帝 1
蓮姫達はかぐや姫と対面してからも、未だに竹取の翁の館に滞在していた。
その理由は、かぐや姫が初めて出来た友達に「まだ帰んないでよ!」と蓮姫達を引き止めた事。
そして蓮姫の方も、かぐや姫の今後が物語通りに進むのか見届けたいという好奇心があった事。
翁達もかぐや姫と友になった蓮姫を更に気に入り「どうか気の済むまでここに居て下され」とまで言ってきた事。
それらが合わさり、蓮姫達は直ぐに大和を発つ事はしなかった。
そして蓮姫達が滞在して数日たったある日。
館に…ある人物からの使者が現れた。
使者は手紙を翁に手渡すと何も聞かずに帰って行った。
使者は返事など待つ必要は無いから。
その手紙の内容は決定事項であり、拒否権など誰にもありはしないから。
翁は差出人が誰かを聞いた時から驚愕していたが、恐る恐るその中身を読み始める。
渡された手紙を読むその手は震えていた。
「………こ……これは…」
手紙を持ったままその場を動けず、カタカタと震える翁。
だが次の瞬間、口には笑みを浮かべる。
「つ、ついに。あの方まで……ふ…ふひひ…ひひひひ…そうじゃ。姫が公達を全員断ったのはむしろ光明じゃ。そのおかげで…あの方の耳にも届きこうして。…ようやく…ようやくわしらにも運が回ってきたんじゃ!ひゃ~ひゃっひゃっ!」
狂ったように笑う翁の真意に、蓮姫やかぐや姫が気づくのはもう少し後になる。
翁が館の外で使者と会っている頃。
かぐや姫の部屋では翁以外の者が揃い、お茶を飲みながら談笑していた。
話題はかぐや姫に求婚してきた貴族達のこと。
「ホンット!蓮には助けられてばかりよねー。ありがとね。あんたが居なきゃどうなってた事か」
「本当に。蓮様が機転を利かせて下さったからこそ、あのような方々に大事な姫を渡さずにすみました。姫の母として…心から感謝致します」
「あ、いえ…礼には及びません嫗。むしろ私の思いつきに賛同して下さって、こちらこそ感謝します」
礼を告げるかぐや姫と嫗に謙遜する蓮姫。
かぐや姫の物語を以前から知っていた蓮姫にとって、貴族達の求婚を断る事は造作もない事だった。
それに加え物語ならば死ぬはずの人間も、蓮姫は自分の想造力でそれを回避していた。
「なにをおっしゃいます、蓮様。中納言様の事は…蓮様がお助けして下さらなければ…」
「そうそう。あのおっさん…あのままだったら死んでたかもしれないし。さすがに死なれちゃうと…私も後味悪いっつーか」
この中納言とは中納言石上麻呂のこと。
かぐや姫の物語では、かぐや姫に燕の子安貝を要求されている。
彼は燕の子安貝を手に入れる為に、高い建物の屋根にある燕の巣に目をつけた。
建物と籠に綱をかけ、自らが籠に乗り込み燕の巣へと近づいたが、巣から何かを掴んだ瞬間、綱が切れて落下し地面に叩きつけられた。
しかも手に掴んだのは子安貝などではなく、古い燕の糞だったらしい。
物語では落下した時の傷や骨折が原因で亡くなっている。
しかし蓮姫は『かぐや姫からの使い』と名乗り、中納言の館を訪れた。
玉華の時と同じように魔道士を装い、想造力で中納言の傷を全て癒したのだ。
そして「かぐや姫は中納言様を危険な目に合わせてしまい、心の底から悔いております」と、かぐや姫のフォローも忘れずに。
その際、中納言が蓮姫を気に入り、かぐや姫の時のように求婚しようとしていたが、同行していたユージーンが口八丁で返し、うまい具合に断った。
「中納言様が死なれては、かぐや姫に悪い噂が出てしまうかもしれませんからね。かぐや姫が悪く言われるのは、私も嫌ですから」
「ホンットに良いやつー!ちょっと妹!あんたの姉さんは本当に良い奴だよ!自慢の姉さんだから大事にしなね!」
「………はい、かぐや…姫」
かぐや姫に話しかけられた残火は、口の端をピクピクと震わせながら無理に笑顔を作り、返事だけしておいた。
残火はやはりこのかぐや姫の事が好きになれない…むしろ図々しく偉そうな彼女をますます嫌いになっている。
かぐや姫の方は嫌われていると気づいていないらしく、豪快に笑いながら話し続けた。
串に3つ刺さった団子を1口で、それも何本も食べながら。
「んぐんぐ。…しかしさー!…もぐ…あんたも喋れるようになって…むぐむぐ…良かったじゃん!あーん……んぐ…日頃の行いって…大事よねー!」
