閑話~久遠と凛~ 1
弐の姫と別れた俺は、帝への挨拶を軽く済ませ、そのまま王都へと戻ってきた。
もう空は赤く染っていたが、俺はその足で城へ赴き陛下へと帰還の挨拶を告げる。
そして城内にある…あの方の部屋へと向かった。
歩きながら俺は大和での事を…最後に見た帝の姿を思い出す。
帝は余程ショックだったのか、布団にこもりひたすら泣いていたな。
…多分俺の言葉は聞こえてなかっただろう。
しかし美女……いや美男に逃げられたからといって、文字通り泣き寝入りを決め込むなど…一国の主が聞いて呆れる。
幼い頃より、帝には大和に訪ねた時必ず世話にはなっていた。
が…やはりあの方に仕える気は起きない。
大和はもう1つの俺の故郷。
しかし……俺が仕えるのは女王陛下。
そして…陛下が退位された…その時は……。
「これは天馬将軍。大和からお戻りになられたのですね。おかえりなさいませ」
壱の姫様の部屋の前には、蘇芳殿が立っていた。
彼が部屋の外、それも一人でいるのは珍しい。
「蘇芳殿。壱の姫様は居られるか?」
「はい。ですが壱の姫様は今、ドレス選びの最中です。今宵は夜会に招待されていますので」
「また夜会か?」
壱の姫様は三日と開けずに夜会に招待され、どれも断らず参加されている。
次期女王と呼ばれる壱の姫様にとって、貴族との交流は大切だ。
しかし……相手はろくに政治や民への関心もなく、それに反して出世欲の強い者ばかり。
俺はため息をつくと、蘇芳殿へと再度顔を向けた。
「此度もブラナー伯爵か?」
「いえ。今宵の夜会はクルストン子爵に招待されたのです」
クルストン子爵……確かブラナー伯爵とも懇意にしている貴族だったな。
つまりブラナー伯爵と変わらず、壱の姫様へと媚を売りたい、という事か。
次期女王となられる方がいくつもの夜会に参加される事、それ自体は悪い事ではない。
壱の姫様も茶会や夜会はとても楽しみにしておられる。
しかし……楽しむ前にしっかりと、自分の責務を果たしているのだろうか?
「蘇芳殿。壱の姫様は今日一日、何をされていた?」
「本日は午後より、ビリスタ男爵のお茶会に招待されていました。戻られたのは30分程前の事です」
ビリスタ男爵……その男もあまり良い噂は聞かないな。
「では午前中は?」
午後からお茶会。
なら午前中は何をしておられたのか?
俺の疑問は当然のものだと思うが、何故か蘇芳殿は苦笑している。
「その…壱の姫様は…お昼近くまでお休みになられまして…」
「なんだと?」
昼まで寝ていたというのか!?
次期女王と噂されている姫が!?
俺はあまりの不満が顔に出ていたのだろう。
蘇芳殿が慌てたように説明しだした。
「将軍。壱の姫様は昨夜、お休みになるのが遅かったのです。ですから」
「何か勉学でもなさっていたのか?それとも客人か?」
「いえ。そういう訳では……その…」
蘇芳殿はチラチラと俺を見ながら、言っていいものか迷っているらしい。
この時点でろくな返答では無い事が予想出来た。
「………恋愛小説を読まれていたのです。最近とてもお気に入りの本らしく…姫様は何度も泣かれ、感動されていました」
つまり…ただの夜更かしか。
壱の姫様には、姫たる者の義務や執務の大切さを語らねばならないな。
もう何度も…それはもう何度も申し上げているが…。
「蘇芳殿。貴方は壱の姫様の傍にいながら、遊興にふけるのを止めなかったのか?姫たる者が丸一日無駄に過ごすなど」
「お言葉ですが……壱の姫様は、休日だとおっしゃられて…」
「休日だと?」
カチャ。
「蘇芳様。壱の姫様の支度が整いました」
「わかりました」
扉を開けたメイドが蘇芳殿に報告する。
蘇芳殿が中に入ろうとしたが、それより先に、俺は体を滑り込ませた。
