祭の夜 2
お福は預かったピアスを自分の懐に入れると、何かを思い出したように再度着物を漁る。
そして目的の着物を取り出すと、蓮姫に向けてソレを見せた。
「蓮華!コレなんかどう!?きっとあんたに似合うよ!」
「わぁ!綺麗な色と柄ですね!」
「でしょ!コレ買ったはいいけど一回も着てないから新品同様だし!ほらほら!あんたも気に入ったんならコレで決まり!」
着物を借りる蓮姫以上にはしゃぐお福を見て、蓮姫も楽しそうに笑った。
お福は着物の山を部屋の隅に押しやると、鏡台の前に移動し蓮姫を手招きする。
「よし!じゃあ早速着付けてあげるよ。そのボロいのさっさと脱いで!」
お福に促されるまま、蓮姫は遊女見習い用の古い着物を脱ぐと美しい着物へと袖を通した。
お福に手伝われながら蓮姫が祭りに行く準備をしている頃、一愛もここ夢幻郷へと入っていた。
街の入口から入るとそのまま真っ直ぐ進み、街の反対側の隅にある福飯屋へと向かう。
つまり、目的地に向かう為には街中にあるいくつもの娼館を素通りしなくてはならない、ということ。
当然…華屋敷の前も通らなくてはならない。
一愛は華屋敷が視界に映ると、忌々しげにその美しい顔を歪めた。
そして昨日と同じく、華屋敷の前で掃除をしている人物を見つけると、彼の目つきは更に険しくなる。
掃除をしていた人物…千寿も一愛の存在に気づいたが、彼女は一愛に怯える様子も悪びれる様子も無い。
彼女は普段と変わらず笑顔を浮かべたまま、一愛に駆け寄った。
「若様っ!良かった!今日も来て下さったんですね!嬉しいです!」
「………千寿」
千寿は楽しそうにニコニコと一愛に一人話し続ける。
本当に普段と全く変わらない千寿の様子に、一愛の怒りは段々と大きくなる。
「千寿」と告げた一愛の声はとても低く、彼女の名を呼ぶ事すら忌々しいと言いたげなほど。
そんな一愛の様子など気づいているのか、いないのか、千寿は笑顔を絶やさず一愛に話しかけた。
「今日はお祭りですけど…若様のことだから、お祭りになんて行かないんでしょう?だっていつも行かないで牡丹姐さんと」
「黙れ」
千寿の声を聞く事すら我慢ならなかったのか、一愛は千寿の言葉を遮り彼女を睨みつける。
一愛の鋭い視線に怯むと、千寿は口を開いたまま青ざめた顔で固まる。
本当は千寿と会話どころか、視界に入れるのも腹立たしい一愛だったが、静かに…そして低い声で千寿へと口を開いた。
「千寿。よくも俺の前に顔を出せたな。お前が蓮にした事…俺は絶対に許さない」
「わ、若様…」
「出来るなら今この場で、蓮と同じ目に…いや、それ以上に痛めつけてやりたいところだが……牡丹に感謝するんだな」
吐き捨てるように呟くと、一愛は千寿を放って歩き出した。
残された千寿は放心したように立ちすくみ、持っていた箒をカランと落としてしまう。
だが箒が落ちた音で千寿は我に返ると、目に涙を溜めながら一愛へと手を伸ばす。
そして彼の袖を掴むと泣きながら一愛へ叫んだ。
「待って!待って下さいっ!若様っ!!」
「……離せ」
涙ながらに必死に懇願する千寿には顔を向けず、一愛は冷たく返す。
一愛は千寿の手を払おうともしたが、千寿は両手で強く一愛の袖を握りしめて言葉を続けた。
「なんであの子なんですか!?私の方がずっと前から若様をお慕いしているのにっ!なんで蓮華なんか!」
「離せと言ってるだろ」
「私だけじゃないっ!遊女の姐さん達も!他の見習いだって蓮華の事は気に入らなかったんです!それに蓮華は女王派の人間ですよ!庇う価値なんて無い女です!」
「…なんだと?」
聞き捨てならない千寿の言葉に、一愛はやっと千寿の方へ顔を向ける。
だが泣きながら必死に自分に懇願する女を見ても…一愛の心は全く動かず…ただ怒りだけが込み上げた。
「女同士の蹴落としなんて!ここじゃ日常茶飯事ですよ!わかりますか!あんなのここじゃ!この街じゃ普通なんです!若様があんな女に同情するのが間違ってます!悪いのは私じゃない!蓮華なんです!若様っ!目を覚まして下さいっ!」
