帝 7
「久遠?どうしたのだ?何をヒソヒソと話しておる」
「…申し訳ございません、帝。久々の再会に動揺しておりまして。彼女は……間違いなくロゼリアで会った女性です」
どうやら久遠は、蓮姫の芝居に合わせる事に決めたようだ。
帝を見据えて、あんなにも拒否していた嘘をつく彼の様子に、蓮姫は安堵のため息を漏らす。
「そうか。やはりそなたら、知り合いだったのだな。実に良い。良いぞ、そなたら」
何がいいのか、帝は楽しそうにウンウンと頷いている。
満面の笑みを浮かべるの帝。
久遠はやはり嘘をつくのが不本意極まりなかったのか、眉間に皺を寄せている。
そして…蓮姫を嫉妬のこもった目で睨みつける、かぐや姫。
かぐや姫が自分を射殺しそうな眼光で睨みつけてくる理由は、蓮姫が誰よりも理解している。
(あぁ~…ごめんなさい、かぐや姫。これしか方法思いつかなくて…後でちゃんと説明しますから)
蓮姫はかぐや姫に向かって、申し訳なさそうに軽く頭を下げる。
だが、かぐや姫の方はプイッとそっぽを向いてしまった。
確実に怒っている。
かぐや姫の態度に罪悪感がつのる蓮姫だったが、この場が上手く収まったと一応は安心していた。
だが、更なる混乱を招く言葉を帝は楽しそうに告げる。
「朕からの褒美に、そなたも満足したようだな。いやはや…こんなにも事が上手く進むとは…やはり朕は天に愛された帝、ということか」
「え?…褒美?………っ、まさか帝!?」
確かに先程、帝は蓮姫への褒美を持ってくると言った。
しかし蓮姫は帝から何も貰っていないし、何かを見せられた訳でもない。
ここを離れる際に帝は『褒美を持ってくる』ではなく『連れて来る』と言っていた。
帝が連れてきたのは、この久遠のみ。
そこまで考えると、蓮姫は帝の言いたい事を理解した。
帝もまた蓮姫の顔を見て彼女の勘の良さに感心し、言葉を続ける。
「そうとも。由緒正しき杠の次男にして、王都では女性陛下より将軍を賜った男。誉高い血筋の生まれにして、それに相応しき役職。強く清い心を持ち、女性陛下とその民を守る。何よりこの美しい容姿。かつての光の君を除いて…こやつ以上に優れた男を朕は知らぬ。そなたへの褒美は…この久遠だ」
「な!?ま、待」
「ちょっと待ってーー!!!」
蓮姫が「待って下さい!」と抗議の声を上げるより早く、かぐや姫は必死の形相と声で帝へと叫んだ。
久遠に恋するかぐや姫からすれば、とんでもない内容だ。
まぁ、蓮姫や久遠にとっても、とんでもない内容なのだが…。
そんな当事者達を置き去りにし、関係ないかぐや姫が一番その事実に驚き、拒否を見せる。
「み、帝!お待ち下さい!何故久遠様を蓮…様に!?」
「醜女。そなたには関係なかろう。…あぁ安心せよ。いつかそなたにも『醜女でも構わぬ』という男を与えてやるゆえ」
「与える!?じゃあ!く、久遠様と……蓮は…」
真っ青になり、この世の終わりのような顔で蓮姫と久遠を見るかぐや姫。
何かを言いたいようだが、もはや言葉は声として出てこない。
軽く放心しているかぐや姫を放って、帝は久遠へと声をかけた。
「久遠。そなた達、杠は元々大和の民。そして朕の民なのだ。それ故にそなた達一族は大和を出てからも、大和との婚姻を重視しておるではないか。ならばいっそ大和に戻れ。いつも言っておろう?朕は特にそなたを気に入っておる。大和で朕の為に力を尽くすのだ」
「お言葉ですが帝…私は天馬将軍。女王陛下をお守りする軍の幹部、五将軍の一人なのです。そう易々と大和に戻る事など出来ません。何より女王陛下の許しも出ないでしょう」
「そなたはいつも簡単に朕の頼みを断るの。ずっと朕は考えていたのだ。どうすれば、そなたが大和に留まるかを。そんな時…この女に出会った」
言葉の途中で帝は蓮姫へと視線を映す。
今度は蓮姫に言葉をかけた。
「そなたのように金にも権力にも靡かず、脅しにも屈しない女。そんな女に与えるに相応しい褒美…それはそなたと同じくらい、強く清い心を持つ…美しい男。久遠が相手ならば文句など出るはずもない」
帝は楽しそうに、フフフ…と笑う。
ニヤニヤと蓮姫と久遠を見るその目は、実に満足気だ。
帝はコホンと咳払いすると、久遠へ自分の思いを告げた。
