かぐや姫 6
コントのように突っ伏した蓮姫に驚きつつも、未月は素早く反応し蓮姫へと詰め寄った。
「っ、母さん?……無事か?」
蓮姫の体を優しく、そしてゆっくりと起こしてやる。
蓮姫は久々に聞いた知人の名前と畳との衝撃に驚きつつも、なんとか笑顔を作り返答した。
「…だ、大丈夫。ごめん」
「…そうか。…でも…どうした?」
蓮姫に大事が無く安心した未月だが、やはり奇行の理由は気になるらしい。
そしてそれは未月だけではない。
「ちょっと大丈夫!?どうしたのさ急に!?」
「………?」
かぐや姫も残火もその場から動いてはいないが、蓮姫を凝視して困惑していた。
とはいえ、正直に全てを言う訳にもいかない蓮姫。
「あ…あはは。ちょっと足を崩そうとしたら…バランスを崩しちゃいまして…お気になさらず。…未月もありがとう」
「は?そうなの?あんたって意外とドジなのね」
「あはは。お恥ずかしい…」
かぐや姫や残火に笑って誤魔化す蓮姫だが、脳内ではかぐや姫の話と自分の知る久遠を重ねていた。
(あの人なら…確かに厳しい人だし…綺麗だけど…いつも不機嫌そうな顔をしてる。若いのに将軍だし…なんで気づかなかったんだろ。……まぁ…あんまりいい印象無いけど)
蓮姫の脳裏にはあの『いつでも不機嫌美人』の姿が浮かぶ。
(そもそも私…あの人に嫌われてたしな。…弐の姫だし…全然世界の事も知らなかったし…一方的に命令出したし………そりゃ嫌われても仕方ないか)
蓮姫は王都にいた頃の自分や久遠とのやりとりを思い出し、自己嫌悪で心が沈む。
一度思い出すと久遠の不機嫌な顔がいくつも脳裏に蘇り、ますます心が重く暗くなる。
(…でも……いつかあの人にも…認められるようにならなきゃ)
悪い考えを払拭するように、決意を秘めた蓮姫。
ズッコケて恥ずかしそうにしたかと思えば、急に真顔へ変わった蓮姫を見て、かぐや姫は眉を寄せる。
「あんた本当に大丈夫?そんな百面相見てるのは、ぶっちゃけ面白い半分。不気味半分なんだけど」
「あはは。本当に…お恥ずかしい」
ストレートに告げられたかぐや姫の言葉に、蓮姫はポリポリと頬をかきながら苦笑した。
しかしそんな蓮姫を再びジィー…と見つめるかぐや姫。
今度は何を言われるのだろう?と身構える蓮姫だが、かぐや姫はニヤリと笑うと意外な言葉を口にした。
「あんたにもさ…好きな人いるんでしょ?私の話を聞かせたんだから、今度は蓮の番だよね」
「………え?」
正確には『聞かせた』というより『言いたくて仕方ないのをわざわざ聞いてやった』に近い。
しかし今の発言に、蓮姫は一瞬思考が止まってしまった。
固まったままの蓮姫を無視して、かぐや姫はニヤリとした顔のまま話し続ける。
「昨夜言ってたじゃん?『美人でも大切な人から想われなきゃ意味無い』ってさ。あんな言葉は好きな人がいて、その上、その大切な人とやらに相手にされてない奴だから出た言葉だと思うんだよね~」
相手の神経を逆なでする言い方に、聞いていたユージーンや火狼も再びイラつくが、着眼点は間違っておらずむしろ鋭い。
蓮姫本人はかぐや姫の言い方よりも、話の内容に納得する。
納得した上で少し凹んだ。
(そんなに…わかりやすかったかな。…落ち込んでたかな…)
「ほらほら。どんな人なのよ。聞いてあげるから教えてってば」
