月に帰る美女(?) 10
想定外過ぎた問いに、蓮姫はキョトンとした顔で久遠を見つめ返す。
また話の内容を知らない従者達も、蓮姫と同じような顔をしていた。
蓮姫は、う~ん、と首を捻り久遠の言葉を聞き返す。
「二人の過去……ですか?」
「あぁ。ユリウス様から…何か聞いていたのではないか?」
疑うような、探るような目付きの久遠。
何故こんな質問をされるのか、わからない蓮姫だったが、とりあえず自分の認識も含めて正直に話す事にした。
「天馬将軍がユリウスを嫌っているのは…一応気づいていました。でも、ユリウスから将軍の話は聞いた事がありません。私が貴方の事を知ったのもあの時…塔で初めてお会いした時でしたから」
「………そうか」
その回答に久遠は歯切れの悪い返事をしつつ、蓮姫から目を逸らさない。
まるで本当の言葉かどうか見極めているように。
「疑いますか?」
「…いや……君の言葉を信じよう」
そう告げる久遠の表情は、何処かホッとしているようにも見える。
しかしそれも一瞬の事。
久遠は再び真剣な表情を蓮姫へと向けた。
「弐の姫。君とユリウス様が親しいのは知っている。だからこそ…君に一つだけ言っておこう」
「な、なんですか?」
久遠の表情や、声のトーンで身構える蓮姫。
そして久遠は次の瞬間、大きな声で蓮姫へと言い放った。
「…ユリウス様は……あの方は本当に!本っっっ当~~~に!性格が悪いっ!性根が腐りきってひん曲がっていると言っても過言ではない!いや!むしろそんな言葉ですら生ぬるいほどだ!」
「え?…………え?」
「あの方のせいで俺が……俺がどんなっ…………くっ!思い出しただけで腸が煮えくり返るっ!」
拳を握りしめ、わなわなと震えている久遠。
その額にはしっかりと青筋が浮かんでいる。
あまりの迫力に困惑する蓮姫。
久遠が怒るのを見るのは、これが初めてではない。
むしろ蓮姫は久遠の怒り顔ばかり見てきた。
それでも…今まで見たどの怒り方とも、怒り顔とも違う。
彼は今、間違いなく本気で怒っている。
だが何処か…コミカルさのような感覚を覚える蓮姫
怒りに震える久遠に声をかけていいのか迷う蓮姫だったが、そんな彼女に気づいた久遠は、また一つ咳払いをして自分の気持ちを整える。
「俺とユリウス様の過去を知らないのならそれでいい。出来れば知りたいとも思わないでくれ」
「え?……あ…は、はい。わかりました」
一連の流れを見て、ソレは知ってはいけない事だと感じた蓮姫は、とりあえず頷いておく。
むしろ久遠の態度を見る限り、知らない方がいい事のような気もしていた。
久遠だけではなく、ユリウスの為にも。
「で、では天馬将軍。私達は先を急ぎますので。これにて」
「……先を急ぐ、か。もう一つ聞いてもいいだろうか?いや、むしろ今の君には答えてほしい」
「…なんですか?」
今度は一体どんな事を聞きたいというのか?
ユリウスの次はチェーザレか?と安易な考えがよぎる蓮姫。
しかしその考えはまた外れる事になる。
「君はヴァルを得る為に王都を出た。しかし…君は内裏で俺に言ったな?目的の従者…つまりヴァル候補となる人物が既にいる、と。彼がそうなのだろう?」
「はい。天馬将軍も内裏で会った彼……ユージーンが私のヴァルです」
蓮姫に名を呼ばれ、ユージーンは礼儀正しく一礼する。
久遠はやっとユージーンの方を見たかと思うと、他の従者にも視線を向けた。
「ヴァルだけでなく……ふむ。他の従者も数名。それは即ち君はいつでも王都に戻れる。言い方を変えれば、君が旅をする理由はもう無いはずだ。それなのに……まだ旅を続けるのか?」
「お言葉ですが天馬将軍。旅を続ける理由はあります。確かにジーン……私はヴァルを得ました。でも……私はまだ王都に帰る訳にはいかないんです」
蓮姫はしっかりと久遠を見据えて告げる。
久遠も蓮姫の視線を受け止め、彼女にしっかりと向き合った。
「それは何故だ?」
「私が弐の姫だからです」
「なに?」
今度は蓮姫の言葉が久遠にとって予想外となった。
自分で聞いておきながら久遠は眉を寄せる。
「弐の姫だから旅を続ける?……まさか…『自分は女王にはなれず想造世界に帰る存在だから』か?」
久遠の言葉の意味がわかり、あからさまに嫌悪感を剥き出しにするユージーンと火狼、そして残火。
未月はあまり理解していないのか、もしくは興味もないのか、表情は全く変わっていない。
久遠が口にしたのは蓮姫を貶す言葉。
『弐の姫は女王になどなれない』と決めつけている。
つまり『どうせ元の世界に帰るのなら、今のうちに世界中を旅して満喫したいのだろう』と。
勿論、久遠とて蓮姫がそんな事を考えているとは思っていない。
それどころか、自分の言葉がいかに失言だったかに気づき、目を逸らしながら口を手で抑えている。
何故久遠がこんなに失礼な発言をしたのか?