「久遠。そなたはこの女と祝言をあげ大和の民に戻れ。女王陛下は色恋に関して寛容と聞く。喜んでそなたを大和に戻すだろう。妻と共に我が息子…未来の光の君を強く育てるのだ」
驚き…いや呆れる久遠の顔など目に入っていないのか、帝は笑顔のまま次に蓮姫へと顔を向けた。
「女。そなたは謹んで朕からの褒美…久遠を受けよ。朕に深く感謝し、その想いの元、かぐや姫と光の君に誠心誠意仕えるのだ」
蓮姫の方は、帝の言葉に呆れるでも驚くでもなく…むしろ両方だろう…そのまま口を開けて絶句している。
帝に対して何も返事をしない二人だが、帝はそれを了解と取ったのか一人で勝手に喋り続けた。
「ふふふ。絶世の美女と噂されるかぐや姫は今夜手に入る。未来の光の君を育てる清き乳母も、強く美しい久遠も朕の手元。欲しかった者が一日の間に何人も手に入るとは!なんと素晴らしい!大和建国以来の記念すべき日だ!直ぐに宴を開かねばな!ふふふ!ははははは!!」
勝手に盛り上がり、勝手に笑い続け、帝はこの場を離れていった。
残された蓮姫と久遠…そしてかぐや姫。
誰も一言も発さずに、部屋はシン…と静まり返る。
そんな静寂を破ったのは、不機嫌さをそのまま表現したようなため息だった。
「………はぁ…いい加減、離してくれないか?」
「っ、す、すみません」
久遠に指摘され、未だ彼に抱きついたままだった蓮姫は慌てて彼から離れる。
「えと…ありがとうございます、天馬将軍。おかげで助かりました」
「君を助けるのは当然だ。君は弐の」
「私はロゼリア貴族の姫、蓮ですよ。天馬将軍」
この部屋に居るのは自分達二人ではない。
放心状態に近いが…かぐや姫もまだそばにいる。
蓮姫はかぐや姫にチラリと目線を送り、久遠に余計な事はまだ言わないでほしいと伝える。
今度はちゃんと伝わったらしく、久遠はまた深くため息をついた。
「そうだったな。…なら別の話をしよう。何故君がこの大和…それも内裏に?」
「それについては簡単に説明しますね。なので、天馬将軍がどうして大和にいるかも教えて下さい」
「いいだろう。だが俺の理由こそ至極簡単で自然なものだ。恐らく…君と違ってな」
「……はは…恐らく…おっしゃる通りです」
助けてくれたとはいえ、やはり久遠への苦手意識が抜けない蓮姫。
そんな久遠の言葉をなぞらえながら、蓮姫は苦笑しつつ答えた。
「つまり、天馬将軍は去年と同じく、お祖母様のお見舞いのため大和に来られたんですね」
「…………そうだ。……しかし…君はなんという…」
お互いがこの大和にいる理由を説明している間…正確には蓮姫の説明を聞いている間、久遠の表情は段々と険しくなっていった。
蓮姫もそれに気づいていたが、彼に嘘を言うつもりはなく正直に答える。
結果、久遠の機嫌は更に悪く、眉間の皺は更に深くなっていったが。
「あはは…呆れて……ますよね?」
「あぁ、そうだ。君は変わったかと思ったが…やはり変わっていないようだな。姫としての自覚が無さすぎる」
「本当に…天馬将軍はいつも正論をおっしゃいますね」
「君が愚かな行為を繰り返すからだろう」
苦笑する蓮姫に冷たく言い放つ久遠。
それは軽蔑している訳でも見下している訳でもないが、間違いなく呆れていた。
「とはいえ…先程の話は本当か?」
「?…どの話のことですか?」
「従者が助けに来る…いや、君に従者がいる…という話だ」
久遠の言いたい事の意味がわかり、蓮姫は笑顔でそれに答える。
「本当です。従者は三人と一匹。うち一人が……目的の従者です」
「目的の従者とは………っ!?まさかヴァ」
「天馬将軍。お気持ちはわかりますが…あまり大きな声を出さないで下さい」
ついでに余計な事も言うな、と目で念を押す蓮姫。
久遠は蓮姫の言葉に驚きを隠さず、むしろ信じられないとその綺麗な顔に書いてある。
蓮姫が王都を出た理由。
それは自分のヴァルを探すため。
つまり目的の従者とはヴァルのことであり、ユージーンの事を指している。
しかし、蓮姫の話がいかに真実だろうと、久遠には信じられなかった。
弐の姫にヴァルがいるなど…信じられなかった。
やっと出た言葉は蓮姫の言葉を疑うもの。
「………本当か?」
「そんな嘘はつきません」
「……悪かった。君の言葉を…信じよう。だが本当に君の…その従者が助けに来ても帝は納得しないぞ」
「大丈夫です。口がうまい男なので。彼なら帝を説き伏せる事も出来ると思いますよ」
