祭の夜 1
翌日。
夢幻郷全体は朝から祭りの準備で賑わっていた。
それは夜に近づくにつれ、段々と大きくなり、現在夕方には人の数も出店の数もかなり増えていた。
普段から騒がしい街ではあるが、やはり普段とは違う。
そんな街の様子を福飯屋の二階から眺めていた蓮姫。
その手に一愛から貰った簪を持ち、眼下や遠くにいる人々へと視線を向けた。
今日は何処か人々の顔が明るくウキウキしているように見える。
それは街の人間も客も、この年に二回しか行われない大きな祭りを楽しんでいるようだ。
「本当に…大きな祭りなんだな。向こうには出店もたくさんあるし…」
街の賑わいを眺めていた蓮姫だが、ふと持っていた簪を見つめ昨日の一愛との会話を思い出す。
『この長くて綺麗な髪に…明日、その簪をさしてくれないか?それで…一緒に祭に行こう。今日の嫌な思い出…全部俺が楽しい思い出に塗り替えてやるから』
一愛の言葉を…自分の髪に触れた彼の指を思い出し、蓮姫の顔は段々と熱を帯びてくる。
「…私より……一愛の髪の方が何倍も綺麗なのにな…」
そう言いつつも蓮姫の顔は何処か嬉しそう。
約束した『明日』とは、つまり『今日』のこと。
蓮姫は持っていた簪を赤い夕陽にかざす。
「…これって…デートなんだよね。…デート…そうか…デート……ふふっ」
『デート』という言葉を繰り返しながら一人照れ笑いをする蓮姫。
その顔は誰が見ても本当に嬉しそうで…楽しそうだった。
しかし喜んでばかりはいられない。
一愛の事で頭がいっぱいになっている蓮姫だったが、ふと脳内に浮かんでいる一愛の姿にユージーンの姿が重なる。
「…そうだ。ジーンが迎えに来てくれるまで…ここで待たなきゃ。みんな心配してるのに…浮かれてちゃいけない…よね」
蓮姫がこの夢幻郷に捕らわれている現状は一切変わっていない。
ユージーンは勿論、仲間達は全員、蓮姫をとても心配しているだろう。
自分だって早く仲間達に会いたいし、安心させたい。
仲間達の姿を思い浮かべると、自分一人がこんなに幸せであること…一愛とデートすることすら、いけないことのように感じてくる。
自分一人だけ楽しんでいいのだろうか、と。
何より…想いが通じているから、想い合っているからといって…一愛とのことは今後どうするべきなのか。
「…一愛に…全部話す?……でも…そんなことになったら…」
自分が弐の姫だと一愛にバラしてしまった方がいっそ楽かもしれない。
しかし一愛が蓮姫…女王派の蓮を受け入れてくれても、弐の姫は受け入れてくれないかもしれない。
今までと同じように…弐の姫と知れば彼は離れて行ってしまうかもしれない。
自分の想像で蓮姫は顔を真っ青にすると、ブンブンと激しく首を左右に振った。
「嫌っ!!それは嫌!…一愛に嫌われるのは…嫌………怖い…」
蓮姫は簪をギュッと胸に押し付ける。
「これも…思い込みの恋なの?…だとしても…私は…一愛が好き。……この気持ちが思い込みでも…嘘でも…関係ない」
蓮姫にとって一愛はとても大きな存在となっていた。
失いたくない…そう思うほどに。
しかし彼女が失いたくないのは、一愛だけではない。
「ジーン…ノア…狼…未月…残火……皆…私どうしたらいいの?」
大切な従者…仲間達。
彼等こそ自分の全てを知りながら、傍にいていてくれる者達。
蓮姫にとってかけがえのない者達。
そんな彼等を失うことも蓮姫には耐えられない。
「どうしよう…こんな気持ちで…一愛に会えない。…祭りなんか…楽しめないよ」
仲間への想い…愛しい男への想いを天秤にかけ、一人悩む蓮姫。
心配する仲間達を放って…助けに来てくれる従者を放って、一人好きな男と祭りで楽しむ。
それがとてつもない裏切りであり、罪のようにも感じる蓮姫。
そして好きな男にも正体を隠し続け、話すつもりもない愚かで弱い自分。
罪悪感ばかりつのる蓮姫。
そんな蓮姫の耳に、部屋の外から彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「蓮華、私。お福だよ。入っていい?」
「っ!は、はい。今開けますね!」
蓮姫は慌てて扉まで行きソレを引こうとしたが、蓮姫が手を伸ばす前に扉は昨日と同様スパァンッ!と勢いよく開く。
驚いて固まる蓮姫の視線の先には、着物を山ほど抱えたお福がいた。
どうやらまた足で扉を開けたらしい。
「はいはい。ちょっと失礼ね。よいしょっと」
お福は蓮姫を避けながら部屋の中に入ると、畳の上に持っていた着物を全て置く。
