帝 2
蓮姫とかぐや姫が再会の約束を交わす丁度その頃、翁が部屋へと入って来た。
その姿は先程までの狂人ぶりは一切なく、蓮姫達やかぐや姫がよく知る翁の姿。
「おやおや。姫と蓮様はとても仲良くなられたのですのぉ。このじじも嬉しいですぞ。ふぉっふぉっふぉ」
上機嫌で髭を擦りながら告げる翁に、かぐや姫も首を傾げる。
「どうしたのよ翁。なんかいい事でもあったの?」
「実はな姫………………」
翁はかぐや姫に何かを告げようとしたが、急に口を閉ざす。
そして部屋をぐるりと見渡し蓮姫やその従者達へと目を向けた。
「………ふむ。……これは…ちといかんの」
翁の目はユージーンや梅吉といった男を捉えると、眉をひそめて呟く。
急に黙り込み何やらブツブツと小声で呟く翁に、かぐや姫は再度、そして心配そうに翁へと声をかけた。
「…翁?本当にどうしたのよ?」
「おお、すまぬの姫。実はじゃな…………久しぶりに竹取の仕事が入ったのじゃよ」
「はぁ!?竹取ぃ!?なんでいまさら!?つーか断んなかったの翁!」
翁から発せられた意外な言葉に叫ぶかぐや姫だが、蓮姫は不思議そうに翁を見つめる。
少しの間だけだが、不自然に言葉を発しなかった翁。
まるで何かを隠すような素振り。
しかし翁が上機嫌だったのは明らかであり、わざわざ不躾に追及するのもヤボだと思い余計な事は言わない事にした。
その間にも翁の話は続く。
「実はの…とある貴族様からのご要望でな。姫が生まれたあの竹林の竹をどうしても欲しいという事じゃった。姫の話も、わしらがこうして裕福になった話も、今や大和中の者が知る事となったからの」
「なんで竹なんて欲しいのよ?あの竹を取ってきたところで…もう黄金は出ないんでしょ?」
「それは…向こう様も存じておる。じゃがな……そう。噂に聞く神秘的な竹を邸に起き、ご利益にあやかりたいそうじゃ」
「へぇ~。そんな事しても無駄だと思うけど…貴族って馬鹿よね~」
翁から告げられる話に、かぐや姫は馬鹿馬鹿しいとさえ思っている。
確かにあの竹林の竹で翁と嫗はかぐや姫を得る事も、大金を得る事も出来た。
しかし今となっては竹を切っても何も出てきやしない。
親子三人、そして梅吉やお松を合わせても不自由しない額が手元にある為、翁も黄金が出てこなくなってから竹取をやめた。
「じゃがのぅ…姫や。だからといって貴族の方からのご依頼を無視は出来んじゃろ。わしはこれからあの竹林に行って竹取に行こうと思う。そこでじゃな……」
翁はチラリと、今度は蓮姫へと視線を移した。
「なにせわしも爺ですので…供に梅吉を連れて行こうとは思うのですが……その…頼まれた竹の量はとても多く……二人ではとてもとても」
段々と俯く翁だが、その間にもチラチラと蓮姫の方へと視線を送る。
翁の言いたい事は蓮姫も理解した。
「わかりました。どうぞ私の従者達もお連れ下さい。翁達には本当にお世話になっておりますから。なんでしたら私も」
「いいえ姫様。姫様が竹取などをする必要はございません。俺と犬で行きます。いいな」
同行しようと言葉を続ける蓮姫の言葉を遮り、ユージーンが発言する。
ユージーンに話を振られた火狼もウンウンと頷いた。
「我等の麗しき姫さんにそんな真似させらんねぇもんね。俺は勿論いいぜ。翁達に世話になってんのも事実だしな。んじゃ、お前。姫さん…と、残火様の事は頼んだぜ」
火狼にバンッ!と肩を叩かれた未月は不思議そうに火狼を見つめた。
「…痛い。なんで火狼……いつも俺…叩く?」
「悪い悪い。つまり…姫さんの事はお前に任せるって意味さ!オーケー?」
「…そうなのか?……うん。…母さん……俺が守る…」
未月が力強く頷き、この話はこれで終わりかと思われたが、慌てたように翁が再度口を開いた。
「いやいやいや!その!殿方の皆様に来て頂きたいのですじゃ!未月殿にも!」
慌てる翁にユージーンが眉をひそめる。
「俺達全員?…すみませんが翁、それは出来ぬ相談です。一人は姫様の護衛として残させて頂きます。そこは姫様の従者として譲れません。どれだけ竹を取るかは知りませんが、俺も犬…こいつも、こう見えて力はあります。なので十分かと」
