スターファング 6
『うふふ』…と両手を合わせながら優雅に微笑むエメライン。
その笑顔はとても純粋で、悪意など全く、これっぽっちも持ち合わせていない…とても良い笑顔だった。
そんな笑顔に押されつつも、蓮姫はやっとの思いで口を開く。
「へ、陛下が…古狸?」
「えぇ、そうよ。あの人ったら政治には関心もなくて、自分の美貌や美しい殿方を侍らせる事にばかり一生懸命。あの人は誰よりも長く生きて、この世界を統べる女王様なのに。そんな人には『女王様』より『古狸さん』の方がお似合いでしょう?」
やはり悪意なくニコニコと答えるエメラインに、蓮姫はどう返していいのか悩む。
そんな蓮姫を放って、エメラインは更に言葉を続けた。
「それにあの人、自分がいる王都に名前すら付けていないのよ。今までの女王様は、王都に自分の名前『アイリーン』や、正義の都という意味で『ジャスティス』とか付けていたのに。はぁ………本当に…自分にしか興味がなくて…仕方の無い人」
麗華を思い出したのか、エメラインは呆れたようにため息をついた。
確かに今の王都は『王都』としか呼ばれておらず、地名すらない。
麗華にしてみれば、女王である自分の都なのだからそのまま『王都』で構わない、と思っているのだろう。
しかし蓮姫には王都の名前よりも、エメラインにもっと聞きたい事が…確認したい事が一つあった。
それはユージーンから、このギルディストについての話を初めて聞いた頃から…ギルディストの皇帝に聞きたかったこと。
「エメル様。エメル様に聞きたい事があるんです。よろしいですか?」
「えぇ、どうぞ。何でもお答えするわ」
「ありがとうございます。その…エメル様が御即位された時『真に強くて美しい女王はギルディストにいる』と国民に告げたというのは…本当ですか?」
「う~ん。本当なのだけれど…少し違うかしら?」
エメラインは頬に手を当てると、少し考える素振りをする。
「蓮姫ちゃん。私はね…真の美しさとは真の強さだと思っているの。誰かに守られるだけの人より、誰かを守り続ける人の方が美しい。困難から逃げ出す人より、困難に立ち向かう人の方が美しい。そしてその美しい人達は、誰しも強い。心も体もね」
「…そうですね。私もそう思います」
エメラインの言葉に蓮姫も同意して頷く。
「ふふ。わかってもらえて嬉しいわ。だから私は『真に強く、美しい皇帝となって、ギルディストを守り、治めます』。そう即位の時に宣言したの。そうしたら世界中に噂が、それも尾ひれがついて、流れに流れてしまったの」
「…そうだったんですね」
「えぇ。だから、その話は本当だけど少し違うのよ。…あの時も…そしてこれからも、私は誰よりも強くなる事を望むわ」
蓮姫は最初、ギルディストの皇帝が女王への宣戦布告をした、と思っていた。
しかしエメラインは自分を、そして国民を鼓舞する為に宣言したにすぎない。
エメラインの言う通り、彼女は真に強く美しい皇帝となり、このギルディストを守り治めようしただけ。
そうなることを即位した時、国民へ誓ったのだ。
しかし…本心はそれだけではない。
エメラインが誰よりも強くあること…それを望んだのはエメライン本人と…もう一人いた。
エメラインは20年前に出会った…ある者の姿を思い浮かべ、クスリと微笑む。
「そして…彼も」
それはとても小さな声。
すぐ傍にいた蓮姫にも聞き取れず、彼女はエメラインに聞き返す。
「エメル様?何かおっしゃいました?」
「ふふ。なんでもないわ。そうだ!今度は蓮姫ちゃんのお話を聞かせてくれるかしら?」
話を変えようとするエメラインに、ユージーンは疑惑の目を向ける。
蓮姫と同じ距離にいるが、ユージーンにはエメラインの言葉がハッキリと聞こえていたのだ。
それだけではない。
ユージーンはエメラインと過ごす内に、彼女に自分と近しい気配を感じ初めていた。
魔王と呼ばれた禍々しい力…その片鱗を。
しかしどれだけ気配や魔力を探っても…目の前にいる女は…やはり人間。
(どう見ても普通の人間…いや、この女はかなり強いが…それだけだ。魔力は感じない。これなら魔王と呼ぶには程遠い。それなのに…なんだこの不快感。…まるで……アイツみたいな)
この気配をユージーンは知っている。
800年前に何度も対峙し、交戦した魔王の気配。
そして数日前に立ち寄ったあのコサゲ村でも、ユージーンは同じ感覚を覚えた。
まさか800年前のように彼と…その魔王と対峙する事になるのでは?と。
それを危惧していたユージーンだったが、結局は杞憂に終わった。
(アイツなら姿を変えることが出来る。それでも…この女は間違いなく人間の女だ。それにアイツが人間の皇帝なんぞに成り代わるはずもない。…また思い過ごしか?…いや…コサゲ村の時とは違う。この気配は間違いないし、この女は強い。ならこの女帝はアイツと…死王と関わりが?)
