⑧
「……残火好き。…母さんと同じくらい…好き」
未月は火狼や残火ではなく、蓮姫の方を向いて答える。
さっきよりも思いがけない未月の告白に、火狼と残火はポカンとした顔をすると、同じタイミングで声を発した。
「「………は?」」
そのまま硬直したように動かなくなる二人だが、未月の言葉に驚いたのは蓮姫も同じ。
「え?私?」
「…うん。…俺…母さん好き」
「…未月らしいと言えば、らしいですね。じゃあ未月、俺の事は好きか?それとも嫌いか?」
この際だからと未月に質問するユージーン。
質問はしているが、未月がどう答えるか、ユージーンにはわかりきっている。
「…ユージーン?…ユージーンも好き。…いつも…任務くれるから」
「そりゃどうも。んじゃ犬…火狼はどうだ?それとノア」
「…火狼とノアも…俺好き。…仲間だから」
「好き」と言われて悪い気はしなかったのか、珍しくノアールが未月の方に行き足元に擦り寄る。
これで全員が…それこそ近くのテーブルにいた村人でさえ、未月の言う『好き』の意味に気づき、理解した。
未月の言う『好き』には恋愛感情などない。
その中でも蓮姫は特別だろうが、未月は仲間として残火も火狼も、そしてユージーンもノアールも好きなのだ、と。
硬直が解けた残火は次に、また顔を真っ赤にしてワナワナと震えだした。
「………な、なによそれぇーーー
!!?」
「…プッ、ププッ…ギャハハハハハハッ!そ、そうかい!そりゃあ、あんがとな。俺もお前が好きだぜー!前言撤回するわ!全っ然認める!今後も残火と仲良くしてやって!…仲間として、さ。アハハハハハッ!」
「~~~っ!?笑うなっ!この犬野郎っ!!」
残火は真っ赤な顔で火狼の胸ぐらを掴み、ブンブンと揺するが、それでも火狼の爆笑は止まらない。
一瞬どころか、未月の言葉に全身で、それこそ心からときめいた自分を殴りたい程に恥じる残火。
いつまでたっても笑いが止まらない火狼から諦めて手を離すと、残火は未月をキッ!と睨みつけた。
「…?…残火…どうした?」
「このバカっ!あんたなんかもう知らないわよっ!未月のバカ!バカぁっ!!」
「…だから…俺バカじゃないのに。…残火うるさい」
未月に『バカ』と連呼する残火に、爆笑し続ける火狼、そして珍しく少々困惑した顔を見せる未月。
あまりにカオスな状況に、蓮姫まで頭が痛くなってきた。
「ど、どうしよう。この状況」
「ほっとけばいいんじゃないですか?それよりせっかくの食事ですから、姫様も食べましょうよ」
「ジーンってホント、食い意地はってるよね」
「お褒めの言葉として受け取りましょう」
そのまま何事も無かったように席に戻り、食事を再開するユージーンに蓮姫は呆れる。
だがユージーンも食事をしながら、先程の発言で気づいた未月の心情の変化を蓮姫にのみ告げた。
「未月は俺達全員が好きとか言ってましたけど、中でも姫様は別格です。姫様は命の恩人…もとい反乱軍の13ではなく、姫様の従者未月としての人生を与えた存在。姫様を守る事こそ未月の生きる意味ですからね。未月にとって姫様は『特別』なんですよ」
「まぁ…未月に好かれてる自覚もあるし、最優先に考えてもらってる自覚もあるけど…」
それに関しては蓮姫にも心当たりがあった。
未月はあえて蓮姫を『姫』ではなく『母さん』と呼び、慕っている。
まるで幼子が母親を慕うように。
未月の世界は、いつだって蓮姫を中心に回っている。
ユージーンの言う通り、未月にとって蓮姫は『特別な存在』。
「でしょう。でも未月はさっき、残火のことを『母さんと同じくらい好き』って言ったんですよ。仲間でも、任務をくれるからでもなく」
「っ、それって…」
ユージーンの言いたい事の意味が、蓮姫にも伝わる。
未月にとって蓮姫は特別な存在。
そんな蓮姫と同じくらい好きという事は…。
蓮姫は目の前でギャーギャーと騒ぐ残火と、うるさそうに耳を塞ぐ未月を見て、胸の奥が暖かくなるのを感じた。
「…そっか。やっぱり二人は…ふふ。狼は気づいてないみたいだし…コレは内緒にしておこうか」
