恋 7
千寿が福寿を裏切ったのはわかるが…福寿が千寿を裏切ったというのはどういう意味だろうか?
お福はため息をつくと、蓮姫に自分達の事を話し始めた。
「私と千寿がこの夢幻郷に連れて来られたのは…一年半前。私は誘拐されて、千寿は借金のカタに親に売り飛ばされた。私達は同じ時期に華屋敷に入ってさ。同い年ってのもあって私達は直ぐに意気投合。友達になったよ」
お福はそう話しながら天井へと視線を向ける。
お福の視線の先には天井ではなく、かつて親友と共に過ごした日々が映っていた。
遊女見習いとして忙しかった毎日。
牡丹は違ったが、他の遊女や従業員、客からはいつも見下されていた。
遊女達に理不尽な理由で怒鳴られた事も、客にセクハラされた事も一度や二度ではない。
そんな見習い期間が終わっても、待っているのは遊女としての未来だけ。
毎日毎日…なりたくもない遊女となる為に仕事をするだけの日々。
「遊女見習いだった頃は毎日が…現実が辛かったよ。現実から目を逸らして普通の女の子だった昔を思い出しても、遊女になる将来の事を考えても…辛いだけだった。そんな辛い日を乗り越えられたのは…親友が…千寿がいたから」
お福は蓮姫に視線を戻すと悲しげに眉を寄せた。
「お互い仕事の愚痴を言い合って、時には泣いた相手を慰めたり一緒に泣いたり、時に大声で笑い合ってさ。だから私達はそんな辛い日を乗り越えられた。一緒にこの苦界を生きていこう、ってさ」
「千寿が…いたから…」
お福の言葉に蓮姫は呟く。
蓮姫も千寿に裏切られてはいるが、彼女の存在に助けられてもいた。
同じ遊女見習いであり、友人でもある存在。
自分は一人ぼっちではない…一緒に頑張る仲間がいる…。
そういう存在は…人に大きな勇気を…元気を与えてくれるものだから。
「うん。私は千寿の存在に救われてた。それは千寿も同じだったと思う。でも千寿って…実はかなり嫉妬深くてさ。私だけが牡丹姐さんに褒められたり、客に…特に若様に優しく話し掛けられたりするとイライラして…悪い癖が出てた」
「悪い癖?」
「千寿はね、イライラすると自分の両腕を掻きむしる癖があるんだ。血が出ても関係ない。イラつくまま腕に爪を立てて、ガリガリ掻いてた」
「っ、両腕を?」
「そう。その時の千寿はね、かなり怒ってる。イライラが止まられなくて、怒りのまま自分を傷つけてるんだ。でも他人にはニコニコして怒ってる素振りなんて、これっちぽっちも見せない。見覚えない?」
「………あります」
お福の話す千寿の悪い癖とやらに、蓮姫にも心当たりがあった。
それは蓮姫が一愛…若様に買われた初日のこと。
千寿の両腕には掻きむしった痛々しい痕がいくつもあった。
千寿は苦しい言い訳をしていたが…恐らくあの時から、千寿は自分に対して良くない感情を抱いていたのだろうと蓮姫は知る。
「やっぱりね。千寿の悪い癖は私も後で気づいたよ。ある時から頻繁に見るようになったから。…私が…店の新人従業員の男と仲良くなった頃からね」
「それが…一緒に逃げ出そうとした人…旦那さんですか?」
「うん。私にとって千寿は大切な友達だけど、旦那も大切な存在だった。私達は隠れて付き合ってた。でも当時の私は馬鹿でさ…友達だからって千寿には隠さず全部話してた。それを聞いて…千寿がどんな気持ちだったか…ろくに考えもしないで」
一緒に苦界を生きていこうと約束した親友。
そんな親友が一人だけ大切な男が出来たら…その男も親友を愛していると知ったら…嫉妬深い千寿がどう思うか。
当時のお福…福寿は熱に浮かされ、気づいていなかった。
まるでこの蓮姫のように。
「私の幸せを千寿も祝ってくれる。喜んでくれる。そう思い込んでたよ。馬鹿な話だよね。親友を置いて自分だけ幸せな女なんて…そんなの…心から喜べる女なんているはずない。この苦界…夢幻郷じゃ特に」
