若様と蓮姫 1
蓮姫が夢幻郷に来て三日目の夜。
蓮姫は世話になっている華屋敷の店先に立ち、従業員の男と客引きの仕事をしていた。
今の蓮姫は長い髪を首の後ろで一つにまとめ、ボロくて質素な着物をまとい可愛い少年のようにも見える。
従業員の男は大声を出して道行く人を店へと誘っていた。
「さぁさぁ!夢幻郷一と名高い華屋敷!世界三大美女の一人牡丹を始め、美女が揃っておりますよー!どうぞ皆様いらっしゃいませ!ほら、お前も声出せ!」
従業員の男に促され、蓮姫もおずおずと声を出す。
「い、いらっしゃいませ」
「こら!もっと腹から声出すんだ!いらっっしゃいませぇー!!こうだ!」
「い…いらっしゃいませー!」
ヤケになり大声を出す蓮姫の肩を男は笑いながらバジバシ叩く。
「そうだ。やれば出来るじゃないか!」
「あ、あはは。あ、ありがとうございます」
「お前には店に出ないかわりに、雑用をしっかりしてもらうからな。きっちり働けよ、蓮華」
「は、はい」
「よーし!あ、いらっしゃいませー!いつもご贔屓に。今日もご指名は椿でございますか?それとも他の遊女になさいますか?」
男は馴染みの客を見つけるとそちらに駆け寄り、ペコペコと頭を下げながら中へと案内していった。
一人残された蓮姫は大きくため息を吐く。
「はぁ~…遊女はしなくていいから文句は言えないけど…娼館の手伝いって…けっこうハードだな」
肩を落としながら一人ボヤく蓮姫。
初日に牡丹から言われた通り、蓮姫は華屋敷の遊女ではなく、雑用係として働く事になった。
ここで働くという意味で牡丹には『蓮』から『蓮華』と名前を変えられて。
新しい名前は元の名前とあまり変わらないが、ここ華屋敷では牡丹の命令が絶対らしい。
話を聞いていた千寿も『へぇ~…普段はまるっきり違う名前つけるのに、珍しい』と言っていた。
不思議がる蓮姫と千寿には何も答えず、牡丹はただ微笑んでいたから彼女の真意はわからない。
とにかく、蓮姫は『蓮華』と名を変え、ここ華屋敷でしばらく雑用係として働く事になったのだ。
(早く皆を探したいけど……今はまず真面目に働いて…この街から出れる方法を探さないと)
蓮姫は働きつつ、この街の情報や出る機会を探っていたが未だ三日。
成果は全く出ていない。
それでも諦めず、心の中で決意を新たにする蓮姫。
そんな蓮姫に、彼女も知る人物が近づき声をかける。
「ご苦労さま」
不意にかけられた声に蓮姫は仕事中なのを思い出し、慌てて声の方に頭を下げた。
「い、いらっしゃいませ!何名様でしょうか!?」
「ぷっ…飯屋みたいな客引きだな」
蓮姫の言葉に口元を抑えながら楽しそうに笑う男。
ハッキリと頭上で響くその声に、蓮姫は声の主が誰か気づく。
「え?…わ、若様」
「こんばんわ、蓮華。今日も雑用頑張ってるみたいだな」
「あ、あはは。ありがとうございます。若様は今日も牡丹姐さんをご指名ですか」
「あぁ。案内頼む」
「わかりました。どうぞこちらへ」
蓮姫が若様を連れて店内へと入ると、遊女やその見習い達が熱い視線を若様へと向ける。
中にはあからさまに胸元を広げたり、裾をまくりながら若様に近づいて来る遊女もいた。
彼女達は蓮姫を押しのけ、若様へと擦り寄る。
「若様いらっしゃいまし。たまにはこの菖蒲にも、お相手させて下さいな」
「いいえ若様。菖蒲ではなく、是非ともこの鈴蘭をご指名下さい。きっと牡丹姐さん以上に満足させてみせますよ。代金だって半分で済みますわ」