答えは簡単だ。
蓮姫が弐の姫だから。
弐の姫とは…王位継承権を持ちながら、過去に一度も王位につけなかった者の位。
しかし王位継承権を持っている為に、弐の姫は争いの元となってきた。
最悪の想像を無意識に口にしてしまう程、この世界にとって『弐の姫』とは悪しき存在であり、拒まれている存在。
だが、蓮姫は怒る事も悲しむ事もなく、ただ首を横に振る。
「逆です。私は弐の姫…女王となる資格と可能性を持つ者です。だからこそ…今のままでは王都に戻れません」
「どういう…ことだ?」
「天馬将軍も知っているように…私は王都に居た頃、この世界について何も知りませんでした。だからこそ私は王都を出たんです。あれから…色々な人と出会い……別れました」
蓮姫の脳裏には、旅の中で出会った者達の姿が浮かぶ。
自分を認めてくれた友人達…自分を殺そうとした反乱軍……そして…自分が殺してしまった友。
「王都を出た事で、色々な事を知り、色々な事を経験して来ました。きっと王都に居るだけじゃ私は何も知らなくて……何もしないままだった」
蓮姫は王都を出た事で多くの人と出会い、多くの事を経験し、学んできた。
それでも……まだ足りない。
自分の理想を実現する為にも、この世界の女王となる為にも…学ぶ事は…知りたい事は、まだたくさんある。
「君は確かに…王都にいた頃よりも成長しているようだ。だが、必ずしも正しい選択をしている訳ではない。禁所の解放がいい例だ」
「……天馬将軍は…禁所の解放は間違いだった、とおっしゃりたいんですか?」
「間違いではないと?仮にそうだとしても…正しくはない。現にソレを知った貴族達の反発は強くなった。君は自分で自分の首を絞めたんだ」
久遠の言葉は正しい。
彼の言う通り、蓮姫の行動こそが間違い。
それは…この世界の住人ならば誰もがそう思うだろう。
しかし…蓮姫は違う。
「私は後悔していません。それに弐の姫とは、何をやっても裏目に出て人に嫌われる存在です。それなら…せめて後悔しないように、自分が正しいと思う事を成し遂げたい」
「それが世界に…危機をもたらす行動だとしてもか?」
「能力者が全て危険だと?私から言わせれば魔法を使う人も、剣を使う人も危険です。そして誰より…想造力という恐ろしい力を持つ私こそ…危険人物です」
まさに売り言葉に買い言葉。
だがそれは蓮姫が自分を卑下するだけでは収まらず、この世界で最も尊いとされる人物達に不敬を表す言葉でもあった。
「弐の姫!?それは陛下と壱の姫様への侮辱ともとれる言葉だ!」
「そうです。私だけではなく、壱の姫も陛下も想造力を持っています。誰よりも危険な力を。それでも陛下は世界の頂点に……そして壱の姫も私も…いずれはその地位につく者…『姫』として扱われています」
「陛下が危険人物だとでも言うのか!?」
久遠が怒りと焦りで返した言葉に、蓮姫は頷く事も否定する事もない。
だが、麗華の恐ろしさを知っているユージーン、火狼…そしてノアールは後ろに控えたままウンウンと頷いていた。
「誰しも力は持っています。それが強いか弱いかの違い。でも……強い力を持つ者が悪い訳じゃありません。弱い力だって悪い事に使えば、脅威になる。その逆だってあります。大事なのは………力を正しく使う事。素晴らしい剣の才能を、誰かを守る為に使う貴方のように」
そう告げると蓮姫は久遠へと微笑んだ。
蓮姫の言葉は簡単な事であり、綺麗事。
それでも…言われた方の久遠も悪い気はしてない。
微笑まれた事でむしろ毒気が抜かれたように、黙って蓮姫を見つめ返した。
そして今の蓮姫の言葉に心を打たれた者もいた。
残火は周りにバレないように後ろを向くと、涙で潤んだ目元を袖で拭い、グスッと鼻をすする。
