失った居場所1
「これはこれは。弐の姫ではないか」
「……げ」
「げ。……とは、ご挨拶だな」
何故いつもいつも、城に来る度に、この男 と出会わなくちゃならないんだ?と、蓮姫はウンザリしていた。
「今日も今日とて質素な格好だな。姫としては勿論だが、お前は美しいのだからドレスくらい着たらどうだ?」
「そんな事をわざわざ言うために声を掛けたの?アンディ」
「まさか?俺もそこまで暇じゃない」
なら放っておけよ、と思ったが、この男と言い合いをする気もない。
蓮姫は無視して、アンディ……アンドリューの側を通り抜けようとした。
「待てよ。そう邪険にするな」
「壱の姫の婚約者と仲良くする気はない、って何度も言ってるでしょ?」
「今や自分の婚約者とも仲良くしていない、のだろ?前からお前の噂は悪い物ばかりだったが、今や最悪だぞ」
「………だろうね」
蓮姫にとって最悪のあの日から、約半月。
蓮姫は毎日のように公爵邸を抜け出し、城や城下町へと繰り出していた。
初めは公爵やレオナルドも怒り、嗜めていたが、今や諦めて何も言わない。
そのせいか、おかげか、蓮姫に付いていた家庭教師や使用人達も離れ、蓮姫は自由に出歩ける。
そんな弐の姫に対する人々の評価は、底辺まで下がった。
「お前はただの馬鹿じゃないと思ったんだがな……俺の読みが外れるのは珍しい」
「私には高評価される方が珍しいけど」
「可愛げが無いな。だが、そんな処がお前の魅力だ」
アンドリューは、素早く蓮姫に寄り、片手を腰にあて引き寄せた。
蓮姫は慌てもせず、またか、と溜息を吐く。
この男は壱の姫の婚約者でありながら、自分を口説き続けているのだ。
「そんなに姫が嫌なら、俺の物になれ。そのまま元の世界に帰るまで、優雅に暮らしていればいいだろ?」
「嫌だっつってんでしょ。手を離……って顔近づけないでよ!」
アンドリューは本気じゃない。
噂では、かなりの数の女と浮名を流している。
だから蓮姫に対しても本気では無い。
ただ蓮姫をからかいたいだけ。
だが、蓮姫も蓮姫で素っ気無い態度が続くので、躍起になっている。
アンドリューにしてみれば、皇太子という身分と美しい容姿をした自分へ靡かない女は希少だった。
ただの男の意地に付き合いたくもない。
蓮姫が必死に身体を捻り、アンドリューの逞しい腕から逃れようとすると、第三者の声が響いた。
「あぁー!!何をしているのだぁ!?余も混ぜるのだぁ!余も遊ぶぞぉ!」
「………チッ。…『哀れ者』のお出ましか」
「…リュウ?…どうしたの?」
リュウと呼ばれたの男は、ヘラヘラと笑いながら覚束無い足取りで近づいて来る。
だが、身に纏っている服は、とても上等な生地で作られており、華やかな金の刺繍が彼の口よりも高貴な身分であると伝えているようだ。
「リュウではない!余はリュンクス王子様なのだぁ!お前は誰なのだぁ!?」
「蓮姫だよ」
「弐の姫。この知恵遅れには何を言っても無駄だ。なんせ生まれた時から、どんな名医にも治せない頭の病気だからな。馬鹿なんだよ」
「むぅー!余は馬鹿ではない!お前は何なのだ!」
アンドリューに馬鹿と言われ、リュンクスはポカポカと彼を叩く。
「ハァ。興が削がれた。ではな、弐の姫」
アンドリューは蓮姫の手の甲に軽く口づけると、さっさと行ってしまった。
「待てー!余と遊ぶのだぁ!」
「リュウ。貴方の部屋に行こう」
「行こう!遊ぶのだ!遊ぶのだ!!あはははは!」
ケラケラと笑い、騒ぐリュンクスを連れ、蓮姫もその場から離れた。
カチャ
城の一番東端に立つ塔の最上階。
リュンクスの部屋へと二人で入ると、リュンクスは今までの覚束無いフラフラとした足取りではなく、ツカツカと足早に椅子へと向かった。
ドカッ!と部屋の主が乱暴に腰掛けると、蓮姫も側のソファへと腰を下ろした。
「………….ハァ。まったく、ろくに面識も無いくせに人を馬鹿馬鹿言うあたり……あの皇太子もたかが知れてる」
