マリオネット 3
ユージーン達が無理矢理とはいえ観覧席に座ったのを確認すると、エメラインはリング上の二人に視線を向け、そのまま説明を始める。
「それでは…私の方からご説明させて頂きますわね。…昨日の試合…挑戦者の皆様は見事に戦われました。特に従者の方々の戦いは素晴らしいものでしたわ。それは、ここにいる誰もが認める強さだったでしょう」
エメラインの言葉に何人かの観客はウンウンと頷いたり、チラチラとユージーン達の方へ視線を向ける。
観客は昨日の試合に満足などしていなかったが…それでもユージーン達の強さはエメラインが言う通り誰もが認めていた。
「あのまま残りの試合を戦えば…挑戦者の皆様は難なく、この闘技場を優勝出来たかもしれません。ですが…ここにいる皆様は、彼等が優勝してもそれに納得出来なかったでしょう。…昨日の戦いを見ているからこそ…彼等を従える弐の姫の優勝など、誰も賞賛出来なかったと思います」
エメラインがそう告げると、今まで黙っていた観客からは激しいブーイングが飛び交う。
それはエメラインに対してではない。
観客のブーイングは昨日と同じ、リング上の蓮姫に全て向けられていた。
心配そうに蓮姫の顔を覗き込む星牙に、蓮姫は苦笑を浮かべ「大丈夫だよ」とだけ答える。
そんな蓮姫の笑顔を従者達もまた遠い観覧席から見つめ、顔を歪ませていた。
「皆さんお静かに!まだお話は終わっていませんよ!」
エメラインによる静止の言葉でやっと静かになる観客達。
ブーイングを止める為に珍しく大きな声を出したエメラインだったが、やはりその表情は穏やかであり、笑みを浮かべている。
観客が静かになったのを再確認すると、エメラインは笑顔のまま再び口を開いた。
「よろしいですか?……では続きです。今日の試合ですが、観客の皆さんも納得出来るように…今日は試合形式を昨日とは少し変えようと思います。従者の皆様の強さは昨日で十分伝わりました。なので今日はリング上にいる弐の姫とスターファング。二人だけで残りの試合を勝ち抜いて頂きます」
初めて知った試合変更の宣言に観客達はまたザワザワと騒ぎ出す。
「今日は挑戦者も対戦者も二名づつで試合を行います。残っていたのは10名。つまり、弐の姫とスターファングにはこの後、五試合を勝ち抜いて頂きます。当然、この後の対戦者は昨日よりも強者ばかり。従者の助けなく…弐の姫が本当に優勝出来るのか?…果たして彼女は…従者だけに戦わせるだけの無能な主なのか?…それをここにいる皆で見極めようではありませんか!」
エメラインが高々にそう告げると、観客はブーイングではなく、大きな歓声を上げた。
それはつまり、皇帝であるエメラインの言葉を、観客の誰もが受け入れたということ。
「流石は陛下!なんという深いお考え!」
「おい弐の姫!従者無しで優勝出来たら俺達もあんたを認めてやるよ!」
観客の中には皇帝エメラインを賞賛する者、蓮姫を応援する者が現れ、歓声は上がる一方。
しかしそんな中でも、やはり野次を飛ばす輩も何人かはいる。
「弐の姫ー!昨日みたいな試合は出来ねぇぞ!残念だったなー!」
「せいぜい頑張れよ!優勝なんざ無理だろうが!応援だけは一応しといてやるよ!」
従者無しで弐の姫が勝つのは不可能だと決めつけている観客は、ゲラゲラと笑いながら蓮姫をバカにしたように叫んだ。
様々な歓声を受けながらも、蓮姫は冷静にエメラインを見つめてポツリと呟く。
「エメル様の考えって…こういうことか。ジーン達抜きで私が勝ち抜けば…今度こそ観客は私達の勝利に納得する」
「そうかもしんないけどさ……蓮。本当に大丈夫か?」
