この恋に終止符を 9
一愛は燃えている千寿の亡骸をチラリと見ると、空間転移を発動し、華屋敷から一人脱出する。
その頃、華屋敷の外では夢幻郷一の娼館が火事にみまわれたことで大騒ぎになっていた。
「おい!火事だ!!華屋敷が燃えてるぞ!」
「女は近づくな!早く逃げろ!男共は火を消せ!!」
街の警護にあたっていた者達は揃って水をかける。
しかし炎は消えるどころか激しさを増していくばかり。
彼等は知る由もないが…それはまるで、一愛の怒りを表しているかのようだ。
華屋敷の炎は空高く舞い上がり、また他の店にも燃え移ろうとしている。
「ひぃいいい!!し、死にたくない!」
「た、助けてくれぇ!!」
両隣の店から出て来たのは必死な形相で逃げ惑う人々。
野次馬も段々と増え、華屋敷の前には大勢の人だかり。
だが華屋敷からは誰一人として出て来ない。
ただ激しい炎から火花が天高く昇り、夜空を赤く照らすだけ。
燃え続ける華屋敷を見つめて、消火している者も野次馬達も同じ事を考える。
この炎では…誰も助からない、と。
その時…夢幻郷の端から、こちらへ向かってくる女達がいた。
走りにくい着物姿で最大限の力で駆けつけた彼女達は、自分達の店の前に来るとその場に立ち尽くす。
「…店が……私らの華屋敷が…燃えてる」
「…牡丹姐さん」
それは牡丹…そして一愛にここを離れるよう命じられた遊女二人だった。
彼女達はただ、燃えている自分達の店を呆然と見つめる。
遊女の一人はあまりの大惨事に涙を流した。
牡丹はフラフラとした足取りで燃える華屋敷に一歩、また一歩と近づいていく。
「…どうして……どうしてこんなことに?」
何故こんなことになったのか?
困惑した表情で華屋敷を見つめる牡丹。
「牡丹姐さん!」「近づいちゃダメだ!」という他者の声も彼女には届かず、牡丹は足を進めた。
その時、焼け落ちた瓦礫が音を立て、牡丹に向かって落ちてくる。
「っ!?」
「牡丹っ!!」
牡丹はある人物に腕を引かれ、そのまま後ろへと二三歩退がる。
牡丹がいたその場所には、焼けた瓦礫が音を立てて落ちてきた。
間一髪だった。
牡丹が後ろを振り向くと、牡丹を助けたのは彼女もよく知る人物。
「若様っ!」
「牡丹っ!危ないだろ!直ぐに下がるんだ!」
一愛は牡丹の腕を引き、野次馬の外へと連れ出す。
「心配なのはわかるが、お前まで焼け死んだらどうするんだ」
「っ!若様っ!魔法で火を消しておくれ!きっと中にはまだ逃げ遅れた奴等がいる!」
「…牡丹」
「あそこには私の仲間が!家族同然の仲間がたくさんいるんだ!だから頼むよ!若様の力で!」
「牡丹っ!!」
興奮する牡丹を落ち着かせようと、一愛は強く彼女の名を呼ぶ。
牡丹が力なく俯くと、一愛は彼女の肩に優しく手を置いた。
「気持ちはわかるが…あの大火だ。誰も助からない。俺だってここじゃ魔法を使えないんだ。辛いだろうが…」
「若様…すまない。取り乱したりして…」
「気にするな。それにしても…お前が無事で本当に良かった」
笑顔を浮かべ、牡丹を安心させるように声をかける一愛。
しかし…今の言葉で牡丹はある事に気づき…いや思い出した。
自分が外出の後、あのまま華屋敷に帰っていたら炎に焼かれて死んでいたことに。
自分が無事だったのは…。
「…若様。聞きたいことがある。なんで私を福飯屋に呼んだんだい?」
牡丹は探るような目付きで一愛を見つめるが、一愛の方は怯むことなく牡丹へと答える。
「あぁ。少し牡丹と話したい事があったんだ。蓮のことで。だから福飯屋で待っててもらおうと」
「あの子達は?若様が伝言を頼んだあの子達も福飯屋にいた。若様の命令でね」
探るような目付きは既に睨みつけるように一愛へと向けられる。
牡丹は疑っているのだ。
この大火は…一愛の仕業ではないか、と。
しかし一愛は普段と変わらぬ表情、変わらぬ声色で牡丹の質問へと答えた。
「あの遊女達か?蓮を助けられたのはあの二人のおかげだからな。飯くらい奢るか…褒美でもやろうと思って一緒に待っててもらった」
牡丹の質問に答える一愛からは、おかしい点など何一つ感じない。
たった今…彼が大火事を起こし大勢の人間を殺したようには、誰の目にも見えないだろう。
人を殺した者の中には多少なりの罪悪感や高揚感から、挙動不審になる者がいる。
一愛がこれほどまでに平静を装っているのは、彼の中で罪悪感など微塵も無いから。
彼は自分の行動に、恥ずべき気持ちすら持ち合わせていないから。
