⑨
翌日の正午。
村を覆っていた結界が解けた。
蓮姫達は世話になった宿屋の者や咲に軽く挨拶をすませると、予定通りコサゲ村を出発した。
コサゲ村の住人達は、また変わらぬ日々を過ごそうとしている。
平穏で穏やかな昼下がり。
しかし…彼はそんな村に突然現れた。
黒い髪に赤い目をした少年は村に入ると、キョロキョロと辺りを見回しながら歩く。
まるで何かを…誰かを探しているように。
見慣れない少年に村人も不思議そうな目を向けるが、どうせ旅人だろうと遠目に見るだけ。
そんな少年に最初に声をかけたのは、あの咲。
「君、見ない顔だけど…旅人さん?」
「ん?あぁ、君が咲だね。うんうん、ちょっと花に似てるかも」
「え?…なんで花ばあちゃんのこと知って」
ザシュッ!
咲の言葉の最中、何かが切り裂かれる音がその場に響く。
恐る恐る咲が自分の胸元を見ると、そこは大きく切り裂かれ、服が血で真っ赤に染まっていた。
「っ!?グッ…ブハッ!…あ……な…なん…」
自分が斬られた事を知った直後、咲の体には激しい痛みが走る。
血を吐き出した事で喋る事すら、ままならない。
いきなり血を吐いた咲に、周りにいた者達も騒ぎ始める。
そんな中、少年は笑顔を絶やさず咲に言い放った。
「あはっ。やっぱり人間って弱っちいね。これだけで壊れるんだもん」
ケラケラと笑いながら、少年は血のついた自身の右手をペロリと舐める。
「…うげぇ…やっぱ人間の血って、マッズイ。ペッ」
自分で舐めたというのに、少年は忌々しげに口の中にまだ残る血を吐き出した。
まるで悪魔のような少年に、咲の体には痛みとは違うゾクッ!とした悪寒が走る。
咲は胸元を抑えながら、その場にドサリと倒れ込んだ。
ただならぬ様子に女達は咲に駆け寄り、男達は農具を持って少年を取り囲む。
「お咲ちゃん!しっかりおし!」
「誰か!早く医者を連れて来て!」
「お、お前!なんなんだ!お咲に何しやがった!」
「動くんじゃねぇ!そ、それ以上近づくなっ!」
「てめぇ!なんなんだ!?化け物か!?」
口々に騒ぎ出す村人達に、少年は面倒くさそうに…そして不機嫌そうに彼等を見る。
「うっさ。弱いくせに…大勢で騒ぐのはいっちょ前?ホント人間ってウザイよね」
そう吐き捨てた少年は、農具とはいえ武装した男達に怯みもせず近づく。
「ひ、ひぃっ!く、来るんじゃねぇ!このやろう!」
一人の男がパニックを起こしたまま、少年に向かって農具…鍬を力の限り振り下ろした。
鍬は少年の頭に当たるとバキッ!と音を立てて真っ二つに折れる。
しかし、鍬が確かに当たり、折れる程の衝撃を受けたはずなのに…少年は、血を流すどころか眉一つ動かさない。
男は少年の不気味さに、顔を真っ青にして震えながら後ずさりした。
少年は鍬が当たった部分をポリポリ掻くと、地面に落ちている折れた鍬を拾う。
そしてそのまま、自分を殴った男に目掛けて投げつけた。
金具の付いてない尖った木の先端部分が、ドスッ!と男の首を貫通する。
男はそのまま絶命して地面に倒れた。
「き、きゃあぁあああああ!!」
「ば、化け物!化け物だぁ!」
更に騒ぎ、逃げ惑う人々。
そんな彼等を冷ややかな目で見つめると、少年は一瞬で逃げる人々を追い越し、先頭にいる男の前に立ち塞がる。
「うわぁあああ!」
「ギャーギャー騒がないでよね。僕、うるさいの嫌い。黙ってよ。まだうるさくするなら…まず君を殺しちゃうから」
「っ!!?」
少年の言葉に男は両手で口を塞ぐと、ブンブンと首を何度も縦に振る。
あまりにも少年が恐ろしいのだろう…男は少年に睨まれただけで涙まで流している。
他の者達も同様に口を抑え、ガタガタと震えていた。
少年の方は静かになったのに満足したのか、笑顔を浮かべている。
「うんうん。静かになったし、これで話せるよ。ねぇ、昨夜いた銀髪の子…何処に行ったか知らない?ちょっとうたた寝してたんだけど…その間に見失っちゃって」
「…………」
「………ちょっと。聞いてるんだから答えて。僕とは喋りたくないの?…喋らないなら殺すよ?」
自分で黙れと言っておきながら、今度は喋れ。
それどころか、喋らないなら殺すなど…なんと身勝手な少年だろうか。
しかし、そんな事を思う余裕のある者など、この場にはいない。
この場にいる者は全て…目の前の少年がただの少年ではない……人間ではなく化け物だと感じている。
