若様と蓮姫 6
実は蓮姫…彼に『若様』と聞いた時から…ある人物を連想していた。
それは彼が…ある人物ではないのか?という疑惑。
先程若様が『想月歌』を笛で奏でた頃から、その疑惑は深まっていた。
未月が唯一知っていた歌…笛の独奏歌『想月歌』を奏でる男。
時折未月が……あの時、自分達を襲った反乱軍の男が、口にしていた『若様』という言葉。
そして目の前にいるのは…この反女王派の土地で『若様』と呼ばれる青年。
(…もしかして……この人は…)
反乱軍は蓮姫が最も憎む存在。
自分にとって大切な友を…小さな命を奪った存在。
『若様』と呼ばれるくらいなら、きっとその男は反乱軍の上に立つ…頂点となる存在かもしれない。
(………この人が……)
蓮姫は不安げな顔で若様を見つめる。
そんな蓮姫の視線に気づいたのか、若様は艶っぽく色気の込めた微笑みを向けた。
「そんな目で見られると…自分を抑えられなくなるぞ。君もその気なら問題ないが」
「なっ!?バカ言わないでっ!」
「ははっ!ムキになるなよ。冗談だ。前にも言っただろ?君の…蓮の嫌がることはしない」
蓮姫が真っ赤になり怒鳴り返すと、一愛は楽しそうに笑う。
からかわれただけだとわかり、蓮姫はプイッとそっぽを向いた。
「怒るなよ。本当に君が嫌なら何もしない」
「…………本当に?」
「あぁ。誓って何もしない。だから…そう怒るなよ」
一愛はそう言うと愛しげに蓮姫へと手を伸ばし、彼女の髪に優しく触れる。
「これでも…優しくしたい…大事にしたいと思ってるんだ」
「…一愛」
「…今は…そうやって名前を呼んでくれるだけで…俺は満足だよ」
一愛はそう言うと、名残惜しげに蓮姫の髪から手を離して呟いた。
一愛のその言葉に…仕草に…蓮姫は自分の中にあった疑惑を否定する。
(…違う。この人は…反乱軍の若様なんかじゃない。…そんな人じゃ…ない)
それは真実ではない。
疑わしい部分が無い訳では無い。
一愛が反乱軍の若様である可能性はある。
それでも…蓮姫は心の中でそれを否定する。
(…ちょっと意地悪な部分もあるけど…子供っぽいだけだし。…私のことを考えてくれたり…直ぐに反省して謝ってもくれる。…やっぱり…この人は…優しい人。…この人が…反乱軍の若様なわけ…ない。…絶対に……違う)
それはレオナルドの時と同じく、ただの身勝手な思い込み。
『そうであってほしい』という蓮姫の願望でしかない。
若様と一愛は同一人物ではない…そうであってほしくはない、という蓮姫の思い込みだ。
そう思うほどに…蓮姫もまた一愛に惹かれていたから。
「さて。俺は酒を飲むけど、君も飲むか?」
「…私お酒は飲まないの」
「そうか。なら…また酌をしてくれよ。それなら…いいだろ?」
「…うん」
一愛の提案に頷くと、蓮姫は彼へと近づき彼へとお酌する。
何かを話す訳ではなく、黙って酒を飲む一愛とお酌する蓮姫。
それでも…二人を包む空気は柔らかい。
時折目が合えば、お互い優しく微笑み合う程に…二人の心は近づいていた。
「そういえば…知ってるか?明後日の夜のこと」
「明後日?何かあるの?」
「祭があるんだよ。この夢幻郷全域でな。たくさんの出店が出たり、大道芸人や吟遊詩人も多く来る。でかい花火も何発も打ち上がったりしてな。大きな祭りだ」
『祭』と聞いた時、蓮姫はつい先日滞在した村の祭を思い出す。
その祭は生贄にした子供の為の祭だった。