ユージーンが自分を探るよう見つめているのに、エメラインはとっくに気づいている。
だがあえて気づかぬフリをして、ユージーンから顔を背けたまま蓮姫にニコニコと話しかける。
「玉華で反乱軍を倒したのは本当なの?」
「はい。本当です」
「まぁ!やっぱり!想造力を使えるとはいえ凄いわ!反乱軍は強い人ばかりだもの!それを倒すなんて…蓮姫ちゃんは強い弐の姫なのね」
「あ、ありがとうございます」
何故か今までで一番楽しそうに笑うエメラインに、蓮姫は素直に礼を告げた。
しかしエメラインの話はまだ終わらなかった。
「それじゃあキメラを倒したというのも?」
「っ、…………はい」
『キメラ』という単語を聞いた瞬間、蓮姫の心には友を殺した罪悪感が甦る。
見るからに顔色の悪くなった蓮姫を見て、エメラインはそっと蓮姫の手に自分の手を重ねた。
「エメル…様?」
「ごめんなさい。何か辛いことを聞いてしまったかしら?」
「いえ…その。大丈夫です。お気になさらないで下さい」
「蓮姫ちゃん…もし本当に大丈夫なら…キメラを倒した時の事を聞いてもいいかしら?」
「っ、それは………」
蓮姫はまた言葉に詰まってしまう。
キメラという理由だけで友を殺したなど…言いたくなかったから。
エメラインは言い淀む蓮姫を責めようとはせず、優しく蓮姫の手を撫でながら彼女に問いかける。
「言えないのでしょう?なら無理に答えないで。無理して『大丈夫』なんて言ってはダメ」
「すみません…エメル様」
「私の方こそ…いじわるをしてごめんなさい。でもね蓮姫ちゃん…何があっても、どんな理由があっても、蓮姫ちゃんがキメラを倒したことが事実なら…私は貴女に、蓮姫ちゃんの強さに敬意を払います」
優しく告げるエメラインの言葉に、蓮姫の黒い瞳が自然と潤む。
蓮姫は泣くのを堪え、わざと笑顔を浮かべ大きな声でエメラインへと答えた。
「エメル様…っ、はい!ありがとうございますっ!」
「あらあら。ふふっ…蓮姫ちゃんが元気になって良かった」
蓮姫の気持ちが届いたのか、エメラインもまた微笑む。
やはりエメラインは優しい女性だと蓮姫が感じたその時、このお茶会会場にある男が入って来た。
「ご歓談中、失礼致します。陛下」
その装いは騎士団とも街の警備の者とも違う。
蓮姫達は知らないが、その男は…街でファングを見つめていた男の一人だった。
エメラインは男に気づくとニコニコと蓮姫達に彼の紹介をする。
「皆様、紹介しますわね。彼等は私の親衛隊です。それで…どうしたのかしら?」
「はっ!実は先程…例の男を捕縛しました。いかが致しましょう?」
「あら…ん~………そうね…」
エメラインは何故か蓮姫の方へチラリと視線を向ける。
そして何か思いついたのか、ニコリと微笑むと親衛隊の男へ視線を戻した。
「彼をここに連れて来てもらえるかしら?」
「はっ!かしこまりました!」
「お願いね~」
親衛隊の男は一度深く頭を下げると、直ぐに例の男とやらを連れてくるベくこの場を離れる。
エメラインはヒラヒラと彼に手を振ると、蓮姫達へと向き直った。
「皆様も、どうぞここに居て下さいな」
「え?で、でも…」
思いがけないエメラインの発言に蓮姫達は顔を見合わせる。
捕縛したというのなら、恐らく連れてこられる例の男とは罪人だろう。
これからエメラインは皇帝としてその男を裁くはず。
そんな場面に部外者である蓮姫達が居るのは場違いすぎる。
何より、蓮姫はそんな場面に立ち会いたくはない。
蓮姫の心情を知ってか知らずか、エメラインは紅茶のカップを持ち上げ優雅に微笑んだ。
「気にしないで。私は蓮姫ちゃんに傍に居てほしいわ」
「え…は、はい。わかりました」