「おやおや姫。食べながらはお行儀が悪いですよ。梅吉、姫に新しい茶を出しておくれ」
「へぇ!北の方様!皆様にもおかわりお出ししますだ!」
かぐや姫達のやり取りを見て蓮姫は笑みが零れた。
このかぐや姫は物語と違って、絶世の美女とはかなりかけ離れており…むしろ美人とはお世辞にも言えない。
だが、かぐや姫の周りにいる嫗も翁も、物語と同じようにかぐや姫を慈しんでいる。
物語に登場しない梅吉も心の底からかぐや姫を好いていた。
(かぐや姫は美しさなんかより…もっと大切で…かけがえのないものを持ってる。それはやっぱり…かぐや姫がそういうのを引き寄せる人だからだろうな)
微笑ましい光景だ、と思いながら蓮姫は新しい茶に口をつける。
そんな蓮姫の隣で不機嫌そうに残火を見るユージーン。
彼はこの場に残火がいる事が不可解であり、また不快だった。
そんなユージーンは、隣に座り呑気に団子を食べる火狼の鳩尾に肘をくらわせる。
「グッ!?な、なに旦那?」
「?ジーン、狼。どうかした?」
自分の方を振り向く蓮姫にはとびきりの笑顔を向けるユージーン。
「いえ。なんでもありませんよ姫様」
首を傾げる蓮姫だが、かぐや姫に話しかけられ意識はそちらに向かう。
その隙にユージーンは小声で火狼へと話しかけた。
「おい。あのガキいつまで居座る気だ?」
「…いてて。……はぁ…俺に言わないでよ。昨日だって姫さんが逃がそうとしたけど…断固として動かなったじゃん」
「てめぇの身内だろ。どうせ姫様を殺す事は出来ねぇんだ。さっさと追い出せ」
「いやまぁ…やろうとしたのよ、一応。旦那の言う通り可愛い身内だかんね。でもさ…俺って相当残火ちゃんに嫌われてんのよ。マジで」
自分で言っておきながら、その言葉に何故か深く落ち込む火狼。
肩を落として深い溜息をつくと、チラリとユージーンを見ながら言葉を続けた。
「…実はさ、昨夜あの子の部屋に忍び込んで、そのまま逃がそうとしたわけ。なのに『犬の言う事なんざ誰が聞くか!』って…怒られちゃった…」
「『怒られちゃった』…じゃねぇよ!んな事で落ち込むな!朱雀の頭領なら部下に怒られたくらいで諦めんな!叩き出せ!」
小声だが、蓮姫達に聞こえない程度にしっかりと語尾を荒げるユージーン。
火狼は昨夜残火に怒られた、と言うが、今はユージーンに怒られる事になった。
「叩き出せって…そんな事したら余計に嫌われちゃうじゃんか~」
「知るかっ!」
若干目をうるわせて訴える火狼だが、そんな弱気な態度はユージーンに通用するはずもなく…むしろ余計に怒られる始末。
火狼と残火に対して怒りが段々とつのるユージーン。
そんなユージーンの心中を察したのか、火狼は瞬時に涙を引っ込めると、意図的に悲しげな表情から普段の表情へと戻した。
こういう事が簡単に出来る男だからこそ、ユージーンは火狼を信用しておらず、また出来ないのだ。
「そんな目くじら立てなさんなって。旦那の言う通り、残火は姫さんに手出しは出来ねぇっしょ。姫さんだって女子供には甘いお方だし。焦んなくても、そのうち残火は里に帰すからさ」
「何を呑気な…」
「呑気に考えなくちゃやってらんないっつの。どうせ女には俺ら男の気持ちなんてわかんねぇんだしさ。その逆も然り、ってね」
火狼は目線をユージーンから蓮姫と残火に移す。
かぐや姫の話をニコニコと聞く蓮姫と、苦虫を噛み潰したような顔で聞く残火。
表情は対照的だが、たまに二人は目を合わせニコリと微笑みを交わしていた。
「姫さんは残火を嫌ってない。残火の方も…何故か姫さんに対しての印象が変わりつつあるのよね。俺らのいない間に何を話したのやら」
「あのガキがわざと好意的に見せて、姫様の油断を誘ってる可能性は?」
ユージーンの指摘に火狼はプッ…と吹き出してしまった。
まるでその発想が有り得ない…とでも言いたげに。
「無理無理。残火ちゃんにそんな芸当出来るはず無いって。それはマジ断言出来るよ」
「…まぁいい。あのガキの心情の変化なんざ知りたくもないし、知る必要も無い。どうせ追い出すガキだ」
尚も自分の意志を曲げないユージーンに、火狼は苦笑しながら意見する。
