月に帰る美女(?) 3
帝の言葉の意味がわからないほど、ユージーンは馬鹿ではない。
だが…わかってはいても………本心は少しもわかりたくない。
「……い、いやいやいや。待ってください。俺は男なんですよ?ちゃんと見たでしょう?」
自分の美貌に魅了されている帝にドン引きしながらも、引きつった笑顔で問いかけるユージーン。
あまりの動揺に素が出てしまう。
目を覚ませ、と心の中で念じるユージーンだったが、そんな彼の心情は帝に微塵も届かなかった。
「それがそなたの本当の声か。なんと…凛々しく美しい声か」
「聞いてます!?人の話!」
「あぁ。しっかりと聞こえておるぞ。そなたは男だ。間違いなく…この世で最も美しい男だろう。世界一の美男……なんと魅力的なことか。朕はそちらの趣味は無いが……そなた相手ならば、試してみるのも悪くない。…いや、是非とも試したい」
帝のとんでもない発言に、ユージーンの全身はブワッと鳥肌が立つ。
それは先程以上どころか、彼の長い生涯の中で一番の寒気。
何を試すというのか?
やはりその言葉の意味も、理解したくないのに理解してしまう。
ユージーンは身の危険…もとい貞操の危機を感じていた。
「ふふふ。逃しはせん。逃しはせんぞ…美しき男子よ」
デレデレと鼻の下を伸ばしてジリジリと近づいてくる帝に、さすがのユージーンも後ずさる。
しかしその時だった。
激しい足音と共に、野太い男の声がこの桐壺へ近づいてくる。
「帝ー!大変でございます!帝!帝ぉー!!」
「……チッ。なんじゃ?騒々しい」
帝は舌打ちすると、音の方へと振り向いた。
(な、ナイスタイミング!今のうちに!)
その一瞬の間に、ユージーンは右手で蓮姫の手を引くとそのまま彼女を片手で抱きしめる。
「わっ!ジーン?」
「本当にお待たせしました。そろそろ参りますよ、姫様」
蓮姫とユージーンが小声で話し込んでいると、声の主である武官が桐壺へと到着する。
慌てて中に入ろうとするが、それはユージーンの結界に阻まれ、彼は見えない壁をバンバンと叩いた。
「な、なんだこれは!?」
「そなた…何を遊んでおる?ふざけていないで、さっさと要件を述べよ。一体何が大変だというのだ?」
帝は武官がふざけているのだと勝手に解釈したようだ。
全くもって危機感がない。
結界に気づいていた久遠がそれについて言及しようとしたが、久遠の言葉を遮り武官が口を開いた。
「帝。恐らくその者は、ふざけているのではなく」
「も、申し上げます!竹取の翁の館ですが!取り囲んでいた二十名程の武官が全て倒されたと!」
「なに?何故そのような事になっておる?一体誰の仕業だ?」
「は!報告によりますと下男の一人が武官全てを倒したとか!その後、もう一人の下男と嫗と共に館を捨て、逃げ出したとのことです!」
「嫗が…逃げただと?どういう事だ?そなた、何か知っておるか?かぐや姫と呼ばれし男子よ」
武官の報告に眉を寄せた帝は、ユージーンへと問いかけた。
するとユージーンは蓮姫を右手で抱きしめたまま、不敵に微笑む。
「どうやら時間のようですね。宣言通り、私は月へと帰らせて頂きます」
「それは許さぬと言ったはずだ。そなたは朕のもの。月になど帰すものか。しかし何故、乳母を捕まえているのだ?」
「帝には理解出来ぬでしょうが…この方は私にとって何よりも大切な方。かけがえのない…この世でただ一人の女性なのですよ」
真っ直ぐに帝を見据え宣言するユージーン。
やりとりを横で見ていた久遠は、この一言で目の前にいる男の正体に気づく。
(…まさか……この男が…)
この美しい男こそが蓮姫のヴァル…己の全てをかけて、弐の姫である蓮姫のみに仕える従者なのだと。
しかし、その言葉を向けられた張本人…帝は見当違いな結論に至っていた。
「なんだ?その女人が欲しいと申すか?ふぅ…致し方ない。朕のものとなる褒美だ。乳母は諦め、そなたにくれてやろう。そなたに比べれば乳母の代わりなど、いくらでも探せる」
帝はため息をつくと、あんなにも必要としていた乳母…蓮姫をアッサリと手放す決意をした。
それだけユージーンが欲しいのだろう。
帝にとって自分以外の人間など駒でしかない。
自分の望みを叶える為ならば、誰であろうと物のように扱う。
他人の気持ちなど考えもしないし、どうでもいい。
そんな為政者らしい態度を崩さない帝を、ユージーンは見下すように鼻で笑った。
「帝に言われるまでもありません。私はこの方を決して手放さない。共に月へお連れします。…そして……他の者も一緒に、ね」
ユージーンがそう告げた瞬間、月明かりが入り込み、蓮姫とユージーンを包んだ。
月光で照らされたユージーンは、扇で隠れていない右目を細め、帝へと最後の言葉をかける。
「それでは…永遠にさようなら、帝」
別れの言葉を告げた直後、ユージーンと蓮姫は消えてしまった。
まさに一瞬の出来事。
「っ!!?か、かぐや姫!?」
帝は慌てて二人が立っていた場所へ手を伸ばすが、当然ながらその場には誰もいない。