「ぎ、銀髪の人なら…昨日来た旅人だ。村にいないんなら…と、とっくに村を出てる」
「えぇ~…もう出ちゃったんだ?つまんな~い。…でもいっか。今から行けば追いつくかもだし。へへ…この村で100年遊んだのも無駄じゃなかったな~。あれ200年だっけ?どっちでもいいか」
楽しげに笑う少年は、思い出したように村人達に話しかけた。
「僕には暇つぶしだったけど、君達は楽しめた?家族を生け贄にしたのに『自分達は悪くない』って正当化した不自由ない暮らし」
「あ、あんた…何言って?」
その言葉に再びざわめく人々。
少年は呆れたような目付きで村人達を見つめた。
「あれ?わかんないの?やっぱり人間って馬鹿だよね。ちょっと前に、僕がわざわざ貰ってあげたんだよ。小さな魂を毎年毎年、さ。それにこの辺りの命を潤してあげたし、感謝してよね」
少年の言葉で村人達は確信した。
この少年の正体に。
「あ、あんた…まさか!」
「し、死神様!?あんたが死神様なのか!?」
「死神様がなんで!?御子様はもういらないんじゃないのか!?」
「御子様を捧げたのにどうして!咲や俺達にこんな事するんだ!?」
再びざわめく人々に。
「どうして?ん~…じゃあ生贄を貰った理由くらいは教えようか?人間の魂なんて、不味くて食べれたもんじゃないんだ。だから食べられるように、ひと工夫したの」
「…は?…た、食べる…だと?」
「うん。魂って後悔や怨嗟、恐怖みたいに負の感情で満たすとね、まぁまぁ美味しいくらいにはなるんだよ。僕って別に何か食べる必要ないんだけど、暇つぶしにね。ご馳走様」
サラりと告げられた『御子様』の真実…そして『暇つぶし』という言葉に、村人達は言葉を失う。
そんな中、咲は一人の女に抱えられながらも、悲しげに少年に手を伸ばした。
「…死…神様。…米…ば…ちゃ…は…許…さ…た…よね?…花…ばぁ…ちゃが…い…しょに…」
少年は咲に近づくと、自分に伸ばされた手をわざわざパシッ、と払い除けた。
「都合のいい事ばっかり言わないでよ。なんで生け贄にされた子が、自分を捨てた親を許すの?頭おかしいんじゃない?」
冷たく返された言葉に、咲は一筋の涙を流すと…そのままガクリと首を下げ動かなくなった。
実は花とその母親の魂だけは食べていない…むしろ食べる前、寝ている間に逃げられたのだが…それを教えてやるほど、この少年は人間に優しくなどない。
少年は咲から視線を外すと周りの者達に向けて告げる。
自分の正体を。
「死ぬ前に教えてあげる。『死神様』とか勝手に呼んでたけど、僕は死神なんかじゃない。魔王の一人…命を奪う存在…『死王』だよ」
数分後、少年…死王は、祭の時に使われたテーブルに腰掛けると、子供のように足をブラブラさせてボヤく。
「はぁ~………つまんない。つまんない、つまんな~い。計ってないけど、絶対5分もかかってないよ」
仕草も声も少年らしく可愛らしいというのに……彼は全身返り血で真っ赤に染まり、周りには人間の死体が転がっていた。
コサゲ村の村人、まだ村から出ていなかった旅人は全て、この『死王』と呼ばれる魔王に殺された。
蓮姫達が世話になった咲も、宿屋の女も、ハンナ夫婦も。
全員が…殺された。
死王は返り血に染まった服を引っ張ると、露骨に嫌な表情をする。
「弱いし汚ったないなぁ~。ホントつまんな…あ…ここにも血がついてるじゃん!もう!」
そう言うと死王はハンカチを取り出して右手…特に中指にはめた指輪の宝石を丁寧に拭いた。
宝石から血を拭いきると満足したように微笑む。
「よし。これで綺麗になったね」
血のついたハンカチをそのまま投げ捨てると、死王はテーブルに寝転んだ。
「あ~あ、なんでこんなに弱いの?弱いし、汚いし、うるさいし、ホント人間って最悪だよ。…ねぇ…君もそう思わない?」
死王はテーブルに寝たまま体を横に向け、ある家に向けて声をかける。
すると家の裏に隠れていた一人の男が、出てきた。
その男…両目に傷がある男は、警戒しながら死王に話しかける。
「貴様…何者だ?」
「こっちの台詞かな。君…このゴミみたいな人間達とは違うね。そこそこ強いみたい。本当にそこそこ…君とじゃ遊んでも楽しくないや」
死王はゴロゴロと寝ながらため息を吐いて、失礼な発言をする。
しかし男はその無礼に対しては何も言わない…言えなかった。