「まぁまぁ姐さん方。無理なさらないで下さいな。若様、たまには若い女はいかがです?この木槿、誠心誠意お相手を」
美しく金持ちの若様は遊女達の間でも人気が高い。
本気で若様に惚れている者、一度でいいから若様に抱かれたい者、若様の金にしか興味の無い者…理由は様々だが、誰も彼もが若様に夢中。
若様が華屋敷を訪れた時は、必ずといっていいほど遊女達は彼に言い寄り、もはやこれは恒例と化している。
そんな若様自身は毎回遊女達に同じ言葉を告げるのだった。
「悪いが、牡丹以外を指名するつもりはない。蓮華、早く部屋に案内してくれ」
「は、はい!わかりました、若様」
蓮姫はなんとか若様に近づき階段まで若様を誘導する。
いつも通り若様に振られた遊女達は、残念そうに二人の…若様の背中を見送った。
階段を登りながら、若様は自分の上を行く蓮姫に後ろから声をかける。
「いつも騒がせてすまないな。女達に押しのけられて嫌な思いしただろ」
「あ、いえ。私は別に。むしろ毎回毎回、若様の方が大変ですよね。若様がモテるのは仕方ないですけど…」
「…俺がモテるの…蓮華は嫌か?」
「え?…嫌というか…うーん。ただ凄いな~、とは思います」
「………ふーん。そんなもん、か」
「何がですか?」
「お前は俺のこと」
若様が何かを言いかけた時、近くにあった部屋の扉が開く。
出てきた千寿は洗濯物の入ったカゴを抱えていたが、若様を見ると嬉しそうに、あの遊女達と同じく若様へと笑顔を向けた。
「あっ!若様!また今日も来て下さったんですね!」
「…………やぁ、千寿。洗濯ご苦労さま」
「今日で三日連続ですね!こんなに来て下さるなんて私も嬉しいです!あ、牡丹姐さんはいつも通り準備があるんで、その間は私が若様のお相手をしますよ。お酒も直ぐに運びますね。蓮華、代わりに洗濯しておいて」
千寿は洗濯物の入ったカゴを床に置くと、若様へと手を伸ばす。
若様はその手をするりとかわすと、蓮華…蓮姫の手を代わりにとった。
「悪いが、その役目は蓮華に頼む。千寿は自分の仕事を」
「え?で、でも…私は牡丹姐さん付きの見習いだし…蓮華はまだ慣れてないから、若様に退屈な思いさせたり…そう!失礼をしちゃうかも。ね、蓮華もそう思うでしょ」
蓮姫に問いかける千寿だが、彼女は必死に目で『代われ』と訴えてくる。
千寿の想いは蓮姫も、当然若様も気づいていた。
それでも若様は蓮姫の手を離そうとはしない。
蓮姫は空気を読み…むしろ友人でもある千寿に気を使って、その手を離そうとするが、固く握り締められたそれは蓮姫を逃そうとはしない。
「あの、若様。私も千寿の方が適任だと思います」
「そうだよね!さぁ若様!私と一緒に行きましょう!」
「いいや、断わる。牡丹が来るまでの間は蓮華と話でもして時間をつぶすさ」
「で、でも…それはいつも…牡丹姐さん付きの私の役目で」
なおも食い下がる千寿に、若様は少し強めの口調で返した。
「牡丹付きの見習いは蓮華もだろ。俺に失礼だと思う気持ちがあるなら、俺の…客の意思を尊重しろ。それじゃあ遊女になっても、客が付かないぞ」
「…………はい。若様」
「行くぞ、蓮華」
「は、はい。またね千寿!後で洗濯、私もするから!」
そう言って蓮姫を連れ、若様は千寿を振り向きもせずさっさと行ってしまった。
残された千寿はただ二人の背中を見つめる。
顔は悲しげだが、その手は強く、爪がくい込む程に握りしめられていた。