ただ足元に、ユージーンが脱ぎ捨てた着物が散らばっているだけだった。
ユージーンのかけた結界も解け、女房や武官達も桐壺へと入ってくる。
帝は散らばっている着物の一枚を手に取ると、俯いたままそれを強く握りしめた。
恐らく悲しんでいるであろう帝に、誰一人として言葉はかけられない。
唯一、久遠が声をかけようとしたその時…帝はゆっくりと顔を上げた。
不気味な程に歪んだ笑顔で。
「…く…くくく…くははは…朕を拒むというか?…面白い。決して逃がさぬぞ、かぐや姫。必ず連れ戻してくれる。検非違使を集めよ!竹取の翁と嫗!それとあの醜女!あやつらを探し出すのだ!あの者達なら、かぐや姫を連れ戻す手がかりを知っておるやもしれん!草の根分けてでも探し出し、朕の元へと連れて参れ!」
帝が狂気の笑いを撒き散らしている頃、内裏から消えた蓮姫とユージーンは竹林の中にいた。
ユージーンは被っていたカツラを取ると、カツラに入れやすいようオールバックにしていた自分の銀髪をガシガシと乱暴に整える。
「クソッ…あの変態め。男でもいいとか…試したいとか……俺だってそっちの趣味は無えっつの。…うっ…思い出しただけで吐き気が…」
帝の鼻の下を伸ばして頬を染めた顔を思い出し、吐き気が込み上げるユージーンだったが、なんとかそこは堪える。
蓮姫の方は、一瞬で内裏から移動した事に驚いていた。
「今のって…瞬間移動?」
ユージーンは髪型を普段通りに整えると、蓮姫へと振り向き彼女に説明する。
「そうですよ。一瞬で別の場所へと移動出来る上級魔術。『空間転移』です」
「凄い。じゃあ何処でも…それこそ好きな時に、好きな場所に行けるってこと?」
「そう上手くはいきません。『空間転移』は上級魔術の中でも魔力の消費が激しい。この俺でも乱発は出来ません。それに制限もあって、移動する先は一年以内に術者が行った場所に限られます。俺は800年前から封じられてましたし。期待を裏切るようで悪いんですが…この先、空間転移で旅をしたり、ほいほい簡単に移動したりは出来ないんですよ」
「…そっか。それは残ね……」
そう都合良くはいかないと知り、肩を落として残念がる蓮姫だったが、何故か彼女は言葉の途中で黙り込むと、そのまま俯いてしまった。
ユージーンの目には蓮姫が落ち込んでいるようにも見える。
「………姫様?どうかしました?」
(私…またジーンの事…都合良く使おうとした。ジーンの空間転移なら簡単に何処にでも行けて便利だ、って。…かぐや姫の言う通り…私は結局、いつもいつもジーンを利用して、好き勝手して…ワガママを通してる)
ユージーンの問いかけには答えず、ただ心の中で自己嫌悪に陥る蓮姫。
そしてそのまま顔を上げると、ユージーンを真っ直ぐに見つめた。
「…ねぇ、ジーン」
「な、なんですか?」
「助けに来てくれてありがとう。それと…いつもごめん」
「…………え?…ど、どういたしまして。…姫様…なんか変じゃありません?いつもと違うというか…何か変な物でも食べました?」
素直に礼を告げて頭を下げる蓮姫に、ユージーンは戸惑う。
今までも蓮姫がユージーンに礼を言う事も、謝る事もあった。
しかし今回の蓮姫からは…強い決意のような…深い謝罪のような…何処か違和感を感じるユージーン。
結果、自分の主に対して失礼極まりない態度となり、素直に頭を下げた蓮姫も多少の苛立ちを感じた。
「…失礼な。あのね…私はいつもジーンに迷惑かけてるでしょ?約束だって…結局破ったし。それに…かぐや姫にも指摘されたの。他人に言われて気づくなんて…情けないけど。でも…事実だった。私はジーンに甘えて、いつもいつも好き勝手してる。…だから…ごめんなさい。それと…ありがとう」
「なるほど。そういう事ですか。あのデブスきっかけって言うのは面白くありませんが…まぁ、謝罪も礼も素直に受け取りましょう。しかし……プッ…今更過ぎません?」
ユージーンは軽く吹き出すと、笑顔のまま蓮姫へと語りかけた。
その笑顔は帝達に向けていた見下すものでも、軽蔑するものでもない。
ただ純粋に…ユージーンとしては珍しく、素の笑顔だった。
「姫様がワガママなのも、勝手なのも、俺が振り回されるのも…いつもの事です」
「……そこは…本当に反論出来ない。ごめんなさい」
「でも…それにはいつも理由がある。…姫様はいつだって、誰かを助けようとして無茶をする。…姫様のそれは美点でもあり欠点でもありますが…一番好ましい点だとも思ってます。そんな姫様だからこそ…俺は貴女の傍にいるんですよ」
柔らかく微笑み、素直に蓮姫を褒めるユージーン。
珍しくユージーンに褒められ、蓮姫は照れで頬に熱が集まるのを感じていた。
「……ジーン…」
「でもまぁ…そもそも約束って守る為にありますから。今後は守るように善処して下さいね。毎回毎回破られるのは、さすがにムカつくんで」
先程までの柔らかい微笑みはどこに行ったのか?