冷静な蓮姫とは逆に、星牙は心配そうに何度も尋ねた言葉を再び蓮姫に掛けた。
だが蓮姫はニッコリと微笑むと、今までと同じように返答する。
「何度も言わせないで。私は大丈夫。星牙の為にも、仲間や自分の為にも、絶対に優勝してみせるから。だから星牙も…私を信じてよ」
「蓮………わかった。ならもう何も言わねぇ!二人で優勝してやろうぜ!」
蓮姫の微笑みや力強い言葉を聞き、星牙も吹っ切れたらしい。
ニコッ!と満面の笑みを浮かべると蓮姫に向けて片手を差し出した。
蓮姫も笑顔のまま、差し出されたその手をギュッと握り返す。
「うん!絶対に勝とうね!」
蓮姫と星牙は深い握手を交わし、二人でこの闘技場を勝ち抜く誓いを立てる。
リング上の二人も、観客も、今回のルール変更に納得しそれを受け入れた。
が、今の今まで何も知らされていなかった蓮姫の従者の一人…残火は納得出来ず、いつもように一人で騒ぎ出す。
「どういうことよ!?今の話本当なの!?なんで姉上だけが戦うのよ!?」
「しょうがねぇだろ。そう決まっちまったんだもん。これは皇帝の命令なの。刃向う訳にゃいかねぇでしょうよ」
「はぁ!?何言ってんのよ!さっさと姉上の所に戻りなさいよ!」
ギャーギャーと一人喚く残火だが、仲間達とて本音は蓮姫と離れるつもりは到底無かった。
蓮姫の命令もあり、渋々離れたに過ぎない。
だが今まさに彼等が蓮姫の傍を離れている事実に、残火は一人憤慨している。
そして残火は火狼に何を言っても無駄だと悟ると、蓮姫が最も信頼している、仲間の中でも最強の従者へと矛先を変えた。
「ユージーン!あんた姉上のヴァルなんでしょ!?女帝の命令がなんだってのよ!?そんなにあの女帝が怖いの!?」
「おい残火。やめろって」
火狼が残火を止めようとするが、残火は聞く耳を持たず、椅子から立ち上がるとそのままユージーンに向けて怒鳴り続ける。
「焔は黙ってて!ユージーン!私はあんたを許さないわよ!姉上を見捨てるなんて…この薄情者っ!!」
「はぁ……残火…少し黙ってろ」
ユージーンは腕を組んだまま、視線はリングの蓮姫から外さずに残火へと告げる。
そんな彼の態度が気に入らなかったのか、残火は更に顔を真っ赤に染めた。
「なんですって!?これが黙っていられる訳ないでしょ!」
「いいから…黙って姫様を応援してろ。姫様なら大丈夫だ。姫様は絶対に勝てる」
「姉上が勝てるって……なんでそんな自信満々に言えるのよ?」
「姫様には俺がついてる。俺が応援している限り、姫様は負けない。それに…お前もだ、残火」
「わ、私?」
「姫様の従者なら、姫様の勝利を信じろ。姫様を疑うな。俺達が仕えている姫様を信じること…それが姫様の力になる。何より姫様は、俺達の誰よりお前の応援を望んだんだ。その思いに応えろ。お前の応援があれば姫様は決して負けない」
「っ!?…………ふんっ!!」
ユージーンの言葉に残火は、ぐっ…と言葉に詰まると、乱暴に自分の席へと座り直した。
ユージーンは残火を言いくるめる為にああ言ったが、それは残火を黙らせるには十分過ぎる言葉だった。
ユージーンが見つめる先…リング上では蓮姫が星牙から手を離し、凛とした表情でエメラインを見つめている。
エメラインもまた蓮姫を見つめ優しく微笑み、マイクを再び口元に寄せた。
国民が集まる公共の場だというのに、エメラインは普段の口調で蓮姫へと語りかける。
「蓮姫ちゃん。私は信じているわ。蓮姫ちゃんならきっと…決勝まで行ける。素晴らしい戦いを…私達に見せてちょうだい」
エメラインの言葉を聞き、蓮姫は胸に手を当てて深く頭を下げた。
