帝 3
翁の願いが届いたのか……ユージーン達が竹林に辿り着いた頃、竹取の翁の館に来訪者が現れた。
舘の前にはとても立派で派手な装飾をした牛車がとまっている。
その牛車からは行列のように人々が並んでいた。
彼等の出で立ちを見ると、武装した武官だったり、梅吉とは違い身なりの整った下男や女房だったりと様々。
今までの公達とは比べ物にならないほど厳重な警備であり、大所帯なお供の数。
その内の一人…翁と会った使者が牛車へと近づく。
「大変お待たせしてしまい、申し訳ございません。竹取の翁の館に到着致しました」
その言葉を聞いた中の人物は、牛車の御簾をするりと上げ、優雅な佇まいで牛車を降りる。
かの人物が現れると、お供の者は全員がその場に跪き深く頭を下げた。
「かの桐壺の更衣と等しい程、美しい女人。…ようやく…この手に」
牛車から出た人物は微笑みを浮かべると、土足のまま館に上がり込んだ。
それに続き何人も舘へと足を踏み入れる。
靴を履いたままの足音は舘内に響き、かぐや姫や蓮姫達の耳にも届く。
「うるさいなぁ。翁達ってばもう帰って来たの?」
かぐや姫は相変わらず菓子をモグモグと食べながら、大きな足音に顔をしかめた。
嫗も『おや?』と首をかしげている。
しかし蓮姫と残火は違った。
足音に耳を澄ませるその顔からは緊張感さえ漂う。
「残火さん…これって」
「…あぁ違う。…奴等じゃない」
どう考えても、この足音の数はユージーン達のものではない。
蓮姫がノアールへと視線を向けると、ノアールは全身の毛を逆立て部屋の外を威嚇していた。
(ノアが興奮してる。私の知ってるかぐや姫の物語じゃ…危険な場面なんて無かった。…でも…やっぱりただの物語とは違って…これは現実。何が起こるかなんてわからない)
「かぐや姫、嫗。お下がりください」
今この場に危険が迫っている。
そう考えた蓮姫は、かぐや姫と嫗を庇うように前に立ち上がった。
「………ちっ。仕方ないな」
残火も嫌々ながら立ち上がると、蓮姫の隣に立つ。
ユージーンや火狼に『戦闘能力が低い』と切り捨てられた残火だが、彼女とて暗殺ギルド朱雀の一員。
ユージーン達のような超人と比べれば確かに弱いだろうが、逆に普通の人間と比べるならば彼女は強い方だ。
二人揃ってかぐや姫達を庇うように仁王立ちする蓮姫と残火。
意味がわからないかぐや姫はただ混乱している。
「ちょ、ちょっと何してんの?蓮も妹も。急にどうしたってのよ?」
慌てるかぐや姫に蓮姫が返答する間もなく、ある人物がこの部屋へと入ってきた。
上等で上品な絹の衣を見に纏い、手には笏を持ち、頭には烏帽子をつけた男性が。
男の後ろからは武装した男達が何人も現れ蓮姫達を囲んでいくが、刀や弓を構える事はせず、ただ蓮姫達を睨みつける。
「な、なに?なんなのよ~。誰よこの人ら~」
「姫や。落ち着きなされ」
さすがのかぐや姫も危機を感じたのか、食べるのをやめてオロオロしだした。
そんな娘を落ち着かせようと、嫗はかぐや姫の肩を抱く。
残火は軽く部屋を見渡した。
(この部屋だけで15人。まだ部屋の外にも…館の外にもいる。全部合わせれば…50は軽く超える)
残火は瞬時に、館の外にいる人数まで把握した。
上等な装束に優雅な立ち居振る舞い、数多の部下。
この男はただの貴族ではない…と蓮姫達が感じ始めた頃、一人の武官が声を荒らげた。
「女共!無礼であろう!早く頭を垂れるがいい!この方をどなたと心得る!?」
大声に驚く蓮姫達にかまわず男は言葉を続けた。
「恐れ多くもこの方は!我ら大和、全ての民の頂点に立つお方!今上帝であらせられる!頭が高い!控えおろう!!」
時代劇のワンシーンのような言葉に驚きつつも、蓮姫は慌てて跪き頭を下げた。
蓮姫と同様、残火も跪き、またかぐや姫と嫗も頭を下げる。
(帝!?確かに…かぐや姫の物語…終盤で登場するけど…来るのは夜じゃなかったの?)
