若様と蓮姫 3
夢幻郷…そして王都からも遠く離れた土地、ミスリル。
そこにあるローズマリーの家で、蓮姫の従者達は全員が厄介になっていた。
火狼が寝ていたソファの横にあるテーブル。
そこで火狼と残火、未月はローズマリーから少し遅めの夕食を出されており、久々のまともな食事を完食している。
ノアールもテーブルの下で猫まんまを食べると、直ぐに丸くなり眠っていた。
夕食後のお茶を飲んでいると、彼等はローズマリーから告げられたある事実に驚愕する。
その内容に一番驚き、最初に声を上げたのはやはり火狼だった。
「えぇ~!?あ、あんたが噂の大賢者かよ!?」
「だから今そう言ったでしょ」
ローズマリーは呆れたように火狼へ返すと、空になったポットを持ち再びお湯を沸かした。
火狼だけではなく残火も驚愕の表情を浮かべているが、残火の言いたいことは全て火狼が代弁してくれる。
「だ、大賢者って…年寄りのジジイじゃねぇの?だって偏屈で人嫌いで何十年もミスリルにこもってるって話じゃん!ホントにあんたが?ウッソだ~」
「嘘ついてどうするのよ?私に何か得でもあるの?正真正銘、私が巷で噂されてる『偏屈で人嫌いで何十年もミスリルに住み着き研究ばかりして大賢者と呼ばれた変わり者の年寄り』よ」
火狼があえて言わなかった噂もあえて付け足し、ローズマリーは自分が本当に大賢者と呼ばれる人物だと念押しする。
「………マジ?しかも旦那と知り合いとか…あんたいくつだよ?」
火狼はこの場にいないユージーンとローズマリーの会話を思い出していた。
ローズマリーの名前は今日、彼女から万能薬をもらい身体が完全回復した時に全員が聞いている。
その中でユージーンは彼女を『ロージー』と愛称で呼んでいた。
蓮姫と違いユージーンは他人を愛称でなど呼ばない。
そんなユージーンが出会ってすぐ愛称で呼び、自分達のように遠慮なく話す姿を見れば二人が旧知の間柄なのは誰にでもわかる。
ローズマリーは火狼の方を振り向くと、シンクに寄りかかりながら怠そうに答える。
「一々歳なんて数えてないわ。とりあえず800は越えてるでしょうね」
「あんたも旦那と同じで不死身ってわけ?」
「質問ばかりね。でも違うわ。私は不死身じゃない。800年前に死ねなかったから、そのままダラダラと生き続けてるだけよ。悪くなったパーツを魔術で取り替えながらね。私の話はもういいでしょ」
ローズマリーは本棚まで行くと、その羅列を指でなぞる。
どの本もかなり古いがその中のある一冊を取り出すと、そのままテーブルに戻りパラパラとページをめくり出した。
「…確か……このあたりに…あ、あった」
ローズマリーはあるページを開くと、三人に向けてページを見せながら内容を音読する。
「コレが、あんた達が受けた術よ」
『呪怨転移。自己犠牲呪文の一つであり、術者が死ぬ時の爆発と共に発動する空間転移式の呪術。強い怨みを持った術者により、対象となった者達は最大で三方向に飛ばされる。飛ばされるのはその者達の中から特に負の感情が強い者に関わる場所であり、その者へ強い嫌悪や後悔を呼び覚ます場所となる。対象者達は爆発の影響で体中に火傷や裂傷などの重症を負う。結界で防ぐことは不可能であり、通常の薬も回復魔法も効果がない。傷と痛みは徐々に全身へと広がる。対象者を精神的、身体的に苦しませながら死へと追い込む術である。』
「…強い嫌悪や…後悔…」
ローズマリーの言葉を聞き残火はポツリと呟いた。
(だから…私はあの女の墓に…飛ばされたっての?)