「お話するほどでは…」
「はぁ?人の話聞いといて自分は駄目とかナシでしょ?いいから言ってみなって」
かぐや姫は一歩も引く気が無いらしい。
困る蓮姫だが…正直、誰かに聞いてほしい想いも少しだがあった。
「あまり…楽しい話じゃありませんよ」
「それは私が決めるの。さっさとゲロっちゃいなって」
「………お慕いしていた人は…います。良家の跡取りの方で…婚約もしていましたが…その……最近その話が無かった事になりまして」
「は?婚約破棄されたってこと?あんただって貴族のお姫様なんでしょ?なんでまた?」
「色々と…その方に失礼をしました。怖い思いもさせて。それどころか彼も…彼が大切にしている人も傷つけて。それに元々…婚約は本人達の意思に関係なく…結ばれたものでしたし…」
力なく…作り笑顔を浮かべながら話す蓮姫。
さすがのかぐや姫もバツが悪くなったのか、目を逸らしてしまった。
「なんというか…つまらない話ですみません」
「…つまんない話ってより……その男が…つまんない男なのよ。きっと」
顔を逸らしたままポツリと呟くかぐや姫。
小さな声だったが蓮姫にはしっかりと届いた。
するとかぐや姫は蓮姫の方へ笑顔を向ける。
「いいじゃない。そんなつまんない男。こっちから願い下げだってのよ。傷つけたって、わざとじゃないんでしょ?怖い思いしたから何?失礼な事したから何?婚約も破棄も黙って受け入れるなら、その程度の男ってことよ」
フンっ!と荒い鼻息を吹くかぐや姫。
蓮姫はその言葉にただポカンとした顔で呆ける。
そんな蓮姫に構わず、かぐや姫は言葉を続けた。
「蓮。あんたはそこそこいい女なんだから、そんな男の事は忘れちゃいなよ。男の数は星の数…ってね。そのうち元婚約者よりいい男が現れるって。私に久遠様がいるように、女には運命の人ってのが絶対いんのよ」
「……かぐや姫」
「ねっ。だから気にしない気にしない。…まぁ~…どんなにいい男でも、久遠様には敵わないと思うけど~」
自分の言った言葉でデレデレと鼻の下を伸ばすかぐや姫。
そんな彼女を、残火は青い顔をしながら引いていた。
まるで不気味なモノを見たように。
蓮姫は、フッと笑うとかぐや姫へと微笑んだ。
「ありがとうございます。かぐや姫は…優しいですね」
「そうよ。私は優しいんだから。この優しさで…いつか久遠様を癒してあげるんだからっ!」
ガッツポーズ付きで宣言するかぐや姫。
想造世界ではおとぎ話の主人公であり、絶世の美女として有名なかぐや姫。
その本質は…ワガママで、自分勝手で、相手を見下して…外見も中身も問題ありまくり。
しかし蓮姫は、このかぐや姫の事が好きになっていた。
昨日は失礼な態度もとられ、それは現在も進行中だが。
それでも、蓮姫はかぐや姫を嫌いにはなれなかった。
嫌味よりも謝ってくれた事、励ましてくれた事の方が遥かに心に響いたからだ。
先程言った言葉も、嘘偽りない蓮姫の本心。
「ふふ。かぐや姫は本当に久遠様がお好きなんですね」
「そりゃそうよ!あんなに綺麗な方だもん!見た目も綺麗な人は心も綺麗に決まってるし!久遠様も絶対そうよ!やっぱ見た目とか外見って大事よね~」
それを言ってしまうと…見た目がお世辞にも綺麗ではない、かぐや姫はどうなのか?
