祭の夜 7
「決意は固いんだね。なら、もう何も言わないよ。その服もそのまま着ていきな。あんなボロ服じゃ旅なんて向かないし。いらなくなったら路銀のたしにでもしなよ」
「お福さん。何から何までありがとうございます。それでは…お元気で。牡丹姐さんにもよろしく伝えて下さい」
「わかったよ。じゃあね、蓮華」
蓮姫はお福とその夫にまた深く頭を下げると、ユージーンと共に福飯屋を出て行った。
扉が閉まると、残されたお福は「はぁ~」とため息をつく。
「牡丹姉さんはともかく…若様にはなんて説明すりゃいいんだ」
「…全てを話すしかないさ。きっと彼女は元々、ここにいるべき人じゃなかったんだ」
「……うん。そうだね。…にしても銀髪にした男が好みだなんて…蓮華ってばホント変わった子だったよ。その上、ありゃ面食いだね」
「こらこら」
ユージーンと若様との共通点を思い出し、一人変な分析をするお福。
そんな妻に夫は苦笑いを浮かべていた。
一方、福飯屋を出た蓮姫とユージーン。
二人並んで歩いているというのに、どちらも何も話そうとはしない。
ただ無言で前に進むだけ。
ずっと下を向き俯いている蓮姫と、彼女をチラチラと見ながらも歩く足は止めないユージーン。
しかしユージーンは意を決したように、その足を止めた。
「姫様」
「…なに?ジーン」
ユージーンは蓮姫に向かって口を開くが、先ずは渡すべきものがあるとポケットからある物を取り、蓮姫へと手を差し出した。
「………これを」
「え?…これ!?」
「姫様のピアスです。この街の外で見つけました」
「ジーン…ありがとう」
蓮姫はユージーンの手からピアスを受け取ると、大事そうにそれを両手で握りしめた。
このピアスは蓮姫にとって大切な物。
だからこそユージーンはコレを使って蓮姫を探していたのだ。
しかし持っていたのはお福…別の女。
大切そうにピアスを握りしめる蓮姫に、ユージーンは静かに問いかける。
「姫様。もう一度聞きます。本当に何も無かったんですか?」
ユージーンはこの街の存在と説明を藍玉達から聞いた時から、ずっと気にしていた事があった。
それは蓮姫が最も恐れ、嫌う行為を無理矢理させられたのではないか?という疑問。
蓮姫はユージーンに「何も無かった」と言ったが、彼はそんな簡単な嘘を見抜けないような男ではない。
ここは福飯屋からも祭りからも離れた道の真ん中。
聞いている者など誰もいない。
むしろ聞くなら今しかない…とユージーンは思っていた。
蓮姫はピアスを握りしめたまま、やはりユージーンへ顔は向けず少し俯き気味に彼の名を呼ぶ。
「ジーン。…本当に大丈夫。ジーンが心配してるような事は、本当に何も無かった」
「………つまり、それ以外では何かあったんですね?」
「っ、それは…」
「さっきの話からして、その着物はあの夫婦に貰ったんでしょう。でもその簪は違うのでは?高価な物なのは見てわかります。あんな安い飯屋…持ってたとしても、くれるはずありません。つまり…誰かから預かったか…貰ったんじゃありませんか?」
ユージーンの鋭い指摘に、蓮姫はどう答えるべきか悩む。
本当の事など…この街で好きな男が出来た事や、ついさっきまでその男と楽しんでいたなど…蓮姫には話せない。
自分を心配して駆け付けてくれた従者に…そんなこと話せる訳がない。
何も答えない蓮姫だったが、ユージーンは更に言葉を続けた。
「それにそのピアス。あんなにも肌身離さず持っていたのに…どうして姫様じゃなくて、あのデ…彼女が持ってたんです?姫様が自分の意思でピアスを手放すなんて…何か理由があったからでしょう?」
「…………」
「無言は肯定と受け取ります。姫様…この夢幻郷で…何があったんですか?」
ユージーンに再度問われ、蓮姫はどう答えるべきか必死に頭を回転させる。
そんな時…二人の頭上に一際大きな花火が上がった。
「……花火…まだあったの?」
蓮姫は反射的に音のするまま夜空を見上げる。
そしてユージーンは、明るく照らし出された蓮姫の首筋にある物を見つけた。
それは一愛が蓮姫につけた…口吸いの痕…キスマーク。
それに気づいたユージーンはガッ!と蓮姫の両肩を掴む。
「っ!姫様っ!!」
「っ!?じ、ジーン?」
「コレはなんです!?何も無かったなら!なんでこんな痕がついてるんですかっ!?」