今度はドス黒いオーラを放ちつつ、優しい口調で蓮姫へと告げるユージーン。
蓮姫はやっと気づいた。
ユージーンはやはり今回の事で怒っていたと。
優しい言葉をかけ、微笑み、蓮姫を褒めていたのは彼の本心かもしれないが……こちらも彼の本心に変わりはない。
そもそもユージーンは蓮姫に約束を破られた上に、蓮姫を助ける為に女装して、男に求愛までされた。
不機嫌にならない方がおかしい。
「姫様…今後は気をつけてくれますね?」
「は、はい。気をつけます」
ユージーンのあまりの威圧感から、蓮姫は従者相手だというのに敬語になってしまう。
確か以前にもこんな事があった気がする…と思い出しながら、反省する蓮姫だった。
「ふっ。そんな畏まらないで下さいよ。そうそう。姫様の事だから、かぐや姫達を助けたいだろうと思いまして。あのままだと帝に何かされる危険もありましたし。かぐや姫と翁には犬とノアが、嫗と梅吉には未月がついてます。この竹林に集合する手筈になってますから、今頃無事に逃げ出してるでしょう」
「そ、そっか!…良かったぁ」
今後の為に、かぐや姫達の無事や安全を予め考えていたユージーン。
それを聞き蓮姫は安堵のため息を漏らす。
他人の無事を心底喜べる蓮姫だからこそ、ユージーンは蓮姫の為に前もって火狼達に指示し、行動に出ていたのだ。
「帝が変な動きをする前に全員集まれると思います。俺達はここでのんびりと待ちましょう」
「わかった」
「そんなに時間はかからないと思いますよ。しかし…カツラってのは蒸れますね。必要ないから、今後も使わないでしょうけど」
ため息をつくと、再び頭を軽く掻くユージーン。
長い黒髪も似合っていたが、やはりユージーンはいつもの銀髪が一番落ち着くと蓮姫は思った。
しかし…ふと、見慣れた彼の髪型の……ある部分が目に留まり、気になった。
それは左だけ長く、いつもユージーンの左目を隠している前髪。
カツラをつけていた時は、その形のせいで、左側は髪…カツラに隠れていなかった。
それでもわざわざ扇を使って、顔の左半分だけ隠し、扇を仕舞っても左目を開くことは無かった。
ユージーンは…何故か、頑なに左目を隠している。
「ねぇ、ジーン。なんでいつも左目を隠してるの?金色で綺麗なのに」
蓮姫はサラリと…それこそ世間話のようなノリで聞いた。
ただ興味がある、それだけだった。
しかし…蓮姫に問われたユージーンは、ピクリと体が反応しただけで何も答えようとはしない。
ただゆっくりと…感情のこもっていない紅い右目を蓮姫へと向けた。
「…ジーン?」
異様な雰囲気を放つユージーンに、蓮姫は無意識に彼の名を呼んだ。
ユージーンは蓮姫から視線を逸らすことなく、彼女に微笑みを向けて声をかける。
「姫様……一つだけ、お願いしたい事があります。今後、俺の左目の事は誰にも言わないで下さい。犬は勿論、未月や王都の双子達にもです」
「え?……う、うん…わかった。でも、どうして?この世界じゃ金色の目なんて珍しく…」
言いかけて蓮姫は言葉に詰まる。
確かに、この世界の住人の目や髪はカラフルなものが多い。
火狼や残火は翠の目をしているし、未月は蒼い目だ。
魔獣とはいえ、猫科のノアールも目の色は紫。
ロゼリアでは街ゆく人の多くが赤い目をしていたし、自分と同じ黒い目の者を見た事もある。
しかし…蓮姫は気づいた。
金色の目を持つ者は…誰一人として会っていない。
目の前のユージーン以外は。
蓮姫の様子に気づいたユージーンは、彼女の思考を補足するように口を開く。
「この世界は、想造世界にとって夢物語のようなものです。おとぎ話が実現する事もあれば、魔法だって存在する。人魚や天馬に魔獣…色々な種族がいます。人間だって目が赤い奴もいれば、青い奴もいる。オッドアイの奴だっています。……でも…」