俯く残火を心配そうに見つめる火狼。
彼女達が何処に飛ばされたのか…火狼も藍玉から聞いていた。
残火にとって強い嫌悪や後悔を呼び覚ます場所は…彼女が愛し、愛されなかった為に憎んだ母親の墓前。
ローズマリーは残火の呟きに頷くと、わかりやすいように言葉を付け足した。
「そう。簡単に言えば、嫌な思い出の土地やトラウマを呼び覚ます場所に飛ばされるのよ。そのままそこで、苦しみながら死んでいく」
「こんな危ない魔術があったのかよ。お前は知らなかったん?」
火狼はこの中で唯一、自己犠牲呪文を使えた未月へと問いかけるが、未月はフルフルと首を横に振る
「俺?…知らない。…自爆しか…教わってない」
「無理もないわね。こんなの誰だってホイホイ使えるものじゃない。相当な魔力と覚悟がなきゃ…誰も使わないから。藍玉が連れて来なかったら、あんた達二人も今頃死んでたわ」
「残火を…ついでにこいつも助けてくれたのは礼を言うぜ。俺が言うのもおかしいけど…今は俺らの主が不在なんでね」
「あんた達の主…か。本当に弐の姫に仕えてるの?」
答えなどわかり切っている。
それでもローズマリーは尋ねずにいられなかったのだ。
むしろ彼等が弐の姫に仕えていようが、誰に仕えていようが正直ローズマリーにはどうでもいい。
彼女が気になるのは…一人だけ。
ローズマリーの問いに答えようと火狼が口を開いた…その時。
バンッ!と隣の部屋に続く扉が開いた。
そしてユージーンがよろよろとした足取りで、ドアや壁、近くの棚につかまりながら歩いてくる。
「本当だ。俺達は姫様…弐の姫に仕える従者だ。それにさっきの呪術の話も本当なら……くっ…俺はさっさと出て行く。世話になったな、ロージー」
ユージーンはふらつく足取りで前に進もうとするが、足が上手く動かずにそのまま倒れそうになる。
既のところで火狼とローズマリーが支えたので、倒れることはなかったが。
「おいおい旦那。まだ体痺れてんだろ?無茶してんなよ」
「そうよ。怪我や火傷は治ったけど…もう少し休まなきゃ」
「……休めだ?ふざけんなっ!」
ユージーンは自分を支えてくれる火狼とローズマリーを振り払うと、近くにあった木刀を掴み、それを杖のように使いまた歩き出す。
「姫様を…助けに行く。誰も邪魔すんな」
「…ユージーン…母さん…助けるのか?…なら…俺も行く」
「わ、私も行くわ!姉上は今頃一人ぼっちなんでしょ!?そんなの辛いに決まってる!ノア!あんたも行くわよ!」
「うにゃっ!!うぅ~………がぁっ!!」
今度は未月と残火がユージーンの両脇を支え、ノアールも巨大化し三人の横に並ぶ。
火狼とローズマリーは慌てて三人の前、外に通じる扉の前に立ち塞がった。
「待て待て待て!急ぐ気持ちはわかるけどよ!姫さんの手がかりなんて、何も無ぇんだぜ!」
「そうよ!お願い…まだ体が辛いでしょ?寝ててよ!」
「俺の体が痺れてんのは、お前のせいだろうが。余計なことしやがって」
ユージーンはギロリとローズマリーを睨みつけると、その声色に怒気と殺気を込める。
数時間前。
万能薬を飲み体が完全回復した直後から、ユージーンは『俺は行く』と、さっさとこの家を出ようとしていた。
止めるローズマリーの言葉などまるで無視して。
自分の方を見もしない男にローズマリーはある一計を案じる。
彼女はユージーンに『万能薬だけじゃまだ治りきってないの。せめてこれを飲んでから行って』と、ある瓶を渡した。
先を急いでいたユージーンは、よく考えもせずローズマリーからそれを奪い取り中身を全て飲み干した。
その直後、彼の全身は激しい痺れに襲われ動けなくなった。