「失礼致します」
「天馬将軍?」
「はっ!?お、お待ち下さい!天馬将軍!」
止めるメイドの声を無視し、俺は壱の姫様の元へと足を進める。
「蘇芳!今日はピンクの………え?く、久遠?」
部屋に入って来たのが蘇芳殿ではなく俺だった事に、壱の姫様は驚きを隠せないようだ。
照れたように桃色に染まっていた頬は、俺の顔を見ただけで青へと変化していった。
「壱の姫様。天馬将軍、久遠。只今大和より帰還致しました」
「も、もう帰って来ちゃったの?」
あからさまに俺の帰還を残念がる壱の姫様に、俺は自分の眉が吊り上がるのを感じた。
「まるで俺には帰ってきて欲しくなった、とでも言いたげですね」
「っ、そ、そんなことない!そんなことないよ!」
「そうですか?」
ブンブンと両手と首を必死に振る壱の姫様。
嘘の下手な方だ。
「そんなことない……けど…」
「けど?なんですか?」
「………………」
「…言葉を催促されて黙り込むなど……貴女は壱の姫なのですよ。子供のような真似は止め、ハッキリとおっしゃって下さい」
多少乱暴な物言いになってしまったのは、壱の姫様相手に無礼だったな。
しかし俺とて、好きで無礼を働きたい訳じゃない。
俺が怒っていると思われたのか……いや、確かに多少の怒りはあるが…。
壱の姫様は頬を膨らませ、不満気な顔を俺へと向ける。
「…最近の久遠……私に冷たいから…」
「は?俺が冷たい…ですか?」
壱の姫様に対して…俺の態度は普段から、そんなにも無礼だっただろうか?
確かに……他人にはよく『不機嫌顔』だとか『冷血漢』だとかは言われる…。
普段から笑顔の一つも浮かべていないのも……正直自覚はある。
だが、楽しくもないのに笑う事など…申し訳ないが、俺には出来そうもない。
結果、この冷たく見える不機嫌顔が、壱の姫様の怒りを買っている訳だが…。
「申し訳ございません。そんなにこの顔が不興をかっているとは」
「違うっ!そういう意味じゃない!むしろその顔は……大好きだから…嫌いじゃないから…いいの」
そっぽを向きながら呟く壱の姫様は、何故か頬を染めている。
やはりまだ怒っておられるのだろうか?
俺に非があるのなら、俺は壱の姫様に詫びねばならない。
将軍として、しっかりと謝罪し…その上で姫のなんたるかを、お話しなくては。
「天馬将軍。心配は無用です。姫様は将軍の麗しいお顔が、とてもお好きなのですから」
「蘇芳!?もうっ!いじわる!!」
「ふふ。申し訳ございません、姫様」
後ろから現れた蘇芳殿に、何故かまた頬を膨らませる壱の姫様。
今の何処がいじわるだというんだ?
いじわるをしたはずの蘇芳殿も笑っているし…意味がわからん。
わからんのなら、下手に関わらない方がいいな。
「壱の姫様。顔ではないのなら、俺の何が壱の姫様の不興をかったのでしょう?」
「…久遠もいじわる」
だから何故そうなる!?
声を荒らげようとする自分をなんとか抑え、俺は務めて冷静な態度をとった。
「壱の姫様、先程も言いましたが、ハッキリとおっしゃって下さい」
「…久遠は……いつもいつも…勉強しろしか…言わないじゃない」
「貴女は次期女王と期待される姫。姫として勉学に励むのは当然の事です」
「でも…他の家庭教師さん達は…あんな難しい問題出したり、難しい質問もしない。久遠だけだよ?私に…あんないじわるするの」
確かに俺は…日頃から壱の姫様に勉学に励むよう申し上げていた。
俺自ら教鞭を執ることもあったが…。
まさか………それが理由だと言うのか!?
壱の姫様は頬を膨らませたまま顔を背け、何故かチラチラとこちらを見ている。
が、それ以上は何も口にしない。
一体なんだというんだ?