「いや……その……しかしですなぁ…」
ごにょごにょと言い淀む翁。
困り果てる翁に助け舟を出そうと蓮姫が口を開きかけたその時、別の人物がユージーンへとくってかかった。
「ちょっと。か弱い年寄りが人手がほしいって言ってんだから、いいじゃないのさ。あんた自分の顔がいいからって調子乗ってない?」
それはかぐや姫だった。
眉間にこれでもかと皺を寄せ、ユージーンへと睨みつける。
しかしユージーンはそんな顔で怯んだりは、決してしない。
「顔がいいのは認めますが、調子に乗ってる訳ではありませんよ。姫様をお守りする従者として当然の意見を述べたまでです」
「はぁ?うちが危険だとでも言いたい訳ぇ!?!ちょっと蓮!あんたからも言ってやって!世話になってんだから翁の言う事ちゃんと聞けってさ!」
当然の主張をするユージーンに、かぐや姫の怒りは増すばかり。
蓮姫はため息を我慢して、仕方なくこの場を収めることにした。
「申し訳ありません、かぐや姫。…ジーン、狼、未月。皆は翁の言う通りに。私は大丈夫。残火の事も…大丈夫。ジーンならわかるでしょう?」
それはつまり、見張りがいなくても残火は蓮姫に危害を加えない、そして危害を加える事が出来ないという意味。
蓮姫としても言いたい事はあるが、怒りに任せて怒鳴りちらす人間には何を言っても無意味だ。
現に嫗も梅吉もオロオロするだけ。
この場はかぐや姫以外…それも蓮姫サイドの人間が大人にならねば。
それはユージーンも理解している。
だが納得はしていない。
「しかし姫様…」
「おお!ありがとうございます蓮様!ユージーン殿!ささ!殿方の皆様!善は急げと申しますでな!参りましょうぞ!」
翁はユージーンの言葉を遮ると、そそくさと玄関へ急ぎ、梅吉もそれを追って行った。
残されたユージーン達をかぐや姫は、ギロリと再び睨む。
それはまるで「さっさと行け」と言っているかのように。
蓮姫はそんなかぐや姫に聞こえないよう、小声でユージーンへと耳打ちした。
「ジーン。大丈夫だから翁と一緒に行って」
「ですが…姫様も気づいていたでしょう?翁は何かを企んでいると。男を全員この場から連れ出したいなど…良からぬ事を考えている証拠ですよ」
「そうかもしれない。だからこそ、翁の言う通りジーン達には翁に付いて行ってほしい。何かあっても、ジーン達ならそれを阻止できるでしょう。私はここで皆の帰りを待ってる。そもそも翁はかぐや姫を溺愛してるから。彼女の傍にいれば危険は無いはず。残火さんの事も心配いらない」
蓮姫は都合のいい解釈をするが、ユージーンはやはり納得など出来ない。
それでも今一番怪しく、仮に自分の主を危険に晒す可能性があるのは翁だ。
ユージーンはため息を吐きながら了承する。
「わかりました。姫様の言葉に従います。…しかし姫様…やはり俺は、これ以上ここにいるべきではないと思います」
それは蓮姫からかぐや姫のおとぎ話を聞いた時から考えていたこと。
おとぎ話自体に害は無いだろうが、最初からユージーンは、蓮姫を大和に長居させるつもりはない。
ここに来た当初の目的は、大和の街並みや風習を蓮姫に知ってもらう為だけ。
だが今となっては、かぐや姫に気に入られてズルズルと長居している。
それは蓮姫もわかっている。
自分のワガママで長居するハメになった事を。
そしてユージーンとの約束を破り厄介事に首を突っ込んだ事も。
「わかった。ジーン達が戻ったら大和を出よう。それでいい?」
自分に非がある事がわかっている為、蓮姫はユージーンの提案に素直に頷いた。
「約束です。今度は守って下さいよ。さて」
ユージーンは立ち上がると、火狼と未月へ視線を移す。
ユージーンの意図を理解した二人は、同時に立ち上がった。
三人を見送る為に蓮姫も立ち上がる。
きっと彼等は…特にユージーンは自分に頭を下げるとわかっているから。
「姫様、しばしお傍を離れます。直ぐに戻りますのでこの場を離れないで下さい。ノア、姫様を頼んだぞ」
蓮姫の予想通りユージーンは彼女にだけ深々と頭を下げた。
そしてそのまま、足元にいるノアールへと自分達の不在を託す。