そして現在…なんとか歩ける分には回復した体をユージーンは無理矢理動かしている。
「痺れ薬なんか飲ませやがって。生憎だったな。さっきまではともかく…もう動けるくらいには回復した。俺はもう行く。そこを退け」
「ま、待ってよ!アーロン!」
『アーロン』…と自分を呼ぶ声に対して、ユージーンは返事の変わりに冷たい視線をローズマリーへ向けた。
「その名はもう捨てた。今の俺は姫様のヴァル『ユージーン』だ」
「っ、ユージーンに…弐の姫って……あんたやっぱり…」
「お前に説明する気はない。さっさと退けよ」
ユージーンが構わず一歩を踏み出そうとしたその時、カチャリと扉が開く。
外から来た人物はユージーンを呆れたように見つめた。
「命の恩人にそれはないんじゃない?」
「…お前が藍玉か?」
自分を見つめる男を見つめ返すユージーン。
この男はユージーンも知っている。
かつて蓮姫の記憶を覗いた時に、彼の存在も能力も、どんな立場の人間かも全て知っていたからだ。
「弐の姫から聞いてた?そう、僕が藍玉。弐の姫の友達だよ。だからこそ、君達を行かせるわけにはいかないね」
「………なんだと?」
「君の心配はわかる。あの術で弐の姫が飛ばされた場所…彼女が最も嫌い、恐れる者やそれに関わる場所じゃないか?って思ってるんでしょ。先に答えを言うとね…彼女は王都には飛ばされてない。そもそも王都の結界は今、過去最高レベルで厳重なんだ。怪しい呪術なんかで入れる訳ないんだよ。ユリウスにも調べてもらったし、間違いない」
蓮姫にとって最も嫌悪する相手…それは蘇芳。
そして蘇芳の事も含め、蓮姫に辛い思い出しか無い場所は王都。
ユージーンは隣の部屋で呪術の説明を聞いていた頃から、蓮姫の飛ばされる場所は王都…それも蘇芳の傍ではないかと危惧していた。
そして自分の予想通りなら…蓮姫はまた一人で苦しんでいるだろう、と。
もし藍玉の言葉が本当なら…ほんの少しだけ安心はできる。
本当に…少しだけ。
「王都でなくとも…姫様が今、一人なのは事実だ。俺達みたいに回復してる確証もない」
自分達と同じ呪術を受けているのなら、蓮姫とて重症のはず。
一応万能薬を持たせてはいたが…それだけで安心など出来るはずもない。
「大丈夫。彼女は生きてるよ。僕が保証してあげる。さぁ、君達はここでまず休むんだ。弐の姫の手がかりは僕達が探す。やみくもに世界中なんて探せるわけ無いんだから、頭を冷やしなよ」
頭を冷やせ…と言われて直ぐ落ち着けるほど、今のユージーンは冷静ではない。
ユージーンは自分を支える二人の手をほどくき藍玉へと近づき、至近距離で彼を睨みつけた。
「ゴチャゴチャうるせぇな。さっさとそこを退け。じゃなきゃ…殺すぞ」
「やれやれ…仕方ない人だな。君が本気なら…僕も本気でお相手するしかないのかな?」
お互いを見つめたままジリジリと数歩左右に動くユージーンと藍玉。
いつお互い襲い掛かってもおかしくない。
その時…ピーーーー!!というヤカンから湯が沸いた音が聞こえる。
すると藍玉はユージーンから目を離し、そのままヤカンの火を止めた。
そしてユージーンの方を見ずに彼へと告げる。
「行きたいならどうぞ。どうせ聞かないんなら、好きにすればいいよ」
「なに?」
「ちょっと藍玉!何言ってるの!?彼を止めて!」
藍玉の突然の言葉にユージーンは勿論、ローズマリーも驚く。
そんな二人を放って藍玉は棚からカップを一つ取ると、自分の分の茶を淹れた。
「止めないよ。彼を止められるのは、主である弐の姫だけだ。でも他の人は彼ほどバカじゃないでしょ?ここでお茶でも飲んで体を休めてなよ。呑気に休めって言ってるんじゃない。まだ弐の姫の居場所がわからない上、自分達の体も本調子じゃない。そんな状況で闇雲に探し回るのは無意味だと言いたいんだよ、僕は」
