この恋に終止符を 5
左だけ長い前髪をつまみながら話すアーロン。
そんなアーロンを必死に止めようとするユージーンだが、彼の願いはアーロンには届かない。
むしろ、ユージーンが何を言ってもアーロンは止まらないだろう。
いつもそうなのだから。
今回の『自分探しの旅』だって、ユージーンは必死に止めた。
しかしアーロンは自分の意思を決して曲げることはなく…結果、お供としてユージーンがついて行く事になったのだ。
「俺はもう決めた。お前がついて来たくないなら別に来なくてもいい。一人でも俺は行くぞ。城は無理でも、王都だけなら空間転移で行けるからな」
「~~~っ!分かりました!分かりましたよ!このユージーン!何処までもアーロン様についていきます!」
アーロンが何を言っても聞かないのを悟った…いや、説得するのを諦めたユージーンはやけくそ気味に答える。
やけくそにもなるだろう。
絶対に面倒に巻き込まれる…むしろ面倒に自分から首を突っ込むと、自分の主は言っているのだ。
とはいえ、そんな所に主を一人で王都になど行かせる訳には行かない。
ユージーンはアーロンのシュヴァリエとして、アーロンを一人放っておくことなど出来やしなかった。
だからこそ嫌々…本心とは真逆ではあるが、了承したのだ。
アーロンの方はそれがやけくそだろうと、嫌々だろうと、ユージーンから望み通りの言葉が聞けて満足気に笑みを浮かべた。
「さすが俺のシュヴァリエ。そうこなくちゃな。…さて、と」
アーロンは視線をユージーンから外し、遠くの地平線を眺めた。
この地平線と空の向こうに…この世界の女王が…姫が住む王都がある。
「行くか」
「…はぁ………はい。アーロン様」
楽しげに微笑むアーロンとは逆に、ユージーンは疲れたように肩を落として答えた。
アーロンの方はまだ見ぬ噂だけの弐の姫へ思いを馳せ、期待に胸を躍らせる。
(世界に災いや争いをもたらす弐の姫。どれだけの悪女か…それともすこぶるいい女か…楽しみだな)
それは本当にただの興味だった。
ただの好奇心だった。
弐の姫を使って世界を滅ぼそうとか、弐の姫を倒そうとか…そういう事は一切考えていなかった。
ただ…その弐の姫がどんな女か知りたい。
それだけだった。
このアーロンの思いつきから…アーロンとユージーン、そして当時の弐の姫の運命は…大きく動き出すことになる。
「アーロン」
墓標を見つめたまま過去を思い出していた現在のアーロン。
しかし後方から聞こえた自分を呼ぶ声に振り向く。
そこにいたのはローズマリー。
800年前、共に過ごした女であり…今の思い出には出てこなかった女。
「やっぱり…ここにいたのね」
ローズマリーの言葉には答えず、アーロンは二つの墓標へと視線を戻した。
しかし今度は険しい表情で墓標を睨みつける。
後ろ姿しか見えないローズマリーからは、アーロンが悲しんでいるように見えた。
そう思い込んでいた。
ローズマリーはアーロンへと一歩づつ近づき、彼の左側に行くとピタリと体をつけ寄り添う。
ここは彼が誰よりも大切にしていた者達の墓。
彼がここに来るのはわかっていた。
きっと彼の心の中は、後悔や懺悔…感謝や謝罪の気持ちでいっぱいだろう。
そう思っていたローズマリー。
「二人に…何を話していたの?」
自分の勝手な想像をそのまま口にするローズマリーだったが…それがいけなかった。
ローズマリーの言葉に、アーロンはカッと目を見開く。
そしてそのままローズマリーの体を乱暴に振り払った。
「っ!?あ、アーロン?」
振り払われたことでアーロンの怒りがローズマリーにも伝わる。
恐る恐る声をかけるローズマリーだったが、アーロンは両手をキツく握りしめるだけ。
拳を力の限り強く握りしめた反動か、アーロンの両腕は微かに震えている。
「…ふざけんなよ。ロージー」
「……え?」
「こんな空っぽの墓を作りやがって…。ここに…あいつらは眠ってない」
「っ、それは…」
アーロンは気づいていた。