「あんね旦那…必死に追い出そうとしてる俺らと同じ考えなら…姫さんはとっくに俺らに命令してると思うのよ。でもしない。そして姫さんの命令無くして勝手な真似は出来ない。そうっしょ?」
「姫様の害になる奴は、たとえ姫様の命令に背く事になろうと…俺は排除する」
「旦那らしいわ~。姫さんに嫌われようと姫さんの為に…ってか。惚れちまうね~。…でもさ…俺は旦那と違って…姫さんに嫌われるのはイヤだね。旦那だって本心はそうだろ?」
「……………」
火狼に痛い所を突かれ、黙りこむユージーン。
あぐらをかいている膝の上に肘を置いて、頬杖をつきながらブスッとしている。
そんな彼の姿が珍しく、また素直にそんな表情をするとは思わなかった火狼は何処か楽しくなった。
「お?無言は肯定かい?でもそれならそれでいいや。珍しく俺と旦那の意見が一致したみてぇだしさ」
「うるせぇ」
「照れんなって!さてと…姫さんの話通りなら…かぐや姫の物語はそろっとクライマックスだろ?求婚した貴族は全員撃沈したし、このままなら大和を出る日は近い。ならいっそ、この物語とやらを姫さんと一緒に堪能しようぜ。残火の事は…大和を出る時にまた俺が説得するよ」
はぁ、とまた溜息をつく火狼。
その説得はきっと骨を折るだろうとわかりきっているからだ。
しかし残火は里に帰さなくてはいけない。
朱雀として、そして朱火との約束の為。
「この『ユラシアーノ大陸』は朱雀にとっても動きづらい土地さ。俺ら四大ギルドは女王派だかんね。まぁその分、派閥を無視して高い金払ってでも朱雀に依頼したい中立の奴もいるんだけどさ。朱雀の中でも高い能力の奴しか来れない土地。だからこそ残火は里に帰すよ。あいつは女だけど…朱雀直系の純血だから。ある意味、俺よりも朱雀にとっては重要人物なのさ。危険に晒す訳にはいかない」
「お前ら朱雀の事情はどうでもいい。あのガキを姫様から離してくれるってんならな」
「離しますとも。姫さんの旅は危険が付き物。姫さんを守れる旦那や俺、あいつはともかく…残火じゃ自分の身を守るのも危ういかんね」
火狼が蓮姫の旅に同行した理由の一つ。
それは自分への絶対的な自信。
魔狼族との混血とはいえ、彼は現在の朱雀。
その魔力や戦闘力はユージーンと互角に戦える程に強い。
だからこそ、危険を伴う弐の姫蓮姫との旅に同行できる。
だが人を殺した事も無く、魔力は高くても魔術を扱えない残火はそうはいかない。
どうせ一緒に居られるのはこの大和だけ。
ならば少しの間、久しぶりに一緒に過ごすのも悪くない…と火狼は考えていた。
「大丈夫よ、旦那。残火の事は、俺がなんとかすっからさ。…信じてよ」
「お前を信じた事は一度も無ぇし、これからも無ぇよ」
火狼の方を見もせずに、ユージーンは淡々と答える。
その答えが予測出来ていた火狼は、本心か、はたまたいつもの嘘なのか、悲しそうに眉を下げた。
「…手厳しいねぇ」
「俺の中でお前の評価は最低だ。……これ以上下がんねぇよ」
それだけ告げるとユージーンはお茶を飲む。
その一言があまりにも意外で火狼は目を丸くした。
だが徐々に顔を赤らめると、照れたように頬を掻きながら笑った。
「…やっぱ……旦那ってイイ男だわ…」
ユージーンと火狼が小声で話し込んでいる間、蓮姫達はある貴族の話題で盛り上がっていた。
正確には…その貴族を追い返した人物の話に。
「今回ので蓮にお世話になってないのはさ~、海に行ったおっさんくらいよね」
「海に行ったおっさん…」
かぐや姫の言葉が指す人物が誰かはわかっているが、その言い方に蓮姫は苦笑する。
嫗はやはりのんびりと、かぐや姫の言葉を訂正した。
「おやまぁ、姫。大納言様でしょう。大納言大伴御行様ですよ。蓮様、大納言様には『龍の持つ秘宝たる玉』をお持ち下さるよう頼んだのですよ」
「そうそれ。でもさ、結局そのおっさ…大納言様ってば、海に行ったはいいけど海賊に襲われて命からがら帰って来たらしいわ」
それもまた、蓮姫の知る物語とは違う展開だった。
物語では大納言は、海の主たる龍神の怒りに触れて嵐にあい、それ以上の怒りを恐れて都へ逃げ帰って来たのだ。
「海賊に襲われるなんて…大納言様は不運でしたね」
そうじゃなくても逃げ帰っただろう、と思いながらお茶を飲む蓮姫。
「まぁね~。しかも聞いた話じゃただの海賊じゃなかったらしいわ。例の海賊王って奴らしいのよ」