それを見てエメラインは満足したように微笑むと、蓮姫から会場全体に視線を戻す。
「それでは……闘技場二日目。開催致します!」
エメラインによる闘技場開催宣言に、観客からは更に大きな歓声が上がった。
遂に始まる闘技場二日目。
従者無しで戦わなければならない重圧が今更押し寄せ、蓮姫は顔を強ばらせる。
そんな主の姿を…ユージーンはニヤリと微笑みながら見つめていた。
盛り上がる会場に満足すると、エメラインはマイクを親衛隊に渡し、後ろを振り向く。
すると彼女の視界に映ったのは、不機嫌そうに頬を…それはもうリスやハムスターのようにパンパンに膨らませた愛息子の姿。
エメラインの息子ことシュガーは、王族専用だろう豪華な椅子に行儀悪く片足を乗せ、その膝の上で頬杖をつきながら母親から目を離さない。
ブスッとした視線を向ける息子に、エメラインはいつもの調子で尋ねる。
「あらあら?どうしたのシュガーちゃん。とっても可愛いお顔をして」
「可愛くないから」
「もしかして…今日のルール変更に怒っているのかしら?」
のほほんと尋ねる母親の言葉に、シュガーは椅子からバッと立ち上がり、その勢いのまま母親へと返した。
「もしかしなくてもそう!酷いよ母上。せっかくあの強い銀髪さんと戦えると思ったのに。俺すっごく楽しみにしてたんだよ?本気でやれるって。それなのに…なんで弐の姫なの?あんな子相手じゃつまんないつまんないつまんな~い」
「あらあら。今日のシュガーちゃんは駄々っ子ちゃんなのね」
「俺が駄々っ子なら母上は嘘つきじゃん」
母親に『駄々っ子』呼ばわりされたのが面白くなく、シュガーはドカッと乱暴に椅子へ座り直す。
そして不機嫌そうな表情のまま母親へと悪態をついた。
しかし息子に『嘘つき』呼ばわりされたエメラインの方は、ニコニコとした笑顔を崩さない。
実はエメライン、ルール変更を考えた時から息子のこの様子が安易に想像出来ていた。
予想通りに不機嫌になり、馬鹿正直に自分の気持ちを話す息子を見て、エメラインの中にあるシュガーへの愛おしさは深まるばかり。
「うふふ。酷いわ。お母様は嘘なんて言ってないもの。ちゃんと言ったでしょう?『弐の姫達と戦って』って。あの従者さんと戦ってほしいなんて、一言も言っていないわ」
「そんなの屁理屈じゃんか~。俺は強い人と戦いたいのに。弐の姫みたいな弱い子の相手なんかしたくないよ~」
ブラブラと両足を振り、駄々っ子のような素振りを続けるシュガーだったが、ふとエメラインの顔から笑みが消える。
それは蓮姫は勿論、ギルディストの国民も、皇帝の傍で仕える親衛隊も…この息子ですら滅多に見た事のない顔。
普段笑顔ばかり浮かべている女が見せた無表情は…それだけで何処か恐ろしいものがあった。
エメラインの顔から表情が消えたのはシュガーの態度…いや、シュガーが原因なのではない。
シュガーの言葉がきっかけとはなったが、彼女が無表情となった一番の原因は…蓮姫だった。
「……そうね。シュガーちゃんの言う通り。蓮姫ちゃん…弐の姫は弱いわ。それにずるい。確かに昨日の戦い方は戦術の一つだけれど…あんな戦い方は本来許せるものじゃないわ。本当なら闘技場を侮辱した…と彼女を厳罰に処す事も出来る」
「ならそうすればいいじゃん。なのにさ、なんで母上は闘技場を続けるの?なんで弱い弐の姫なんかに戦わせるのさ?」
シュガーの疑問は最もだった。
今まで蓮姫を庇う発言ばかりしていたエメライン。
だが今の発言でわかる通り、彼女も本音では観客や他の者達と同じく、蓮姫の戦い方に納得していなかった。
それなのに…何故蓮姫をまだ戦わせるのか?
