態と自分の弱さを改めて痛感した蓮姫とは逆に、星牙は興奮するままユージーンへと叫んだ。
「ユージーン!やっぱこんなやり方…俺は納得できない!蓮を操るなんてやめてくれよ!もし本気でまたするつもりなら…今の話を全部、会場でぶちまけてやる!」
「そうなったら闘技場は中止だ。お前は女帝からの冤罪を受け、姫様だって罰を受ける可能性もある。つまりお前も…世話になった姫様を罪人扱いにしたいんだな?」
「お、俺はそんなつもりない!そんなこと言ってないだろ!ただ…こんなやり方…絶対におかしい!そうだろ!?」
蓮姫と星牙が何を言ってもユージーンは聞く耳を持たない。
それどころか全てを正論や屁理屈で返し、強制的に黙らせていく。
何も言い返せず、悔しそうに唇を噛み締める蓮姫。
そんな蓮姫を見て、ユージーンは彼女の肩に優しく手を置いた。
「……ジーン」
「姫様が納得いかないのも、正々堂々と戦いたいという気持ちも、わかっています。でも…それだけじゃ意味が無いんです。なんでもかんでも馬鹿正直に生きることだけが、正解とは限りません」
ユージーンは優しく、だがハッキリとした口調で蓮姫を諭すように言葉を続ける。
「正々堂々と戦いたい。それはとてもご立派な考えです。弱いながらも相手に敬意を払う姫様のお気持ちも素晴らしいとは思います。でも…それで一体何が出来ますか?どんな結果が残りますか?」
「それは…」
「姫様の望む通りにすれば…俺が姫様に手を貸さなければ『負ける』という結果しか残されてません。姫様だって…本当は気づいているのでしょう?気づいていながらも…持ち前の正義感が邪魔をしている」
ユージーンの言葉はその通りだった。
蓮姫の中では『勝ちたい』という思いと『卑怯なことはしたくない』という思いが葛藤している。