自分の知る物語との相違点を考える蓮姫だが、驚く蓮姫達に構わずその男…帝が口を開いた。
「苦しゅうない、面をあげよ民草」
偉そうな態度と口調だが、帝の命令に背く訳にはいかず蓮姫達はゆっくりと頭を上げた。
「朕は帝。この大和の頂点に立つ天子よ。その朕が、わざわざこのように粗末な場へと赴いた理由は一つ。…かぐや姫は何処におる?」
探るような、しかし期待のこもった眼差しを蓮姫達へと向ける帝。
その言葉を聞いたかぐや姫はビクッと体を震わせ、一瞬で顔全体が蒼白になった。
カタカタと小さく震える音が後ろから聞こえ、蓮姫も冷や汗をかく。
(帝…かぐや姫を迎えに来たんだ。自分の妃にする為に。…どうしよう。…確か物語じゃ事実を話して………なんて無理か。納得してもらえるはずない)
怯えるかぐや姫。
そんなかぐや姫を心配する蓮姫。
だが、帝はかぐや姫の方には目もくれず蓮姫へと歩み寄り顔を近づけた。
「…ふむ。そなたも、そこそこ美しいかもしれんな。あくまでそこそこだが」
帝が持っていた笏で、ペちペちと蓮姫の頬を軽く叩きながら呟く。
この場にユージーンがいない事は、帝にとって幸運だったかもしれない。
帝の行為に若干イラついた蓮姫だが、それを抑えて帝へと返答する。
「…お、恐れ入ります。帝」
「だが…それだけのこと。噂に聞くかぐや姫とは程遠い」
ふぅ…とため息を吐くと、帝は蓮姫から顔を離した。
「そなたのような、ただの女に興味は無い。朕の望みはかぐや姫のみ。早うかぐや姫を出さぬか」
再度かぐや姫を要求する帝に、蓮姫は怯むことなく頭を上げ帝へと意見した。
「恐れながら申し上げます。帝は何故かぐや姫を」
「女!帝に対して無礼であろう!さっさとその汚い口を閉じて頭を下げぬか!」
蓮姫の言葉を武官の一人が大声を出して遮る。
あまりの声量と剣幕に蓮姫は渋々頭を下げた。
どうやら帝の許しが無くては、ろくに話も出来ないらしい。
なんともわかりやすく、傲慢な為政者だ。
帝は蓮姫など本当に興味が無いのか、使者へと目を向ける。
「朕が来る事、しかと竹取の翁とやらに伝えたのであろうな?」
「はっ!確かに!竹取の翁も、かぐや姫が帝の妃となる事を喜んでおりました!」
「ふむ…では何故、その翁がおらぬのだ?この朕に対して出迎えが無い事すら腹立たしいというに。かぐや姫ではなく…こんな女共だけを残して」
「そ、それは…申し訳ございません。私には…わかりかねます」
深く頭を下げて怯える使者。
その態度でよく分かる。
帝に逆らう事も、帝にとって意に沿わぬ意見も許されないのだと。
「ふむ……さては…逃げたか?」
ため息を吐きながら帝は嫗へと目を向けた。
「表向きは喜んでいるように振舞ったが…やはり愛しい娘を朕に捧げることなど出来ぬと…その翁はかぐや姫を連れて逃げたのであろう。逃げるのに足でまといな他の女や年老いた妻を置いてな」
「なるほど!流石は帝!」
「見事なご推測!恐れ入りました!」
「そうであろう?そうであろう」
使者も武官達も、大袈裟に帝の検討外れな推理を賞賛している。
帝も褒め称えられ、まんざらでもないようだ。
蓮姫達はただ帝がこのまま立ち去るのを願い、待った。
しかし帝が下した判断はなんとも非常であり非情なもの。
「では…かぐや姫がおらぬこの地に用は無い。この者達にもな。朕の命に逆らうという大罪を犯した翁の罪。こやつらに償ってもらおう。全員の首を跳ねて館を燃やすのだ。その後ただちに竹取の翁を追え」
帝のとんでもない提案に、蓮姫達は驚き息を呑む。
蓮姫はたまらず頭を上げると帝へと物申す。
「お待ち下さいっ!帝!それはあまりにも理不尽ではありませんか!」
「ええい!また貴様か!帝にたてつくとは無礼な女め!」
近くにいた武官が刀を抜き蓮姫の首筋に当てる。
だが、蓮姫は怯むことなく言葉を続けた。
「帝!なにとぞ御容赦を!翁は確かに外出しております!しかしそれだけのこと!必ず戻って参ります!罪を裁くというのなら、その時でもよいではありませんかっ!」
(ジーン達が戻って来たら…全員でこの人達を振り切って逃げれる!かぐや姫達も一緒に!大和を出れば帝も追ってこれないはず!)