蓮姫以外にその行動はバレていたが、残火本人はそれに気づいていないので、むしろ良かったのかもしれない。
「天馬将軍。心配して下さってありがとうございます。禁所の事や、能力者の事は…私にも考えがあります。それを実現する為にも、今は先を急ぎます。成長する為に……王都に戻った時…陛下や壱の姫にも劣らない、立派な姫になる為に」
「…弐の姫」
「そうです。私は弐の姫。女王となる姫です。だからこそ、成長しなくちゃいけない。……成長したいんです。女王となる為に」
微笑みながらも力強く宣言する蓮姫を見て、久遠はハッと息を呑み悟った。
自分が本当に聞きたかったのは、この言葉だったのだと。
決められた役目をただ受け入れ、呑気にその時を待つ姿を見たかった訳じゃない。
なんでもかんでも従者に答えを聞き、その通りに答える回答など望んでいなかった。
自分にとって幻滅するだけのそれは…自分が仕えると決めた人の姿。
そして自分が望んだ答えを口にしたのは…自分がかつて一方的に拒み、幻滅していたはずの弐の姫。
久遠が本当に求めていたのは、女王となる為の強い意志だった。
まさか自分が…いや、世界が拒み疎んでいる弐の姫から、そんな言葉を聞けると思っていなかった久遠は、ただ呆然としている。
「姫様。そろそろ参りましょう」
「わかった。それでは天馬将軍。これで本当に失礼します。……お世話になりました」
「っ、あ、あぁ…」
ユージーンに促された蓮姫は、久遠に対して深く礼をする。
蓮姫が再び頭を上げると、それを合図に一行は歩き出した。
久遠は返事しか出来ずに、ただ蓮姫達の後ろ姿を見送る。
(弐の姫…君は本気で女王になるつもりなのか?壱の姫様と違い…君が王位につくのは……簡単じゃない)
壱の姫と弐の姫では周りの待遇も、期待も、支持も、天と地ほどの差がある。
それをわかっていながら、久遠は何も口に出来なかった。
今まで散々拒み、軽んじ…あまつさえ見下してもいた。
そんな蓮姫の…紛れもない次期女王としての資質を垣間見た久遠は、まだ軽く頭が混乱している。
(君は……本当に行ってしまうのだな?次に会えるのは王都…いや、その確証もない。君は弐の姫。それはどう足掻こうと……変わらぬ事実なのだから)
久遠の脳裏には残火のように『もう二度と会えないのでは?』という懸念がよぎる。
そしてある言葉も浮かんだ。
久遠が蓮姫に対して…どうしても伝えなくてはならない、伝えたい言葉がある、と。
久遠は既に遠ざかっている蓮姫の背に向かい、大声で叫んだ。
「弐の姫っ!!」
「はい?」
後方を振り向く蓮姫に対して、久遠はモゴモゴと口を動かした。
「その……かつて…庶民街での君の居場所を奪った事だがっ!……本当に…すまなかったっ!」
謝罪と同時に深く頭を下げる久遠に蓮姫は再び微笑む。
そして彼に負けない程の大きな声で返した。
「天馬将軍っ!また会いましょう!必ず!あの場所……王都で!」
「っ、あぁ!必ず会おう!王都で!」
今度こそ別れの挨拶を交わした二人は、別々の方角へと歩き出した。
その日から、大和ではある噂が流れた。
絶世の美女と話題だった『かぐや姫』。
その正体は月の住人である絶世の美男。
あまりの美しさ故に、姫であると周りが思い込み噂が流れてしまっていた、と。
彼の美しさは帝までも魅了してしまう程だったが、彼は一人の女房に恋をし…彼女と家族を連れて月に帰った、というもの。
この話は、後世まで語り継がれるお伽噺となった。
ちなみに、美しい男子を結局連れ戻せなかった帝は、三日三晩泣きながら寝込んだ…という事実はお伽噺には入っていない。
蓮姫の知る物語とは違うが…この物語は、この世界の『かぐや姫の物語』として語り継がれる事となった。