ノアールは信頼されているのが嬉しいのか、元気よく鳴いた。
「にゃんっ!」
「わかった。皆も気をつけて。翁と梅吉さんのお手伝い、しっかりね」
蓮姫がユージーンの言葉に頷くと、火狼も蓮姫へと声をかける。
「旦那も言ったけど、直ぐ帰って来るかんね。大人しく待っててよ、姫さん。それと……残火…様」
「チッ」
火狼から向けられた言葉と視線に、残火は嫌悪感を隠しもせず、そっぽを向いて舌打ちする。
そんな残火の態度を気にもせず、火狼はいつも通り笑顔を浮かべていた。
「…母さん……行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい、未月。帰りを待ってるからね」
「…うん。…俺…ちゃんと帰って来る。…母さんの所に」
それぞれが蓮姫に言葉を告げると、三人は翁達を追い館を後にした。
男達が去るとかぐや姫はフンっと鼻息を荒く吐き、今はいない男に悪態をつく。
「やっと行ったわね。さっさと行けっての。…そういやさ蓮」
「はい?どうしました、かぐや姫」
「前から気になってたけど…あの未月って奴。なんであんたの事『母さん』って呼ぶの?本当に親子って訳じゃないだろうし…あんたらって主と従者以外にどういう関係?」
「あ、あはははは……その……話せば長くなりまして…」
「長くなる話なの?いいよ。ちゃんと最後まで聞くから」
むしろ聞かないでほしい。
遠回しにそう言ったつもりだが、かぐや姫には一切通用しなかった。
未月との関係や仲間になった経緯を話すつもりはないし、そもそもどう説明したものか悩む蓮姫。
そんな彼女に意外な人物が助け舟を出した。
「姉とあの男の関係は容易に他者に話せるものではありません。かぐや姫もご理解を」
無感情に告げられたその言葉は、残火が放ったもの。
かぐや姫の方を見もせず、湯呑みを持ち上げてお茶をすする残火。
そんな残火の反応に一番驚いたのは蓮姫だが、蓮姫よりも先にかぐや姫が口を開いた。
「そうなの?まぁ貴族なんて、面倒事をいくつも抱えてるもんよね。蓮もそうならそう言ってよ」
「あ、あはは。すみません、かぐや姫」
「まったくもう蓮ったら。しょうがないなぁ。ねぇ嫗、翁の仕事だけどさ」
かぐや姫の意識が嫗へと向けられると、蓮姫は先程のユージーンにしたように残火へと耳打ちする。
「ありがとう残火さん。助かったよ」
「………別に。礼を言われる事じゃないけど」
やはり蓮姫へも目を向けない残火。
しかし蓮姫の方は嬉しさを隠すこともせずに笑みを浮かべる。
「そうかな?でも私は助かったし、残火さんに庇ってもらえて嬉しかった。だから…ありがとう」
「…本当に変な奴」
無愛想に告げられた言葉に蓮姫が苦笑し、離れようとした瞬間。
「…どう…いたしまして…」
残火からポツリと言葉が漏れる。
俯いていた為、表情はわからないが、髪からのぞく耳は真っ赤に染まっていた。
そんな残火の姿に、蓮姫は再び笑みを漏らした。
蓮姫が残火に微笑んでいる頃、翁と共にかぐや姫の生まれたという竹林に向かうユージーン達は、早速ある違和感に気づいた。
ユージーン達を案内するように、先頭を歩く翁だが、いくら老人とはいえその歩みは遅すぎる。
「翁。随分とゆっくり歩きますね。これでは日が暮れてしまうのでは?」
歩調の遅さをユージーンに指摘された翁は、ビクッ!と体を震わせ、ゆっくりと後ろを振り返る。
「い、いや…その………じ、実は…最近、足腰がてっきり弱くなりましてのぉ…年には勝てぬものですじゃ」
視線をキョロキョロと動かしながら、しどろもどろに答える翁。
やはりその様子は怪しい事この上ない。
ならば、とユージーンは人の良い微笑みを翁へと向ける。
「そうですか。気づかず申し訳ございませんでした。お世話になった方、それも御老人に無理をさせる訳にはいきませんね」
「ゆ、ユージーン殿。かたじけないですな」
翁はユージーンの気遣いの言葉を聞いて素直に感謝し、また内心この場を誤魔化せたとホッとしている。
翁は気づいていない。
ユージーンは、たとえ相手が老人だろうと気遣うような男ではない、と。
