この恋に終止符を 8
福飯屋につくと、一愛は出迎えたお福とその夫には目もくれず、フラフラとした足取りで二階に上がる。
そして蓮がいたはずの部屋…今はもう誰もいない部屋に入り、呆然とした。
そんな一愛を、お福はあのドタドタという大きな足音を立てて追いかけてきた。
「若様っ!!」
「お福…蓮は何処だ?…彼女はどこにいる?」
「っ、…若様…蓮華は……もういないんだよ」
「………」
「…若様」
何も答えようとしない一愛に、お福もまた悲しげに彼を見つめる。
そして一愛はゆっくりと振り返り、お福へと尋ねた。
泣きそうな声で。
「…お福……教えてくれ。…蓮は…どうして?」
「………お迎えが来たんだ。蓮華の仲間って奴がね。そいつは…その……男だったから…だから蓮華は、そのまま街を出て行ったよ」
『男』という時だけ、少し口ごもるお福だったが、蓮がこの街を出るには男の存在が必要不可欠。
その為、隠さず正直に一愛へと説明した。
「…どんな男だった?蓮とは…どういう関係だったんだ?」
「……正直に話すと…仲は良さそうだったよ。その男は凄く蓮華を心配してたし。仲間っていうのは本当だろうね。どんなって言われると…そうだね……若様と同じで、綺麗な顔をして髪を銀色に染めた男さ」
「髪を…銀色に?」
「あぁ。…確か……『ジーン』とかいう名前だったね」
お福から発せられた『ジーン』という名前は、一愛にも聞き覚えがあった。
それは彼の愛しい蓮にとって特別な従者。
一愛は蓮と初めて会った時を…彼女を見つけた時を思い出す。
あの時、蓮は自分を見て「ジーン」と言った。
きっと自分の銀髪を見て、その『ジーン』とかいう男と間違えたのだろう。
『ジーン』という男は、蓮の中でとても大きな存在だと一愛も知っている。
つい先日、蓮本人に聞いたのだから。
その男は蓮が誰よりも信頼している男であり、決して恋愛感情は抱かないと言っていた相手でもある。
蓮があそこまで「ありえない!」と連発していたくらいだ。
その『ジーン』とは本当に主と従者以上の関係ではないのだろう。
その点に関してだけは安心が出来た。
しかし…一愛にはどうしても納得出来ない…どうしても受け止めきれないモノがあった。
「お福。…蓮は何か言ってなかったか?俺に伝言とか…預かってないか?」
期待を込めて尋ねる一愛だが、お福はフルフルと首を横に振る。
「私らに世話になった礼と『牡丹姐さんによろしく』とは言われたけど、それくらいさ。…むしろ…若様のことを突っ込まれたくない感じだったね」
「………そうか」
一愛にとって何よりも辛いこと。
それは自分には何も告げずに蓮が去ってしまったこと。
どれだけ先を急いでいたのかは知らないが、せめて一言くらい何か言ってほしかった。
せめて最後に言葉を交わしたかった。
そしてふと…千寿に言われた言葉を思い出す。
『蓮華から伝言も預かってます』
千寿は一愛が蓮に送った簪を持っていた。
蓮が夢幻郷を出るには、福飯屋から街の出入口までの大通りを歩く必要がある。
それはつまり、華屋敷の前も通る必要がある、ということ。
蓮が何故このお福でも牡丹でもなく、千寿を選んだのかはわからない。
それでも…簪を持っているなら、本当に伝言を預かっている可能性もある。
そう思った瞬間、一愛は行動に出た。
「…邪魔したな、お福」
一愛は来た時と同じように、お福とその夫を素通りしてこの福飯屋を出て行った。
外に出ると、もう夕日は沈み空は真っ暗になっている。
視線を前に向けると、夜になったことで、いくつもの店に明かりがつきいていた。
一愛は迷いなく、一直線に華屋敷へと向かう。
