失った居場所 2
「蓮姫っ!!」
城内を歩いていると、聞き慣れた……しかしあまり聞きたくない声に呼び止められた。
バレないように小さく溜息をついた後、ゆっくりと後ろを振り返る。
「…………レオ。どうかした?」
「またそんな格好で、何処へ行くつもりだ」
「城下町…庶民街だよ。いつも言ってるでしょ?姫として視察に行かないと」
蓮姫が庶民街へと繰り出すのは、表向きは姫としての視察、だった。
勿論、影で遊び歩いてるだけだのと、揶揄されてはいるが…。
あの日から、蓮姫はレオナルドに頼るのを辞めた。
彼から与えられた家庭教師ではなく、自分自身で学び、成長するべきだと。
当然、彼と過ごす時間が苦痛になった、という事もあるが……。
自分がどれだけ無知だったか、無力なのかを、あの日に散々思い知り………教えられた。
姫として扱われ、公爵邸に閉じこもっている限り、自分はこの国の民の姿を知らないままだ。
もっとこの国の本質を学び、精神的にも強くならなきゃいけない。
だからこそ蓮姫は、単独で、少々粗っぽいやり方に出た。
だが、彼女の婚約者はソレを知らないし、当然彼女も伝える気が無かった。
行く宛など何処にも無い為、未だに公爵邸の世話にはなっているが、公爵やレオナルドから『出ていけ!』と言われたら、ソレはソレで仕方ない。
そう思う程、彼女の心は、以前よりもささくれている。
「しかし!」
「私、もう行くから」
「待て!蓮姫!!」
蓮姫は自分を呼ぶ声に、答える事なく、そのまま足早に去って行った。
残されたレオナルドは、深く息を吐き、前髪をくシャリと掴む。
この行動は、思いつめた時の彼の癖だ。
「何故………こんな事になった?」
何が悪いかなど、自分にはわからない。
蓮姫が勉強を辞め、街に繰り出したのは本当に急だった。
彼女をなんとか、姫として正しい道に戻させたい。
だが………どうやって?
「レオナルド様?どうかされましたか?何処か、お気分でも?」
自分を気遣う声に振り向くと、そこには
「………あぁ。これは蘇芳殿」
心配そうな顔をする蘇芳が立っていた。
「最近、心労が溜まっているのでしょう。……その…失礼ながら……弐の姫様の件で」
「お恥ずかしい。婚約者として、姫を正しく教育すら出来ないとは。中々、貴殿のようにはいかない」
「いえ………壱の姫様は、貴族の方々から多大な御指導を受けておられるだけです。私は何も…」
「謙遜する事はない。壱の姫のヴァル第一候補と、もっぱらの噂だ」
レオナルドは世辞以上に、本心でそう思っていた。
壱の姫の婚約者である、アンドリュー皇太子よりも、彼は誠実で信頼できる…と。
蘇芳とレオナルドが会うのは、これが初めてではなく、これまでも何度か会い、レオナルドは蓮姫の事を、蘇芳に相談までしていた。
そんな彼の中で、蘇芳はかなり好印象の青年だった。
彼が仕えているのだから、壱の姫は幸せだろう、と。
蘇芳は悲しげな表情を、崩さずレオナルドに告げる。
「しかし……弐の姫様も心配ですね。城下町で変な連中と関わっていなければいいのですが…」
「………貴殿は…壱の姫に仕えているのに、蓮姫の事も気にかけてくれるのか?」
「当然です。壱の姫様も弐の姫様も、この世界では尊き方。巷では、弐の姫様を悪く言う者ばかりですが……能力者のユリウス様や『哀れ者』『馬鹿王子』と言われるリュンクス様にも偏見がない。賢く、優しくて美しい……次期女王としては申し分ない方です」
「…貴殿にそうまで言って頂き、蓮姫も喜ぶでしょう」
レオナルドは柔らかく微笑み、蘇芳への感謝の言葉を口にする。
この男の本性も、過去に蓮姫に何をしたのかも、レオナルドは知らない。
レオナルドの目には、蘇芳は好青年にしか見えなかった。
そんなレオナルドの、自分への評価を、蘇芳も良く知っている。
そうなるように、わざわざ自分が愛する姫の婚約者となった男に、近づいたのだから。
「レオナルド様。僭越ながら……私に考えが有ります。聞いて頂けますか?」
蘇芳の双眸に怪しげな色が浮かんだ。
「……あやつは……一体何を考えておる?」
麗華は玉座にもたれるように座り、美しい眉を吊り上げながら呟いた。
鬱陶しそうに長い前髪をかきあげ額に手を当てる。
普段は余裕と色気を無駄に放っている麗華にしては、とても珍しい。
「なんの事ですか?陛下」
そんな普段とは違う麗華に動じる事なく、側で控えていたサフィールは問いかけた。
「惚けるでない。蓮姫の最近の行動は、妾の耳にも入っておる。一体どうしたというのじゃ?」
「さぁ?所詮は弐の姫。陛下や壱の姫とは比べるべくもない俗世にまみれた矮少な存在だった、というだけでは?」
「サフィ」
「失言でした。申し訳ございません」
サフィールの言葉に不機嫌さを隠そうともしない麗華に、サフィールは彼女の前へと歩み跪く。
麗華が左手を出すと、その白く美しい手に口づけた。
「のうサフィ。妾には蓮姫が分からぬ」
「陛下?」
「他人の心、全てがわかるなど愚かな事は言わぬ。じゃが……蓮姫は全てを投げ捨てて逃げるような娘では無い」
「ですが、弐の姫様が庶民と遊び呆けているのは事実です。先程も、あの方は否定しなかったではありませんか」
サフィールが言っているのはアンドリューに会う前、蓮姫が麗華に呼び出されていた時の事。
麗華が問いただしても蓮姫は何も答えなかった。
「……蓮姫……本当に…何を考えておるのじゃ?…」