かぐや姫本人は自分の発言が自分に返ってきているとは、露ほども感じていないらしい。
かぐや姫の言葉に、久遠の内面を少なからず知っている蓮姫は返す言葉に困る。
久遠の内面が汚い…とは思わないが…恐らく、かぐや姫の理想とは大分違う事はわかりきっていたから。
黙ったままの蓮姫を見て何を勘違いしたのか、かぐや姫は思い出したように告げる。
「あ!あんたの美形失礼従者は例外。アレじゃいくら見た目良くても、意味無いわ。性格悪すぎ。人は見た目だけじゃ意味無いって見本よね」
さっきまでと言っている事が違うかぐや姫。
蓮姫は苦笑するしかなかった。
ふと、蓮姫の耳に足音が届く。
もしかして?と思った蓮姫は話題を変えようと、かぐや姫へと声をかけた。
「あの、かぐや姫」
「はぁ~。早く久遠様にお会いしたい。求婚してくれないかな~。そしたらあの五人と違って、即OK出すのに」
蓮姫の心中も心配も全く知らないかぐや姫は、止まることなく久遠への愛しさを語り続けた。
「久遠様の妻になれば、この大和ともサヨナラ。私も女王陛下のおわす王都に住むことになるのか~」
「あ、あの!かぐや姫っ!」
「そうそう蓮!嫁に行ってもあんたと私は友達!家はロゼリアなんでしょ?手紙出すし、なんなら祝言に呼んであげてもいいよ。久遠様と………私の…キャっ!恥~ず~か~し~い~」
蓮姫の言葉などまるで無視して、頬を両手で抑えながら、自分の発言と妄想に照れまくるかぐや姫。
ブンブンと頭を降るかぐや姫は気づいていないが、蓮姫を含め他の者は、その者に気づいていた。
かぐや姫の御簾の横に呆然と立ち、真っ青に血の気の引いた顔をした………梅吉に。
「んも~。私ったら………あれ?どうしたの」
蓮姫達が自分ではなく、ある一点を見つめたまま黙っているのに気づいたかぐや姫。
チラリとその方を見ると。
「っ!?うぉおおお!!?び、ビビった!ちょっと梅吉!居たなら声掛けなさいよね!」
「す、すんません…かぐや様。あ…あのぉ…」
全然悪くは無いのに、注意されるまま謝る梅吉。
その姿は、誰が見ても生気が感じられない程に落ち込んでいた。
自分の好きな相手が、別の誰かと結婚する未来を嬉嬉として語っている。
それを聞いて平然と出来る人間はそうそういない。
梅吉もそうだ。
かぐや姫は梅吉の様子に気づいても、その原因は全く分からずにいる。
「なによ?なんでそんなに落ち込んでんの?」
「か、かぐや様ぁ…お…おら……おらぁ…」
何かを訴えようと口をモゴモゴする梅吉に、蓮姫は心の中で『頑張って!梅吉さん!』とエールを送る。
普段と様子の違う梅吉をジロジロと眺めるかぐや姫だが、何かを感じ取ったのか、立ち上がると梅吉へと歩み寄る。
そして、ポン…とその肩に手を置いた。
「か、かぐや様!?」
「大丈夫。あんたの事は私も大事に思ってるわ」
「か、かか、かぐや様ぁ!!」
突然の告白に、今度は顔を真っ赤にする梅吉。
蓮姫も『おお!』と内心喜ぶ。
そしてかぐや姫は言葉を続けた。
「だから…私が嫁に行ったら、ちゃんとあんたも連れてってあげる。私が面倒見るって約束したんだもん。だから、あんたを一人置いてったりしないよ!」
全く検討外れ…そして無神経なかぐや姫の言葉に…梅吉と蓮姫は肩を落として落ち込んだ。
むしろ面倒を見てもらっているのは、かぐや姫の方だというのに…。
そうじゃなくても今の発言は、かぐや姫に恋心を抱く梅吉には酷過ぎるものだ。
「てかさ、いきなりどうしたの?なんか用?」
梅吉の心情など知る由もないかぐや姫は、急に部屋を訪ねて来た理由を平然と聞いた。
かぐや姫の言葉に梅吉は用件を思い出したのか、慌てた口調で話し出した。
「そ、そうですだ!かぐや様!阿部の御主人様がいらっしゃいました!今、御館様と北の方様が、客間でお茶さ出しとりますが…そのままこちらにお呼びすると」
「あ?誰だっけそいつ?」
梅吉の口から出た人物の名に、かぐや姫は心当たりがない、と眉間に皺を寄せる。
「か、かぐや様を嫁に迎えたいとおっしゃられた、お貴族様の一人ですだ!」
「あ~…あの嫁持ちおっさんの一人ね。そいつには何頼んだっけ?」
「阿部の御主人様には『火鼠の皮衣』ですだ!今日来られたのは、火鼠を見事見つけ出し皮衣を仕立てたすけ、かぐや様にお渡しすると。そう御館様にお話しされてますた」
「げぇ~…マジで見つけたの?本物?また偽物じゃない?むしろ偽物じゃなきゃ困んだけど~」
かぐや姫の言葉にも態度にも、面倒だという本心がありありと現れている。
実際そうだろう。
おとぎ話のかぐや姫はわからないが、このかぐや姫は貴族達との求婚を断る為に無理難題を突きつけたのだ。
つまり、自分で要求しておきながら望みの品を持ってこられた方が迷惑。
ため息を吐きながら「めんどくさい」とボヤき続けるかぐや姫。