「それって何か意味のある祭なの?…その…生贄とか、魂を鎮めるとか」
「ん?なかなか物騒なことを言うな。確かに祭ってのは、あの世とこの世を繋ぐ役目もあるけどな。ここの祭りはそんなんじゃない。年に二回、どんちゃん騒ぎする為のでかい祭りだ。この日は客も遊女と一緒に街に出て祭りを楽しんでる。全員がそうじゃないが、店でしか会わない遊女とデート気分を楽しむ客も多いのさ」
「そっか。…良かった」
自分の予想が外れ、蓮姫は少しホッとする。
(本当にただのお祭りなら…千寿と休憩時間に少し出てもいいかな?後で千寿に聞いてみよう)
「……で、だ。…その…君さえ良ければ…明後日、一緒に祭に行かないか?」
「え?」
「……わかってるだろうが…俺は君をデートに誘ってる。どうだ?」
蓮姫の方を見据えて尋ねる一愛だが、その頬は少し赤い。
ぎこちない表情を浮かべ…彼なりに緊張しているらしい。
そんな彼の緊張が蓮姫にも移り、蓮姫も頬を赤く染めながら顔を逸らした。
「きゅ、急に言われても…お仕事だってあるし…」
「遊女の仕事は客優先だ。これだって立派な仕事で…なんて、俺のワガママか」
一愛は困ったように笑うと、蓮姫に向けてお猪口を差し出す。
その意図がわかった蓮姫も新たに酒を注いでやった。
酒をグイッと一気に飲み干すと、一愛は『ふぅ…』と息を吐く。
「強要はしない。今すぐ答えなくてもいい。ただ…明日には答えを聞かせてくれ」
「明日?まさか…また明日も私を指名する気?」
「言ったろ?『君が俺に惚れるまで通いつめる』ってな。明日も…それこそ明後日、牡丹が帰ってきても関係ない。俺は君の指名を続けるよ。君が俺を好きになってくれるまで」
真剣な表情で告げる一愛から逃れるように蓮姫は目を伏せる。
あの真っ直ぐな…愛しさを込めた目を向けられると、直ぐに揺らぎそうになる自分。
それを隠す為に。
「一愛が…言ったんでしょ?遊女の仕事は客優先。私に…拒否権なんて無いから」
「…拒否権なんて無い、か」
それが彼女の答えだと知ると、一愛は落ち込んだように肩を落とし、眉を下げた。
その言葉こそ拒否なのだろう、と。
しかし…蓮姫は視線を床に向けたままポツリと呟く。
「…また……聞かせてくれる?」
「…え?」
「また…あの笛を…聞かせてくれるなら…私だって…明日も…一愛に会いたいな…」
ボソボソと小さく呟く蓮姫だが、その言葉はしっかりと一愛の耳に届く。
そして顔を下げていた為に蓮姫の表情はまるでわからなかったが、真っ赤に染まる耳だけは見えた。
蓮姫の言葉に一愛は今度こそ顔全体を真っ赤にすると、その場で激しく首を何度も縦に振った。
「うん!うんうんっ!聞かせる!何度だって!君が望むなら何曲でも吹くから!」
「…本当?」
「本当だ!俺は君に嘘なんて言わない!絶対に!君が聞きたいなら!君がそれで喜んでくれるなら!俺は唇が麻痺しても笛を吹くよ!」
早口でまくし立てる一愛の声を聞きながら、蓮姫はそっと顔を上げる。
そこにあったのは真っ赤な顔で自分を見つめる一愛。
きっと今の自分も同じ顔をしているのだろうと思い、蓮姫はプッと吹き出した。
「ふふっ。唇が麻痺したら…吹けないよ?」
「あ…それも…そうか。…バカだな、俺」
「うん」
「おい。否定しろよ」
他愛のない会話。
それが何処か楽しくて、何処か気恥ずかしくて、初々しくて。
二人はまた顔を見合わせて笑った。