だからこそ、ここまで平静でいられるのだ。
その平静さが…余計に牡丹の中の不穏感を大きくさせた。
「若様は…華屋敷にいたんだろ。どうして若様だけ無事なんだい?」
静かに…そして僅かに怒りを込めて一愛を問い詰める牡丹。
一愛の方はその言葉に驚くこともしない。
「確かに。俺は華屋敷に入って少し千寿と話をした。でも胸くそ悪くなって直ぐに店を出たんだよ」
「…本当かい?」
「本当だ。魔法を使えない今の俺には、あんな炎を出せない」
「…………」
「納得はしてないようだが、俺は無実だ。牡丹…俺を信用しろ」
「…………」
牡丹はやはり納得がいかないのか、無言で一愛を見つめる。
そんな牡丹の様子に一愛は苦笑いして彼女の肩から手を離した。
「まぁいい。俺は警備の奴等と少し話してくる。お前は他の女達と避難しろ」
そう告げると一愛は牡丹から離れていってしまった。
それが牡丹には、まるで自分から逃げているようにも見えた。
「……若様…本当に若様は…関わってないのかい?」
牡丹の中で一愛への不信感は大きくなっていた。
それでも…一愛が牡丹を信用しているように、牡丹もまた一愛を深く信用している。
だからこそ…彼と手を組んだのだから。
「魔法は…ここじゃ使えない。…それは若様だけじゃない。皆がそうだ。でも…どうして…」
牡丹は顔を上げると、燃える華屋敷を見上げた。
燃えているのはただの娼館の一つか…それとも仲間と築き上げてきた城か…。
牡丹は悲しみをこらえ、グッと唇を噛み締める。
そして傍にいた野次馬や警備の者達へ声をかけた。
「消火を続けて!なんとしてもこの火を消すんだ!怪我をした者、火傷した者は直ぐに医者の元へ連れてお行き!」
この街の責任者でもある牡丹からの命令で、集まっていた野次馬は解散し、ある者は消火を手伝い、ある者は怪我をしている者を連れて行った。
牡丹は後ろで泣いている女達にも声をかけた。
「泣くんじゃない!泣いてる暇があったら!怪我人を助けてやんな!しっかりおし!」
「っ、はいっ!!」
「わかりましたっ!」
牡丹の言葉を聞き、娼婦である女達もその場から動く。
彼女は今、自分が出来ることに専念することで、一愛への疑惑をかき消そうとしていた。
その後も男達による消火活動は続けられた。
牡丹も率先して男達の指揮にあたったり、怪我人の手当てを手伝う。
しかし、やがて夜が明け、朝になっても火の勢いは弱まらなかった。
いくら大勢で消火をしているとはいえ、少しづつ水をかけたくらいでは大火にはなんの影響も無かったのだ。
「牡丹…まだ火は消えてないのか?」
「若様!………あぁ。見ての通りさ。華屋敷だけじゃない。両隣の店まで燃えちまってる」
「そうか。……少し街の人間を下がらせてくれ」
「若様…何をするつもりだい?」
「一度家に戻って魔晶石を持ってきた。今なら俺も魔法が使える」
一愛は牡丹と別れた後、本当に一度故郷へと戻っていた。
牡丹にこれ以上怪しまれないように。
一愛が魔晶石の付いた腕輪を牡丹に見せると、彼女も頷き街の人間を華屋敷から離れさせる。
全員が離れたのを確認すると、一愛は華屋敷を含む三つの店に大きな結界を張った。
そして店の真上に、魔法で大きな水の塊や氷の塊を作っては落とし、作っては落としを繰り返した。
今までとは比べ物にならない水の量に、段々と火の勢いは弱まり、ついに全ての店から火は消えていった。
「火が消えたぞ!」
「やった!これでもう安心だ!」
「若様!ありがとうございます!」
「若様!!」
街の人間は揃って喜びの表情を浮かべ、一愛を讃える。
一愛は何も答えずに苦笑いだけを浮かべると、街の人間へ指示を出した。
「急いで中を確認しろ。生存者はいないだろうが…火元や遺体を調べないとな」
「はい!」
「行方不明者のリストを出せ!遺体の数が一致するか調べるんだ!」
男達は急いでリストを調べたり、焼け跡から遺体を運び出す。
運ばれた遺体はどれもこれも黒焦げで、それが誰かなど全くわからない状態だった。
「若様…礼を言わせておくれ。ありがとう。それと…すまなかったね」
「牡丹が謝る事は何もないだろ」
「いや。私は……礼も謝罪もしなくちゃいけない。そういう立場の人間さ」
牡丹の中では、まだ一愛への疑惑は消えていない。
これが自作自演の可能性も十分有り得ると。
それでも…牡丹は街の責任者として、一愛に頭を下げねばならないのだ。