藍玉の言葉にユージーンはギリと奥歯を噛み締めた。
それが正論なのはユージーンだってわかっている。
「………チッ!」
ユージーンは舌打ちすると、木刀を杖代わりにして一人家を出て行った。
未月もまたユージーンを追いかけようとしたが、残火が彼の服を掴み引き止める。
「…残火?…どうした?…行かないのか?」
何故か自分を引き止めた残火へ問いかける未月。
しかし残火は振り向いた未月ではなく、普段から毛嫌いしている火狼の方を向く。
そして迷いのある目を彼に向けると、珍しく火狼へ意見を求めた。
「……焔…私達…どうすればいいの?」
それは藍玉の言葉を聞き残火が迷っている証拠。
火狼もそんな残火を茶化すことなく、真剣な表情で彼女へと答えた。
「藍玉様の言う通りにするしかない。俺だって姫さんを探したいけど…藍玉様が探してくれてるのなら…俺達はここを離れない方がいい。ただでさえミスリルには強い魔獣が多いんだ。旦那無しで出るのは得策じゃない。お前はまた寝てろ。何かあったら直ぐ起こすから」
「………わかった。おやすみ」
残火は小さく頷くと…自分が使わせてもらっている部屋へと戻る。
残火を見送りながら、未月もまた彼女と同じように火狼へと自分の今後の行動を…どうすればいいかの意見を 求める。
「…火狼…俺は?」
「お前も寝とけ。今、俺達に出来ることは何も無ぇんだ。お前らの代わりに俺が起きてる。だから寝てろ。これ命令。お前の任務」
「…わかった。…俺寝る。…でも…母さんのことわかったら…俺も起こして」
「了解」
火狼が頷くのを確認すると、未月も自分用に敷かれた布団のある隣の部屋…ユージーンが寝ていたベッドのある、本来ローズマリーの寝室へと戻った。
残された火狼とローズマリー、そして藍玉。
ローズマリーは心配そうに窓から外を眺め、藍玉は目を閉じながらカップに口をつける。
窓の外…ユージーンを見つめるローズマリーの視線。
僅かに不機嫌そうな空気を出す藍玉。
火狼はその仕草や醸し出す雰囲気で、この二人の関係やローズマリーとユージーンの関係を少なからず理解した。
勿論全てわかったわけではないし、ただの勘でしかないが…誰が誰にどんな感情を向けているか…それには気づいている。
(これはこれで…結構めんどくせぇな…。人様の色恋に口出す趣味は無ぇし…今は旦那も気になる。残火達はここなら安全。……なら…)
「俺、旦那を連れ戻してくるわ。いくぞ猫」
「ぐるるるぅ!」
火狼は家主達の返事を待たずノアールと共にユージーンを探しに出て行く。
ある意味、この気まずい空間から逃げたとも言えるが。
客人達が全員いなくなり、二人きりとなった空間で沈黙が流れる。
ローズマリーは窓から離れると客人達のカップを片付けようと、テーブルへと近づき右手を伸ばした。
その時…藍玉は感情のこもっていない声でボソリと…だかしっかりとローズマリーには聞こえるように呟く。
「あれが君の元彼?随分と綺麗な男だね」
「っ、別に…そういうんじゃ…」
ローズマリーは反射的に伸ばした右手を引っ込めると、左手でギュッと握りしめる。
悲しげに目を伏せるローズマリーを見て、藍玉は眉を寄せた。
ローズマリーは嘘を言っているわけではない。
藍玉の言葉を否定したのは、それが真実でもあり、また嘘でもあるから。
(…私は…私は『恋人』だと…思ってた。でも私は…アーロンにとっての私は…あの子以下だった。……わかってたのに)