それから夜は深けていき…気づけば朝日が昇っていた。
朝になると、客は一晩を過ごした遊女に見送られながら店を出る。
それは一愛と蓮姫も同じだった。
「それじゃあ…また今晩来るから」
「うん。待ってるね」
自分の言葉を…自分を受け入れて微笑む蓮姫に、一愛の頬も緩む。
一愛は手を伸ばし蓮姫の髪に触れてするりと動かした。
そして髪をまとめていた1番大きい飾りの簪を一つ抜き取る。
簪が取られた事で、まとめられていた蓮姫の髪はスルリとほどける。
「金に牡丹の簪…か。君には似合わないな」
「むっ。どうせ私は牡丹姐さんみたいに、綺麗で派手な花は似合いませんよーだ」
また失礼な事を言われ、蓮姫はムッと眉間に皺を寄せた。
一愛に悪意が無いのは知っているが…それでも言われて嬉しい訳では無い。
「怒るなよ。君には派手なだけの華美な花なんて似合わない、って言いたいだけだ。君にはもっとシンプルで……」
何かを言いかけると、一愛は簪を見つめる。
そしてニヤリと笑うと蓮姫に簪を差し出した。
「返す」
「え?うん」
何故か楽しげに笑う一愛を不思議に思いながらも、蓮姫は簪を受け取る。
「そろそろ行く。今晩…土産を持ってきてやるよ」
「お土産?」
「あぁ。楽しみに待ってろ。じゃあな」
一愛は愛しげに蓮姫の頬に触れると、今度はすんなりと帰って行った。
蓮姫は一愛が見えなくなるまで見送ると、触れられた頬に手を当てる。
そして幸せそうに頬を赤らめて微笑んだ。
そんな蓮姫にある女が近づく。
「ふっふ~ん。なんだかいい雰囲気じゃな~い?羨ましいなぁ」
「せ、千寿っ!?い、いつからいたの!?」
蓮姫が振り向くと、そこにはここで唯一の蓮姫の友、千寿がニヤけ顔で立っていた。
「残念。さっき来たばっかりなんだ~。若様が『君には…派手な花は似合わない』とか言ってるあたりかな?」
「もう!いるなら声掛けてよ!」
「何言ってんの!そんな野暮なこと出来るわけないっしょ?…あんなに嫌がってたのに…蓮華も女だね。このこの~」
千寿は面白そうに肘でグリグリと蓮姫をつつく。
体ではなく、意識の変化による痛いところを突かれ、蓮姫は慌てて千寿へ否定した。
「せ、千寿!わ、私は別に…その!私達は何にもないから!なんにもしてないし!」
「隠さないでいいよ~。ここを何処だと思ってんのさ。男女がそういうことして、そういう関係になる場所なんだよ。昨夜はお楽しみだったのかな~?」
「だ、だから違うってば!もう!私、戻るからねっ!」
蓮姫は顔を真っ赤にすると、千寿を横切って自分達の部屋へと戻っていく。
そんな蓮姫の背中を千寿は感情のこもっていない目で見つめ…小さく舌打ちする。
だが次の瞬間、いつもの人懐っこいような笑顔を浮かべ「待ってよ~!」と蓮姫を追いかけた。
部屋に着くと、蓮姫は遊女用の着物から簡素な見習い用の着物へと着替え、千寿は蓮姫が脱いだ着物を丁寧にたたむ。
姿見を見ながら髪を一つにまとめる蓮姫に、千寿は視線を着物に向け、手を動かしたまま声をかけた。
「でも良かった~。蓮華ってここを嫌ってるんだと思ってたもん。いい人が出来たんならさ…ずっとここにいられるよね」
「…ずっと……ここに…」
千寿の言葉に蓮姫は目を伏せる。
一愛の事は嫌いではない。
むしろ好意が芽生えつつある。
それでも…蓮姫は、千寿の言う通りずっとここにいるつもりなど無いのだ。
それは千寿とて気づいている。