エメラインの本心がわからず困惑する蓮姫だが、とりあえずはその言葉に頷く。
その直後、騒ぐ男達の声が聞こえ、それは段々とこちらに近づいてきた。
「なぁ!おい!離せってば!俺が何したってんだよ!?」
「いいから黙って歩け!」
「黙って歩いたら離してくれないだろ!せめて縄解いてくれよ!」
「馬鹿か貴様!黙っても騒いでも縄を解く訳ないだろう!いいから歩けっ!」
「痛てっ!?わかったから殴るなよ!」
聞こえてくるのは先程の親衛隊の男の声と年若い男の声。
特に騒いでいる若い男の声に蓮姫達は聞き覚えがあった。
それは間違いなく、この城に来る直前に街で聞いた声だ。
(この声…まさか!?)
想像するまでもなく、声の主は蓮姫達の前に現れる。
縄で両手を後ろに縛られ、武器である二つの剣を取り上げられてはいるが…間違いなく、彼は蓮姫達が街で出会った青年。
スターファングだった。
「あ!あんたら!?街で会った人達!どうしてこんな所にいるんだ!?」
『それはこっちのセリフだ』
蓮姫、ユージーン、火狼、残火の心の声が一致する。
とはいえ皇帝の手前、それも罪人と仲良く話す訳にもいかず、どうしたものかと考える蓮姫。
ちなみにファングを連れて来るよう命じたエメラインは、直ぐ後ろに彼が居るにも関わらず、正面を向いたまま優雅にお茶を飲み続けている。
「貴様っ!皇帝陛下の御前だ!さっさと跪けっ!」
「あいてっ!?だから乱暴にするなって言ってるだろ!手を出す前に口で言えよ!口で!」
親衛隊に無理矢理体を押されて、その場に跪くファング。
エメラインは紅茶を全て飲み干すと、ゆっくりと椅子から立ち上がりファングへと振り向いた。
「貴方が噂のスターファングね。はじめまして。私はこのギルディストの皇帝、エメラインです」
エメラインの自己紹介にファングは目を丸くして固まる。
「え…こ、皇帝ってことは…あの女帝?なんで」
「貴様!陛下に対して無礼だろう!黙って頭を下げていろ!」
「ぐぇっ!」
今度は頭を無理矢理下げられ、変な声が出てしまうファングだったが、エメラインはファングに一歩近づくと少し身を屈めた。
「あらあら。乱暴しちゃダメよ。貴方達は少し下がって。スターファングさん、ごめんなさいね」
「え?は?あ、いえ…どういたしまして?」
「ふふ。さぁ、もっとよくお顔を見せて」
そう言うとエメラインはファングへと顔を近づけ、彼の顔をまじまじと見た。
「うふふ。…間違いないわ…よく似ているもの」
ファングの顔に誰かを重ねていたのか、エメラインは満足気に笑みを深くした。
至近距離で…それも世界三大美女の一人に笑顔を向けられ、ファングの頬は段々と赤く染まっていく。
「ねぇ、スターファングさん。どうして自分が捕縛されたのか…心あたりあるかしら?」
「へっ!?いや、まったく……あ!もしかして俺!調子乗って暴れすぎた!?」
ファングはここ数日、街でゴロツキと大差ない旅人達を何人も倒してきた。
全て正当防衛や街の者達を守る為の行動だったが、多少暴れすぎたかもしれない。
それが今回の事に繋がったのか?と思ったファングだったが、エメラインはフルフルと首を横に振る。
「いいえ。違うわ。むしろ感謝しているのよ。街の皆を守ってくれて、ありがとう」
「え?違うの?じゃあ…なんで?」
街で暴れた事が原因で無いのなら…ファングには見当もつかない。
それは後ろで二人のやり取りを見ている蓮姫達とて同じ。
街で会ったファングは、明るく正義感に満ちた爽やかな青年だったのだから。
捕縛されたとはいえ、今もその印象は変わっていない。
一体なんの罪があって、スターファングは捕らえられたのか?
