この恋に終止符を 4
ローズマリーが家から出た瞬間、火狼は彼女の存在に気づきそちらへ目を向けた。
さすがは暗殺ギルドの頭領…気配には敏感だ。
しかし警戒している素振りなどまるで見せず、むしろヘラヘラとした笑顔を浮かべている。
「お、大賢者さん。もう片付け終わったの?」
「アーロンは何処?」
火狼からの質問には答えず、ローズマリーは辺りを見回す。
ユージーンが本来するべき薪割りは全く手がついておらず、薪がそのまま積まれていた。
自分の方を見もしないローズマリーに、火狼はあからさまに肩を落とすと斧を置いてそこに顎をのせる。
「つれないねぇ。俺こんなに一人で頑張ってるってのに。サボった旦那にしか興味無いっての?」
「質問に答えて」
「旦那なら、あっち」
火狼が指をさした方を見てローズマリーは目を細める。
その方向は確かに、ユージーンなら興味のある…いや、彼とローズマリーにのみ特別な物があった。
「わかった」
ローズマリーがそのまま火狼を素通りしようとするが、それを火狼が引き止める。
「ちょい待ち。あんたにちょっち聞きたい事があんだわ」
「………何?悪いけど、私とアーロンの事は話す気無いわよ。あなた達の主だって『聞かない』『彼が話すまで待つ』って言ったんだから」
「あ~…そりゃ姫さんらしいね。まぁ、気にならないって言ったら嘘だけど。ぶっちゃけ人の色恋とかどうでもいいんだわ。俺が聞きたいのはさ…残火のこと」
「残火?…あぁ、あの女の子。あの子が何?」
ローズマリーがやっと自分の方を向くと、火狼もまた前のめりだった姿勢を正し真面目な声で彼女に問いかけた。
「俺らは全員、ヤバい魔術で死にかけたじゃん。でもさ…残火だけ軽傷だった。その理由…あんたなら知ってんじゃないかな?って。ずっと気になってたんよ」
「それは簡単な理由よ。あの子の魔力が強過ぎるから。それも自分では制御出来ないくらいにね。違う?」
「ううん。合ってる。その魔力が残火をあの術から守ったってのは俺でも考えた。でもさ、姫さんや旦那だって魔力は強いぜ。文献にも『通常の結界じゃ防げない』って書いてあったしな」
「確かにアーロンも、それに弐の姫も魔力は強いわ。でもそれは自分で制御出来てる。そこが違うのよ」
言い切るローズマリーだが彼女の中にはその確証もない。
それでも何故か今までで一番真剣な表情を見せる火狼に対して思う所があったのか、彼女は自分が出した仮説を口にする。
「制御出来ないからこそ、あの子の魔力はあの子を守ろうとした。これは私の想像だけどね…意図的に作られた結界は呪怨転移に飲み込まれる。でもなんの意思も無いあの子の魔力は、勝手にあの子を守ろうと壁を作った。結果その壁は呪怨転移と相殺されて、あの子を守ったんだと思う」
「それってさ…ヤバい?残火に副作用とか…寿命縮めるとかある?…今以上にさ」
火狼の最後の言葉にローズマリーはピクリと眉を動かす。
火狼の言葉が何を意味するのか…残火の魔力と同様、彼女の背負う運命をローズマリーは見抜いていたからだ。
「その言い方…知ってるのね。『自分で制御出来ないほど、強すぎる魔力を持つ者は寿命が短い』ってことを」
それは蓮姫の知らない残火の秘密。
実はユージーンも残火の魔力の話を聞いた時から、その事実に気づいていた。
蓮姫の従者の中で一番の物知りでもある彼は、自分の身を滅ぼす程の魔力を持つ者の運命も知っていた。
知っていて…あえて蓮姫には話さなかったのだ。
それはあの時、残火は蓮姫の命を狙う刺客だったから。
そして蓮姫なら、いつも通り「私の想造力でなんとか出来ないかな?」と言い出す可能性があったからだ。
だからこそ、ユージーンは蓮姫に残火の秘密を黙っていた。
しかし火狼が残火の秘密を黙っていたのには…蓮姫に教えられなかったのには、他にも理由がある。
ローズマリーの問いかけに火狼は力なく頷いた。
「…あぁ、知ってる。自分で魔力を制御出来ない代わりに、魔力の暴走を命そのものが抑えてるってな。…あのさ……ダメ元で聞くけど…大賢者であるあんたならあいつの…残火の寿命を伸ばすこと…出来るか?」
ほんの僅かな…しかし大きな期待をこめて尋ねる火狼。
彼は大賢者と呼ばれ、不老長寿の研究をしていると噂される彼女なら、残火の寿命を伸ばせるのでは?と考えた。