帝に遠慮なく意見する中、蓮姫は頭の中で今後の算段を立てる。
なおも帝に楯突く蓮姫の態度に苛ついた武官は「こやつ!」と刀に力を込めた。
その為、蓮姫の首筋からは血がポタポタと滴る。
「蓮っ!?」
「姫や!声を出してはならぬ!」
かぐや姫が蓮姫の血に気づき声を出すも、嫗がそれをたしなめる。
「帝!どうか!どうか私の言葉をお聞き下さい!」
「…やかましい女じゃの。朕に物申すとはなんたる無礼。そんなに命が惜しいのなら…今すぐかぐや姫をこの場に連れて参れ。さすれば…お前達全員、命だけは助けてやろうぞ」
「そんな!?」
帝の言葉にかぐや姫がピクリと反応する。
そしてかぐや姫は、畳に染み込む蓮姫の血を見て…決意した。
「出来ぬのであろう?では…そのまま首を」
帝が言葉を言い終わる前、かぐや姫は声を上げた。
「お待ち下さいっ!帝がお望みの……かぐや姫ならばここにおりますっ!」
「………なに?今なんと言った?かぐや姫が何処におると?」
聞き返す帝には返事をせず、かぐや姫はゆっくりと立ち上がると、前に出て帝へと近づいた。
「姫や!」
「か…姫!いけません!」
「かぐや姫!」と叫びそうになり、慌てて言葉を訂正する蓮姫。
嫗はかぐや姫の行動を止めようと手を伸ばす。
しかし彼女はその手を避けると二人に笑顔を向けた。
「…朕の言葉に答えよ。かぐや姫は…何処におる?」
ジロリと帝に睨まれ、恐怖と緊張から冷や汗が流れるかぐや姫。
ふぅ~、とゆっくりと息を吐くと帝を見据え、しっかりとした口調で告げた。
「私こそが…かぐや姫にございます」
「……な……ん…だと?」
「お探しのかぐや姫は私です。帝が私を望まれるのでしたら、私は帝の妃となりましょう。その代わり…私の母と友を見逃して下さいませ」
恐れる心を隠しながら、かぐや姫は堂々と答えた。
自分を育ててくれた大切な母、そして初めて出来た大切な友を守るために。
彼女は自分一人が犠牲となる道を選んだのだ。
しかし……断腸の思いで決意した、かぐや姫の望みは通らなかった。
帝は黙り込み、かぐや姫を見つめたまま微動だにしない。
だが、段々と帝の体がプルプルと小刻みに震え出した。
「……………」
「…………?……帝?」
「………ぷっ」
ついに帝は吹き出してしまった。
そして先日のユージーンや火狼と同じく、一度吹き出してしまうとソレは止まらない。
「…ぷ…ぷくくっ…くっ…くははは!ふはははははははっ!!」
帝は笏をかぐや姫に向け、もう片方の手で頭を抑えながら、大声をあげて笑い出す。
「はははははっ!醜女が何を言うかと思えば!そ、そなたがかぐや姫だと!?はははっ!笑わせてくれるではないか!そなた鏡を見た事が無いのか!?つくならもっとましな…いや、まともな嘘をつくがよいっ!はははははっ!」
帝の言葉に、周りの武官達もゲラゲラと笑い出す。
かぐや姫は羞恥で顔を真っ赤に染めて体を震わせた。
その目は涙で潤んでいるが、決して泣くまいと唇を噛み締めている。
かぐや姫を笑い続ける男達に、蓮姫は怒りが込み上げ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
(…この人達!かぐや姫の気持ちも知らないで!)