「っ!この手を…離せっ!!」
千寿のあまりにも自分勝手な言葉に、一愛は全力で彼女の手を振りほどいた。
その反動で千寿は地面へと倒れ込む。
起き上がることもせず、そのまま泣き続ける千寿をまるで汚物でも見るような目で見つめる一愛。
「千寿。二度と俺の前に現れるな。…次に会ったら…お前を殺してやる」
本当は今すぐ殺したい衝動を抑えながら、一愛はそれだけ吐き捨てると今度こそ足早にその場を去っていった。
残された千寿は倒れたまま泣き叫ぶ。
「若様っ!どうしてっ!どうしてですか!若様ぁっ!」
通行人達はそんな千寿を遠目で見てヒソヒソと何やら話したり、冷ややかな目を向けていたが、誰一人として彼女に手を伸ばす者はいない。
しかしそんな彼女に手を伸ばす人物が…一人だけいた。
「千寿っ!どうしたんだい?」
華屋敷から出てきた牡丹は千寿に慌てて駆け寄り、彼女の体を起こしてやる。
「ぼ…牡丹っ…姐…さん…わたっ…私……若様に…」
泣いているせいで上手く言葉が出ない千寿だったが、その単語だけで牡丹はだいたいの予想がついた。
そして優しく…しかし厳しく千寿を諭す。
「…千寿…一年前も今回も、原因はあんたの嫉妬だ。前回はあんたが変わるのを信じて目を瞑ったけどね…今回ばかりは私も庇わないよ。心から反省おし。嫉妬深い女なんてね…他人は勿論、自分も不幸にしちまうんだ。さぁ、さっさと中に戻りな」
「悪いのは…私なの?牡丹姐さん」
「私じゃなく…自分の胸に聞くんだね」
牡丹は千寿の着物についた土を優しく払ってやると、地面に落ちた箒を取り先に華屋敷へと戻って行った。
千寿は牡丹に言われた通り、自分の胸に手を当てて目を閉じる。
だが…千寿が出した答えは……牡丹の望んだものとは真逆のものだった。
「…私じゃない。…蓮華が…あの女が全部悪いんだ。…あの女のせいで…牡丹姐さんからの信用も失って…若様にも嫌われた。…全部…あの女のせいだ。全部…蓮華が悪いんだ」
千寿は一年前と同じく反省など全くしていない。
反省どころか、彼女は自分が悪いなど…露ほども思っていない。
一愛に拒絶された悲しみも苦しさも…千寿の中では全て、蓮姫…蓮華のせいとなっていた。
若様を慕うあまり蓮姫を逆恨みする千寿。
そんな千寿の想い人である、若様こと一愛は険しい顔つきのまま先を急いでいた。
早く千寿から…華屋敷から離れたいと。
現に彼の今の心は千寿への怒りや憎しみに満ちている。
千寿に言った「次に会ったら殺す」というのも彼の本心。
むしろ…あの場で千寿を殺しかねなかった。
殺意が満ちる自分の心を自覚し、舌打ちする一愛。
(クソッ。折角今日は蓮とのデートだってのに…千寿のせいで最悪な気分だ)
蓮姫の事ばかり考えて幸せな気分だった一愛の心は、千寿へのドス黒い殺意に満ちていく。
蓮姫ではなく別の女…それも千寿の事で心が占められる。
それが一愛には不快で仕方ない。
(早く…早く蓮に会いたい)
この心を早く蓮でいっぱいにしたい。
彼女の事しか考えられなくなるように。
そう思う一愛は、もはや駆け足に近い速さで街を抜けて行った。
そのせいかおかげか、予定より早く福飯屋へと着く。
外から蓮姫がいるはずの二階を見上げると、その顔は自然と笑みが浮かんでいた。
そして笑顔のまま店の扉をガラガラと引いて開ける。
「いらっしゃいませ」
「っ!?あ、あぁ」
何故か扉の目の前にいた店の主人に一愛は一瞬、ビクリと体を震わせた。
背の高い店主は一愛を見下ろすように見つめる。
突然目の前に大きな男が現れれば誰だって驚くだろう。
勿論それも原因だが、やはり驚いた一番の原因は店主の顔。
彼はマスクのように布で鼻の下…顔半分を隠してはいるが…それでも目元や鼻、頬に傷がいくつもある。
実は昨日、この店に来た時も出る時も一愛はこの店主に会っている。
しかし蓮姫のように牡丹からお福や店主…二人の話は何一つ聞いていない。
何故こんなに顔中傷だらけの男が飯屋の主人をしているのか…?
