この恋に終止符を 1
早朝。
まだ朝日が昇ったばかりの空を、眩しそうに目を細めながら見上げる蓮姫。
彼女は陽の光を全身に浴びると、そのまま一人で歩き出した。
ここは王都からも、そして夢幻郷からも遠く離れた土地。
ミスリル。
強い魔獣が生息している事や、大賢者と呼ばれる人物がいることでも有名。
だが危険な土地としても有名で、冒険者や魔道士でも高い能力を持つ者しか来れない場所でもある。
そんなミスリルの草原を一人歩く蓮姫。
彼女は近くにあった大きな岩の上に座り込むと、浮かない表情のまま遠くを見つめた。
時々「ふぅ」とか「はぁ」と、ため息をつくだけの蓮姫。
何をする訳でもなく、ただ一人でぼんやりとしているだけ。
蓮姫がこのミスリルに来たのは昨日…いや、もう今日に日付が変わった頃の夜中。
自分を助けに来たユージーンの空間転移で、蓮姫は夢幻郷から無事逃げ出す事ができ、仲間達のいるこのミスリルへ飛んだ。
仲間達は蓮姫の無事を心から喜んでいたし、蓮姫もまた彼等の無事を喜んだ。
だが仲間達が喜ぶほど…どれたけ心配させたかがわかるほど、蓮姫の心には罪悪感が満ちていった。
それは仲間達を心配させたこと、そして一方的に…それも会わずに一愛へ別れを告げたことに対して。
「…ダメだな…私。…皆にどんな顔をすればいいのか…わからない」
膝を抱えながら蓮姫は一人呟く。
暗い顔をして自分を責めるばかりの蓮姫は気づかない。
後方から自分に近づく存在がいたことに。
「少なくとも、彼等が見たいのはその顔じゃないだろうね」
「っ!?…ぁ……藍玉」
驚いた蓮姫が後ろを振り向くと、そこには呆れたような顔をした藍玉がいた。
「おはよう弐の姫。君がこんなに早起きとは知らなかったよ」
「なんか眠れなくて…ならいっそ起きちゃおうかな、って」
「ふ~ん。でも一人で勝手に出歩くのは感心しないな。まぁそんなに家から離れてない所を見ると、そこはちゃんと考えてるみたいだね。あ、隣いいよね」
藍玉はそのまま蓮姫の隣に腰掛ける。
平然と自分の隣に来た藍玉に蓮姫は苦笑いを浮かべた。
「…それって確認してることになるの?」
「ごめんごめん。これって僕のクセなんだ。だって僕の言うことは皆が勝手に聞いてくれるからさ。なら命令口調や決定事項として話す方がわかりやすいでしょ」
藍玉は『言った言葉が真実になる能力者』と周りに誤解されて生きている。
彼もまたそれを訂正することなく、受け入れているからこそ、命令口調が身についたのだろう。
そもそも能力者である以前に、女王の息子でもある彼の地位は高いのだ。
藍玉の説明に蓮姫も納得したのか、彼に向けて頷いた。
「藍玉も大変だね」
「能力者に苦労は付き物だよ。それに弐の姫である君ほどじゃない。で、どうしたの?昨日から元気ないでしょ」
「バレてた?」
「バレたくないなら、もっと分かりづらく落ち込んでくれると助かるね」
また呆れた顔で嫌味のように告げる藍玉だったが、蓮姫の方は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ふふ。なんか…藍玉って感じがする」
「どういう意味?確かに、僕は間違いなく藍玉だけど…僕の偽物なんていないからね」
「チェーザレも似たようなこと言ってた」
「兄弟だからね。で、どういう意味なの?」
表情は変えず、しかし何処か期待めいた目をして尋ねる藍玉に、蓮姫は微笑んだまま答える。
「なんか…藍玉が言うと嫌味に聞こえないんだ。それはきっと…藍玉はあえて私に厳しい事を言ってくれるのがわかるから。弐の姫とか抜きにして…友達として。やっぱり藍玉は優しいね」