(まぁ、当然よね。私や弐の姫ならともかく…こんなのが噂の絶世の美女だって言われて…信じられるわけないし)
怒りに震える蓮姫とは逆に、残火は冷静に男達の態度を傍観していた。
蓮姫の怒りも、かぐや姫の心情も帝達は考える事もせず、ひたすら笑い続ける。
「はははははっ!こんなに笑ったのはいつぶりか!はははっ!醜女よ!褒めて遣わすぞ!」
「……恐れ……いります…帝」
かぐや姫はそう告げるだけで精一杯だった。
拳を握りしめながら俯くかぐや姫の姿に、蓮姫は胸が締め付けられる。
「ふははっ!……ん?しかしそなた…醜女の割に姫のような装いではないか?その衣……一枚一枚が上等なものばかり。…何故そなたのような醜女が?」
「…それは…」
『私こそが間違いなく本物のかぐや姫だから…』そう告げたくとも、かぐや姫は口には出さなかった。
もはや何を言っても信じてもらえないのはわかっている。
何も答えず俯くかぐや姫を無視して、帝はまた勝手な推測をたてた。
「そうか。そなた…かぐや姫の影武者だな!」
「え?」
「このような醜女ならば、誰も妻にしたいなどと望みはせん!なるほど!民草の割に考えたではないか!」
再び検討外れな事を語る帝に、男達は「おぉ~!」と感心しだした。
「ふっ!なかなかに楽しませてくれるではないか!朕に偽りを申すなど大罪だが…朕はそなたを哀れんでやる。そなたの醜い顔に免じて許そうぞ。おいお前、その女から刀を引くがいい」
「はっ!」
帝に命令されると、武官は直ぐに蓮姫から刀を引いた。
その際、蓮姫を睨みつけた武官だが、鋭い眼光を蓮姫から返されると息を呑み顔を背ける。
それに気付かぬ帝はニヤニヤとした笑みを浮かべ、蓮姫達へと通告した。
「そなた達に猶予を与えようではないか。今晩、内裏にかぐや姫を連れて参れ。さすれば今回の事は不問と致す」
「帝!?よろしいのですか!?」
あっさりと引き下がろうとする帝に、使者も周りの武人達も驚きを隠せない。
「構わん。醜女にはその顔以上に楽しませてもらったゆえ。よいな?今晩だ。月が真上に上がるまでにかぐや姫を連れて来ねば…そなたら全員、命は無いと心得よ。この館の周りには見張りを何人か残しておくゆえ、逃げ出そうなどと愚かな考えはせぬ事だ」
「……帝の…仰せの通りに…」
怒りや羞恥が渦巻く心の内を見せないように、かぐや姫は俯いたまま答えた。
言いたいことも、思うことも多々あるが、とりあえず今は見逃してもらえる。
かぐや姫も蓮姫も、帝達がさっさとこの場から去るのを待った。
しかし帝の目はある者を視界の隅に映すと、そのまま彼女に釘付けとなる。
頭を下げていてもその視線に気づいた彼女…残火は不可解そうに眉を寄せた。
(…なに?人の事ジロジロ見て…気持ち悪い)
舌打ちしたい衝動をなんとか抑える残火。
帝は残火から視線を逸らさず、ポツリと言葉をこぼす。
「…よく見ると…そなた、よい体をしておるな」
「………は?」
チラリと目線だけを上げる残火だが、帝の表情を見て後悔した。
帝の目は間違いなく残火…いや、彼女の豊かな胸を見ており、鼻の下も伸びている。
「ふむ。決めたぞ。そなたも朕の妃の一人とする。朕と共に内裏へ参れ」
「はぁ!?」
残火は意味が分からず…いや、分かってはいるが…理解し難い発言に不快を隠すこと無く、顔を歪ませた。
軽蔑を込めた眼差しを帝へと向ける残火。
しかし帝は、残火の表情も意思も無視し、先程の武官へと命令する。
「この女を連れて参れ」
「はっ!帝の仰せだ。ありがたく思え」
帝の命令を遂行しようと武官が残火に手を伸ばす。
残火がその手を避ける…もしくはそのままへし折ろうとした…その時…。
「いい加減にして下さい」
蓮姫が武官の腕を掴んだ。
「また貴様かっ!?この手を離…っ!!?」
武官が蓮姫に怒鳴り散らそうと口を開くが、言葉を途中で詰まらせる。
自分の腕が、ただの女の手によってギリギリと握りしめられていたからだ。
おかしい。
骨まで軋みそうな程に強く握りしめられる自分の腕。
どう考えても女の力ではない。
武官の体は痛みと得体の知れぬ恐怖で冷や汗が流れる。
「っ、このっ!離さぬかっ!ぐぅ…っ、さっさと、離せっ!」
武官がなんとか蓮姫へと抗議すると、蓮姫はすんなりと手を離す。
だが彼女の怒りは収まらず、武人…そして帝に先程以上の鋭い眼光を放つ。
今や蓮姫の心は怒りで満ちていた。
怒りのまま想造力が発動してしまうほどに。