「牡丹、頭を上げろ。これから大変だろうが…俺も協力は惜しまない。店を建て直す費用も俺が出すさ」
「…何から何まで…すまないね」
「俺と牡丹の仲だろ。気にするな。…それと牡丹…話は変わるが、お前に聞きたい事があるんだ」
「なんだい?」
急に真剣な表情を浮かべた一愛に、牡丹もまた彼を見つめ返す。
「牡丹は蓮から…何か伝言を聞いてないか?」
「蓮から?………いや。何も聞いてないよ。あの子が街を離れたってのは、千寿と福寿から聞いて知ったのさ。二人の話す内容はちょっと違ったけどね」
「内容が違う?」
「お福の方は『蓮華の仲間が迎えに来た』とだけ言ってたけど、千寿の方は『恋人と一緒に喜んで街を出て行った』と言ってたね。どっちの言葉が正しいか…考えるまでもない」
「千寿の奴…牡丹にまで嘘を…」
一愛の中で千寿に対する怒りが再び湧き上がり、彼は拳を強く握りしめた。
「その様子じゃ…若様も千寿から話を聞いたみたいだね。今日…いや、昨夜の用件はそれだったのかい?」
「あぁ。『蓮華からの伝言がある』と聞いてな。千寿は俺が蓮に送った…この簪を持ってた」
一愛は懐から、あの白金の簪を取り出す。
それを愛おしげに撫でながらも、表情は暗く悲しみを帯びている一愛。
「若様……それで…伝言はなんだったんだい?」
「『さよなら』。…それだけだった」
簪を握りしめた手を額に当てて、唇を噛み締める一愛を見て、牡丹もまた悲しげな表情を浮かべる。
牡丹もまた…一愛と同じ、蓮を案じている者の一人だ。
そして同じ女として…千寿が伝えた蓮の伝言は真実だと悟った。
「若様…千寿の他の話は嘘だろうけど…きっとその言葉だけは本当さ。私でもお福でも、他の奴でもない。蓮が千寿を選んだのは…若様ともう会う気が無いから。あの子は本気で、若様との恋を終わらせようとしたんだよ」
「………牡丹」
「若様も辛いだろうがね…きっと蓮も辛い。辛いとわかってて、悩んで、悲しんで、苦しんで出した決断さ。女が覚悟を決めたんだ。男も…覚悟を決めるべきだよ」
一愛はただ黙って俯き、牡丹の言葉を聞く。
何も答えようとしない一愛に、牡丹が再び声をかけようとしたが、それより先に街の人間が一人牡丹に声をかけた。
「牡丹姐さん!遺体の確認についてお話が」
「わかった。今行くよ。…じゃあね、若様。私達は私達のやるべきことをしよう。今度来た時は…例の作戦について話そうじゃないか」
牡丹はそう告げると、街の人間と共に焼け跡へと向かった。
残された一愛はまだ俯いたまま。
そして誰に告げるでもなく、ポツリと一人呟く。
「この恋が…終わり?…蓮……お前は本当に終わらせるのか?…俺達の恋を…」
一愛の脳裏には様々な蓮の姿が浮かんでは消えていく。
そして彼は…意を決したように空を見上げた。
「………いいや。…終わらせない。…俺が…終わらせたりなんかしない」
一愛は空に向けて…同じ空の下にいる愛しい蓮に向けて言葉を紡ぐ。
「覚悟…か。…そうだな。俺は覚悟が足りなかったんだ。蓮さえいればそれでいい。…そう思ってたのが甘かった」
蓮さえいれば一愛は何も望まなかった。
彼女と共に生きれればそれでいい、と。
そんな簡単で…ささやかな幸せすら…彼の周りは許さない。
ならどうすればいいのか?
一愛の中では一つの決断が…答えが生まれた。
「俺は…俺も覚悟を決める。俺の運命を受け止めて…煩わしいものを全て片付ける。俺の世界を作ってやる。憎い弐の姫は死んだ。蓮を苦しめた奴等も殺した。あとは二人。俺達の未来を作るために…俺達の世界に邪魔なのは、あの二人だ」
一愛の出した答えは…奇しくも彼が今まで拒んできた、自分の運命を受け入れることだった。
末裔としての自分を受け入れ…一族の望みを叶える。
誰にも文句を言わせない、そんな立場になることを…彼は今、強く望む。
「今度こそ…俺達が幸せになれるように。それまでに…俺は女王と壱の姫を殺す。世界の王になれば…誰にも文句は言わせない。誰にも邪魔はさせない」
一愛は狂気的にも、幸福に満ちたようにも見える笑みを浮かべる。
「全てを片付けて…世界の王になって、君を探し出す。今度こそ…俺達が幸せになれるように」
一愛が望むのは王の椅子でも、世界の支配権でもない。
蓮と歩む二人の未来だけ。
その未来の為なら…女王や壱の姫は勿論…大勢の人間が死んでも構わない。
一愛は空に向けて…遠く離れた蓮に向けて誓いを立てる。
「全てを終わらせて、俺は君に会いに行くよ。…必ず」