従者と引き離してまで…闘技場を続けさせることに…一体何の意味があるのか?と。
だが息子の問いにエメラインは再び笑顔を浮かべる。
「それはね…」
「それは?」
「見極めたいからよ。蓮姫ちゃんが本当に噂通りの、王位争いから逃げ出した愚かで弱い弐の姫か。それとも…この世界の女王となる資質を持つ姫なのかを、ね」
そう告げるエメラインは、本当に楽しげに微笑んでいる。
エメラインが今回の闘技場を開いた真の目的。
それは蓮姫という弐の姫を見極めるためだった。
闘技場を開く原因となった星牙は、飛龍元帥の息子という立場を利用されたに過ぎない。
エメラインは星牙がスパイなど微塵も考えていなかったし、もし本当にそうだとしてもギルディストから追放するだけで終わるつもりだった。
しかし蓮姫が玉華で飛龍元帥と共闘したという報告を受けていた事から、元帥の息子を処罰しようとした時、蓮姫がどう出るのかを試したのだ。
わざわざ蓮姫達の前にスパイ容疑をかけた星牙を連行して。
今回の闘技場開催も、蓮姫が星牙を庇った事も…全てはエメラインの手のひらの上で転がされていたに過ぎない。
「昨日の闘技場では、蓮姫ちゃんが従者達に深く慕われる主である事がよくわかったわ。何故そこまで従者が忠誠を誓っているのかまでは分からないけれど…きっと蓮姫ちゃんには、彼等を従わせる何かがあるのよ」
「でも結局は強いの従者だけじゃん?弐の姫は弱いじゃん。ならもう闘技場やめようよ」
「ふふふ。だぁめ。どうしても蓮姫ちゃんには戦ってもらうわ。どう戦うのかも気になるけど…蓮姫ちゃんにはしっかり…決勝まで勝ち抜いてもらわなきゃ」
楽しげに笑うエメラインに、シュガーも母が何を言いたいのかを悟った。
母は自分に弐の姫と戦うように言った。
そして自分の強さを考えれば…どの試合で弐の姫と戦うのか予測は簡単につく。
「決勝で俺と戦えってことね。弐の姫相手じゃ秒で終わるよ。さっさと弐の姫倒して俺は蒼牙さんの息子さんと楽しもう。そこそこ強いみたいだし。でもホントそこそこね。こっちも期待外れだったなぁ~」
「あらあら。シュガーちゃんったら正直者ね。仕方ないわ。彼はまだ若いし修行中だもの。これからに期待しましょう」
「うっかり殺さないように気をつけないとな~。でも彼を殺したら…本気の蒼牙さんと殺し合い出来るかな?」
シュガーは物騒な考えを抱くと、自分の想像で楽しそうに笑みを浮かべる。
内容はとても物騒だというのに、それは本当に心から楽しんでいる笑顔で、エメラインの笑顔ともよく似ていた。
そんな息子に、エメラインは先日と同じ言葉でしっかりと釘を刺す。
「シュガーちゃん。闘技場では殺し御法度よ。もし本当に殺しちゃったら…お母様だってシュガーちゃんを庇えないわ。だからダメよ」
「ちぇっ。は~い。あ、そうだ母上。今日の試合は二人づつなんでしょ?決勝は俺と誰になるの?やっぱりサイラス?」
エメラインの言葉で口を尖らせたシュガーだったが、ふと自分とペアを組む相手が気になり母親へと尋ねた。
闘技場の対戦者は試合が進む度に強者となっていく。
シュガーは王都で準ヴァルという位を女王陛下から与えられる程、その強さは圧倒的だった。
ちなみに素行やら性格やらに問題があった為、正式なヴァルは勿論、軍の所属にすらなれなかったが。
そんな自分と共に戦うのは…やはり騎士団長を務めるサイラスが妥当かとシュガーは考える。
だがエメラインは、そのシュガーの問いに笑顔で首を横に振った。
「いいえ。サイラスには準決勝に出てもらうわ。シュガーちゃんは別の人と組むのよ」
「そうなの?誰?サイラスより強くて俺の強さにも釣り合う人?そんな人…ギルディストにいたっけ?」
腕を組んで首を傾げるシュガーを見て、エメラインはまた楽しげに微笑む。
「シュガーちゃんはこの国で二番目に強いわ。だから…ペアを組むのは、この国で一番強い人間よ」
「この国で一番強い?………あ、まさか」
「えぇ。その、まさか、よ。ふふふ。決勝戦が楽しみね。シュガーちゃん」
それだけ息子に伝えると、エメラインはやっと皇帝専用の椅子へと腰掛ける。
眼下のリングでは、蓮姫と星牙、そして対戦者の騎士団員が二人上がっている。
蓮姫がエメラインの真意を知らぬまま、闘技場の二日目が始まろうとしていた。