「その方がいいですね。犬どころか…あの様子を見る限り、本人達も無自覚ですよ。あ、姫様も焼豚食べます?なかなか美味いですよ」
「ふふ。うん。食べる」
蓮姫はユージーンが皿に分けた焼豚を頬張りながら、目の前にいる二人を微笑ましく見詰める。
美味しい焼豚だが、蓮姫の顔がほころぶのは、きっとこれだげが原因ではないだろう。
ひとしきり火狼が笑い終え、残火も怒鳴り疲れた頃、村人達がザワザワと騒ぎ始めた。
人々は笑みを浮かべ、何かを話しながらも夜空を見上げている。
『何かあるのか?』と、つられて蓮姫も夜空を見上げた直後…。
ドンッ!という大きな音が祭の会場に響く。
そして数秒すると、夜空に赤い大輪の光の花が咲いた。
「っ!姉上っ!花火です!花火が上がりました!」
「本当だね!花火まで上がるなんて知らなかった。…花火なんて…久しぶり」
花火にはしゃぐ残火だが、蓮姫もこの世界に来てから初めて見る花火に感動している。
蓮姫は椅子から立ち上がると、恐らくノアールが今の音で驚いたと思い、愛猫の元…未月のそばへと行く。
案の定ノアールは初めて聞く音や花火の光に驚いており、借りてきた猫のように大人しかった。
蓮姫がノアールを抱きかかえると、未月が空を見上げたままポツリと呟く。
「……花…火?」
「未月…花火知らない?初めて?」
「…うん。…初めて見た。…アレが…花火」
未月が答えた後、再び赤い花火が上がる。
どうやら赤い勿忘草と同じように、この祭では赤い花火しか上がらないらしい。
蓮姫もまた夜空を見上げ、赤い光に照らされながら未月へと告げた。
「そう。アレが花火だよ。綺麗でしょ?」
「…うん。…明るくて…赤い光が…空に広がって…綺麗」
未月は初めて見る花火に目が釘付けになった。
花火が上がっていない間も、ずっと夜空を見上げている。
再度花火が上がり空に広がると、未月の青い瞳に赤い光が散りばめられた。
残火も花火は久々らしく、ずっと空を見上げては『綺麗~』と翠の目をキラキラさせている。
火狼も座り直し、酒を注ぎ直すと花火を肴に飲み始めた。
ユージーンも食事の手は止めずに、視線は夜空へと向いている。
その花火は小さな村に相応しく小さな花火だった。
それでも蓮姫達は……この祭に参加する人々は、夜空に咲く赤い花を楽しげに見上げ続ける。
特に未月は、初めて見る花火に魅了されていた。
「…夜空が…眩しいなんて……初めてだ」
そう呟く未月の声は…何処か楽しげで…蓮姫もそれを聞き微笑むと、夜空から未月へと視線を移す。
「ねぇ、未月。花火を見て『綺麗』って思った?」
「…うん。…赤く光って…綺麗だ」
「…そっか」
未月の感想はごく普通のもの。
そんな普通でありふれた言葉が、蓮姫はとても嬉しかった。
昼間は赤い花を見て「血みたいだ」と言った未月。
花と光では違うだろうが…それでも未月は、赤い花火を見て「綺麗だ」と言った。
そんな未月へ…蓮姫は素直に自分の気持ち、願いを口にする。
「もし、また赤い色を見たら…未月には血じゃなくて…花火を思い出してほしい。だって思い出すなら…今日みたいに楽しい思い出や、綺麗な思い出の方が…きっと心が暖かくなる」
その言葉に、未月は蓮姫の顔を見てコクリと頷く。
そして今度は、再び上がった花火ではなく、視線を蓮姫に向けたまま微笑んだ。
「…花火……母さんみたいだ。…暗い夜が…眩しくなる。…俺の世界…眩しくした…明るくした…母さんみたい」
そう告げる未月の笑顔は、とても柔らかい。
蓮姫も未月に微笑みノアールを抱き直すと、空いた手を伸ばして未月の頭を撫でてやる。
「ありがとう。私の世界も…未月がいるから明るいんだよ。未月がいるから…ジーンや大切な皆がいるから…私もこの世界を愛せる」
蓮姫の言葉と撫でられる気持ちよさで、未月も小さく『ふふ…』と笑みをもらした。
微笑みを交わす未月と蓮姫。
そんな二人の姿を残火は複雑な心境で眺める。
綺麗な花火を見て踊っていた心は、今は何故か沈んでいる。
どうして自分は未月の言葉で、未月の笑顔で、こんなにも心がざわめくのか?
