本心 1
蓮姫が庶民街から連れ戻されて一日経った。
昨日公爵邸に戻ってからも散々な思いをした蓮姫。
公爵は冷静に蓮姫を嗜めただけだったが、レオナルドは蓮姫が女中の真似や剣を習っていたことを聞いて激昂。
その剣幕にソフィアは泣き出す始末。
自分だけが責められる空気に耐え切れず、蓮姫はいつかの様に自分の自室へと逃げ込んだ。
その後は居室に一人で篭り、誰とも関わろうともせず食事も摂らない。
子供が拗ねているようだ、と自分で自分が嫌になる。
それでも人に会うのが怖い。
この世界での自分は、ただ理由も無く嫌われるだけの存在。
人々に嫌われ、見下され、軽蔑され、馬鹿にされ、認められることもない。
弐の姫は、存在する事すら人々に拒絶される。
昨日から丸一日。
蓮姫はそんな事ばかり考えていた。
コンコン
ベッドにうつ伏せになり顔を枕に埋めていると、ノックの音が部屋に響く。
またメイドが業務的に食事を持ってきたのか…と思ったが、『弐の姫様』と自分を呼ぶ声に、蓮姫は身体を起こしドアへと向かった。
「……今開けます。…公爵様」
カチャ
「弐の姫様。何度も言いますが私には敬語は不要です」
「私は公爵様にお世話になってる身ですから」
蓮姫を訪ねたのは公爵、クラウスだった。
流石に家主が来ては適当に対応する訳にはいかない。
たが、笑顔など浮かべられる筈もなく、蓮姫は淡々と答えた。
「弐の姫様。食事を少しでも召し上がって下さい。息子も心配していました」
「食欲が無いんです。すみません」
蓮姫が部屋に篭ってから直ぐに、レオナルドやソフィアも部屋に駆け付けたが、蓮姫は二人に会おうとはせず、声も返さなかった。
どうせ想造世界に帰るまでのお飾りの婚約者。
そしてその婚約者の大切な、自分にとってはお飾りの友人。
公爵の言葉から出たレオナルドの話題にすら、蓮姫は答えたくなかった。
「御要件はそれだけですか?すみませんが、気分が優れないので休みたいんです」
「………天馬将軍と蘇芳殿から聞きました。気落ちするのは無理もありません。放っておいてほしいのもわかります」
「なら」
「しかし……弐の姫様にどうしても、御面会したいという方がおりまして」
「私に…ですか?」
「はい。下の応接室におられます」
公爵はそれだけ言うと、体の位置を横にずらし蓮姫に応接室へ向かうよう促す。
当然、何処の誰かも知らない者に逢いたくなどない。
普段もそうだが……今は尚更だ。
しかし、客を既に通してしまったのなら無視は出来ない。
他人から忌み嫌われている自分を引き取ってくれた、公爵の顔を立てる義理もある。
「…………わかりました…」
ため息をつくのを我慢し、蓮姫は小声で頷く。
そして億劫な身体を動かし、下へと降りていった。
コンコン
「お待たせしました、蓮姫です。失礼します」
控えめにノックを二回してから、蓮姫は相手の返答を待たずに、下を向きながら応接室へと入って行った。
だから気づかなかった。
自分に会いに来たのは誰か。
顔を上げ相手をその瞳に写した瞬間、蓮姫は心臓の音が耳に響くのを感じた。
ドクンっ!!と大きく響くその音は、段々と激しく勢いを増していく。
「…………チェ……ザ……レ」
あまりの衝撃に声がかすれる。
蓮姫に会いに来た者とは
蓮姫自身、会いたくて会いたくて仕方なかった、自分が誰よりも信頼する友人。
「……蓮姫…」
「………チェ…ザレ……チェーザレっ!チェーザレぇっ!!」
久々に聞く友人の声。
自分の名を呼ぶ声に、蓮姫はせきを切ったように涙を流しながら、チェーザレへと駆け寄った。
「蓮姫っ!!」
チェーザレは突進するような勢いで飛び込んできた蓮姫によろけそうになりながらも、しっかりと抱き締める。
「チェーザレっ!!ホントに!?ホントにチェーザレなの!?」
「本物だ。私の偽物などいるか、馬鹿者」
言葉はおどけているが、チェーザレは悲壮な顔で蓮姫に告げる。
今二人は、全く同じ想いを胸に抱いていた。
((やっと…やっと会えた!!))