首を縦に振られ頷くのを期待した火狼だが、ローズマリーは悲しげに目を伏せる。
「…難しいわね。そんな研究したことも無いから。でも…全員が早く死んでる訳じゃない。長く生きた事例もあるわ。何かしらの方法が…あるのかもしれない。残念ながら私は知らないけど」
「……そっか…そうだよな。…わかったよ」
落胆した気持ちは隠れることなく、顔を下げると小声で呟く火狼。
その口元は微笑みを浮かべているが…どこか悲しげに…辛そうに見える。
「…あなた」
「さぁて!俺は旦那の分も真面目に薪割りやろうかね!」
ローズマリーが何かを言いかけた瞬間、火狼はわざとニコッ!と明るい笑顔を作り彼女へ向ける。
そして薪を一つ取ると、力の限り斧を振り上げてそれを割った。
あからさまな態度だが、それはつまり…これ以上話す気はない、ということだろう。
火狼の態度が気になったローズマリーだが、彼女には火狼以上に気になる男がいる。
その男を探す為に、わざわざ蓮姫に後片付けを全て押し付けて出てきたのだから。
「…頼んだわよ」
「あいよ~」
ローズマリーの声に答えながらも、火狼は彼女の方を見ずに薪割りを続ける。
何本か薪を割り、ローズマリーが完全にこの場から離れたのを確認すると…火狼は手を止め、ギリ…と奥歯を噛み締めた。
「大賢者とか言われてるくせに…何も知らねぇのかよ。クソッ!」
火狼は持っていた斧を、薪割り用の土台である切り株に向けて思い切り振り下ろした。
まるで自分の中の苛立ちをぶつけるように。
斧はガッ!と音を立て、深く切り株に突き刺さる。
だが力の限り振り下ろしたというのに、火狼の気持ちは少しも晴れはしない。
「きっと姫さんなら…残火の寿命を伸ばしてくれる。頼んだらきっと…想造力でなんとかしてくれる。でも…そうしたら…あの人が黙ってない」
自分の望み通りには、決して事は進まない。
火狼は知っている。
とっくに気づいている。
自分にとって最善の方法は…自分にとって最悪な方法でもある、と
それでも…火狼はソレを選ぶしかないのだ。
彼が何よりも大切にしている…残火の為に。
「やっぱり…俺が残火の為に出来ることは………一つしかない」
ローズマリーの家から少し離れた場所にある見晴らしのいい高台。
先日訪れた二つの十字架が並ぶそこに、ユージーンは一人佇んでいた。
ただ険しい表情で十字架を…『ユージーン』と名を刻まれた墓標を見つめるユージーン。
サァ…と風が流れユージーンの銀色の髪が揺れる。
ユージーンにはそよそよと吹く風の音にまぎれ、記憶の彼方から自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
『……様………アーロン様…』
それは間違いなく…彼の大切な者の声。
今は亡き…友の声だ。
ユージーンはそのまま声の導くままに、過去の思い出へと思いを馳せる。
「アーロン様!起きて下さい!アーロン様!」
「………んあ?…あぁ、ユージーンか」
「まったく!こんな所で寝て…風邪でも引かれたらどうするんですか」
草原で居眠りをしていたアーロンは薄らと目を開ける。
目の前には誰よりも信頼出来る従者であり、幼なじみであり、兄のような存在であり、親友でもある男の姿。
アーロンは返事の代わりに大きな欠伸をして寝返りを打つ。
腰まである長い銀髪を下敷きにしないよう、注意しながら。
「ふぁ~…大丈夫だ。お前も寝転がれよ。春風が気持ちいいぞ」
「はぁ…」
アーロンが起き上がる気が無いのを悟り、ユージーンはアーロンの横へと腰を下ろす。
確かにそよそよと吹く春風が気持ちいい。
とはいえ、このまま主を寝かせたままにはいかず、ユージーンはコホンと咳払いをしてアーロンへと再び声をかけた。
「お屋敷を出てひと月。毎日毎日、女達と遊ぶかゴロゴロして…。こんなに自堕落な生活をする為に、俺はアーロン様に同行したわけじゃありませんよ」
「屋敷に閉じこもるより有意義だろ」
「はぁ…アーロン様がいきなり『自分探しの旅に出る』と言われて…旦那様や父を説得するのに、俺がどれだけ苦労したか…わかりますか」
「はいはい。いつもありがとうございます」
適当に感謝の言葉を口にするアーロンに、ユージーンはため息をついた。
「そんなため息ばっかりついてると、幸せ逃げるぞ」
「誰のせいですか」
「俺だな。ん~~~!」