福寿は自分の幸せを千寿も喜んでくれている…そう信じて疑わなかった。
福寿の楽しそうな顔…幸せそうな顔を見る度に、千寿はどれだけ自分の腕を掻きむしったのだろうか。
「私は疑いもせずに、千寿に旦那と逃げる計画を話したよ。千寿にとってそれは…最大の裏切り行為だったんだろうね。自分だけ男と逃げようなんてさ。…結果…千寿は私を裏切って街の人間に全部話した」
「それでお福さんは…捕まって…罰を…」
「そう。それから先は多分、あんたが聞いた通りだよ」
ふぅ…とまたため息をつくと、お福は蓮姫の為に置いた水をゴクゴクと飲む。
プハッ!と全て飲み干すと、お福はまた真剣な表情を蓮姫へと向けた。
「私と旦那も死にかけた。でもこうして生きて、この街で暮らしてる。あんたもさ…せっかく助かったんだ。若様に頼んでここを逃げなよ。私達は行く宛ないし、バレてないからここにいるけど。あんたは外に出た方がいい」
「牡丹姐さんにも…同じ事を言われました」
「牡丹姐さんは優しいからね。だから私達は生きてるんだし」
「そうですね」
そう言って微笑む蓮姫とお福。
この二人は同じ女に嫉妬され、同じ女に助けられた。
だからこそ、お福も蓮姫を…この蓮華を助けたいと思っている。
「せっかく助かった命…お互い大事にしようね。まぁ長くなったけど、私の話はおしまい。さ!雑炊食べてよ!多分今なら適度に冷めて食べやすいと思うし!」
「ありがとうございます。いただきます」
お福は蓮姫の前にお盆を移動させ、土鍋の蓋をとる。
中身はトマトと卵が入った雑炊だった。
「うち自慢のトマト雑炊だよ。味は保証する!食べたらお盆ごと外に出しちゃって。その後はしっかり休みなよ。じゃあ私は下おりるけど、なんかあったらいつでも呼んでね」
そう告げると、お福は部屋を出て行き、またドスドスと階段を下りていった。
残された蓮姫は目の前のトマト雑炊を見つめ…彼がトマト嫌いだったことを思い出す。
「ジーンなら…きっとこれ食べないんだろうな。『姫様にあげます』とか言ってさ。…ふふ。ありえる」
トマトをいつも皿の端に避けるか、自分に差し出すユージーンを思い出し自然と笑みを浮かべる蓮姫。
そして窓の方を見つめ…何処にいるかもわからない彼へと呟いた。
「…ジーン……今何処にいるの?…助けに来て…くれるよね?…ううん。ジーンならきっと…絶対来てくれる」
ユージーンが蓮姫を見捨てる事は無い。
それがわかっているからこそ…蓮姫は一愛に『ここを連れ出してくれ』と頼む気は無かった。
ここを出てまた反女王派の土地に行っては、それこそ危険。
蓮姫はこの世界の土地勘などまるで無いのだから。
ユージーンには『ここが夢幻郷』だと昼間に伝えてある。
半女王派とはいえ、この店にいれば…まだ安全にユージーンの到着を待てると。
「大丈夫。ジーンは必ず…来てくれる。私は…ジーンを信じて待つだけ。…ジーン…」
まるで自分に言い聞かせるようにそう呟くと、蓮姫はユージーンの嫌いなトマトを口へと運んだ。
蓮姫がユージーンへ思いを馳せている頃、ユージーン達の方でも動きがあった。
夢幻郷から遠く離れたミスリルにあるローズマリーの家。
ユージーン達が夕食を済ませた頃、昼間に影間転移で情報を集めていた、あのダークエルフのシャドウが戻って来たのだ。
シャドウは藍玉の影から現れると、その場に跪き藍玉へと頭を下げる。
「只今戻りました。藍玉様」
「おかえりシャドウ。思ったより早かったね」
「おい!呑気にあいさつしてる場合か!わかったのか!?夢幻郷の場所!」
藍玉とシャドウのあいさつすら時間の無駄とでも言いたげに、ユージーンはイライラする様子を隠すことなく怒鳴る。
そんなユージーンに藍玉は呆れたようにため息をついた。
「はぁ…君ってホント短気だね」
ドンッ!
