この恋に終止符を 6
ローズマリーと別れたアーロンは、一人来た道を戻り蓮姫の待つ家へと向かう。
その道中で、彼は先日会ったある人物の姿を思い返す。
あの墓標の前で会った…かつての自分の従者、ユージーンを。
(あの時…800年前のあの時…ユージーンは死んだ。…なら…やっぱりアレは亡霊だったのか)
自分は不老不死の呪いをかけられ、800年前から生き続けている。
ローズマリーもまた体のパーツを取り替えながら、800年間生き続けた。
とはいえ、誰も彼もが同じ呪いを受ける事も、同じ術を使える訳でも無い。
アーロンの従者であったユージーンは800年前…確実に死んでいる。
彼女と共に。
ならば…先日現れたあのユージーンは亡霊…で間違いないのだろうか?
幽霊、亡霊、死霊…呼び方は違うが全ては同じ意味。
亡き者の魂が現世に現れたもの。
この世界でも幽霊は存在する。
存在する…という言い方は正しくないかもしれないが…人々の前に現れる事がある。
実際、蓮姫の従者である未月と残火はついこの間、花という子供の幽霊に遭遇したばかりだ。
(ユージーンが亡霊なら…成仏も転生もせずに…ずっと800年間この世をさ迷ってたことになる。…それはつまり俺への恨みで…)
自分の想像にアーロンはその足をピタリと止めた。
その瞬間、彼の周りに黒い霧のような物が発生する。
それはユラユラと揺らめき、段々と大きく、濃くなっていった。
その間もアーロンは地面を見つめたまま動くことはせず、ただ亡き友へと思いを馳せる。
自分の想像が…かつての友が自分を恨み続けているのでは…という予想が彼を追い詰めていった。
「…ユージーン……俺は…」
アーロンは気づいていない。
自分の負の感情が黒い霧となり、自分を包みつつあることに。
遥か後方…空の上でその様子を楽しんでいる者がいることに。
黒い霧は段々と大きくなり、アーロンを取り囲む。
「俺は…俺のせいで……あいつは…」
黒い霧がアーロンを完全に包こみ、閉じ込めようとした。
その瞬間。
「グガァアアア!!」
大きな獣の叫びが木霊し、その咆哮で黒い霧は消し飛んだ。
ハッとしたアーロンが前を向くと、そこには巨大化したノアール。
「………ノア?…どうしたんだ?」
「グルルルルル」
ノアールはアーロンの言葉に答えるよう、彼の服に自分の頭を擦り付ける。
まるで子猫がじゃれるような様子だったが、ノアールが顔を上げると紫の瞳は悲しげにアーロンを見つめた。
その瞳を見つめ返すアーロン。
ノアールの紫の瞳に映る自分の姿を見て、アーロンは苦笑した。
「…情けない顔してるな、俺」
「グゥウン」
「お前…もしかして慰めてくれてるのか?」
アーロンが手を伸ばす、ノアールは答えるようにペロペロとその手を舐めた。
それはつまり肯定。
そしてアーロンすら気づいていなかった黒い霧に、ノアールは気づいていた。
だからこそ、主人である蓮姫の元を離れてまでもアーロンの元に駆けつけたのだ。
主と同じくらい大切な仲間を守るために。
「…ありがとな、ノア。でも…勝手に姫様の傍を離れちゃダメだ。お前だって姫様の従者なんだからな」
言葉は厳しく…しかし優しい声で告げるアーロンに、ノアールはまたひと鳴きして答える。
(なんて…勝手に傍を離れた俺が言えたことじゃないか。…ありがとな、ノア)
勝手に蓮姫達から離れ、かつての仲間の墓標へと向かったのは自分の方だった。
今ユージーンとして生きる自分ではなく、過去のアーロンとして生きた自分を見つめる為に。
過去の自分を責める為に。
(姫様と共に過ごすことは…あいつらへの裏切りか…はたまた罪滅ぼしか)
自嘲気味に眉を下げ、口元だけ笑みを浮かべるアーロン。