「海賊王?」
蓮姫にとってそれは聞き覚えのある単語だった。
想造世界でも海賊をテーマにした映画や漫画、小説にゲーム等が存在している。
ファンタジー作品やRPGでもたまに出てくる単語だ。
しかしこの世界でも聞き覚えはあった。
蓮姫達がアビリタに居た頃、火狼が聞いた子供達の話題にその単語があったのを思い出す。
「海賊王とは…どのような人なのですか?」
軽い世間話のように聞き返す蓮姫。
勿論好奇心もあるが、今後は海に出る機会もあるかもしれない。
その時の為に聞いておいても損は無いだろうと考えたから。
「海賊王ってのは海賊の王様よ。強くて乱暴で偉い奴」
「姫や。そのような言葉では蓮様が混乱しましょう。梅吉、姫の代わりにご説明なさい」
「へっ!?お、おらですだか!?え、えとお姫様…おら達も噂で聞いた話なんだども…海賊王っちゅーのは海を何年も前から支配してるそうですだ。海さいるたっくさんの海賊はその人さ従ってて。商船とか…王様や貴族様が使っとる、警備が凄ぇ船もその海賊王に襲われてるっちゅー話ですだ」
急に話を振られて驚く梅吉だったが、聞いた噂話とやらの記憶を探り探り思い出し説明する。
その説明があっていたらしく、今度は嫗も訂正する事無く頬に手を当ててため息をついた。
「なんとも…恐ろしい賊でございます。大和は海から離れておりますから、それほど被害はございませんが…」
「そうそう。それと海にいる一番ヤバい化け物……りばいあさん…だっけ?そいつも海賊王には手を出さないらしいのよ。つまり海賊王ってのは、海の化け物も相手にしないヤバい奴…ってこと。だから海賊王って呼ばれるようになった、ていう話もあるけどね」
「凄い人だけど…その分恐ろしい人ですね」
「そっ。だから海を渡る時は気をつけなね。海の何処に出るか毎回違ってて、ハッキリとはわかんないみたいなのよ。それに海には海賊やリヴァイアサン以外にも、巨大ダコやらもいるらしいし。……そうよ。危険を犯して海渡るくらいなら、いっそロゼリアに戻んないでずっとここに居たら?」
なんていい案だ!とかぐや姫は目を輝かせながら蓮姫へと詰め寄る。
口の周りにあんこをいくつか付けて。
文字通り目と鼻の先にあるかぐや姫のドアップに、流石の蓮姫も目を泳がせてしまった。
残火は「げぇ~」と小声で嫌そうな声を吐く。
もし自分が蓮姫と同じ目にあえば、確実に叫ぶなり殴るなりしてしまうだろう。
そうはせず…むしろ我慢している蓮姫を、残火は心の中で賞賛した。
「お、お言葉は嬉しいのですが…かぐや姫…そうもいきませんので…」
直視出来ないまま、しどろもどろに何とか断ろうとする蓮姫に、嫗が助け舟を出す。
「これこれ姫。蓮様には蓮様のご都合があるのですよ。それにせっかく妹御と再会出来たのです。故郷に戻り御両親にも報告しなくてはなりませんでしょう」
「それそもそうか。あ~あ、つまんないの~」
かぐや姫は嫗の言葉に納得しながらも、口を尖らせて、やっと蓮姫から顔を離す。
正直あの顔が離れた瞬間、蓮姫は内心ホッとしていた。
「せっかく友達になれたってのにね~。つまんないつまんな~い」
かぐや姫にとって蓮姫は初めての友達。
だからこそ、ずっとここにいて欲しいというワガママだった。
十二単を着ているというのに、行儀悪く足を広げてバタバタしながら駄々をこねるかぐや姫。
翁が居たら確実に雷が落ちるだろうが、残念ながらこの場には「おやおや、まぁまぁ。お行儀が悪いでしょう」と呑気に言う嫗しかいない。
子供のようなかぐや姫の仕草に蓮姫はクスリと微笑む。
「かぐや姫。私もかぐや姫と離れるのは寂しいです。でもこれでお別れじゃありません。また……いつかまた会いに来ます」
今度はいつ会えるか?それは蓮姫にもわからない。
しかし自分を友と呼んでくれる人と、彼女は再会を約束したかった。
あのロゼリアで出会った二人のように。
蓮姫の言葉にかぐや姫は目をキラキラさせる。
「本当ね?約束よ?いっとくけど何年か後…とかじゃ嫌だからね。直ぐにまた来てよ」
「ふふ。はい。なるべく早くに…また大和にお邪魔させて頂きますね」
蓮姫がそう告げた直後、どちらともなく小指を差し出す。
そして二人は自然と指切りを交わすと、再び微笑み合った。