得体の知れない…だがとても強い魔力や威圧を感じるこの相手に、冷や汗が止まらないから。
男は自分が怯えているのを隠すのに精一杯だった。
「俺に用は無いのだな?ならばこのまま、俺は先を急ぐ」
強がりを見せつつ、こんな所で得体の知れない者に殺される訳にはいかない。
男は目的を果たす為にも、直ぐにこの場を去らなければならない。
だがそれに対して、死王は一瞬で男の前へと移動した。
「ふーん。目が見えないんだ?」
「っ、だ、だったら、どうだと言うのだ?」
「君の気配…昨日から感じてたよ。夕方には結界のすぐ外にいた。中に入れなくて悔しそうだったね。で、やっと中に入ってきたら…まるで誰かを探してるみたいだったし…ねぇ、誰をそんなに探してるの?」
「き、貴様に言う必要など無いっ!」
「そうかもね~。でも僕って、こういう時の勘が鋭いんだよ。気になるから正直に教えて。じゃなきゃ…殺しちゃうよ」
目の前から感じるビリビリとした殺気に、男は全てを語り始めた。
男の話が終わると…目の前から感じていた殺気は綺麗に無くなっていた。
話している最中、特に『弐の姫』という言葉が出ると殺気が強まったが…今は何処か…そう、まるでウキウキしているような、喜んでいるような気配を男は感じている。
死王はその通り、満面の笑みを浮かべていた。
「フフッ…そっか~。強い魔力を持った人間の男…ね。うんうん。いいねいいね」
「何がそんなにおかしい」
「おかしいんじゃないよ。楽しいんだよ。とってもとっても、楽しいんだ。楽しみで仕方ないんだよ」
男には見えないが、死王は嬉しそうにその場をクルクルとはしゃぎ回る。
まるで本当の子供のように。
「きっと君が探してる男は…僕の知り合いだよ。へへっ、やっぱり聞いて正解正解!」
「っ、なんだと?貴様…俺の邪魔をするつもりかっ!?」
「怒らないでよ。むしろ逆だよ、ぎゃ~く」
「逆…だと?」
死王はプクッと頬を膨らませるが、直ぐに男の手を両手で握りしめた。
「君が弐の姫と従者を引き離したいのはわかったよ。僕はそんな君の邪魔なんてしない」
「なに?俺の術にかかれば…従者の男も、弐の姫も苦しむのだぞ?何処に飛ばされるかもわからん」
「何言ってんの?むしろお願いしたいくらいだよ!男はともかく、弐の姫は特にね。絶対に弐の姫と従者を引き離してね!絶対だよ!頑張ってね!じゃ~ね~!」
死王はあまりの嬉しさに、スキップをしながらその場を去っていった。
残された男は気配を探るが…やはり何も感じない。
「何者だったのだ?あの言葉…信用出来るか?…出来ぬともよいか。俺はただ…若様から頂いたこの魔晶石で、弐の姫と従者に地獄を味合わせるだけ。あの者とて…術に巻き込まれたら、タダでは済まんだろう」
蓮姫達を狙う反乱軍男は、村を出てまた蓮姫達を探し続ける。
魔晶石を使い、移動する強い魔力を感知しながら。
死王は上空に浮かびながら、その男と遠くにいる蓮姫達を見つめる。
「まさか…あの女が弐の姫だったなんて。チッ…なんでハオ君の時といい、あの子達の時といい…想造世界の女って僕の邪魔ばっかりするの?」
今まで自分の邪魔をしてきた、自分が最も嫌う女達を思い出し、ギリギリと歯を食いしばる死王。
「想造世界から来た女なんて…みんなみんな大っ嫌い。だからあの女…弐の姫とあの子を、必ず引き離してよね」
眼下にいる男に向かって呟く死王。
その男が死ぬ気で禁じられた魔術を使おうとしているのはわかったが、それを止める気など死王には無い。
むしろ、やってもらわなくては困る。
「あの魔術って結構強力だけど…今の今まで生きてるなら…回復力や生命力がズバ抜けてるか、何かの呪いにかかってるか、だよね。それなら…あの子だけは死なないよね」
死王は遠くにいるユージーンの姿を、楽しげに見つめた。
「あの女と引き離されたら…僕がまた遊んであげるよ。同じ魔王として、さ。ふふ…楽しみだなぁ。何して遊ぼうかな~?」
死王は遊びという名の殺し合いを想像し、ニコニコと笑顔が絶えない。
「前はどんな遊びをしたっけ?どうせなら本気で遊んでほしいし、前みたいに邪魔も入らないなら………ん?昨日あの子『ユージーン』って呼ばれてた?名前違うし…それに『ユージーン』って………っ!そうだ!いい遊び思いついちゃった~」
無邪気に笑うと、死王は少年からある者へと姿を変えていった。