そんな彼女の様子にクスリと苦笑を漏らしながら、蓮姫は立ち上がる。
「お客様のようですし。私達はお部屋に戻らせて頂きますね」
「えっ!?戻っちゃうの?まだ全然話し足りないじゃん!このまま居なよ!」
「いえ、せっかくのお言葉ですが、お客様が来られるのに邪魔する訳にはいきません。ノア、未月、残火。戻ろう」
蓮姫が声をかけると縁側で日向ぼっこをしていたノアールは、ぴょん!と勢いよく蓮姫の腕へと飛び乗った。
未月と残火も静かに立ち上がる。
「あ~あ、残念。また来てよね。私もさっさと話終わらせるからさ。…だけど……もし本物なら…どうしよう~」
頭を抱えるかぐや姫だが、そんな彼女を助けようと、蓮姫はまた自分から首を突っ込む。
「かぐや姫。火鼠とは大和の動物か何かですか?」
「え?あぁ…そっか。あんたらは知らないよね。昔……ホンっトーに昔にね、大和にちょっとだけいた魔獣だか妖怪らしいのよ。前に翁に聞いたんだけど、翁のそのまた爺さんは見たらしくて。でももう大和にはいないか、絶滅したって言われてて、今じゃ誰も見た奴いなくてさ。幻の珍獣って言う年寄りもいるの」
「そんな幻の珍獣とやらの皮で作った衣を持ってきた、と」
一旦ノアールを床に置き、ふむ…と顎に手を当てる蓮姫。
傍から見れば何かを考えているような素振りだが、実は蓮姫の頭の中では既に言いたい言葉は決まっている。
あくまで自然になるよう、考えているフリをしているだけだ。
「そうだ、かぐや姫。火鼠と言うからには火に強い獣なのでは?」
「え?…い、いや…知らないけど…」
明らかに『何言ってんだコイツ?』と不審なモノを見る目で蓮姫を見つめるかぐや姫。
だが、蓮姫はそんな事は一切気にせずに言葉を続けた。
「知らないのでしたら、いっそそうすればいいんですよ。幻の珍獣で、誰も見た事無いんですから。そんな話を聞いたとしても疑われません」
「え?だ、だとしても…一体何が言いたいのよ?」
蓮姫の言葉に更に困惑するかぐや姫だが、一応話を聞く気はあるらしい。
「かぐや姫は求婚された貴族の方々と結婚したくない。だから無理難題な品を要求した。つまり望みの品を持ってこられたら困る。むしろ持ってきた代物は偽物の方が都合がいい。…合ってますか?」
「あ、合ってるけど…」
「つまりですね…今回も先日の『蓬莱の玉枝』のように偽物ならばいい。ならいっそ…本物か偽物かわからない『火鼠の皮衣』も偽物にすればいいんです」
「ど、どうやって?」
先程とは打って変わって、食い入るような目付きで蓮姫の話に聞き入るかぐや姫。
かぐや姫だけではなく、梅吉や残火までその話に興味が湧き耳を傾ける。
「『本物の火鼠で作った皮衣ならば炎に耐えられるはず』と言って、その皮衣に火をつければいいんです。材料がなんであれ…皮衣ならば必ず燃えるはず。そもそもお話を伺うと、今回も偽物の可能性が高いでしょうから」
「っ!?燃えたブツを見て『燃えたのでコレは偽物ですね』って言えば言いってこと!?凄い蓮!あったま良い~!」
「ふふ。ありがとうございます」
蓮姫はただ知っているおとぎ話の一説を口にしただけだ。
しかしソレをかぐや姫が知るわけもなく、むしろ知らなくていいだろう。
おとぎ話と違いすぎる彼女自身の為にも。
「早速試すわ!梅吉っ!さっさとそのなんちゃらの牛とやら連れてきなさいっ!どうせ偽物だろうし綺麗に断ってやるわ!」
「あ、阿部の御主人様ですだ、かぐや様ぁ。だ、だども…お姫様、お言葉ありがとうごぜぇます!直ぐにお連れしますだ!」
蓮姫の提案に喜ぶかぐや姫と梅吉。
梅吉に至っては数分前かぐや姫に告白も出来ぬままフラれたというのに、もはやそのショックすら忘れているのだろう。
頭の中は今回の求婚を断れるという喜びに満ちているようだ。
そんな二人にクスリと笑みを漏らすと、蓮姫は軽く頭を下げ、従者達を引き連れて部屋へと戻って行った。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、姫様」
「姫さんおかえり~。かぐや姫どうだったよ?」
部屋へと戻った蓮姫達をユージーンと火狼は出迎える。
彼等は蓮姫達がかぐや姫の部屋を出たのを確認すると、彼女達が戻る前に部屋へと先周りしていた。
まるでずっとこの部屋に居たかのように振舞って。
男二人をジト…と見つめる残火だが、蓮姫は気にせず腰を下ろす。
「どうもないよ。普通にお話してきただけ。強いて言うなら…また貴族が来たから断る口実を教えてきたくらいかな」
「ふ~ん。姫さんにとってはおとぎ話通りだもんな。未来を教えるなんざ造作もないって?」
「未来を教えるつもりは無いよ。でも…知ってる未来に誘導するくらいはしちゃうけどね」
ふぅ…とため息をつきながら話す蓮姫。
正直未来を伝えようかどうか…彼女は迷っていた。
そもそも未来を伝えたところでどうなるのか?