初めて見た時は、あまりの衝撃で彼等の墓だと思った。
しかしこの場に先日現れた『ユージーン』。
彼の言っていた言葉でアーロンも理解した。
思い出した。
彼等が眠っているはずない。
あの時…彼等の遺体を持ち出すことなど…誰にも出来なかったのだから。
それも…当時の非力なローズマリーなら尚更。
「何がしてぇんだよ。お前」
「っ!?親友の墓を作って何が悪いのよ!あの二人に懺悔したいのは、あんただけじゃない!私だって!ずっと後悔してた!私は二人を助けられなかった!だから!」
「だから?自己満足の為に墓を作ったってのか?こんな…こんなもんをっ!」
アーロンは怒りのまま『ユージーン』と書かれた十字架を蹴りつける。
魔力の込めた足で蹴られた十字架は、バキッ!と音を立ててヒビが入り、後方に傾いた。
アーロンの怒りの大きさを知り、ローズマリーはビクリと体を震わせ、その顔は青ざめている。
「………ロージー。こんなもんを作ったって何も変わらない。…俺達が…あいつらを救えなかった事実は何も変わらない。お前も結局は…ただの偽善者か」
「っ!?…何よ…それ!」
アーロンから発せられた聞き捨てならない言葉に、ローズマリーも怒りの形相を浮かべる。
アーロンと違うのは…彼女の目には涙が浮かんでいたこと。
ローズマリーに睨みつけられてもアーロンの方は表情は変わらない。
むしろ見下すようにローズマリーを見つめ返した。
「お前の自己満の為に墓を作ったのは事実だろ。お前みたいな女…虫唾が走る」
「そんな女を自分の女にしたのは誰よ!」
ローズマリーは怒りのままアーロンの胸ぐらを強く掴んだ。
それでもアーロンは見下すように、冷ややかな目をローズマリーへと向けるだけ。
その目で…ローズマリーは思い知る。
アーロンがローズマリーに向ける目は…かつての恋人に向けるような目ではない。
あまりにも冷たいその眼差しに…ローズマリーの目から一筋の涙が零れる。
「…私の気持ちを知ってて…あんたは私に手を出したんでしょ」
「……………」
「旅を続けてたから女に飢えてただけ?それとも…二人が恋人同士になって、自分だけ仲間外れになるのが嫌だった?」
「……………」
「私を『恋人』だって言ってくれたじゃない。アレは嘘だったの?」
「……………」
「っ、なんとか言ってよ!!」
何も答えないアーロンにしびれを切らしたのか、ローズマリーは彼の胸に顔をうずめて泣き出した。
ローズマリーが涙を流す度、嗚咽を繰り返す度に彼女の体は震える。
しかしアーロンはローズマリーの背に手を回すことも、体を撫でてやることもしない。
ローズマリーを慰める仕草は勿論、言葉すら一切かけない。
ただ変わらず冷たい眼差し…いっそ哀れむような目を向けている。
「…アーロン…お願い。…答えて」
「ロージー」
「あの時…800年前少しでも…ほんの少しでも…私を愛してた?…仲間以上の気持ちを…持っていてくれた?」
泣きながら、絞り出すように言葉を紡ぐローズマリー。
だが彼女とて本当はわかっている。
アーロンがなんと答えるのか…あの時…本当に彼が自分を愛してくれていたのか…そうでないかを。
少しの沈黙の後…アーロンは静かに、しかしハッキリとその答えを口にした。
「いいや」
その言葉は否定。
アーロンはかつての恋人を…自分の胸で泣きじゃくる女を、冷たい言葉で突き放す。
「俺がお前を愛したことは一度も無い。これからも、俺がお前を愛することは…決して無い」
「っ、…そう……よね」
アーロンの言葉に頷きながらも、ローズマリーは泣きながらアーロンの服に顔を押し付け、自虐めいた笑みを浮かべた。
わかっていたのに…涙は溢れて止まろうとしない。
ただ告げられた真実に胸がズキズキと激しく痛む。
アーロンは更に彼女を追い込むように言葉を続けた。
「俺は誰かを本気で愛した事は無い。色恋なんざ…馬鹿のすることだ。そんなのに振り回されるのは…馬鹿だ」
「…空っぽとはいえ…この場でそれを言うなんて…本当に…酷い男」