蓮姫の言葉に一度キョトンとした顔をする藍玉だったが、今度は柔らかい微笑みを蓮姫へと向けた。
「…じゃあそんな優しい君の友達に、何があったか話してくれる?」
藍玉の問いに一度は悲しげに目を伏せる蓮姫。
だが従者であるユージーン達よりは、第三者であり友である藍玉の方が話しやすい。
何より…蓮姫も誰かに話したかった。
この苦しい胸の内を聞いてほしかった。
「………聞いてくれる?」
「勿論。君は僕の大事な友達だからね」
「…ありがとう。…実はね…」
「うん」
「好きな人が出来たんだ」
「………」
「………」
「……………え?」
蓮姫の話があまりに予想外だったのだろう。
藍玉は突然の告白に、蓮姫へ顔を向けたまま目を丸くしてしばらく固まっていた。
衝撃的すぎて言葉を発するのに数秒かかったほどに。
「…ビックリした?」
「うん。さすがにソレは予想しなかったね。でも君はそんなウソや冗談をつく子じゃない。最後までちゃんと聞くから…続けて」
「うん」
それから蓮姫は藍玉に一愛とのことを…夢幻郷で起きたことを話した。
瀕死の重症を負っていたらしい自分を、一人の男と牡丹という遊女が助けてくれたこと。
夢幻郷という色街で遊女見習として働いていたこと。
助けてくれた男にいじわるされ、酷いことを言われたこと。
その男に告白されたこと。
そのことで同じ遊女見習いや他の遊女達に嫉妬され、暴行を受けたこと。
結局また彼が助けてくれたこと。
そんな彼を自分もまた好だと、彼を受け入れたこと。
そこ好きな相手に弐の姫であることを隠していたこと。
仲間達を心配していたはずなのに、彼と二人で祭りを楽しんでいたこと。
彼に求婚され、結局はそれを断ったこと。
ユージーンが迎えに来た時、落胆した自分がいたこと。
彼には人づてに別れを一方的に告げて夢幻郷を去ったこと。
仲間達や彼に対しての罪悪感で…今どうしていいか、わからないこと。
蓮姫は自分の想いを、全て藍玉に話した。
「………なるほど、ね」
蓮姫の話を全て聞き終わると、藍玉は視線を空を向けて呟く。
蓮姫が話している間、彼は一切口を挟まなかった。
時々驚いたり、顔をしかめたりすることはあったが、それでも最後まで真剣に蓮姫の話を聞いていた。
「なんというか…この数日間で濃い経験をしたみたいだね。いや、恋経験かな?」
「藍玉…おじさんみたいだよ」
「酷いな。年齢はともかく、外見も中身もまだまだ若いつもりなんだけど」
藍玉の寒いオヤジギャグに律儀に突っ込む蓮姫。
おじさん扱いされた藍玉は、ムッとした表情を蓮姫に向けたが、本気で怒っている訳ではない。
未だ晴れない表情をしている蓮姫を少し見つめた後、彼はまた空を見上げた。
蓮姫も藍玉と同じように空を見上げる。
黙って空を見上げるだけの二人だったが、そんな沈黙を破ったのは藍玉だった。
藍玉は蓮姫の方を向かず、空を見つめたまま蓮姫へと話しかける。
「君は仲間達にも、その好きな男にも悪いことをした。…そう思ってるんだね」
「…うん」
「自分を責めてるわけだ」
「…うん」
「なんで?」
「…うん。………うん?」
藍玉の言葉に空を見上げたまま返事をしていた蓮姫だったが、最後の言葉が意外だった為、藍玉の方へグルッと首を向ける。
言葉の意味が分からずポカンとした顔で固まる蓮姫だったが、藍玉は黙って蓮姫を見つめ返すだけ。
しばし見つめ合う二人。
今度は蓮姫の方が先に沈黙を破った。
「…藍玉?話ちゃんと聞いてた?」
「失礼だね。ちゃんと最後まで聞いてたよ。でも君が悪い所なんて無かったけどな」
それは藍玉の本心なのだろう。
別に蓮姫を慰めようとしている訳でもない。
藍玉は片膝の上に肘を乗せると、そのまま思った事を口にする。
