残火 2
「…母親が……子供を憎む?」
「だからっ!何度も言わすな!私の母親…産んだ女は最低のっ」
パチンッ!
ふと指を鳴らす音が室内に響いた。
その直後、残火の口から声が発せられることはなく、彼女もそれに気づき激しく口を動かす。
パクパクと口だけ動くその光景に、蓮姫は見覚えがあった。
「ジーンの仕業…だね」
「はい。あまりにうるさかったので。以前ロゼリア王妃に使った魔術と同じものをかけました」
「確か…声を封じるだけの魔術」
「はい。……命に関わるような魔術じゃない。だからそう殺気を飛ばすな」
ユージーンは蓮姫に頷いた後、チラリと火狼を見て告げる。
火狼はユージーンを軽く睨みつけていた。
「…旦那」
「これ以上は何もしねぇ。今は、な。ただし、このガキが朱雀の炎とやらを使う素振りをしたら」
「それは大丈夫だ。問題ない。そこは俺が保証する。俺も残火を…そいつを逃がそうとか変な事はしねぇ。誓うよ」
火狼は力強い眼光でユージーンを見つめながら告げる。
その目には少なからず怒りも含まれていたが、それ以上に残火を傷つけまいという意思が込められていた。
「狼。今の話を聞いて思ったけど、この人…残火さんは朱雀としての使命感だけで私を殺そうとしてる訳じゃない。私よりも…狼の方に凄い執着してる」
「姫さん…」
「聞かせて。残火さんのこと…それと…狼のことを。彼女をどうするかは、それを聞いてから決めたいの。いいね、ジーン、未月」
蓮姫は火狼ではなく、ユージーンと未月に確認する。
火狼は残火を助ける為に彼は答えるしかない、それをわかっているから。
そして二人の従者にあえて聞いたのは、伺いなどではなく確認。
手を出さずに先ずは話を最後まで聞こう、という。
「姫様の仰せの通りに」
「うん。…母さんの…言う通りにする」
「決まりだね。狼、お願い」
「あぁ。……とりあえず皆座ってよ。長くなるからさ」
火狼に促され、蓮姫達は腰を下ろす。
未だに残火はモゴモゴと体を動かそうとしてるが、ユージーンにキツく縛られている為、その場から動く事も出来ない。
当然、声も出ない為に彼女も火狼の話を聞くしかなかった。
「まず…どっから聞きたい?」
「狼と残火さんの関係…従兄妹って事でいいのかな」
「うん。それで正解。残火の母親…朱火さんは俺の親父の妹だよ。さっき話してた通り、朱火さんも親父ももう亡くなってる。先々代朱雀の子供はこの二人しかいなかった。だから直系は現在、俺と残火だけ」
「てことは…血筋を重んじる四大ギルド、朱雀の中で残火さんは…狼の次に偉いんだね」
「そうだよ。他の奴らは残火を様付けで読んでる。俺は残火と違って純血じゃない。だけど男だし直系に代わりないから、頭領は俺になった」
四大ギルドの掟の一つ。
頭領となる者は直系…その中でも初代頭領と同じ性別の者だけが、一族の長として君臨する事が出来る。
朱雀と白虎は男が、青龍と玄武は女が頭領。
それは現在女王、麗華が即位してから500年、変わらず受け継がれてきた。
「狼のお母さんは魔狼族だったよね。さっきの話の説明とかも聞かせてもらえる?」
「いいよ。確かにデリケートな話だけどさ、気にしないで。俺の母親は元々純血の魔狼族だった。詳しい経緯は知らないけど…親父が陛下に頼み込んで、想造力でお袋を人間の姿に変えさせて結婚したらしい。で、産まれたのが俺。狼の子供が産まれたから当然里の奴等は反発したよ」
「だけど…他に跡継ぎはいなかったから狼が頭領に…朱雀になった」
「うん。どれだけ他の奴ら…それこそ全員が反発しても、親父はお袋を里から出さなかったし、他の女を娶る事もしなかったからね。そのせいで…俺とお袋は苦労したんだけど……まぁ、これ以上はホントにデリケートだから勘弁」
火狼は苦笑しながら蓮姫に謝る。
蓮姫とて話せないのを無理に聞くのは、正直不本意でもある。
「わかった。じゃあ他の質問するけど…話せないのなら先に『話せない』『話したくない』って言って」
「……サンキュ、姫さん」
しかし今の話にも疑問はある。
何故、先代の朱雀は一族の女ではなくわざわざ……それも女王陛下に頼み込んでまで狼を娶ったのか?