エメラインはファングと視線を交わしたまま、姿勢を正すとその答えを口にする。
「スターファングさん。貴方にはスパイの容疑がかけられています」
「は!?俺がスパイ!?なんで!?何処の!?誰の!?」
『スパイ』という言葉に驚くファングだが、エメラインはニコニコと笑みを崩すことなく話を続けた。
「勿論、古狸さん…王都にいる世界の女王様のよ。だって…」
エメラインは一度言葉を切ると再びファングへと顔を近づける。
「貴方のお父様は、女王を守る飛龍元帥でしょう」
「「え!?」」
エメラインの言葉に今度はファングと蓮姫が同時に驚きの声を上げる。
今度は蓮姫がスターファングをまじまじと遠くから見つめた。
彼が着ているのは玉華の着物。
小夜のように小柄な体型と黒い瞳。
蒼牙のような高い武術と短く濃い茶色の髪。
(スターファングが…蒼牙さんの息子?………そうか…スターファングは星の牙。星牙だ。じゃあ彼が?)
かつて蒼牙と話した時の事を思い出し、蓮姫はスターファングの…目の前の青年の正体を知る。
(でも…彼が本当に蒼牙さんの次男なら…スパイなんてありえない。蒼牙さんの話が本当なら、彼は修行中でクイン大陸にはいなかったはず)
ファングに掛けられたスパイ容疑の矛盾点に一人気づく蓮姫。
しかしファングはあからさまに顔をエメラインから逸らし、冷や汗をかきながらしどろもどろに答える。
「い、いや~。ち、違いますよ。ひ、飛龍元帥なんて…俺…知らないですから。俺はその……通りすがりの正義の使者です」
「あら?でも貴方…昔会った蒼牙さんにそっくりだわ」
「え!?親父を知ってんの!?………あ」
反射的に反応して顔を戻すファングだったが、自分の失言に気づき今度は顔を青く染める。
その顔には『しまった』と書いてあるかのよう。
「うふふ。えぇ、知っているわ。蒼牙さんとは昔、刃を交えた仲なのよ。お父様はお元気?」
「いや…あの…」
もはや正体がバレてしまい、どうしたものか悩むファング…こと星牙。
だが星牙の返答を待たず、エメラインは蓮姫達へと振り返る。
そしてスパイ容疑の内容を星牙に聞こえるように、蓮姫達へ説明した。
「蓮姫ちゃん達は聞いたかしら?私達ギルディストは各国に諜報員を派遣しているの」
「…はい…エメル様。サイラス団長から聞いています」
「それなら…他国からの諜報員を警戒するのもわかるでしょう?古狸さんが最も信頼している人の一人。飛龍元帥の息子さんの彼をスパイだと疑う人が城には大勢いるわ。親衛隊にも騎士団にもね」
「ちょ、ちょっと待ってよ!俺は本当にスパイじゃない!この国にはたまたま来ただけなんだ!」
自分が疑われている理由はわかった。
だからといって納得出来る訳では無い。
彼は…スターファングこと彩 星牙は本当にスパイなどではないのだから。