「痕………っ!?」
ユージーンの言っている意味がわかると、蓮姫はその痕を隠すように手で隠した。
その仕草が余計にユージーンを苛立たせ、彼は両肩を掴む力を強める。
「姫様っ!」
「ジーン!痛いっ!」
ユージーンの手から逃れようと必死に体をよじる蓮姫。
しかしユージーンの力は強く、蓮姫の力では振りほどく事など出来なかった。
「説明して下さいっ!何があったんですか!姫様っ!」
ガクガクと蓮姫を揺さぶるユージーンだったが、蓮姫は肩の痛みでそれどころではない。
一向にユージーンへ話そうとしない蓮姫と、蓮姫を離そうとしないユージーン。
そしてユージーンはある強硬手段に出ようとする。
「姫様。姫様が話さないなら記憶を」
「っ!?ダメっ!!やめてジーンっ!!」
額を近づけるユージーンの顔から離れるよう、蓮姫は顔を逸らす。
それは完全なる拒絶。
蓮姫のその様子に、ユージーンの手からは段々と力が抜けていった。
まるで捨てられた子供のように、悲しげな目を蓮姫へ向けるユージーン。
「……姫様」
「お願い、ジーン。何も聞かないで。何も見ないで。この街にいる間の記憶は…絶対に見ないで」
蓮姫の言葉にユージーンは呆然としたまま自然と蓮姫の肩から手を離す。
蓮姫もそれ以上は何も告げず、キツく目を閉じた。
(一愛との記憶は…思い出は…誰にも知られたくない。誰も知らなくていい。…私だけの…思い出だから)
「お願い…ジーン」
「………姫様の…お望みのままに」
懇願する蓮姫に、ユージーンもまた悲しげに呟く。
本当は無理矢理にでも記憶を覗きたかったユージーン。
しかしそれをすれば…きっと蓮姫は深く傷つき、更に拒絶する。
最悪離れてしまうかも…玉華の時とは違い、今度は本心で「いらない」と言われてしまうかもしれない。
山ほどあった言いたい事、聞きたい事を堪え…ユージーンはただ蓮姫の望みを聞き、それ以上の追求をやめた。
「なら…もう行きましょう。皆、姫様を待ってます」
「うん。……ジーン」
「はい」
「………ごめんね」
呟くようにユージーンへ謝る蓮姫に、ユージーンの胸は締め付けられそうなほど痛む。
謝るくらいなら全てを話してほしい。
「謝らないで下さい。…余計惨めになる」
「っ!?」
その言葉で弾かれたようにユージーンを見る蓮姫。
呟くユージーンの姿が一愛の姿と重なって見え、蓮姫の心には二人の男を傷つけた罪悪感が満ちる。
ユージーンもまた蓮姫を見つめ返し、自分の失言に酷く後悔した。
ユージーンを傷つけているのは蓮姫だが、今まさに蓮姫を傷つけたのはユージーンだ。
自分が蓮姫を傷つけたこと、蓮姫に自分が傷つけられたことが…どうしようもなく辛い。
「………言いすぎました。すみません、姫様」
「…ううん。ジーンは何も悪くない。悪いのは」
「姫様。もうこの話はやめましょう。俺ももう何も聞きません。だから…姫様もこれ以上、謝らないで下さい」
蓮姫の言葉を遮り悲しげに微笑むユージーンに、蓮姫もまたコクリと頷いた。
そして二人は無言のまま自然と歩き出す。
それは出店が立ち並ぶ祭りの中心に行っても変わらない。
ただ黙々と歩くだけの二人。
しかし蓮姫はある店…正確にはその店の前にいる女が見えると、その足を止めた。
「姫様?」
急に立ち止まった蓮姫を不思議に思い、ユージーンは声をかける。
「ジーン。少し寄り道したい。いい?」
「それは構いませんが…何か買いたい物でも?」
「ううん。忘れ物を取りにいく。それと…伝言を頼みに」
「忘れ物に伝言?」
首を傾げるユージーンには何も答えず、蓮姫はある人物に向けて歩いていく。
華屋敷の店前で客を見送っている…千寿の元へ。
千寿は丁度蓮姫達とは逆の方を向いており、蓮姫には気づいていない。
「ありがとうございました。今後もご贔屓に」
「………千寿」
「はい!いらっしゃ…っ!?」
名を呼ばれた事で笑顔で振り向いた千寿。
しかし蓮姫を見た瞬間、その笑顔は消え去り固まる。
「………蓮…華」
「…千寿」
再度蓮姫が千寿の名を呼ぶと、千寿はキッ!と蓮姫を睨みつけた。
「…何よ。もうここには用なんて無いでしょ?何しに来たの?ひやかし?それとも私に土下座でもさせようって?」
そこには今まで友人として接してきた千寿はいない。