ユージーンは一度言葉を区切ると、ゆっくりと…しかしハッキリとした口調で言葉を続けた。
「…たとえ片目だけでも……黄金の目を持つ人間は…俺しかいないんですよ」
ユージーンがそう告げた瞬間、そよ風が吹き彼の銀髪を揺らした。
さらさらと揺れる前髪の隙間から…彼の黄金の左目が月明かりを受け、怪しく輝く。
「……ジーン……貴方は…一体何者なの?」
それは…ユージーンと初めて会った時に、蓮姫が彼に問いかけた言葉と同じもの。
ユージーンが得体の知れない男だというのは、主である蓮姫が一番理解している。
理解していた…はずだった。
だが実際、蓮姫はユージーンについて知らない事の方が多い。
魔力の強さや魔王と呼ばれた過去、先代女王に封じられた経緯や理由…ごく僅かな事しか知らない。
逆にユージーンは、弐の姫の事やこの世界の事、そして…何故か想造世界についても知っている。
蓮姫の疑問は当然のもの。
問われたユージーンは、少し困ったように眉を下げる。
「姫様にそれを聞かれるのは…二度目ですね」
「……あの時は…魔王と呼ばれた不老不死の人間だって言ってた。…でもきっと…それだけじゃない」
蓮姫は確信を込めてユージーンへと告げる。
彼の秘密はそれだけではない、と。
「聞かないって言ったのは私。ジーンが言いたくなるまで待つって言ったのも…私。もし…今も言いたくないなら…別に答えなくてもいい」
「いえ。言いたくない訳では無いんですよ。……むしろ…いつか姫様には…全てを話そうと思っていました」
ユージーンはゆっくりと蓮姫へ向かって歩き出す。
蓮姫はただ、近づいてくる彼の顔を見据えていた。
近距離で…それこそ目と鼻の先でお互いを見つめる蓮姫とユージーン。
「俺の全てを…姫様にお教えします。ですが…姫様はいいんですか?俺が何者か…どんな秘密を持っているのか…俺が怖くはありませんか?」
「それこそ…今更じゃない。なんで私がジーンを怖がるっていうの?」
「…姫様」
「私は貴方の主。そして貴方は…私の唯一のヴァル、ユージーン。貴方が何者であろうと…私は貴方を受け入れる。弐の姫である私と、そんな私の決意を貴方が受け入れたように」
強い意志を黒い瞳に宿しながら、蓮姫は迷いなく答える。
蓮姫の強い瞳と言葉を受け、ユージーンの胸に熱いものが込み上げてきた。
ユージーンは、一度深呼吸すると意を決したように口を開く。
「……姫様………俺は」
ユージーンが今まさに語りかけたその時。
「あっ!姫さーん!旦那ー!」
自分達を呼ぶ火狼の声が、二人の耳に届いた。
声のする方を見ると、狼に変身した火狼がこちらに向かって駆けてくる。
その後方には、巨大化してかぐや姫と翁を背に乗せたノアール。
嫗を背負った未月と、更にその後ろを歩く梅吉と残火の姿。
蓮姫とユージーンが話し込んでいる間に、残りの者達も竹林に到着したようだ。
ユージーンは、わざとらしくため息をつくと、普段の調子で話す。
「はぁ~………時間切れのようですね。この話はまたの機会にしましょう」
「えっ!?」
先程までのシリアスな様子を完璧に消し、急に普段通りの雰囲気へと戻したユージーン。
そんな彼に驚き、呆気にとられる蓮姫だったが…お願いと言ったユージーンの言葉を思い出す。
つまり…ユージーンの話とは、他人に聞かせられない話だ、と。
それを理解した蓮姫は、渋々とユージーンの提案に頷いた。
「……わかった。この話はこれで終わりね」
「えぇ。そうして下さると助かります。…心配なさらなくても…姫様には、いつかお伝えしますよ。必ずね」
「うん。それでいい」
蓮姫はユージーンに微笑んで頷くと、火狼達の方に向かって駆け出した。
蓮姫の後ろ姿を眺めながら、ユージーンは自分の左目を抑えて小さく呟く。
「全てを知っても…貴女は何も変わらないんでしょうね。……彼女のように…」