千寿と別れた後も若様は蓮姫の手を離さず階段を上り、この店の最上階にある一番高い部屋へと向かう。
そこは高い金を払う客しか使えず、現在若様くらいしかこの部屋を使っていない。
目的の部屋に着くと、若様は蓮姫の手を離して窓辺に腰掛け、外を眺めた。
先程話していたように、牡丹は支度に時間がかかる為、彼女が来る間は蓮姫が話し相手になり時間を潰さなくてはならない。
蓮姫は旅館のように備え付けられているお茶のセットを見て若様に声をかける。
「若様。お酒が届くまでの間、お茶でもいかがですか?」
「そうだな。一杯もらおうか」
「はい」
お茶の準備にかかる蓮姫だが、そんな彼女を若様が見つめていたことに蓮姫自身は気づいていない。
「お待たせしました。緑茶です」
「サンキュ。…良かったな。遊女にならなくてすんで」
お茶を出されると若様は蓮姫の傍、彼女の向かいに座り直す。
そしてお茶を飲みながら蓮姫に話しかけた。
蓮姫もこれは牡丹が来るまでの暇つぶしだと思い、愛想良く振る舞う。
「あ、はい。牡丹姐さんがここの人達に色々説明してくれて…おかげでこういう形でお世話になってます」
「…そんなに…遊女をするのは嫌か?」
若様に問われ一度言葉につまる蓮姫だが、ゆっくりと頷く。
「………はい」
「…正直だな。そこまで拒むのは…理由があるからだろ?」
「………すみません。言えないです」
「なに?」
『言えない』と話す蓮姫に、若様の眉はピクリと動く。
そんな彼に構わず蓮姫は言葉を続けた。
「若様がここの上客なのは知ってます。若様は高額で夢幻郷一の女と名高い、牡丹姐さんばかり指名する…華屋敷にとって大事なお客さん。それに私の命の恩人でもあります。若様には感謝してもしきれない。それでも…個人情報をペラペラ話す気にはなりません」
「……なるほどな」
「それに短時間で話せる内容でもないですしね」
アハハ…と困ったように笑う蓮姫。
世間話といえど、自分の素性を明かすような真似はしたくない。
それに男に抱かれたくない理由など…自分の口から言いたくなどなかった。
自分は見知らぬ男に何日も無理矢理…など、いくら命の恩人相手でも他人に話せる内容ではない。
不機嫌そうにしていた若様だが、ある事を思いつき、今度は楽しそうに歪んだ笑顔を浮かべる。
「そうか。……なら、俺がお前を一晩買ったらどうだ?それなら時間はあるだろ」
「え?」
「俺に色目を使わないのも、媚へつらわないのも気に入った。お前さえ良ければ今日にでも買ってやる。どうだ?」
突然若様から告げられた提案に驚く蓮姫だが、彼女の答えなど決まっている。
「お断りします」
蓮姫は愛想笑いをやめ、真顔でキッパリと若様の提案を断った。
そんな蓮姫の返答に若様は鼻で笑う。
「はっ。命の恩人の頼みを断るか?その上…娼館に世話になってるのに遊女をしない…いいご身分だな、お前」
「…なんと言われようと…お相手はしません」
まるで蓮姫を小馬鹿にしたように告げる若様に、蓮姫は静かな怒りを覚えた。
今まで蓮姫の中で若様のイメージは『優しい青年』だった。
彼は命の恩人でもあるし…良い人だと。
そんな蓮姫を更に追い込むように、若様は懐からある物を取り出し彼女に見せる。
「どれだけ偉そうな事を言っても…これを見たら気持ちが変わるんじゃないか?」
「っ、それは!?」
若様が取り出したのは、蓮姫が大切にしていたレオナルドからの贈り物。
レムストーンのピアスだった。