未月があの微笑みを向けるのは自分だけではない事が、何故こんなにも面白くないのか?
相手は自分が大好きな蓮姫だというのに…そんな蓮姫にすら笑顔を向けないでほしいと思うのは、なぜなのか?
どうして…胸の奥がズキリと痛むのか?
その気持ちの正体を……残火はまだ知らない。
「…残火?どうしたの?」
眉を寄せている残火に気づいた蓮姫は、未月から手を離すと心配そうに残火へ声をかける。
残火は慌てたように手を振りながら、蓮姫に笑顔を向けて答えた。
「い、いえ!なんでもありませんよ!ただ…その…そう!花火は綺麗だけど…ちっちゃいな~って」
あからさまに何かを誤魔化している残火に、蓮姫はそれ以上追求していいか悩む。
しかし残火の言葉に素直に反応した未月は、再び上がった花火を見上げて呟いた。
「…花火…小さいのか?」
「っ、ち、小さいわよ!里で上がった花火はもっと大きかったわ!それに大きな街や…それこそ王都なら、もっともーっと大きくて!派手で!色んな色の花火が上がるのよ!…行ったことないけどさ。…ですよね!姉上!」
「え、…う、うん。私も王都で見た事は無いけど。…でも確かに、もっと大きな花火や派手な花火もあるね」
急に話を振られた上、この世界に来てから花火など見ていない蓮姫だが、残火の話に同調する。
二人の話を聞きながらも、興味深げに夜空を見上げている未月。
「…そうなのか。…それも…見たい……………………あれ?」
未月の言葉に蓮姫と残火も夜空を見上げる。
そしていつまで経っても暗いままの夜空を見て、未月の言いたい事の意味がわかった。
「花火…もしかして終わり?」
「え!まだ十発も上がってないですよね!?」
蓮姫も残火も周りを見回してみるが、村人達は食事をしたり、おしゃべりをして笑っている。
もはや誰も空など見ていない事から、本当に花火は終わってしまったらしい。
「…花火…終わり?…もう…無し?」
ショボンとした声を出す未月。
今日の未月はとても感情豊かだと感じながらも、それだけ花火を楽しんだのだと思う蓮姫。
残火も数が少ない花火に少々不満であり、不完全燃焼感があるらしく口を尖らせている。
蓮姫は一度ノアールを地面に下ろすと、右手を未月の腰に、左手を残火に回して二人を引き寄せた。
「…母さん?」
「姉上?どうしたんですか?」
「今日は…これでおしまいみたいだけど。いつかまた…皆で見ようね。もっと大きくて、綺麗な花火を」
ニコッと笑う蓮姫に、未月と残火もまた笑顔で頷いた。
「…うん。…俺も…また一緒に…見たい」
「はい!姉上!」
それは遠くない未来の約束。
未月と残火が蓮姫と一緒にいるのなら、きっとこの約束は叶えられるだろう。
そんな約束などなくとも、この二人は蓮姫を心底慕っており、蓮姫から離れる事はない。
そして蓮姫が、この二人を手放す事も無い。
「さぁ!姉上も食べましょう!未月!あんたも食べるのよ!」
「うん。残火もしっかり食べてね」
「…俺も食う。…ユージーン…肉くれ」
「若いんだから野菜食え、野菜」
「プハッ!旦那ってば酷くね!」
「うにゃーん」
蓮姫達も村人同様、楽しげに、そして和やかに食事を再開する。
また明日も、明後日もこのメンバーで食事をするだろう…旅を続けていくだろう、と。
これからもずっと…皆と一緒にいるだろう、と。
この時の蓮姫は…そんな未来を……彼等とずっと一緒にいられる自分の未来を…信じて疑わなかった。