高圧的な態度で見下すように蓮姫へ目を向ける千寿。
ユージーンの方は、何故かはわからないが蓮姫を毛嫌いしている女に眉を釣り上げた。
その間も、何も答えない蓮姫の代わりに千寿は一人で話し続ける。
「あんたにしたこと、私は謝ったりしないから。私は悪くない。最初に私を裏切ったのはそっちだから。あんたなんか福寿と同じよ。裏切り者。さっさと消えて。ホント何しに来たのよ」
冷たい目で蓮姫へ悪態をつく千寿だが、蓮姫は一度悲しげに目を伏せると、千寿を真っ直ぐ見据えて答えた。
「忘れ物を取りに来たの。私の服とナイフ…それを返してほしい」
「はぁ?なんで私が」
「私はもうこの街を出るから。だから返して。それと…」
蓮姫は千寿に顔を近づけると、ユージーンに聞こえないように耳元で囁く。
「若様に伝えてほしい言葉があるの」
「っ、若様に?」
「私はもうここを出る。ジーン…私の仲間と一緒にね。だから…若様とはもう会わない」
「………それ本当?ここにはもう戻って来ない?二度と若様と会わないって誓える?」
「………うん。誓うよ」
蓮姫の言葉に今度はニマリと笑う千寿。
その言葉が真実なら千寿にとって願ったり叶ったりと言ったところだ。
「いいよ。なら持って来てあげる。ここで待ってて」
「………ありがとう」
「いいって。私達…友達だもんね」
歪んだ笑みを浮かべながら嫌味ったらしく告げる千寿に、蓮姫は悲しげな表情を浮かべた。
あんなにも仲良く過ごした友達。
そんな友達を裏切ったのも、歪ませたのも自分だと蓮姫は自分を責める。
駆け足で店に戻った千寿には何も言葉をかけず目で見送る蓮姫。
その間、ユージーンは黙って蓮姫の後ろ姿を見つめた。
『あの女は誰ですか?』
『どうしてこの店に姫様の私物があるんです?』
『この店で…姫様は何をしていたんですか?』
聞きたい言葉を心の中でのみ呟くユージーン。
しかし『もう何も聞かない』と蓮姫に告げた彼には、蓮姫に問いかける事は出来なかった。
数分すると千寿は蓮姫達の元へと戻って来た。
その手に蓮姫の服とオリハルコン製の短剣を抱えて。
「はい」
「ありがとう。じゃあ千寿…これを彼に渡して」
蓮姫はスッ…と自分の髪に挿した簪を抜き、千寿へと差し出した。
「簪?」
「うん。私はもうコレを持っている訳にはいかないから…彼に返してほしいの。それと…『さよなら』。…それだけ伝えてほしい」
それは一愛が…蓮姫に告げないでほしいと願った言葉。
その言葉をあえて…蓮姫は千寿に託した。
一愛からもらった簪と共に。
蓮姫が千寿を選んだのには理由がある。
本当は華屋敷の人間なら誰でも良かった。
それこそ牡丹なら一愛に確実に伝えてくれるだろう。
それも蓮姫へのフォローも忘れず。
だが蓮姫は千寿を選んだ。
一愛を愛している彼女なら…余計な事は言わず、一愛に真実を…それこそ自分を嫌いになるように伝えてくれるかもしれない、と。
(一愛はきっと…悲しむ。でもその方がいい。私の事を思って悲しむより…憎んで恨んでくれた方がいい。いっそ…忘れてくれれば…その方が一愛にとって…いいはずだから)
それは蓮姫…想造世界の人間特有の自分勝手な妄想であり思い込み。
それでも蓮姫は…一愛が忘れてくれることを願う。
嫌って憎んでくれる事を祈る。
彼が自分を想い…傷つき悲しむくらいなら、と。
悲痛な顔を浮かべる蓮姫とは対照的に、千寿はニヤニヤと笑みを浮かべたままだった。
「『さよなら』…ね。わかった。ちゃんと伝えておくよ」
「…お願いね。千寿」
「うん。じゃあね、蓮華」
「さよなら、千寿。行こうジーン」
「はい。姫様」
ユージーンは蓮姫の手から服を預かると、そのまま二人は華屋敷から去って行った。
遠のく二人の背を見つめながら千寿は楽しそうに笑う。
「銀髪のいい男…ジーンって言ってたっけ?……ふふ…そういう事か。蓮華ってホント…ヤな女」
千寿はユージーンを見た時から感じていた。
若様とユージーンは似ていると。
そしてそれが…邪推となり千寿の頭をしめていく。
「そうよ。蓮華は若様なんか好きじゃなかったのよ。それも伝えないとね。『若様は蓮華の好きな男と似てただけ』とか…『その男と二人で逃げました』って。ふふ…ちゃあんと伝えてあげるよ、蓮華」