ローズマリーの言うこの場とは、アーロンとローズマリーにとって大切な者達の墓前。
誰も眠っていないとはいえ、ここは間違いなく彼等のための墓標。
愛し合った故に傷つき…死んでいった大切な二人。
「そうだ。俺は酷い男だ。こんな男もう忘れろ。俺にとってお前は…かつての仲間。それ以上にも以下にもならない」
アーロンはローズマリーの手を掴むと、自分の服から手を離させる。
そしてローズマリーの方は一切見ずに彼女の手を離すと、そのまま蓮姫達の待つ家へと戻って行った。
アーロンが立ち去り、ローズマリーはその場に座り込む。
「はは…バカね…私。…こんなの…わかってたことじゃない」
自分が愛されていないのはわかっていた。
それでもほんの少しだけ…期待を、希望を込めて尋ねた。
一度だけでも本気で愛してくれていたのでは、と。
一瞬でも愛してくれた時があったのでは、と。
結果、それは全て彼の口から否定された。
「アーロンにとって私は…ただの仲間。…あの子とは…弐の姫達とは違う。………失恋しちゃったわね」
そう呟いた自分の言葉にローズマリーは笑う。
それは自分自身を馬鹿にしたような笑みだった。
「私ったら…ホント馬鹿ね。失恋なんて…800年前からしてたじゃない」
涙は止まらず、そして自分自身を傷つける言葉も止まらない。
墓標を背にして一人泣き続けるローズマリー。
そんな彼女に近づく男が一人。
「なにしてるの?マリー」
「………藍玉」
それはローズマリーに思いを寄せる男…藍玉だった。
藍玉はローズマリーの前にしゃがみこむと、彼女の目を見つめて問いかける。
それはアーロンとは違い、とても優しい眼差しだった。
「あの元彼に何か言われた?僕が仕返ししてこようか?」
「…………いいえ。アーロン相手じゃ無理よ。貴方がただじゃ済まないわ」
「それでも彼を殴りたいよ。愛しい君を傷つけたんだから」
言葉は物騒だが、藍玉はそれだけローズマリーを心配している。
アーロンとは違い、自分を気遣ってくれる男の存在。
藍玉は自分が愛したアーロンとは違い、自分を愛してくれる優しい男。
ローズマリーは藍玉に縋りつきたい衝動に駆られる。
その胸に飛び込んで、優しい腕に抱きしめられたい、と。
しかしそれはとても卑しい行為。
恥ずべき行動だとグッと己を堪えた。
「……私のこれは…自業自得よ。いつかは…ゃんと向き合わなきゃ…思い知らなきゃいけない事実だった。だから…やめて」
「……君がそう言うなら…わかったよ」
ローズマリーのアーロンを庇うような言葉に、藍玉は眉を下げて悲しげに笑う。
しかし彼も気づいている。
これはアーロンを庇う言葉であり、藍玉を守るための言葉でもあると。
藍玉は一度ため息をつくと立ち上がり、ローズマリーに向けて手を差し伸べた。
ローズマリーもその手を掴み、その場から立ち上がる。
「彼って凄い馬鹿だよね。こんなに素敵な女性に思われてるのに…それに見向きもしないなんて」
「…私が素敵かどうかはともかく…アーロンは馬鹿よ。自分の気持ちに…気づかなかったんだから」
「彼の気持ち?」
自分の言葉をそのまま繰り返す藍玉に、ローズマリーはやっと彼に笑顔を向けた。
「そう。アーロンは言ったの。『誰かを本気で愛した事は無い』って。でも彼は…今の弐の姫を愛しいと思ってる」
「そうだね。でも…さすがに彼もそれは自覚してるんじゃない?」
それは藍玉の目からも明らかだった。
アーロンはユージーンとして弐の姫蓮姫に仕え、彼女を大切に想っている。
それは単に従者としてではなく、一人の男として、一人の女を大切に、愛しく想っているのだと。
藍玉の言葉にローズマリーも苦笑しながら頷いた。
「えぇ、今はね。………昔…彼には愛しい女がいたのよ。恋人だった私以外でね。…それに結局気づかなかった。もしくは…気づいたかもしれないけど…友に気を使って、その気持ちに蓋をしたのかもしれない」
「友に?」
「ええ。…本当に…アーロンは馬鹿な男よ」