「随分と信頼しているな」
「はい。だって彼は…従者の中でも、私にとって唯一の者ですから」
蓮姫の従者は既に数名いる。
だが、ヴァルという従者はユージーンだけだ。
蓮姫にとってユージーンとは、掛け替えなき唯一無二の存在。
だからこそ、蓮姫は更に久遠へと念を押す。
「今回の事態は私とその従者にお任せ下さい。天馬将軍のお手をわずらわせる事はありません」
「見くびってもらっては困る。君が呼ぶように俺は天馬将軍。五将軍の一人だ。もし事態が悪化し、騒ぎが大きくなれば…沈静化させるは将軍の務め。その時は…俺も動く」
久遠の言葉はぶっきらぼうだったが、つまり『蓮姫達で上手く事が進まなかった時は助けてくれる』という意味だろう。
「感謝致します。天馬将軍」
「あぁ。…君の従者の…御手並み拝見、といこう」
「大丈夫です。彼なら将軍の期待に応えられるでしょう。さて、かぐや姫。私達はそれまでここで……かぐや姫?」
「……………」
久遠との会話が一段落し、蓮姫はかぐや姫へと向き直る。
だがかぐや姫はブスッとした顔で蓮姫を睨みつけていた。
「かぐや姫?どうしました?」
「………はぁ?どうしましたぁ?本気で言ってんの?この裏切り者」
「う、裏切り者?」
吐き捨てるように告げたかぐや姫の言葉、そして彼女の視線に困惑する蓮姫。
しかし次の瞬間、蓮姫はバッ!と久遠を振り返った。
無表情な久遠と不機嫌なかぐや姫の顔を交互に見ながら、蓮姫の顔は段々と青くなっていく。
彼女は咄嗟だったとはいえ、自分が仕出かした無神経な態度に今更ながら思い出す。
そして、かぐや姫が不機嫌な理由も、自分を裏切り者呼ばわりする理由も理解する。
それを裏付けるように、かぐや姫は自分から口を開いた。
「私が久遠様を好きなの知ってるクセに。久遠様に抱きついて、二人で仲良く喋ったりしてさ。見せつけるとか…最悪だよね」
「ち、違うんです!かぐや姫、これには事情があって!」
「へぇ~。事情があれば友達の恋心を踏みにじっていいんだ?当てつけとか正当化されちゃうんだ?凄いね、あんたの頭の中」
「かぐや姫…私と天馬将軍は何も…」
「はぁ?自分で知り合いだって言ったじゃん?どうせ、あんたも久遠様を好きだったんでしょ。抱きついたくらいだもんね」
「それはありえません!」
「…君も失礼な人だな」
かぐや姫の言葉に全力で否定する蓮姫に、さすがの久遠もつっこみを入れてしまった。
「かぐや姫。お願いします。私の話を聞いてくれませんか?友達として誓います。私と天馬将軍は何もありません」
「あんたなんかもう友達じゃないわよ。女の友情はハムより薄いってホントよね。あ~ヤダヤダ。こんな女とちょっとでも友達だった自分がバカみたい」
蓮姫の話に全く聞く耳を持たないかぐや姫。
蓮姫はなんとか誤解を解こうとするが、それを久遠が手で制した。
「…天馬将軍?」
「これ以上、君は口を開かない方がいい。逆効果だ」
「久遠様!?私より蓮の味方をするっての!?酷い!」
久遠はまたため息をつくと、今度はかぐや姫へと近づき何度となく蓮姫へと向けていたあの目…軽蔑を込めた目でかぐや姫を見つめ…一言呟いた。
「君は…醜いな」
「天馬将軍!」
「っ!!?知ってますよ!そんなことっ!何よ!どうせ久遠様も他の人と同じだわ!私なんてデブでブスの醜い女だって言うんでしょ!」
久遠を止めようとする蓮姫だが、かぐや姫は顔を真っ赤にし、目に涙をためながら爆発したように久遠へと怒鳴る。
「ずっと好きだったのに!久遠様なら私を好きになってくれると思ってたのに!こんなのあんまりだわ!酷すぎる!久遠様だって私と蓮なら蓮の方がいいんでしょ!!久遠様だって蓮と同じじゃない!裏切り者っ!!」
「……何か勘違いしていないか?君の容姿など関係ない。俺は…真実を見ず、自分に都合の良い解釈しかしない。君の心が醜いと言ったんだ」
その言葉に、興奮していたかぐや姫は「え?」と我に返る。
自分を見つめるかぐや姫に、久遠はやはり遠慮ない言葉を投げた。
「君が俺に懸想しているのはわかった。だがそれを理由に、君は真実ではなく自分に都合のいい方にばかり物事を考えている」
「つ、都合のいいって何!?私は被害者なのよ!私が一番傷ついてるのに!」