しかしその顔は先程のように追い詰められたようなものとは違った。
黒い霧も、もう出てくる様子は無い。
「よし。ノア戻ろう。姫様の元に」
アーロンの言葉に頷くと、ノアールは仔猫の姿に戻りアーロンの先方を歩き出す。
まるで『早く行こう』と言っているように。
その様子にアーロンは口元に笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。ちゃんとついてくよ」
「にゃっ!」
アーロンは笑顔を浮かべたまま、ノアールと共に蓮姫の元へと帰って行った。
ユージーンとノアールから数キロ離れた後方の上空。
空に浮かぶ男はそれを面白くなさそうに見つめる。
「せっかく負の感情に取り込めそうだったのに……あの獣…余計なことを」
忌々しげに呟く男。
彼は先日、アーロンの前に現れた今は亡きユージーンだった。
「弐の姫の従者とは獣に至るまで邪魔…ということか。………まぁいい。機会も方法もいくらでもある。この男の存在で、彼の心には深い罪悪感と後悔が芽生えた。今後も彼は傷つき、悲しみ、苦しむだろう」
自分の思惑が外れたのは正直つまらない。
しかし彼はこれで諦めるつもりも、終わるつもりも毛頭ない。
せっかく彼を…アーロンを見つけたのだから。
「女と…それも弐の姫との楽しい日常なんて、認めるわけにはいかない。魔王は魔王らしく…争わないと」
ユージーンは右手中指にはめた赤い石のついた指輪を見つめ、楽しそうに微笑む。
「次は何をして遊ぼうか?…ふふ…楽しみだ」
そう呟くと、彼は黒い霧をまとい、その場から姿を消してしまった。
自分を狙う存在がいるなど知る由もないアーロン…いや、ユージーン。
彼は何事もなくローズマリーの家、その敷地内へと戻ってきた。
彼は自分の分も薪割りをしている火狼を素通りし、家の扉に手をかける。
そして扉を開けると、扉に片手をつけたまままま固まってしまった。
「………何してるんです?」
やっと出た言葉に、床に這いつくばっている彼の主は視線を従者へ向けた。
「何って…見てわからない?雑巾がけ」
その言葉通り、蓮姫は床に伏し雑巾で床を拭いていた。
蓮姫はユージーンの問いに答えながらも手を止めずに、ゴシゴシと力を入れて床を拭き続ける。
「それは見てわかります。そうじゃなくて…なんで姫様が床なんて拭いてるんですか」
「片付け終わったし、一人で暇だったから。それにロージーにはお世話になってるから、これくらいしておこうかなって」
そんな主の周りをノアールはクルクルと楽しげに走り回る。
頭を撫でてほしいようだが、雑巾を持っている蓮姫は眉を下げてノアールへ謝った。
「ごめんねノア。今は雑巾触ってるから。後でたくさん撫でてあげるから、ちょっと出てて」
「うにゃ~ん」
蓮姫の返答につまらなそうに鳴くと、ノアールは渋々部屋を出て行った。
ノアールを見送った蓮姫は立ち上がると「ん~」と曲げていた腰を伸ばす。
そしてバケツに雑巾を浸して軽く洗うと、ギュッ!と強く雑巾を絞った。
そして屈んだままユージーンへと問いかける。
「ジーンこそ何処に行ってたの?」
「…少し食後の運動に。それより姫様。暇だからって姫たる者が雑巾がけなど」
「はいはい。小言は………」
やっとユージーンの方へ視線を向けた蓮姫だったが、何故か言葉の途中で黙り込んでしまう。
自分を見つめたまま動こうとしない蓮姫に、ユージーンも首を傾げた。
「姫様?どうしたんです?」
「…ジーン……何かあったの?」
「え?」
「なんか…元気ないというか…落ち込んでるような…そんな気がする」
蓮姫にかけられた言葉にユージーンは息を呑む。
それほど自分はわかりやすかっただろうか?