そして目的地につくと、いつものように客引きの男が一愛へと駆け寄って来た。
「これはこれは若様!本日もお越し下さり、ありがとうございます!牡丹は只今外出しておりますが、直ぐに使いの者を出して呼び戻しましょう」
「いや…今日は牡丹じゃない」
「へ?……あぁ…申し訳ありませんが…蓮華はもうここには…」
申し訳なさそうに答える従業員だが、一愛は冷たい眼差しで彼の言葉を否定する。
「違う。俺は…今日は別の女を買いに来た」
「と、申されますと?」
従業員の問いかけに、一愛は一度深呼吸をすると、静かに自分の目的を告げた。
「千寿を出せ。俺は今日、千寿を指名する」
一愛から発せられた意外な言葉に、従業員は目を丸くする。
「は?せ、千寿ですか?申し訳ありませんが…千寿はまだ見習いでして」
「そんなことは関係ない。いいな。千寿だ。千寿を部屋に呼べ。わかったな」
鋭い眼光を放つ一愛の紫の瞳に、従業員は全身鳥肌が立った。
今の一愛の目は、まるで言うことを聞かなければ、今すぐにでも目の前の男を殺しそうなほど冷たく、殺気がこめられている。
従業員の男は「は、はい!かしこまりました!」と頭を下げると、慌てて中へと駆け込んだ。
そして一愛もまた華屋敷の中へと入る。
今までは何度も遊女達が猫なで声を出していたが、彼女達は一愛の姿を見るとビクリと身体を震わせ怯える。
その遊女達はいずれも、一愛にとって大切な蓮に暴行をした女達だった。
何故か彼女達は今までのように遊女らしい派手で露出のある着物は着ておらず、質素な着物を着ている。
髪も結い上げず、一つに縛られているだけで簪もさしていない。
一愛がギロリと遊女達を睨むと、彼女達は一斉にその場から逃げていった。
唯一声をかけて来たのは、あの時…蓮の暴行に加わらなかった遊女二人。
「若様。ようこそいらっしゃいました」
「今お部屋にご案内致しますので」
「あぁ。…一つ聞かせてくれ。あの女達…格好がやけに変わったな。どうしてだ?」
一愛の問いかけに、遊女達はお互いの顔を見合わせる。
そして右側の遊女が口を開いた。
「この間、蓮華に酷いことをした遊女達は…全員が見習いに格下げされたんです。見習いの子達も見習い期間が伸びました」
「それが牡丹姐さんからの罰なので」
「っ!!それは本当か!?蓮にあれだけのことをして!罰がたったそれだけなのか!?」
遊女達の言葉に一愛は怒りのまま声を荒らげる。
遊女達もビクリと身体を震わせたが、左の遊女が恐る恐る口を開いた。
「牡丹姐さんは…いつも私達を『仲間だ』『家族だ』と言って大切にしてくれてます。だから…あれが牡丹姐さんが与える…最大限の罰なんです」
「鈴蘭も菖蒲も、ここじゃかなり出世した遊女でした。その地位を全て取り消したんです。特にあの二人にはこの罰が堪えてますよ」
説明する遊女達の言葉をいくら聞こうと、一愛には納得がいかなかった。
一愛はギリ…と拳を握りしめると、俯いたまま遊女達に声をかける。
「お前達二人は…牡丹を迎えに行け。牡丹と合流したらそのまま福飯屋に行くんだ。場所は牡丹が知ってる」
「え?若様?」
「一体どういう意味です?」
「いいからさっさと行けっ!!」
「「は、はいっ!!」」
一愛の剣幕に遊女達は慌てて華屋敷を出て行った。
残された一愛は…ある決断を下す。
「…牡丹。…お前が罰を与えられないなら……俺があいつらに…罰を与えてやる」
それはとても静かな声。
しかしとても強い意志のこもった声でもあった。
ある決意を胸に秘め、一愛はいつもの部屋に一人向かう。
一愛が部屋に入ると、少し遅れて見習い遊女がビクビクとしながら酒を持って来た。
何故ここまで彼女が怯えるのか?