今にも泣き出しそうな顔をするローズマリーを見て、藍玉は怒りが増していく。
それはローズマリーを冷たく扱うユージーンと、自分に真実を告げないローズマリー…そして、そんな二人にすら嫉妬する心の狭い自分自身に向けられた怒りだった。
藍玉は残りのお茶を一気に飲み干すと、カップをやや乱暴にシンクへと置きローズマリーに背を向けた。
「そうなの?君がそう言うなら信じるけど。僕は未来は見えるけど過去は見えないからね。君の言葉を信じるしかないか」
「…藍玉。私とアーロンは…その」
「言わなくていいよ。聞きたくもない。聞いたからといって…僕の君への気持ちは変わらないけど…聞きたくないんだ」
絞りだすように告げられる彼の気持ちに、ローズマリーもまた苦しくなる。
ローズマリーは藍玉を嫌いではない。
藍玉の事は彼が子供の頃から知っているし、自分に真っ直ぐと好意を向ける彼を好ましいとも思う。
それでもローズマリーは彼の好意を受け入れられない…受け入れることが出来なかった。
ローズマリーは自身の硬い…常人とは全く違う胸を触る。
そして胸の奥に秘めていた…800年前と同じ想いが再び湧き上がっているのを感じていた。
「…藍玉……いい加減諦めて。私なんかやめなさい。藍玉にはもっといい人が」
「そういう月並みな言葉は聞き飽きたよ。だから僕も、君が聞き飽きた言葉を繰り返す。『僕は決して君を諦めない。この命尽きるまで僕は君を愛してる。他の人なんていらない』」
「………藍玉」
藍玉はローズマリーの方を振り向くと、真っ直ぐな目で彼女を見据えて自分の想いを告げる。
ローズマリーがまた何か返す前に、藍玉はニコッと笑顔を浮かべると彼女…テーブルに近づき、その上にあるカップを持ち上げた。
「さて、と。君の昔馴染みの彼は狼の彼に任せよう。僕達はここの後片付けでもしようか」
長年藍玉から想いをぶつけられたローズマリーは、その笑顔の意味にすぐ気づく。
その笑顔には『これ以上は何も話す必要は無い』という意味がこめられている、と。
勝手にカップをシンクへ運び洗い出す藍玉。
ローズマリーはただ窓の向こうの暗闇…かつて愛し…そして今も想いを寄せる男の去った方を見つめた。
一人ローズマリーの家を飛び出したユージーンは、痺れる足を無理矢理動かしながら、ただ前へ前へと進んでいく。
真っ直ぐ進んではいるが、行き先など無い。
今のユージーンは、あてもなくさ迷っているのと同じ。
それでも、歩みを止めることなど彼には出来なかった。
「…こんなとこ…さっさと出て姫様を探さねぇと…」
一人ボヤくユージーンだが、頭ではそれが無理だとわかっている。
一人だけ別の場所へ飛ばされた蓮姫の手がかりなど…何一つ無いのだから。
予想できる最悪の事態…王都や蘇芳の傍に飛ばされていないのは、正直安心も出来た。
しかし飛ばされた先が王都でなければ、彼女が飛ばされた所の予想など出来るはずもない。
「姫様にとって…忌まわしい場所。嫌な思い出…嫌悪感やトラウマを呼び覚ます場所。……王都以外で…姫様がそんな風に感じる所……クソッ!一体何処だってんだよ!?」
蓮姫が飛ばされた場所のヒントはそれだけ。
選択肢となるのは、王都を除いた世界中のありとあらゆる場所。
探し出せるわけもない。
それでもユージーンは足を止めず、暗闇の中を歩き続けた。
そして…見晴らしのいい高台に出ると、そこには石製の十字架が二つ並んでいた。
その十字架は…おそらく墓標。
ユージーンは知らないが、その光景は残火の母の墓とも似ている。
せめて故人には見晴らしの良い場所で安らいでほしい、という遺族の願いだろうか?
(ミスリルに…こんなとこに…墓?)