「さっき僕をおじさん呼ばわりしたけど、そういう君はまだまだ若い女の子でしょ。恋の一つや二つ、普通じゃない?」
「いや…確かに一つや二つしましたけど…」
脳裏にレオナルドと一愛の姿が浮かび、蓮姫は難しい顔で藍玉の言葉を肯定した。
蓮姫が自分の言葉を否定しなかったことで、藍玉は更に言葉を続ける。
「でしょ。恋をすること自体は悪いことじゃない。君はその彼に悪いことをしたって言うけど、君の立場じゃ結婚を断るのは当然だしね。弐の姫であることを話さなかったのも、彼と別れたのも正解だよ」
「で、でも…好きだって言った相手に一方的に」
「双方が納得して笑顔で別れるパターンの方が珍しいと僕は思うけどね。その彼と別れ話でこじれる前に、人づてに別れを告げて早々に夢幻郷を出たのも正解」
「じゃ、じゃあ皆を放っておいて」
「楽しんだのが悪いって?確かに君が楽しんでる間、彼等は君を心配してたよ。でも普通に食事をして、お風呂に入って布団で寝てた。君の言い分が正しいのなら、彼等だってずっと心配したまま不眠不休で食事も喉を通らなかった、っていうのが正解になるんじゃない?」
蓮姫が何かしら言おうとする度に、藍玉はその全てを否定する。
時には屁理屈とも無茶苦茶ともいえる独自の理論で。
しかし屁理屈ばかりではなく、彼はきちんと正論も口にする
「真面目な話…君が弐の姫である立場を捨てて彼と逃げてたら、母上が黙ってない。きっと想造力や人を使って、世界の果てだろうと追いかけて君を見つけ出したよ。そうなれば…傷つくのは君だけじゃなかった。母上の怖さは君も知ってるよね」
「…………知ってる。でも、他に方法もあったかもしれないのに」
「どんな方法だろうと、最後は彼と別れたでしょ。さっきも言ったけど、それなら早い方がいい。だからこれで良かった」
「でも」
「でももへちまもない」
「……………」
言いたいことを全て否定され、蓮姫は口ごもる。
そんな蓮姫に対して藍玉は一度深くため息をつく。
そして次に真剣な目を蓮姫へと向けた。
「君さ…悲劇のヒロインみたいだよ」
「っ、それ…」
藍玉から告げられた言葉に、蓮姫は弾かれたように驚いた。
それは夢幻郷で一愛にも言われた言葉。
「藍玉…未来だけじゃなくて過去も見えるの?それとも…未来として夢幻郷の私を見てた?」
「残念。どっちもハズレ。僕が見えるのは未来だけ。それも僕の意志とは関係なくね。…そんなこと言うってことは…誰かに言われた?」
「その好きな人に…言われた」
「へぇ。彼は間違ってないと思うよ。君さ…本当は誰かに怒ってもらいたかったでしょ?」
「っ!?」
藍玉の言葉に蓮姫は言葉を失う。
彼の指摘は当たりだった。
本当は蓮姫とて今の今まで気づいていなかった。
しかし彼が自分を責めないのがわかると、蓮姫はなんとか彼が怒るような、責めるような言葉を口にしていた。
結果、全て惨敗していたが。
何も答えない蓮姫の代わりに、藍玉が言い聞かせるように言葉を発する。
「怒られて責められて…自分を悪者にすることで罪悪感が軽くなったり、それから逃げる人もいるからね。…お生憎様。僕は君を怒ったりしないよ」
言葉は厳しいのに、そう告げる彼は微笑んでいた。
「君の行動も選択も…間違ってない。だから僕が怒る必要もないし、君も怒られて楽になろうとしないの。何より、君には笑顔でいてほしい…そう願う人があんなにいるんだからね。だから笑ってなさい」
微笑んで告げる藍玉に、蓮姫もまた笑顔を浮かべる。
「……ふふ。やっぱり藍玉って…厳しいなぁ~」
「優しい、の間違いでしょ」
いつかの時のようにウインクする藍玉に、蓮姫はおどけるように同じ言葉を口にする。
「藍玉。やっぱり寒い」
「………やっぱり怒ろうかな」