誰にも…特に蓮姫には悟られないように、普段通りを装っていたはずなのに。
「俺は…」
言いかけてユージーンも言葉につまる。
本当は「何もありません」「姫様の気のせいです」と言うつもりだった。
しかし自分を見上げる蓮姫の黒い瞳が不安げに…そして心配そうにしているのに気づく。
自分の些細な変化に気づき、尚且つ心配してくれる主に…ユージーンは嘘をつくのを躊躇った。
蓮姫には…彼女にだけは嘘をつきたくない…そう思った。
「ジーン…言いたくない?」
「………はい。聞かないでくれると助かります」
「そっか。わかった」
「っ、…随分簡単に引き下がるんですね。姫様は俺に興味も無いんですか」
蓮姫の返答が不服だっのか、少し苦笑し嫌味を告げるユージーン。
随分と身勝手な反応だが、そんなユージーンに対し蓮姫は立ち上がると笑顔を浮かべた。
「ジーンは『聞かないで』『記憶を見ないで』っていう私の願いを聞いてくれたでしょ。だから私も無理には聞かない」
「………姫様」
「話したくないなら無理に話さなくていい、って前にも言ったでしょ。だから聞かない。もし話したくなったら…ちゃんと聞くから」
笑顔でそう告げる蓮姫に、ユージーンは胸が締め付けられる。
(………違う。罪滅ぼしなんかじゃない。あいつらへの裏切りだとしても…離れるつもりなんてない)
ユージーンは蓮姫を見つめたまま心の中でのみ呟く。
(初めは…貴方が弐の姫だから興味を持った。でも…今は違う)
長い時を過ごしてきた中で…ユージーンの心は蓮姫へと傾いていた。
単なる興味や好奇心という感情から…別の感情が彼の心を満たしていた。
(俺は姫様が好きだから…貴方だから傍にいるんです)
心の中でのみ告白するユージーン。
それは男として彼女を愛しく思っているのか。
はたまた従者として主を慕っているのか。
ただユージーンは自然と愛しさをこめた眼差しを蓮姫へ送り、その顔は微笑んでいた。
しかし急に笑顔を浮かべた従者に今度は蓮姫が首を傾げる。
「ジーン?今度はどうしたの?」
「いえ。姫様は優しいな、と思っただけですよ。今回も姫様のお言葉に甘えます。姫様は俺みたいに簡単に人の記憶を覗いたりしませんからね」
「そりゃジーンみたいに他人の記憶を覗けるなんて誰も……あ…」
言いかけて蓮姫はふと思い出した。
ユージーン以外にも記憶を覗ける人物を…蓮姫は一人だけ知っている。
「姫様?」
「ねぇジーン。他の人もジーンみたいに記憶を覗けるの?」
「姫様や想造世界の人間は、その気になれば想造力で出来るとは思いますよ。でも他の人間は無理です」
「でも…高い魔力を持ってる人なら」
「確かに、高い魔力は必要ですが…それだけじゃないんですよ。『想い出返し』…あの術は誰でも使えるものじゃないんです。この世界の人間では俺しか使えません」
断言するユージーンに蓮姫は一度口を開くが、直ぐにまた閉じる。
その『想い出返し』とやらを…恐らく自分に使った人物がいる。
だがそれをユージーンに伝えるのをやめた。
正確には彼の話をするのをやめたのだ。
理由がなんであれ彼の…一愛の話をするのは…もうやめよう、と。
「…そっか。わかった」
「姫様?何か気になることでも?」
「ううん、なんでもない。さて、と。今度はあっちの部屋を雑巾がけしようかな」
「だから姫様。しなくていいですって」
意気込む蓮姫にユージーンは呆れたような声を出した。
深く追求されずに蓮姫は内心ホッとする。
「でもロージーにはお世話になってるじゃない。これくらいしたいの」
「さっき『暇だったから』ってハッキリ言ってたじゃないですか。…って姫様?ロージーと仲良くなったんですか?」
蓮姫が「ローズマリー」を「ロージー」と呼んでいたことで、ユージーンも彼女達が親密になったのに気づく。
蓮姫はバケツを持つとニマリと楽しげな笑みをユージーンに向けた。
「うん。朝ごはんの片付けしながら軽く話してね。いい人だよね、ロージー。美人だし」
「あんなの普通ですよ。中の上ってとこです」
「うわ…元彼の発言とは思えない」
「っ!?それ聞いたんですか!?」
まさか蓮姫が自分とローズマリーとの関係を知っているとは思わず、ユージーンは顔を青くする。
蓮姫の方は楽しげな笑みを崩さず、ニヤニヤとユージーンを見つめていた。
「聞いたよ~。ジーンの好みってああいう人だったんだね」
「違います!断じて違います!そりゃ昔はそういう関係にもなりましたが!それだけです!俺はロージーに恋愛感情なんて!これっぽっちもありません!!」
「……その方が問題でしょ。最低な発言してるの気づいてる?」
ユージーンの最低発言に蓮姫は「うわ…」と引いている。
「姫様!?そんな目で見ないで下さい!」
「こんな目で見られるような発言しないで下さい。まったく。ジーンみたいな最低男にロージーはもったいないね」
「ちょっと!?なんてこと言うんです!俺の話聞いて下さいよ!」
「さっき『聞かないで』って言ったじゃん」
「それとこれとは別です!」
珍しくギャーギャーと騒ぎ立てるユージーンに、それに呆れている蓮姫。
騒いでいる間に他の者は全員この家に戻り、不思議そうに二人を眺めた。