それは簡単なこと。
この見習い遊女は蓮姫に暴行を加えた者の一人だ。
蓮姫救出の際、あの部屋にいたので当然一愛もそれを知っている。
「わ、若様。…お、お酒をどうぞ」
「そこに置いておけ」
「は、はい。…失礼します。あ、あの…よければ…お酌を…」
彼女は一愛に怯えながらも見習いとしての仕事をこなそうとする。
しかし一愛はそんな見習いの娘をギロリと睨みつけると、忌々しげに彼女へと告げた。
「目障りだ。さっさと失せろ」
「は、はぃいい!!」
殺気のこめられた視線と声色に、見習いの遊女は脱兎の如くこの部屋から出て行った。
残された一愛は酒の瓶を掴むと、手酌でそれを飲む。
いつも飲んでいる酒と同じはずなのに…今日の酒は酷く不味い。
そう感じるのは酒が原因ではなく、一愛の心が原因だろう。
一愛は不味いと思いながらも酒を飲むのをやめない。
この部屋で一人することなど他に何も無いのだ。
今までは仕事の一つとして、友でもある牡丹とここで会っていた。
つい先日は、愛する蓮と共にここで過ごした。
だが今日は違う。
牡丹でも蓮でもなく…千寿を待つ自分にイライラした彼は、煽るように次々と酒を喉に流し込んだ。
丁度酒瓶が空になった頃、一愛は戸の向こうに人の気配を感じた。
「若様。千寿でございます」
「…入れ」
「失礼致します」
一愛の返事を合図に戸が横に引かれる。
現れた女の姿に一愛は息を呑んだ。
驚きと………怒りで。
そこにいたのは、蓮が着ていたのと全く同じ、赤地に菊や鳥が大きく描かれた煌びやかな着物をまとった千寿。
顔には化粧を施し、髪は他の遊女と同じように高く結い上げて簪を刺している。
千寿は下げていた頭を上げると頬を染めて一愛に微笑んだ。
一愛は湧き上がる怒りを必死に抑え、作り笑いを浮かべる。
あんなにも蓮を美しいと感じたのに、同じ姿をした千寿を見ても一切心は動かなかった。
むしろ…わざわざ同じ着物を選んだ彼女を醜いとすら思った。
だがどれたけ醜いと思おうが、それが憎い相手だろうが…一愛には目的がある。
その為に…蓮からの伝言を確実に聞く為に…彼は自分を偽ることにした。
「見違えたな。とても美しい…千寿」
「っ!?ほ、本当ですか?ありがとうございます!」
一愛の嘘を素直に信じ込み、更に頬を染めて喜ぶ千寿。
一愛はお盆を横にずらすと千寿に向けて手を広げた。
「さぁ…こっちに来い。千寿」
「っ、はいっ!!」
千寿は喜びのまま一愛の胸へと飛び込む。
一愛もまた千寿の体を優しく抱きしめた。
「若様…嬉しいです。…ずっと…ずっとこの時を…私は夢見てきました」
「そうか」
自分の腕の中で夢心地に呟く千寿だが、一愛の目は冷ややかだった。
一愛は千寿に悟られないように、優しく声をかける。
「その夢を叶えてやろう。だがその前に…蓮からの伝言を教えてくれ」
その言葉に千寿の体はピクリと僅かに動く。
「あんな女…もうどうでもいいじゃありませんか。今日若様のお相手をするのは…私です」
「あぁ。わかってるよ。だが約束だろ。教えてくれれば…ご褒美をやる」
「ご褒美?…でも…そんなの後で…」
「千寿。俺は今聞きたいんだ。安心しろ。聞いたからといって…逃げたりはしない」
一愛は千寿の髪をまとめていた一番長い簪を抜くと、千寿の耳元に口を寄せ、甘い声で囁く。
「さぁ…教えてくれ…可愛い千寿」