先日、あんなにも「牡丹と一緒にここを出れないか?」と聞いてきた蓮姫。
つまり彼女は…この夢幻郷から出たいのだ、と。
だからこそ…蓮姫が興味を引く話を始めた。
「…良かったよ。魔法と抜け道でここを出れた子もいるけど、皆がみんな上手くいく訳じゃないしね」
「っ!?抜け道!?抜け道があるの!?」
千寿の思惑通り、蓮姫はその単語に食いついた。
蓮姫に見えないように千寿はニヤリと口角を上げると、着物を畳んでいた手を止める。
そして不安げに蓮姫を見上げた。
「抜け道っていうか…結界の穴…かな?私と同時期にここに来た『福寿』って子がいてね。その子はここの従業員といい仲になって、一年前に抜け出したんだよ。男は魔法を使えたから…それで二人は別の場所に飛んで逃げたんだ」
「つまり…空間転移?でも…ここじゃ魔術は使えないんじゃないの?」
「……よく知ってるね。でも使える所もあるんだよ。それが結界の穴場。結界を作ってる魔晶石の近くで、この夢幻郷を見渡せる場所。結界の端だから魔晶石の効果が薄くて、魔術を使えるらしいんだ」
蓮姫は千寿の話に興味を持ち、また希望を持った。
少しでも魔術が使えるなら…空間転移で逃げ出せるかもしれない。
「それって…何処なの?」
「ん?気になる?待ってね…ちょっと地図を出すから」
ゴソゴソと棚を漁る千寿。
地図を見つけると、二人は地図を挟んで向かい合わせに座る。
千寿が取り出した地図を見て、蓮姫はここ夢幻郷の全域を初めて知った。
どうやらここは小さな島らしい。
島の中央に夢幻郷があり、他は山や森しかない。
「…えっと……あ、この丘だよ。でもね、今は結界も強化されてて…空間なんとかは使えないんだ。ここで使えるのは、ちっちゃいファイアーボールとか、ちっちゃな灯りを作るライティングくらい」
「…そう…なんだ。残念」
あからさまに落ち込む蓮姫。
だが、魔力が少しでも使えるなら…ユージーンにテレパシーくらい送れるかもしれない。
せめて『自分は無事』『ここは夢幻郷』という言葉だけは伝えたいし……何より仲間の安否も気になる。
落ち込む蓮姫を横目に、千寿は静かに蓮姫へと問いかけた。
「……ねぇ…蓮華は…ここを出たいの?蓮華は若様にも…牡丹姐さんにも気に入られてる。若様の相手だけして、他の客の相手はしなくていい。…こんなに恵まれてるのに…ここを出たいの?」
「………うん。私には…私を待ってる人がいる。ここの外にね。…だから…絶対にここを出たい。出なくちゃいけない」
正座したまま両手を膝の上に起き、強く拳を握りしめる蓮姫に、千寿は冷ややかな目をむけた。
「…そう。…外に待ってる人がいるんだ?」
「うん。千寿、ここにはどうやって行けばいい?見張りの人とかいるの?」
蓮姫が顔を上げると、千寿は直ぐに心配そうな表情を作り蓮姫へと向ける。
「え?でも…ここに行っても…出れる訳じゃないよ?意味無いかもしれないよ?」
「うん。今は逃げ出したい訳じゃなくて、ちょっと行ってみたいだけなの。なんか気になって」
「………そっか。わかった。行って帰って来るだけなら、お昼の休憩時間で間に合うね。見張り……なんて、いないから大丈夫大丈夫」
笑顔を向ける千寿に、蓮姫もまた「ありがとう」と笑顔を向ける。
一握の期待を胸に抱く蓮姫は気づいていない。
一愛との熱に浮かされた蓮姫は…気づかない。
千寿の笑顔に隠された…彼女の本心…悪意に…。