「天馬将軍。姫様は…将軍にもっと優しくして頂きたいのです。もっと仲良くなりたい、ともおっしゃっていました」
何故か蘇芳殿は小さな声で俺に囁く…いや、耳打ちする。
つまり壱の姫様は俺に…他の者と同じ態度を求めている、という事か。
媚びへつらい、甘やかすだけの。
壱の姫様の望み、そして蘇芳殿の言葉に…俺は自然とため息がもれた。
「…はぁ……壱の姫様の望みはわかりました」
「っ!?じゃあっ!」
「ですが、俺は自分の行いが間違っていたとは思えません。ソレは全て、壱の姫様を次期女王として期待していたからこそ。謝罪は致しませんし、今後も変えるつもりはありません」
一度は俺の言葉に喜ぶ壱の姫様だったが、今はまた悲しげに俯いてしまう。
そして顔を上げると、目に涙を溜めて悲しそうに呟いた。
「…わかった。私は…こんなに久遠に…嫌われてたんだね」
「壱の姫様?」
「…ロゼリアに一緒に行った頃から…何となく気づいてたの。一緒に買い物に行った時だって、何も話してくれなかったし。『コレ似合う?』って聞いても『俺には判断しかねます』って褒めてもくれなかった」
壱の姫様と共にロゼリアへ……確かに…俺としても楽しい記憶はない。
「いじわるしてたのは、私の事が嫌いだからでしょ?でもね…私は久遠の事が好きだよ。だから…これから好きになってもらえるように、頑張るね!」
この方は何を言っている?
何故こんなにも話が噛み合わない?
何故こんなにも…自分が被害者のように振る舞える?
「蘇芳!久遠も戻って来たし、休日は今日でおしまい。皆にもそう伝えてね。また明日から頑張るよ!」
「かしこまりました」
休日?
そういえば…さっきもそんな事を言っていたな。
俺の視線に気づいた蘇芳殿は説明しようと口を開く。
「姫様は数日前から休日をとっておられたのです。毎日勉学ばかりでは気が滅入り、効率も悪くなるから、と」
「数日前……いつからだ?」
「五日程前からです」
五日前……俺が王都を発った日か。
つまり『 うるさいのが居ない内に、休んでしまおう』という魂胆にしか聞こえない。
事実そうだろう。
先程しっかりと『もう帰って来たの?』と落胆気味に言われたしな。
なるほどな。
壱の姫様に俺自身がどう思われていたか……今の数分で全てわかったような気がする。
黙り込む俺の事など放って、壱の姫様は楽しげに蘇芳殿へと駆け寄った。
「ねぇ蘇芳。今日はピンクで薔薇モチーフのドレスにしてもらったの。指輪はドレスに合わせてピンクダイヤ。どうかな?」
「大変よくお似合いです。どの職人も良い仕事をしましたね。姫様の美しさが際立つようです」
「ふふ。ありがとう!ねぇ久遠。久遠はどう思う?正直に聞かせて」
ニコニコと嬉しそうに微笑む壱の姫様。
初めてお会いした時は、あんなにも心が弾んだというのに。
生涯お仕えしようと、この身が果てるまでお支えしようと決めた方が…目の前で微笑まれているのに。
俺の心は…何も感じず、何も動かなかった。
「……俺には判断しかねます」
「………そっか。…今はそれでいいよ。でも…いつか褒めてくれる日を、私は待ってるね」
恐らく……壱の姫様が今のままなら、俺が壱の姫様を褒める日は来ないだろう。
「姫様…よろしいのですか?」
「うん。久遠が私を嫌いなのは…仕方ないもんね。だから…私がいつか治してあげたいんだ。いいでしょ?蘇芳」
「勿論です。姫様の優しいお心が…この蘇芳にも満ちるようです」
二人の世界に入っている壱の姫様と蘇芳殿。
話の内容は失礼極まりないというのに…それすら気づかず、二人の中では正論化されてるようだ。
かつて俺が…存在すら嫌悪した弐の姫。
弐の姫に感じた以上の嫌悪を…まさか壱の姫様に感じる日が来るとは…夢にも思わなかったな。
弐の姫…か。
彼女は変わった。
心も想造力も成長し…次期女王としての自覚を持っていた。
弐の姫という立場にいながら、彼女に忠誠を誓う従者達もいた。
だが……壱の姫様はどうだ?
この方は……今後成長するのか…成長される気が…あるのか?
俺はどうしても……もう一度だけ確かめたい。
心から壱の姫様に仕えたいと…希望を持てるような…そんなきっかけが欲しい。