失った居場所 5
蓮姫は払われた右手を左手で握り締め、カインを呆然と見詰める。
そんな彼女に構わず、立ち上がったカインは彼女を睨みつけた。
その瞳には怒りと絶望、それと蓮姫に裏切られたという悲しみが宿っている。
「お前……弐の姫だったのかよ」
「………あ……あの…」
何か言わなくては……と思うが彼女の口は思うように動いてくれない。
「わざわざこんな庶民の街まで出向いて…庶民の真似事して……俺達を馬鹿にしてた訳だ」
「…ち……ちが」
「ふざけんなよ!!」
カインは堪らず、蓮姫に向かって怒鳴りつける。
カインの声に、蓮姫は一瞬、怯えたように身体を縮こまらせるがカインはかまわず言葉を続けた。
「毎日毎日、御丁寧に庶民に紛れ込んで、本気でも無ぇ剣術教わって、ウェイトレスの真似して…俺達を騙してたのは…さぞ気分が良かっただろうな」
「か、カイン」
「やめろよ。お前なんかに呼ばれる程、下衆な名前じゃねぇ」
「…お願い……話を」
「なんの話だ?それとも言い訳かよ?何を言ってもおまえが俺達全員騙してたのは事実だろ。昼間は庶民のフリして公爵の邸に帰れば周りにもてはやされて……何がしてぇんだよ」
「わ、私は…ただ」
「ただ?ただ意味もなく俺達をコケにしたってのか」
カインは何を言っても蓮姫の言葉に耳を貸す気はなかった。
裏切られた……その事が強く心にのしかかる。
だがそれはカインだけでは無い。
「蓮ちゃんが弐の姫だって」
「マジかよ。ずっと俺達を騙してたってのか」
「弐の姫ってのはそこまで性根が腐ってんのかよ」
ボソボソと聞こえる外野の声。
蓮姫は自分を取り巻いている民達を見渡す。
今まで自分に笑顔を向け、優しくしてくれた庶民街の者達。
彼等の冷たく拒絶するような視線が、突き刺すように自分を見ていた。
「……み…みんな」
「何がみんなだい。あたしらは、アンタなんかの友達でも、仲間でも無いんだよ」
冷たく言い放つ言葉に振り返ると、そこには店の扉からエリックの母親が顔を出していた。
激しい憎悪を剥き出しにして。
「アンタなんかを……弐の姫なんかを雇ってたなんてね。あたしは自分が情けないよ。アンタの本性を見抜けなかったなんて」
「………おば…ちゃん…?」
「さっさとここから出ていきな!二度とあたしらに顔を見せんでくれっ!!ちょっと誰か!塩持って来な!!」
エリックの母親は店員から塩の入った袋を受け取ると、中身を片手で掴み蓮姫に塩を投げつけた。
「出てけ!出てけっ!!この!アンタなんか!!アンタなんかっ!さっさと自分の世界にでも!何処にでも行っちまいな!!」
怒鳴りながら何度も蓮姫に塩をぶつける。
この行動には、さすがの久遠も黙っていられなかった。
「オイ!やめるんだ!!」
「天馬将軍!アンタらの仕事は女王様とあたしら民を守る事だろ!!カイン捕まえる前に、そいつを牢屋にでも放り込んどくれ!!」
「弐の姫に対して無礼が過ぎるぞ!!やめるんだ!やめないのなら全員を連行するぞ!」
「なんだって!?皆聞いたかい!弐の姫のせいであたしらまで牢屋行きだとさ!」
その言葉で周りに居た連中も叫ぶように声を上げる。
「ふざけんなっ!悪いのは全部弐の姫じゃねぇか!!」
「そうだ!弐の姫なんかいるからいけねぇんだ!!」
「捕まえるってのなら弐の姫だけにしろっ!!」
「出てけ!」
『出てけ!』
『裏切り者!』
『汚い弐の姫!』
『出ていけっ!』
その場にいる庶民達は全員で蓮姫を攻めたてた。
「蓮姉ちゃんっ!!」
今までずっと店の中で、一連の流れを見ていたエリックは大人たちの暴動に我慢できず、飛び出し蓮姫へと駆け出そうとした。
しかし店から出て直ぐに、母親の腕に捕まってしまう。
「リック!その女に近づくんじゃない!!」
「母ちゃん!!何やってんだよ!みんなだってやめてよ!蓮姉ちゃんは…蓮姉ちゃんは!何も悪い事なんかしてないっ!!」
「………リック…」
「蓮姉ちゃんを悪く言うなよ!蓮姉ちゃん!弐の姫なんてウソなんだろっ!蓮姉ちゃんっ!!」
母親に店内に連れ戻されそうとしても、必死に暴れて蓮姫に叫ぶエリック。
その姿を見て蓮姫の心は張り裂けんばかりに軋んだ。
自分がカイン達を騙していたのは事実だ。
だが心の中で僅かにも期待していた。
彼等は自分が弐の姫だと知っても変わらず接してくれるだろうと。
しかし彼女のそんな甘い考えは一瞬で砕かれた。
「弐の姫っ!急いで馬車に乗るんだ!!」
久遠は強く蓮姫の腕を掴み、馬車まで引っぱる。
「蓮姉ちゃんっ!!蓮姉ちゃーーーん!!」
「ごめんね……リック…っ!」
蓮姫はリックに向かって、泣きながら小さく叫ぶ。
零れてくる涙を拭くこともできず、久遠に引かれるまま馬車へと乗り込んだ。
「カインっ!蓮姉ちゃんを追いかけてよ!!」
「……リック。あいつはずっと俺達を騙してた…とんでもない嘘つきなんだ。弐の姫ってのは、他人に迷惑かけるだけの存在なんだよ」
「何言ってんだよ!みんなも!母ちゃんもっ!!蓮姉ちゃん泣いてたのに…なんで誰も蓮姉ちゃんの味方してやらないんだよっ!!」
「リック!?」
制止する母親の言葉も聞かずに、エリックはある場所へと向かい走り出した。
ゴトゴトと揺れる馬車の中、蓮姫は自分の浅はかさを深く悔やんでいた。
あんなにも優しかった人達。
スパルタだが、真剣に自分を強くしようとしてくれたカイン。
いつも笑って、自分を迎えてくれたエリックの母親。
自分に会いに、わざわざ店に来てくれた人達。
よく買い物に行った店の店主。
通りで会えば、必ず気さくに声をかけてくれる人々。
たまに遊んだ近所の子供達。
約束を守り、最後まで自分の味方でいてくれたエリック。
ずっとこのままでいたい。
ユリウスとチェーザレと一緒に過ごしていた時のように、久々にとても楽しい毎日だった。
所詮は偽りの上で作られた、紛い物の幸せだったのかもしれない。
それでも蓮姫は…幸せだった。
しかし蓮姫は、再び出来た自分の居場所を自分で壊してしまった。