この大和のかぐや姫は、おとぎ話のかぐや姫とは違う。
となると…月から迎えが来るかどうかもわからない。
むしろ来なそうだ、と蓮姫は考えている。
貴族達の求婚は今後もおとぎ話と同じで断れるだろう。
しかし問題はその後だ。
これからかぐや姫は…どうなるのだろうか?
「姫様、また余計な事を考えているでしょう?眉間に皺が寄ってます」
ユージーンに痛いところを突かれ、蓮姫は頬を膨らませる。
蓮姫の態度にやれやれ、と肩を落としながらユージーンは話題を変えることにした。
「それはそうと姫様。ソレ…いつまで傍に置いておくつもりです?」
「ソレ…?」
「……………」
ユージーンの言葉にオウム返しをする蓮姫。
火狼の方はその意味がわかったらしく、無言でユージーンを見つめた。
「この睨んでる犬の部下ですよ」
「別に睨んでねぇよ~。睨んでるように見えるんなら…旦那はなんかやましい考えでもあるんかね?」
「全然やましくねぇよ。さっさと追い出す、っていう極々普通の考えだ」
火狼は目が笑っていない笑顔を、ユージーンは軽蔑するような眼差しをお互いに向ける。
残火を捕らえた時と同じように、二人は一歩も譲らず、また引く気も全く無い。
無言で見つめ合う男二人を中心に、部屋中ピリピリと張り詰めた空気が漂う。
ノアールは誰よりも早く動物的本能で危険を察知したのか、座っている蓮姫の袖の中へと逃げ込んだ。
そんなノアールを着物の上から撫で、蓮姫は深くため息を吐く。
まさに話題の中心人物、当事者である残火は、腕を組み毅然とした態度に見えた。
しかし一見そう見えるだけで、残火はこの場の誰よりも怯えている。
翠の目はキョロキョロとユージーンと火狼を交互に見ており、手足も小刻みだが震えていた。
未月だけはいつもの様に静かに佇んでいたが。
「旦那。決めるのは姫さんなんだろ?主を無視するとか従者としてどうなのよ?」
「従者にとって最優先すべきことは主の身の安全だ。姫様に害を与えるどころか、殺意ある者を野放しにするつもりは無い」
「野放しじゃねぇじゃん。キッチリバッチリ魔術かけやがったくせに。今のままじゃ、残火は姫さん狙えねぇよ。旦那の魔術は完璧なんだろ?じゃあそれでいいじゃん」
「よくねぇから言ってんだろ。人の言葉がわからねぇんなら、黙れ犬。吠えんな」
「っ、………旦那…いい加減にしてくんないと…俺マジで」
パンッ!!
火狼がユージーンへと殺気を向けた直後、大きな音が部屋に響いた。
全員が音のする方へ目を向けると、そこには両手を合わせる蓮姫の姿。
「二人共、少し落ち着きなさい」
呆れたようにユージーンと火狼を咎める蓮姫。
一度怒りが頂点近くまで湧き上がったユージーンと火狼だが、蓮姫の行動…いや、発した音で我に返る。
そのまま怒りも冷めていった。
「申し訳ございません、姫様」
「ごめんな、姫さん」