「いえいえ。おい未月、お前が翁を背負って歩け。これは命令。お前にしか出来ない任務だ」
「…わかった」
ユージーンの提案に未月はあっさりと頷く。
『命令』『任務』という言葉があれば、必ず未月は断らないとユージーンもわかっていたからだ。
ユージーンの思惑通り、未月はなんの疑問も持たずに翁に背を向けて跪く。
それに焦ったのは翁と梅吉だった。
「ゆ、ユージーン殿!?何をおっしゃいます!わしは自分の足で歩けますぞ!」
「そ、そだ!お客様に、んなことさせらんねぇ!御館様さ、おぶるんならおらがやるだ!」
「大丈夫だ梅吉。こいつは君よりよっぽど力がある。目的地どころか、館に戻るまで休憩する必要が無いくらいにな。だろ?未月」
「…うん。…俺…翁背負う。…休憩…いらない」
「そ、そうは…言われましても…」
「ほらほら~。こいつもこう言ってるしさ。早く乗りなって。こんなとこでグズグズしてっと、本当に日が暮れちまうぜ~」
抗議の声など聞こえないように、ユージーン達は翁を急かす。
翁がおかしな企みをしているのなら、それに乗ってやる。
ただし自分達のやり方で。
「し、しかしですのぅ…や、やはりお客人にそのような…」
「翁。失礼とは思いますが、我々は主である姫様をお待たせしているのです。このような事で時間をくう訳には参りません。早く目的地へと向かいたいのです。どうぞ、未月の背に、お乗り下さい」
ユージーンは笑顔を翁に近づけ、一言づつ区切りながら話す。
言葉は丁寧だが、それはもはや命令に近かった。
翁はゾクリと寒気を感じると、無言で未月の背に乗る。
「それでは参りましょう。そして早く姫様の待つ館に戻らなくては」
翁はユージーンから不穏な空気を感じ、そちらを見ないように必死に未月へとしがみついた。
カタカタと震える年老いた主を心配するように、梅吉は未月の周りをオロオロと動き回る。
そんな様子にため息をつくと、火狼はユージーンへ近づいた。
「ちょっとちょっと~。さすがに爺さん相手にアレは怖すぎんじゃない?怒気に紛れて殺気まで流しちゃダメじゃん」
「そもそも悪いのは、変な事企んでるあのジジイだろうが」
「ん?そりゃそうか。でもさ…そもそも翁ってば、何を企んでんだかね?」
「……俺が知るかよ」
ユージーンは未月に背負われる老人の背を見つめる。
細く小さい背中に骨と皮ばかりの手足。
いかにも非力な老人そのものだ。
(あんなジジイに俺達全員をどうこう出来るはずもねぇ。かと言って、俺達を引き離してる間に姫様を狙う…とは違う気がするんだよな)
自分達従者を蓮姫から引き離そうとしてると知った時、ユージーンは当然その危険性も考えた。
しかし、本能的にそれは違うと考えているユージーン。
翁からは殺気はおろか、蓮姫達への敵意も全く感じられないのだ。
むしろ翁が蓮姫へと向けるものは敵意とは全く逆のもの。
数々の恩を受けた事や、娘の友人……そういった好意的なものしか感じない。
(姫様や俺達の正体がバレてるとも思えねぇし。姫様の言う通り溺愛してるあのデブスハゲのいる所で変な事はしないはず。…あのジジイ…一体何が目的なんだ?)
探るような目つきで翁を見つめるユージーン。
それを知ってか知らずか、翁はギュッと未月のフード付きマントを握りしめた。
(この場は仕方ない…竹林にいったら…その場で時間を稼げばよいのじゃ。この人らが居ては…姫がいらん疑惑を持たれてしまう。姫の側に美しい男が何人もいるなど知れたら…この話が消えてしまうかもしれん!)
翁は未月の肩に顔をうずめると、かぐや姫を拾った時の事や今日現れた使者のことに思いを巡らせた。
(わしは姫を大事に、それはもう宝のように育てた。公達全員の求婚を断ったのも…全ては今日の為だったんじゃ。あの方ならば姫も文句は言うまいて)
翁の首は小さく震えていた。
それが今までの怯えではなく、笑いに変わっている事に誰も気づいていない。
(館に残るは妻と姫と蓮様…女子達のみ。邪魔する者は誰もおりませぬ。わしが皆様を連れて離れている間に…どうか…どうか我が姫をお連れ下され!)