その着物はあの華屋敷で遊女達が着ていた派手な物ではなく、シンプルで普段着のような物が多い。
着物の山を眺めて蓮姫が首を傾げていると、お福は蓮姫の方を振り向き彼女を手招きした。
「なにそんなとこに突っ立ってんの。ほら、早く来なよ」
「あ、はい。お福さん…それどうしたんですか?」
「これ?まだ私が痩せてた時に着てたやつだよ。えーと…あ、ここ座ってね」
お福は片手で着物をゴソゴソと漁りながら、もう片方の手で自分の正面をポンポンと叩く。
蓮姫がお福の正面に座ると、お福は桃色の着物を取り出し蓮姫の体に当てた。
「うーん。これなんか桜柄で可愛いけど…時期じゃないしなぁ。じゃあ……こっちの黄色に鈴蘭…いや、鈴蘭の柄なんて胸糞悪いよね。やめよやめよ」
「え?…あの…お福さん?」
「あ!これなんてどうかな?紺地に朝顔!あ~…でも若様いつも黒地に赤い曼珠沙華だし…これじゃ二人とも暗くなっちゃうか。あんたはどれがいい?」
「どれがって…え?これもしかして…私に?」
お福の言葉に自分を指さす蓮姫。
そんな蓮姫の言葉にお福もキョトンとした表情をする。
が、すぐにお福は豪快に笑いだした。
「アハハハッ!そうだよ!言ったでしょ。私が痩せてた頃の着物ってさ。私もう着れないし。せっかく若様とデートでしょ?オシャレしないとね!あ、地味なのしかないけど、それはごめんね」
「い、いえそんな!悪いですよ!借りられません!」
「え~…でもそのボロボロの着物でデートに行くの?」
お福の指摘するボロボロの着物とは、蓮姫が華屋敷の見習い用に着ていた質素な…本当に質素な着物。
元々千寿が使っていた着物ということもあり、所々シミがあったり傷んでいる箇所もある。
さすがにこの着物でデートはありえない、と蓮姫も気づき「うっ!」と言葉に詰まる。
「ほら!あんただって嫌でしょ!それにどうせこの着物はそのうち売るしさ。気にしないで使いなよ。今日は好きな男とのデート!綺麗な自分でいたいでしょ!」
ズイッ!と顔を近づけられ、蓮姫もコクリと頷いた。
「わかればよろしい。さて、何がいいかな~?」
「…お福さん。ありがとうございます」
「ハハッ!いいよいいよ。ほら、蓮華も好きなの選んでよ」
バシバシと蓮姫の肩を叩きながら笑う蓮姫。
しかし蓮姫はつい先程まで、一愛と祭りに行くかどうか迷っていた。
今もまだ心の整理はついていない。
こういう時、人は誰かに自分の悩みを聞いてもらいたいもの。
蓮姫は目の前のお福を見つめると、その口を開いた。
「あの…お福さん」
「なに?」
「私…その…祭りに行くか迷ってて」
「はぁっ!?え、な、なんで!?」
蓮姫の発言が意外過ぎたのだろう。
お福は着物を漁っていた手を止め、目をまん丸にして驚いている。
予想通りな反応をするお福の様子に苦笑しながらも、蓮姫は言葉を続けた。
「私には…外で待ってくれてる人達がいるんです。ずっと一緒に旅してきた…大切な仲間達が。きっと今も私を心配してる」
「外に……そうだよね。ここには望んで来る女なんていないから。待ってる人がいるなら…あんたも無理矢理ここに連れて来られたんだね」
蓮姫の説明に納得したのか、お福は蓮姫へと向き直り彼女を見つめる。
そんなお福の視線から逃れるように、蓮姫は後ろめたそうに視線を床へ向けた。
今の蓮姫は『一愛と祭りに行き楽しむ』という事が『仲間達への裏切り』のように感じていた。
「私だけ…祭りを楽しむなんて…仲間達に申し訳ないというか…」
「そっか。……でもさ、それがどうしたの?」
「え?」
お福の思いがけない発言に蓮姫も顔を上げる。
そして蓮姫が見たお福は、キョトンとしており、本当に『だからどうした?』とでも言いたげな顔だった。
「外で待ってる人達がいるのはわかったよ。でもさ…それと蓮華が祭りに行くのって関係なくない?」
「で、でも…私だけ」
「あんただけ祭りに行って何が悪いの。若様とデートするのがそんなに悪いこと?私はそうは思わないな」
「…お福さん」
お福は蓮姫にニッコリと微笑むと、笑いながら話し続ける。
「あんたが少しでも行きたいなら、楽しみだっていうなら行けばいいじゃん。そんな外にいる仲間にまで気を使う必要なくない?そんなにあんたの仲間って心が狭いの?」
「いえそんな!…その…私の気持ちの問題です」
「そうだろうね。『大切な仲間だ』って言ってたもんね。なら問題ないよ。いいじゃん。行っちゃえば。逆にあんたは、仲間が離れてる間に何か楽しんでたらさ『裏切り者!』って思う?」