ユージーンはただ興味本意で十字架へと数歩近づいた。
そして十字架に刻まれた文字がわずかに見えると、紅い右目は大きく開かれ、その歩みは早くなる。
ユージーンはあまりの衝撃で痺れなどもはや感じないのか、木刀を投げ捨てると二つの十字架に向けて駆け出した。
そして十字架の前で呆然と立ち尽くす。
ユージーンの目は十字架に…正確には墓標に刻まれた名に釘付けだった。
ユージーンから見て左側の十字架には『ユージーン』の文字が。
そして右側の十字架に刻まれた名前も…このユージーンがよく知る人物の名前。
間違いない。
ここは彼の知るユージーンと…彼女の墓。
「…この…墓は…………そうか。…だから俺は…ここに飛ばされたのか。ロージーだけじゃない…お前らもいるから…」
彼はその場に崩れるように座り込む。
そして俯き、土を強く握りしめると…泣きそうな声で呟いた。
「嫌悪…トラウマ……負の感情を呼び覚ます場所。…ここで…懺悔しろってのかよ。………ユージーン!」
今の自分と同じ名前……かつて自分に仕えていた…唯一無二の友の名を絞り出すように叫ぶ。
その声に…返答する者がいた。
「……懺悔して済むとお思いですか?そんな空っぽの墓に」
ふいに聞こえた男の声にユージーンは勢いよく頭を上げる。
「誰だっ!?」
そして彼の目に映ったのは…この場にいるはずのない…生きているはずのない男の姿。
「アーロン様」
十字架の後方で宙に浮いている男。
その男は濃青の長い髪を後ろで一つにまとめ、冷たい青緑の目でユージーンを見下ろす。
その男の青緑の目には、驚愕に震える銀髪のユージーンの姿。
ユージーンはありえないと思いながらも、震える口でその男の名を……死んだ友の名を紡ぐ。
「っ、ユー…ジーン?」
銀髪のユージーンに問われ、濃青髪のユージーンは口元だけで微笑んだ。
「そうですよ。アーロン様」
「何故…お前が?……お前は…あの時」
「そうです。俺はあの時、死にました。貴方が見捨てたせいで。…貴方が殺したも同然。貴方が俺と彼女を殺したんですよ」
「っ!!ち、違う!俺はあの時…お前達を見捨ててなんか!」
銀髪のユージーンが縋るような目で反論していると、後方から別の男の声が耳に届く。
「おーい!旦那ー?何処まで行ってんのよー!頭冷やして戻って来いってー!!」
聞き覚えのあるその声に、銀髪のユージーンは視線を濃青髪のユージーンから外し、後ろを振り向いた。
「今の声…犬…火狼か?」
銀髪のユージーンがそう呟いた直後、後方から突風が吹き荒れ美しい彼の銀髪を揺らす。
突風に驚いた銀髪のユージーンが、再度十字架の方を向くと、既に濃青髪のユージーンの姿は無かった。
風のせいで乱れた前髪、そこからのぞく困惑の色に染まった紅と黄金のオッドアイ。
慌てて左右を見渡すが、やはり何処にも彼の姿は無い。
無いのが当然なのだ。
彼は…彼自身が言っていたように……800年前、死んでいるはずなのだから。
それでも銀髪のユージーンは、彼の名を叫ばずにいられない。
「ユージーン!?」
「忘れないで下さい、アーロン様。私はいつでも…貴方を見ています」
「ユージーン!何処だっ!?」
「私達を殺した貴方が…貴方だけが幸せになるなど、許されないのですよ。その銀の髪と黄金の瞳を持つ、魔王たる貴方に…普通の人間のような幸せなど…女と共に過ごす日常など…訪れてはならない」
濃青髪のユージーンは銀髪のユージーンに姿は見せない。
それでも…その声はハッキリと、銀髪のユージーンの耳元で響いていた。
「ユージーン!ユージーーーン!!」
悲痛な顔で彼の名を叫ぶ。
それでも…もう彼が現れることは無かった。
ただ夜空を見つめて立ちすくむ銀髪のユージーン。
その後ろから火狼が不思議そうな顔で近寄る。
「なに自分の名前叫んでんのよ?頭ダイジョブ?」
「………火狼」
「なに?おわっ!」
ユージーンは火狼へ振り向くと、全力で彼に向けて拳を打ち込もうとした。
火狼はその拳を顔面ギリギリで自分の手でバシッ!と受け止める。
「おいおい。とち狂ってんのか?」
「火狼…お前だな?」
「俺よ。なに?ホントどうしたのさ?」
いつもの調子で答える火狼。
自分の拳を受け止める手のひらの感触に、ユージーンは自分は夢など見ていない…現実にいるのだと理解する。
「(夢なんかじゃない、か)………なんでもない」
「そう?ならいいけど。なぁ、戻ろうぜ。今は藍玉様に任せてさ」
「………あぁ」
ユージーンは呆然としたまま、火狼から手を離すとフラフラとした足取りで来た道を戻る。
そんなユージーンの姿を見て火狼は首を傾げ、ノアールは心配そうな目で見つめていた。