ハラリと解けた髪に千寿は今後の展開に強い期待をした。
そして一愛の行為と甘い声に酔いしれた千寿は簡単に口を開く。
「っ、はい。蓮華からの伝言は…一言です」
「そうか。……それで?」
「蓮華から預かった言葉は『さよなら』…それだけでした。それだけ言うと、蓮華はこの街を出て行きました。…『ジーン』とかいう恋人と一緒に」
千寿が告げた言葉に、今度は一愛の体がピクリと反応する。
「恋人?」
「そうです。蓮華が言ってました。『恋人と一緒にここを出るから、もう若様とは会わない』って。その男は銀髪で…きっと蓮華にとって若様は、その男の代わりでしかなかったんです」
それは蓮やお福と聞いた話とは違う内容。
彼女達はその『ジーン』という男を仲間だと言っていたが…千寿は恋人だと言う。
どちらの言葉が本当か…一愛にはわかりきっていた。
「そうか。他には?」
「蓮華は男と寄り添っていました。とても仲良さそうに。それは、誰が何処からどうみても…恋人同士にしか見えないように」
一愛が嘘に気づいているとは知らず、嘘を重ねる千寿。
それが余計に一愛の心を苛立たせているとは、微塵も思っていない。
「本当か?」
「本当です。ねぇ若様…もういいでしょう?早く私を…」
「………そうだな。聞きたいことも聞けた。もう聞くことは無い。…約束通り…お前にはご褒美をやろう」
「若様っ!」
喜ぶ千寿の肩に片手を置くと、一愛は千寿の体を自分から少し離す。
そしてそのまま千寿の顎を持ち上げ、自分の顔へと向けさせた。
「若様…好きです」
千寿はこのまま口付けてくれるのだと思い、目を閉じて一愛の唇を受け入れようとする。
しかし一愛は千寿の顎を掴んでいないもう片方の手…簪を持った手に力を込めた。
そして次の瞬間…。
「そうか。…俺は…」
ドスッ!!
「お前が大嫌いだ」
一愛は持っていた簪を千寿の首に突き刺した。
千寿は一瞬何が起こったのか理解出来ず、驚愕の表情を浮かべる。
喉に感じる激しい痛みと、一愛から向けられる冷たい視線が信じられず、ただその場にドサリと倒れ込む千寿。
「…ぁ………わ………ざ…ま…」
千寿は必死に一愛に手を伸ばし、彼の着物の裾を掴む。
しかし一愛は自分の着物の裾を掴むと強く引き、乱暴に千寿の手を振りほどいた。
「触るな。汚らわしい」
「………………」
一愛の言葉を…そして自分の身に何が起こったのかを…ようやく理解した千寿は涙を流す。
だがそんな千寿を見ても…一愛の心は少しも動かなかった。
「この期に及んで…よくもあれだけ嘘を並べ立てたな、千寿。これはその嘘に…お前の犯した罪に相応しいご褒美だ」
『ご褒美』とは言うが…それはもはや罰。
初めはピクピクと動いていた千寿だが、次第に動かなくなり瞳も開いたまま閉じることはなくなった。
一愛はその場に立ち上がると、右手にはめた魔晶石に力を込める。
「蓮を傷つけた奴は…誰一人許さない」
結界の中とはいえ、魔晶石を使用した一愛には簡単に魔法が使えた。
彼は迷うことなく…上級魔術をこの場に発動させる。
「火炎の嵐【ファイヤーストーム】」
一愛が生み出した炎は瞬時に辺りへ広がり、ついにはこの華屋敷全てを飲み込んだ。
炎の影響を受けないのは術者である一愛のみ。
「この炎で全員…地獄へ落ちろ」
全てを焼き尽くすため燃え盛る炎。
これこそが…蓮に暴行した者達へと与える…一愛の罰。