アーロンは寝たまま大きく両手を頭の上にあげて、体を伸ばす。
そしてチラリと横にいる男へと目を向けた。
自分よりも逞しい腕に、それに似合う長剣。
自分に仕える為、自分を守るために鍛えた彼の剣の腕は、女王に仕える将軍にだって匹敵するとだろう。
そして自分ほどではないが、整った顔だち。
街に出ると自分同様、女達は彼に甘い言葉をかける。
「お前も残念な奴だよな。家系とはいえ、俺なんかのお守りを押し付けられて」
「アーロン様?」
「女王に仕えた方が出世出来る。将軍だって夢じゃない。お前がその気なら」
「アーロン様。なに勝手な妄想してるんです?俺は貴方以外に仕える気はありませんよ」
アーロンの言葉をユージーンは呆れたような顔で否定した。
彼も言っていたように、ユージーンにとってアーロン以外に仕えるなどありえないのだから。
「俺がアーロン様に仕えることは、俺や貴方が生まれる前から決まっていました。貴方は俺の主であり、俺はその『シュヴァリエ』。俺達の父が、祖父が…祖先がそうであったように」
「ユージーン…」
「そうですよ。俺は『ユージーン』であり、貴方は『アーロン』。俺達は二人とも初代と同じ名を授かった。『ユージーン』である俺は『アーロン』である貴方にお仕えしますよ。一生涯…貴方に仕え、お傍におります」
微笑みを浮かべながら告げるユージーンに、アーロンは胸の奥が熱くなるのを感じる。
いつだってそうだ。
それこそ子供の頃からそうだった。
ユージーンは常にアーロンの傍に仕え、彼を見守ってくれていた。
時には兄のように厳しく、時には従者らしく従順に。
そして…時には友のように。
アーロンにとってユージーンとは、かけがえのない存在だった。
「そうだよな。それがお前達…『シュヴァリエ』だもんな。古くから…もう二千年以上前から、お前の家は俺の家に仕えてくれてる」
「お言葉ですがアーロン様。俺が貴方にお仕えしているのは、それだけじゃありません。俺は貴方だから、お傍にいるんです。貴方におつかえしているのは、紛れもない俺の意思です」
「……そっか」
「はい」
ユージーンの熱い告白を受け、アーロンは照れたように視線を逸らす。
またユージーンの方はアーロンに優しく微笑みかけていた。
このまま終われば、男同士の熱い友情…美しい主従愛として話はまとまっただろう。
しかしアーロンは次の瞬間、ユージーンに向けてニヤリといたずらっ子のような笑みを浮かべた。
その笑みがよからぬ事を考えている証拠だとすぐに気づいたユージーンだが、アーロンの方が先に口を開く。
「そうかそうか。なら俺に付き合ってくれるよな」
「え?あ、アーロン様?今度は何をするつもりです?」
ユージーンに返答する前、アーロンは勢いよく草原から飛び起きる。
そしてユージーンには背を向けたまま話し出した。
「先週、王都にもう一人の姫が現れたらしい」
「あぁ。そういえば噂になってましたね」
ユージーンも最近滞在した街の人々が噂していた内容を思い出す。
「しかし…この世界には先月、既に別の姫が現れていました。二人目が現れた事で先に来ていた姫は『壱の姫』、先週現れた姫は『弐の姫』となった」
「その通り。しかも女王は王位争いを恐れて、弐の姫から直ぐに王位継承権を剥奪した。二人目なんていらない存在だからな。弐の姫は壱の姫が王位につくまで軟禁されるらしい。城の中にある塔の一室にな」
「そうらしいですね。気の毒とは思いますが、この世界の為にも……って、詳しいですねアーロン様。なんでそんな話を?………まさかっ!」
アーロンが何を考えているのか分かったユージーンの顔から、サァ…と血の気が引き青くなる。
そして慌てたようにアーロンに駆け寄った。
ユージーンが間近で見たアーロンは、本当に楽しげで、新しいオモチャを貰った子供のようだった。
「俺は王都に行く。争いの元と言われる『弐の姫』…どんな女か一度見てみたい」
ユージーンの予想通りの言葉を発したアーロン。
しかし予想していたからといって、驚かないわけではない。
「っ!!?アーロン様っ!?いけません!そもそも王都に行って正体がバレたらどうするんです!?」
「大丈夫だ。左目は前髪で隠れてる。それでも心配なら眼帯でもするさ。そもそも黄金の瞳の意味なんざ、今となっては古の王族達しか知らないだろ。今の女王だって知ってるかどうか」