蓮姫は目を覚ましたあの日、自分がピアスをしていないことに気づくと直ぐに布団の中や部屋中を探した。
千寿や牡丹にも聞いたが、彼女達は『知らない』と話し、洗濯してもらった自分の服をいくら探しても見つからない。
その時はなくしてしまったのだと、酷く落ち込んで一人泣いていた。
もはや諦めていた…大切な物。
それが今…目の前に…自分を買うという男が持っている。
蓮姫は興奮気味に若様へと問いかけた。
「若様が持ってたんですか!?返して下さいっ!」
レムストーンへと手を伸ばす蓮姫だが、若様はその手をかわすと視線は蓮姫から外さずに告げる。
「レムストーンのピアス。意味は俺でも知ってる。親しい者や愛しい相手からの贈り物。つまり、これはお前にとって大切な物。違うか?」
「…その通りです。お願いします…返して下さい」
蓮姫は今にも泣きそうな顔で若様へと懇願する。
しかし若様はピアスを返すどころか、再び懐にしまい込み蓮姫へと交換条件を出した。
「返して欲しければ一晩、俺の相手をしてもらおうか?」
「…なんですって?」
若様の言葉に驚く蓮姫だが、若様は楽しそうに色気の含んだ笑みを向ける。
そして彼女の顎を持ち上げると、そのまま顔を引き寄せ妖しく囁いた。
「女は皆、俺に抱かれたがる。お前だって女だ。俺みたいな容姿で金持ちの男が気になるだろ?俺に興味の無い素振りなんてやめて、女らしく媚びを売ってみろよ。そうしたら返してやる」
若様の言葉に蓮姫は自分の頭にカッと血が上るのを感じた。
相手が命の恩人だろうと上客だろうと、蓮姫はその怒りをもはや隠す気はない。
「見くびらないでっ!」
バシッ!と若様の手を振り払うと、彼を強く睨みつけて怒鳴る。
振り払われた方の若様は、少し驚きの表情を浮かべていたが、直ぐにまた笑みを浮かべていた。
そんな若様に対し、蓮姫は更に怒りが増していく。
若様から逃れるように立ち上がると、彼を見下ろしながら蓮姫は力の限り大声で叫んだ。
「良い人だと思ったのに…最低っ!私はあなたみたいな人…大っ嫌い!!」
「そこまでだよ、蓮華」
蓮姫が若様を怒鳴りつけた直後、部屋の戸が開き華やかな着物をまとった牡丹が現れる。
「っ、牡丹姐さん」
「若様…いや、客に対しての無礼や暴言は許さないよ。さっさと部屋を出ておいき。罰として今日の晩飯と休憩は抜きだ。朝まで働いてな」
「っ!?そんな!牡丹姐さん聞いて下さい!若様が」
「言い訳も許さない。これ以上罰を与えられたくなきゃ、さっさとお行き」
蓮姫の言葉など聞く気が無い、と牡丹は冷たく告げる。
この華屋敷では牡丹の命令は絶対。
見習いの蓮姫には従う以外の選択肢はない。
蓮姫はもう一度若様をキッ!と睨みつけると、一礼し部屋を出て行った。
そのままドスドスと乱暴に階段を下りながら、蓮姫は心の中でのみ悪態をつく。
(最低っ!ホント最低だ!あの人!なんなの!?何が若様よ!偉そうに!銀髪の男はなんでこう性格………そういえば…ジーン以外に銀髪の人に会うの…初めてかも)
蓮姫は足を止めると、ふとユージーンと若様の共通点を思い出す。
二人とも美しい容姿をしており銀色の髪。
初めて若様を見た時も蓮姫はまどろむ意識の中、その銀髪で二人を間違えたほどだった。
「銀髪の男は…性格悪い決まりでもあるの?」
蓮姫がポツリと失礼な事を呟いている頃。
遠く離れたミスリルでユージーンが、先程の部屋で若様が、ほぼ同時にくしゃみをしていた。