そう言葉を漏らしたのは、先程まで舌っ足らずの口調でしか喋らなかったリュンクスだ。
「そう見せてるのはリュウの方でしょ。そんなに嫌なら、馬鹿のフリ辞めればいいのに」
「女王の実子は、誰でも高位の官位を与えられて、少なからず政に参加しなきゃならない。能力者以外は。馬鹿の方が都合がいいんだ。変に政治に関わる必要もないし、自由になんでも出来る。何処に行っても、人は馬鹿にして、俺の前だと本性を隠そうともしない。そういう貴族や高官を見るのも滑稽だったしな」
「子供の頃から演じてたんでしょ?相当な悪趣味だよね。それとも……陛下の為に、馬鹿なフリをして情勢を探っているの?」
「母上の為じゃない。俺からも質問させてもらうが……なんで俺の演技を一目で見抜いた?今まで誰にも見抜かれた事は無かったというのに」
リュンクスは蓮姫と初めて会った時も、普段通りの馬鹿な演技をしていた。
しかし蓮姫は
「貴方、知的障害って言われてるけど……違うよね」
と、確定事項として告げた。
その時のリュンクスの驚きはかなりの物だった。
「私の母親は女優……役者をしてたんだ」
「へぇ。お前の母上も、そういう演技をしていたのか?」
「それもあるし、近所には施設もあったから、子供の頃からよくボランティアに行ってたの。だから、本物と偽物の区別はつくよ。そもそもリュウの演技は嘘くさいしね」
「『嘘くさい』は余計だが、なるほどな。それなら納得だ。ここの奴等……特に貴族達はそんなのに興味など無い。そもそも本物なんて見た事も無いから気づかなかったんだろうがな」
「あれ?でも慈善事業に貢献してる貴族が何人もいるって聞いたけど?」
「貢献というより寄付だろう。金だけ送って視察なんか殆ど無い。その寄付も雀の涙程度。庶民に施すのが目的じゃない。慈善活動をしている、という肩書きが欲しいだけさ」
ハッ、と鼻で笑うリュンクスを横目に、蓮姫は今まで自分が見てきた貴族達を思い返す。
見事にどいつもこいつも傲慢で不遜、自分達の事ばかり考えている連中だ。
若干例外も、蓮姫のすぐ側に数名いるが…。
「しかし……なんでまた城に来たんだ?あの皇太子と鉢合わせるのは、いつもここだろう」
「今日は陛下に呼ばれたから。でも、さっきはありがと。リュウが来なきゃ、アンディに何されてたか」
「愛称で呼ぶあたり、随分と仲良さ気に見えたが?」
「だから愛称じゃなくて略称。アンドリューとかリュンクスとか、長いんだもん」
大げさに肩を下ろすと、蓮姫は立ち上がり、備え付けのティーセットでミルクティーを作る。
この部屋には何度も来ているので、慣れたものだ。
リュンクスの好きなミルクティーを淹れると、彼の弟達を思い出す。
「ユリウスとチェーザレも、ミルクティーが好きだったよ。チェーザレの方が甘党で、ミルクも砂糖もたっっっくさん入れてたけど」
蓮姫は思い出したように、フフッ、と笑う。
リュンクスは、そんな蓮姫を見て苦笑した。
「あの末弟達を、そんな風に愛おしげに言う女は、お前くらいだな」
「い、愛おしげって何!?私は別に!」
慌てて否定する蓮姫だが、リュンクスはとても真剣な表情で蓮姫を見詰めた。
「お前が末弟達を気に入っているのはいい。能力者に対して偏見が無いのも、俺は何も言わない。だがな……藍玉兄上には気をつけろ」
「藍玉兄上?」
「まぁ、頭の片隅にでも入れておけ。さて……こんな処で油を売っていていいのか?今日も城下の庶民街に行くんだろ」
「え…………あぁっ!?もうこんな時間!?ごめん!リュウ!!またね!!」
蓮姫は時計を見た途端に、リュンクスに慌ててカップを出すと、脱兎の如く扉から出ていった。
「慌ただしいな。………しかし…蓮姫の行動は自分の首を絞めているだけ。………あいつの決断は…結局悲劇しか生まない」
リュンクスはカップに注がれたミルクティーを眺めながら、ポツリと呟いた。