「いえ!思いません!」
お福の言葉に蓮姫はブンブンと首を横に振った。
仮に今、彼等だけで何か楽しんでいても…それこそ自分以外で祭りに行ったとしても、蓮姫は彼等を責める気は無い。
全力で首を振る蓮姫に、お福はまた楽しそうに笑った。
「あはは!そういう事だよ!だから蓮華が祭りに行くのは全然問題なし!大丈夫だって!そもそも仲間が外にいるならバレないだろうしね!」
「…お福さん」
蓮姫は気づいた。
お福は無責任な訳でも、適当に話している訳でもない。
彼女なりに蓮姫を励まそうとしてくれてる…背中を押してくれているのだ、と。
「あんたはこの街で嫌な思い…たくさんしたでしょ?痛い思いまでしたし。今晩くらい楽しんだってバチは当たらないよ」
「…そう…ですかね?」
困ったように苦笑する蓮姫。
蓮姫は正直まだ祭りに行くかどうか…決めかねている。
そんな蓮姫の心は、お福にも筒抜けだった。
お福は蓮姫の手を取り、自分の両手で握りしめる。
そして顔を近づけ、強い口調で蓮姫へと告げた。
「蓮華っ!若様と約束したんでしょ?外の仲間を気にするのはいいけど…あんたが行かないなら若様はどうなるの!?」
「っ!?そ、それは…」
「ね!一度した約束を簡単に破っちゃダメだよ!若様と約束したなら、守らなきゃ!約束守って!若様と出かけて!若様と楽しんで来な!あんたが今一番しなきゃいけないのはそれだよ!」
もはや息がかかる程に近い距離で話すお福の圧に、蓮姫も無言でコクリと頷いた。
首を縦に振った蓮姫に満足したのか、お福は手を離すとまた着物を漁り出す。
自分に背を向けるお福を見ながら、蓮姫は少し前にも同じような事があった…と思い出していた。
「…私ってズルいですね。本当は誰かに『祭りに行っていいよ』『楽しんでいいんだよ』って言ってもらいたかっただけなんです。前にも…こんなことありました」
それは蓮姫が玉華に滞在していた頃のこと。
蓮姫は自分の不安を飛龍元帥である蒼牙に話したことがある。
蒼牙は蓮姫の悩みや不安を全て聞き、その上で蓮姫を慰め、その背を押してくれた。
今回も同じ。
他に相談する相手もいなかったが、お福なら絶対に『祭りに行くのはやめた方がいい』とは言わないと蓮姫も気づいていた。
そんな自分の汚さに嫌になる蓮姫。
それでも…聞かずには…誰かに話さずにはいられなかった。
心を許せる親しい者が…誰一人いない…今は特に…。
「ただ誰かに…背中を押してほしい。誰かに許してほしい。私は常にそんな事を考えてる…ズルい女なんです」
「あははっ!女なんて皆、ズルい生き物だよ。それに外の仲間の事を考えてたのも、悩んでたのも本当でしょ。あんたが『悪い』とか、自分に負い目を感じる必要なんて無いさ」
蓮姫の不安を笑い飛ばすように笑うお福。
そんな彼女の明るさや優しさに触れ、蓮姫も心が軽くなる。
「ありがとうございます。お福さん」
「どういたしまして~。今日は何もかも忘れて楽しんで来なよ。それが今のあんたが一番やるべき事さ!さてと…着物どれにしようかね?」
お福の言葉に蓮姫は自分の胸に手を当てる。
(何もかも忘れて…か。…うん。…今は…今日だけは…弐の姫だとか全部忘れて…一愛と祭りを楽しもう。…ごめんね、皆…)
心の中で仲間達に謝罪すると、蓮姫はある物を思い出し、胸に当てていた手を懐の中に入れる。
そして懐から、あのレムストーンのピアスを取り出した。
(………コレ…)
それはレオナルドからの贈り物…特別な意味を持つピアス…の片割れ。
蓮姫は一愛に返してもらってからも、片方しかないそのピアスを常に持ち歩いていた。
それは蓮姫にとっては大切な宝物。
たとえ思い込みの恋だったとしても…好きだったレオナルドから貰ったピアスを、蓮姫は手放す事など出来なかったから。
しかし今日出掛ける相手は一愛。
ピアスをくれたレオナルドとは…違う男。
(今日は…持っていけない。持っていっちゃ…いけないよね)
コレを持って祭りを楽しむのは、レオナルドに対しても一愛に対しても悪いと思った蓮姫。
蓮姫は一度ピアスを強く握ると、お福の背に向けて声をかけた。
「すみません、お福さん。コレ…服と一緒に預かってて貰えますか?」
蓮姫の声に振り返ったお福は、蓮姫の手の中にあるピアスを見て一度首を傾げる。
しかし『預かってくれ』と頼む蓮姫の顔が、あまりにも真剣だった為、快くピアスを受け取った。