「チェーザレっ!!チェーザレぇっ!」
「蓮姫」
蓮姫は狂ったようにチェーザレの名を叫びながら、泣き続けた。
どんなに流しても、涙は次から次へと溢れて来る。
自分をしっかりと抱きしめてくれる腕。
優しく頭を撫でてくれる手の平。
お固い外見とは裏腹に、甘党なチェーザレから仄かにする甘い香り。
名を呼べは返事をする代わりに、彼等がつけてくれた自分の名を呼んでくれる。
厳しくもいつも自分を守ってくれていた存在。
この世界で誰よりも大切で信頼できる、本当に心を許せる友人。
激しく号泣する蓮姫を、チェーザレは何も言わずにただ抱き締めてくれた。
どれくらい泣き続けたのだろうか。
暫くして蓮姫が落ちつくと、チェーザレは蓮姫をソファへと座らせた。
「ほら。昨日から何も口にしていないのだろ?少しでいいから食べろ」
チェーザレは応接室に準備されていた紅茶と砂糖をティーカップへ淹れて、蓮姫に持たせる。
手前にはケーキが置いてあり、蓮姫は拒否する事なく紅茶を一口飲んだ。
「………甘いよ…チェーザレ…」
「私には物足りない。ケーキも好きだろう?食べるんだ」
「……………うん」
ケーキを一口食べると、一瞬で口の中に甘さが広がる。
まるで今の自分の心のようだと、蓮姫は感じていた。
「……久しぶりだね…チェーザレ」
「半月ぶりくらいか。……すまない…もっと早くに会いに来たかったんだが」
「なんでチェーザレが謝るの?私の方がいっぱい迷惑かけたのに」
「迷惑などかけられた覚えは無い。ユリウスの事を言っているのなら、アレの事も気にする必要は無い」
「ユリウスは……大丈夫?」
「母上の話ではピンピンしている。能力が使えないだけで、ウザさも健在だ」
「そっか……良かった…」
力無く笑う蓮姫を見て、チェーザレは激しい怒りを感じていた。
ソレは当然、蓮姫に対してではない。
自分達と過ごしていた蓮姫は、毎日忙しいほどに表情が豊かだった。
笑う時は本当に楽しそうで、見ている方も気持ちいい程に。
ソレが今はどうだ?
彼女のこんな消え入りそうな笑顔など、想像すら出来なかった。
必死で作る、作り笑顔など……させたくなかったのに…。
チェーザレは確信していた。
ソレは彼女が、蓮姫が自分達と別れてから多く傷ついてきた証拠だと。
「でも…私と会うの……他の人に禁止されてるのに、チェーザレ大丈夫なの?」
「平気だ。藍玉兄上に頼んで面会しているからな。あの人に逆らえる者などいない」
「藍玉……。どんな人なの?」
昨日リュンクスからも聞いた名前。
リュンクスは警戒していたようだが、チェーザレの今の言い方だと信頼できる人物なのか?と。
「私達の一番上の兄でな。能力者だ」
「じゃあ、ユリウスみたいに特殊な力が?」
「あの人の能力に比べたら……ユリウスなんて可愛いものだ」
「夢に入る能力より凄いの?」
「ユリウスの能力の本質は、夢に入る事じゃない。正確には他人の頭の中に干渉する能力だ。あいつは夢に入るのが一番簡単で面白いから乱用してるが……人の頭を通じて他の場所に移動も出来る。他人の精神を崩壊させる事も可能だ」
「そんな能力が可愛いって……その人は一体…」
蓮姫はユリウスの能力に対して、ただユリウスが悪ふざけするだけの物だと思っていたが、ソレは大きな間違いだ。
能力者の力は危険な物が多く、ユリウスも例外ではない。
「あの人の能力は、言葉で全てを支配する。不可能で有り得ないことも、あの人の言葉なら真実になるんだ。今回も兄上の能力で面会が叶った」
「確かに…ソレが本当なら危険で恐ろしい能力だね」
「あの人が『死ぬ』と言えば、その相手は死ぬし、地震や干ばつが来ると言えばそうなる」
「………それって…」
チェーザレの説明を聞き、蓮姫は少し引っ掛かるものを感じた。
「蓮姫。……私は藍玉兄上についてお前と話に来た訳じゃない。………この半月で…お前に何があった?」
「…………チェーザレ…?」
「噂は塔にも届いている。たが、私はお前の口から全てを聞きたい」
「……わた…し………私……は…」
「言え。私には何も隠すな。偽るな。全てをぶちまけていい」
そのチェーザレの言葉に、蓮姫の目からは再び涙が溢れてきた。
「……わ……たし……私っ…!!」
「蓮姫。……大丈夫だ。ゆっくりでいい」
チェーザレは、そっと左手で蓮姫の肩を抱き寄せる。
蓮姫はそのままチェーザレの胸へと顔を埋めながら、必死に話し出した。
涙が邪魔でしゃくりあげながらも、チェーザレに想いをぶつける。
「私っ!!弐の姫なんかもうヤダぁっ!!皆っ!みんなみんなっ!!弐の姫なんか大嫌いでっ!!私が何をやっても意味なんか無い!!」
蓮姫の悲痛な叫びを聞き、チェーザレは両腕で蓮姫を再び抱きしめた。
「レオもっ!!ソフィもっ!!私が姫だから良くしてくれてる!!でも弐の姫だからっ!!私は弐の姫だからぁ!」
「………蓮姫」
「弐の姫だから皆!私の事なんて見てないっ!!居なくなればいいって皆が思ってるの知ってる!それでも頑張ったよ!頑張って頑張って!勉強も仕事もした!」
蓮姫は公爵邸や庶民街で必死に過ごした日々を思い出す。
だが、次の瞬間に脳裏に浮かぶのは自分を心底拒絶する瞳。
「でもっ!どんなに頑張っても結果なんて出ない!出たって誰も認めてなんかくれないっ!!」
使用人達が『無駄な努力』『姫ならば出来て当然』『どうせ壱の姫様には叶わない』と言っていたのを知っている。