気にはなったが、あえてそこは追求せず、一愛は真っ直ぐに店主を見つめ声を掛けた。
「蓮を迎えに来たんだ。彼女は二階か?」
「今お呼びします。少々お待ち下さい、若様」
店主は礼儀正しく一愛に頭を下げると、奥に行き二階への階段を静かに登っていった。
一愛はふと昨日会ったお福の事を思い出す。
恐らくあの店主とは夫婦なのだろう。
ふくよかで活気のある女と、顔中傷だらけだが礼儀正しい男。
蓮姫のこともあり、二人は面倒見がいいのがわかる。
「……訳ありだろうが…悪い奴らじゃない。牡丹の馴染みの店だしな。信用できるか」
一人納得する一愛の耳にドスドスと階段を下りる音が響く。
むしろ店中に響くその大きな音で、その足音の主が誰なのか一愛には直ぐに予想出来た。
そして予想通り、お福が奥から出てくる。
「若様!いらっしゃいまし!」
「…確か……お福だったな。蓮が世話になる」
「いえいえ!こう言っちゃなんですけど若様の為じゃないんですよ。大事な牡丹姐さんの頼みだからです。蓮華の事はしっかり面倒見させてもらいますからね!ご心配なく!」
ドン!と自分の胸を強く叩くお福に、そんな彼女を後ろから眺める店主。
店主の口元は布で覆われているが、笑顔を浮かべ優しげに彼女を見つめているのがわかる。
やはり自分の思った通り、牡丹同様この二人は信用出来ると一愛は思った。
「ありがとう。…ところで…蓮はどうした?まだ支度が終わってないのか?」
一愛の言葉に、お福はニヤニヤと笑みを浮かべた。
「うふふ~。若様…ビックリしないで下さいね~」
そう告げると、お福と店主はそれぞれ左右へと避ける。
そして奥には、淡い水色の着物を着て髪を結った蓮姫の姿。
「お、お待たせ。か…若様」
「っ、…蓮」
現れた蓮姫の姿を一愛はまじまじと見つめる。
淡い水色の生地に桃色の蓮華が描かれた着物。
長い黒髪は後ろでお団子を作り、そこからポニーテールのようになっている。
お団子の部分には一愛が蓮姫に贈った、あの白金の簪が刺されていた。
薄らと化粧を施されているが、蓮姫の頬が赤く染まっているのは頬紅のせいだけではないだろう。
一愛は華屋敷で遊女姿の蓮姫を見ている。
あの時は着飾って化粧をした蓮姫を美しいと思っていたが、今の蓮姫も美しい。
むしろ蓮姫という素材を活かした今の方が、一愛には余計彼女を愛おしいと感じた。
蓮姫に見惚れる一愛だが、蓮姫の方は何も言わない一愛に段々と不安になっていく。
「に、似合ってない?」
「っ!?似合ってるよ!凄く綺麗だ!あ、いや!蓮はいつも綺麗だけど!今日は一段と綺麗だ!うん!本当に綺麗だから!」
顔を真っ赤にして慌てたように「綺麗」を連呼する一愛に、蓮姫の方も頬を更に赤く染めた。
「あ、ありがと」
「ど、どういたしまして」
二人は同じタイミングで下を向くと、蓮姫はもじもじと手をさすり、一愛はポリポリと頭をかく。
そんな二人の様子がおかしかったのか、お福はプッ!と吹き出すと盛大に笑った。
「アハハハハッ!いや~!初々しくていいね、お二人さん!さぁさぁ!さっさと行かないと日が暮れる…じゃない。朝になっちゃうよ!」
「そ、それもそうだな。行こう、蓮」
「う、うん。じゃあお福さん、旦那さん!行ってきます!着物ありがとうございました!」
「はいは~い。行ってらっしゃ~い。朝帰りでもいいからね~」
お福のとんでもない発言にビクリとなりながらも、蓮姫の手を取り、そのまま店を出る一愛。
二人が店を出ると外はすっかり日が沈んで暗くなっていた。
だが蓮姫が一愛と繋いでいない方の手で店の扉を閉めると、一愛は何故か立ち止まる。
「一愛?どうしたの?」
一愛は蓮姫へ振り返ると一度手を解き、再度手を握り直した。
それはただ手を繋いでいた状態から恋人繋ぎへと変わっている。
「せっかくのデートだし…こっちの方が恋人っぽいよな」
「…恋人」
「え!?い、嫌なのか!?」
「ううん!…その…なんか照れるな…って…」
「…うん。…俺も…自分で言って………照れてる」
また相手から視線を逸らし顔を赤く染める二人だったが、直ぐに顔を見合わせて笑顔を浮かべた。
「行こう、蓮」
「うん」
そうして二人は恋人繋ぎのまま、祭りへと出掛けて行った。