「んなの今はどうでもいいって言ってるだろ!おいお前!夢幻郷の場所がわかったから戻って来たんだろ!早く教えろ!」
ユージーンはテーブルを強く殴ると、再びシャドウへと怒鳴る。
それは怒りよりも焦り。
蓮姫を早く救出したい自分の心をユージーンは抑えきれない。
そんなユージーンの必死な姿を見て、ローズマリーはズキリと痛む胸を抑えた。
「旦那、とりあえず落ち着けって。まずは話聞かえねぇと」
「姉上は!姉上は何処にいるのよ!無事なの!?」
「…母さん…何処にいる?」
蓮姫の従者達もユージーン同様、落ち着かずシャドウへと問いかける。
シャドウはテーブルにある食器を端に寄せると、世界地図を取り出して広げた。
「この島です。夢幻郷はこの島の中央にあります」
「そこだな!おいロージー!飛竜や天馬はないか!今すぐそこに行く!」
「アーロン!少し落ち着いて!」
「落ち着けるか!さっさと出せっ!おいお前ら!全員で姫様を迎えに」
「待ちなよ。全員で行くのはオススメしない」
逸る気持ちを抑えきれないでいるユージーンだが、それをまた藍玉が止める。
ユージーンは再び藍玉へと怒鳴ろうとしたが、藍玉はあくまで冷静に言葉を続けた。
「シャドウ。島の警備はどうなの?」
「島全体を反乱軍の者が管理しております。特に警備が多いのが夢幻郷。その四方には魔晶石が置かれ巨大な結界に包まれています。それに加え元々警備の厚い街だったようですが、数日前からその警備が更に強められたと」
「なるほどね。やっぱり一筋縄じゃいかないか。警備の穴までは…わからないよね」
「申し訳ございません。しかし…明日は夢幻郷で祭があるらしく、その騒ぎに紛れ込む事は可能かと」
シャドウの言葉にふむ…と口元に手を当てた藍玉は、ユージーンへと視線を向ける。
「聞いたでしょ。ここは反乱軍の土地で警備も厳重。弐の姫が今無事なのは、恐らく彼女の正体がバレていないから。こんな大勢で迎えに行って、ボロが出たらどうするの?行くなら一人の方がいい」
大勢で夢幻郷を押し掛け、その者達が一人の女を迎えに来たと周りに知れれば蓮姫に注目が集まるかもしれない。
そうなれば…蓮姫の正体を探ろうとする者が現れる可能性がある。
「目的は弐の姫の救出のみ。下手な騒ぎなんて起こしちゃいけない。弐の姫の為にもね」
「なら俺一人で行く!」
「ちょっとユージーン!何言ってんのよ!」
納得のいかない残火だったが、そんな残火の肩に手を置き火狼はユージーンへと問いかける。
「わかった。任せていいんだな?旦那」
「あぁ。お前らはここで待ってろ」
「ちょっと焔!?」
「残火。旦那なら大丈夫だ。必ず姫さん助け出してくれる。そうだろ?旦那」
火狼に問いかけられユージーンは頷く。
神妙な顔で見つめ合う男達を見て、残火も一緒に行きたい気持ちをグッと堪えた。
「…姉上を…お願い。ユージーン」
「わかってる」
「話はまとまったようだね。なら君だけシャドウと一緒に行って。シャドウは一番近いこの港まで影間転移。出来る?」
藍玉はユラシアーノ大陸の右端の港を指さしながらシャドウへと問いかけた。
シャドウもまたその港を確認すると、藍玉へと視線を向ける。
「可能です」
「なら彼をこのまま連れてって」
「かしこまりました。藍玉様」
「港からは天馬で海を渡ればいい。マリー、天馬を彼に」
「………わかったわ。少し待ってて」
ローズマリーは一度チラリとユージーンを見てから、外へ出て天馬の準備へと向かった。
藍玉は視線を地図に戻すと、夢幻郷のある島とユージーン達が向かう港の距離を指で測る。
「一番近い…といってもかなり離れてる。この港からなら…島まで一日ってとこだね」
「それでいい。明日の夜、姫様を見つけたら空間転移でここに戻ってくる」
「そうして。でも…彼女を探せるの?なんの手がかりも無いのに?」
それはいつものようにユージーンを馬鹿にした態度とは違う。
藍玉は本気で心配しているのだ。
反乱軍や反女王派だらけのこの島で、女一人を見つけ無事ここに戻ってこれるのか?と。
しかしユージーンはそんな藍玉を挑発するように鼻で笑う。
「はっ。俺を誰だと思ってんだ?」
「マリーの元彼さんで元魔王?」
半分本気、半分冗談…いや、嫌味で返す藍玉にユージーンはほんの少しイラつく。
だが怒りを抑えて首を左右に振った。
「……それは昔の話だ。今の俺は違う」
「へぇ。なら今の君は何者なの?」
「俺は姫様…弐の姫の唯一のヴァル、ユージーンだ。姫様の為ならこの命、何度だって犠牲にする。どんな手を使ってでも姫様を守る。全てをかけて姫様に仕える。それが今の俺だ」
そう告げるとユージーンは外へと出て行った。
ローズマリーから天馬を受け取ったら直ぐにこの場を発てるように。
ユージーンは真っ直ぐに前を見すえて拳を強く握りしめる。
(姫様の元に着くのは明日の夜。姫様…今お迎えに行きます。待ってて下さい)
ユージーンは一人、遠く離れた地にいる蓮姫に向けて誓った。
(必ず…助けます。俺が必ず…姫様…)