久遠の言葉にやはり納得がいかなかったのか、かぐや姫は我に返ると同時に頭に血が上る。
そのまま彼へと言い返したが、久遠はかぐや姫に臆することは一切なく、淡々と言葉を続けた。
「俺と…彼女の話を聞いていれば、二人の間には何も無い事など直ぐに理解出来る。それなのに…君は真実とかけ離れた勝手な妄想を君の中で真実にした。彼女を裏切り者にすることで、自分を被害者にしたんだ。自分を正当化させるために、俺や彼女を悪者にした」
「せ、正当化ですって?」
「自分こそが可愛い。自分を傷つける者、自分にとって邪魔な者は悪だ。だから俺達は裏切り者で加害者。可愛い自分は被害者。君は被害者ぶれば自分こそ正しくなると思い込んでいる」
「わ、私は…被害者ぶってるんじゃ…。だって…蓮と久遠様が悪いんじゃない。なによ…二人が悪いのに…なんで…なんで私が…悪いみたいに言われなきゃ…いけないのよぉ」
なんとか言い返そうとするかぐや姫だが、言葉の途中から泣き出してしまう。
涙を流しながら、ヒクヒクと顔を上下させるかぐや姫に、久遠はトドメの一言を告げた。
「都合が悪くなれば泣く、か。やはり君は…君の心は心底醜いな。俺は君のような人間を軽蔑する」
「う、うわぁぁぁん!!」
ついにかぐや姫は床に突っ伏してしまい、大声をあげて泣き出してしまった。
「酷い!」「私は悪くないもん!」と繰り返しながら泣くかぐや姫の姿を、久遠は宣言通り汚物を見るような目で見下す。
一方、蓮姫の方はかぐや姫に駆け寄るでも、久遠に物申すこともしなかった。
蓮姫はただ呆然と固まっている。
久遠がかぐや姫に放った一言が、蓮姫にも深く突き刺さっていたからだ。
「私は…被害者…ぶってた…?自分を…正当化…………………を…悪者にして…」
ブツブツと小さく呟いている蓮姫の声が耳に届き、久遠は彼女の変化に気づく。
「どうした?」
「……え?…あ、いや。なんでもない…です」
「そうか?…いや、なんでもなくはないだろう。俺の言葉は…確かに配慮のないものだった。君には…すまないと思っている」
「っ、私…に?」
久遠の言葉に蓮姫はビクッ!と体を震わせる。
まさか久遠に…この男に自分の心が見透かされているのでは?と。
だが久遠が口にしたのは、蓮姫の今の心情とは関係ないものだった。
「君の立場や境遇を知っていながら…俺は偏見でばかり君に接していたからな。それは俺だけではない。君のような存在を悪とし、自分達を正当化する。…まさにこの世界の人間そのものだ。醜いのは…俺を含めた、この世界の人間全てなのかもしれない」
「…天馬将軍」
過去の自分の態度や、蓮姫を冷遇していた者達を思い出し歯をくいしばる久遠。
弐の姫という偏見だけで蓮姫を評価していた者は多く、今後も多く現れるだろう。
久遠も本当は気づいている。
弐の姫というだけで評価する程、蓮姫は矮小な存在ではないと。
本当にヴァルと呼べる従者がいるのなら…蓮姫は女王となる…人の上に立てる素質があるかもしれない。
そしてそれは…自分の仕える壱の姫よりも…。
「俺は君を軽んじていた。全ては君を偏見の目でしか見ていなかったからだ。俺は…君を知ろうとすらしなかった。会えば小言しか言わぬ男など、君も嫌っていただろう」
「いえ、その……嫌ってはいません。正直少し…少しですよ?苦手でしたけど…それはいつも、私が自覚の無い行動をしていたからですし」
「否定はしないな。過去に君を叱責した事も謝るつもりはない」
「そ、そうですか」
謝りたいのか、謝るつもりがないのか、わからない男だ。
しおらしい態度は既になく、キリッとした表情で蓮姫を見つめる。
「そろそろ俺も帝の元へ戻ろう。再度聞く。君の…例の従者は、本当にこの場を上手く切り抜けられるんだな?」
「はい。必ず」
「………わかった。ならば俺も君を信じよう。君達を信じ、全て任る。…それでは」
久遠は蓮姫に一礼すると、帝の元へと戻って行った。
残された蓮姫はかぐや姫に寄り添い、彼女の背をポンポンと撫でる。
始めは蓮姫の手を払い除けていたかぐや姫だが、蓮姫はめげずに背を撫で続けた。
するとかぐや姫は、ガバッと蓮姫へ飛び込み、彼女の胸に顔を埋めて泣き続けた。
時は既に夕刻。
帝が翁に出したタイムリミットは、月が真上に上るまで。
蓮姫の迎え…そして帝の望みが叶うまで…もう少し。