だが火狼も知らぬのなら、それ以上追求は出来ない。
勿論、火狼の事だから本当は理由を知っている可能性もあるが…。
「それじゃあ一番気になってる事。彼女…残火さんはどうしてそこまで……火狼を嫌ってるの?純血じゃないから?」
本当は母親を憎む理由も聞きたい。
だが残火はあの時、目に涙を溜める程怒りや悲しみが抑えきれていなかった。
流石に残火が何も話せない今、それを聞くのは蓮姫にも躊躇われた。
「それも理由の一つ。さっきの俺が親父を殺した、っていう根も葉もない噂も理由の一つ。俺は親父の事、そんな好きじゃなかったからな。でも一番は…残火の母親が関わってる」
その言葉に残火は再び激しく体を動かした。
ユージーンが睨みつけると、ピタリと止まったが、変わらず火狼……いや、その場全員を睨みつけるのはやめない。
「…話していいの?彼女にとって…その…嫌な話じゃない?」
「いいよ。コレも説明しなきゃ分からないからさ。ぶっちゃけ姫さんも気になってるんだろ?…話すよ」
火狼と残火を気遣う蓮姫だが、そんな彼女に苦笑を向けながら火狼は答えた。
そして、ふぅ~、と一つ息を深く吐くと言葉を続ける。
「簡単に話すと……残火の母親…朱火さんは…心を病んでいたんだ」
「心を?」
言葉を聞き返す蓮姫に、火狼はゆっくり頷く。
「朱火さんは結婚してない。だけど……若い頃、一族の男に乱暴されて妊娠してしまった。その男は親父に直ぐ殺されたけどね。だけど朱火さんは…望まぬ妊娠でも子供を産まなきゃいけなかった。直系の娘として」
「なるほどな。当時の頭領の息子…つまりお前は純血じゃない。その妹でもある先代の娘が身篭った子供…もし男なら跡継ぎに出来る。血筋を重んじる四大ギルドの考えそうな事だな」
「旦那の言う通りさ。だけど産まれたのはこの残火…つまり女だった。朱火さんはその後、結婚も妊娠もしてない。…というか、出来なかった」
朱火…と呼ばれる女性の話をする度に、火狼は何処か悲しげな表情を浮かべていた。
蓮姫は先程の火狼と残火のやりとりからも、心の何処かで確信する。
彼が唯一執着した女性とは…恐らくその朱火なのだろう、と。
火狼の心中を察し、下手な事は聞けない、と考えた蓮姫の代わりにユージーンはズケズケと言葉をかけた。
「心を病んだから、か。当時の頭領は狼しか妻にしないし、子供も一人…いや、一匹。頭領の妹は心を病んで跡継ぎどころじゃない。いっそ朱雀の奴等が気の毒だな」
「旦那の事だから、本気で気の毒なんて思ってないだろ」
「はっ、まぁな。しかし……このガキ…本当に何もしねぇな。体は縛ってるから動けないにしても…朱雀なら炎で縄を焼き切るくらい造作もないだろうに」
ユージーンの言葉に蓮姫も残火へと視線を向ける。
確かにユージーンに怯えているとはいえ、捕まった時や火狼との様子を見れば彼女がいかに感情的に動く人物かはわかる。
ユージーンが言ったように縄を焼き切る事くらいするだろう、と。
「残火はそんな事はしない。…というか、出来ないんだよ。残火は朱雀の炎だけじゃなくて、魔術全般使えないから」
火狼の言葉に残火は後ろの壁に、自分の頭をドンドン!と当てだした。
それは喋れない、動けない彼女が出来る唯一の、そしてささやかな抵抗。
まるで『黙れ』『それ以上言うな』とでも言いたげに火狼を睨む。
魔術が使えないという事は、彼女にとって強いコンプレックスのようだ。
「出来ない?魔力が無いの?」
「朱雀直系なのにか?まぁ、魔力を持つ純血主義の奴等でも、必ず魔力が強い子供が産まれる訳じゃないが」
魔術が使えない。
それはつまり魔力が無いから。
そう安直に考えた蓮姫とユージーン。
しかし火狼は二人の言葉に首を振る。
「いいや、逆だよ。残火は……魔力が強過ぎるんだ。自分の意思で魔力を操れないくらいにね」
火狼の答えは蓮姫達が想像したものとは真逆のものだった。
すると火狼はいつかの時の様に、上着の襟を引くと、胸元にある朱雀特有の赤い痣を見せた。
「朱雀である証の痣…これは魔力の強さも表しててさ、人によって大きさはかなり変わる。一族の中でも俺の痣は一番大きい……残火を除いてね」
そう言うと火狼は立ち上がり残火へと近づく。
残火の前でしゃがみこむと、何とか抵抗する彼女の体をクルリと反転させ、残火の背を蓮姫達へと向けた。
「残火の首の包帯…これは痣を隠してるんだ。里から出ないとはいえ、あまりに目立つからね。でも痣は首だけじゃない」
火狼は残火の襟をグイッと下げる。
縄で縛られている為そんなには下がらながったが、首の下や肩には赤い痣がハッキリとあった。
そしてそれは服の中にも続いている事がわかる。
「こいつの痣は首から肩…それに背中の中心まで続いてるよ。朱雀の歴史上、これほど大きい痣のある奴はいない。朱火さんは親父より魔力が強かった。襲った男も強い魔力を持ってたらしい。だからその影響だろう、とは言われてる」
そう話しながら残火の襟を正す火狼。
蓮姫は隣にいるユージーンへと意見を求めた。
「ジーン」
「恐らく、そいつの話は本当ですよ。先程も言ったように、純血同士でも必ず魔力を持つ子供が産まれる訳じゃありません。しかしその逆もあるんです。稀に…本当に極々稀に、己の身を滅ぼす程の、強力な魔力を持つ子供が産まれる事もあるんです。血が濃ければ濃いほどその確率は高くなる。俺も実際に会うのは初めてですよ」
「そゆこと。直系は特に純血同士の婚姻を重視してたからな。長年のツケが残火にきたっていう説も…っと」
火狼が話している最中、残火は彼に頭突きを喰らわせようと頭をブンブン動かす。
が、さすがは朱雀の頭領。
火狼は難なくそれをいくつも躱していった。
「勝手にペラペラ話すな、って?それは悪いと思ってる。でもさ、そもそもお前が勝手に俺の言いつけ破って、里を出たのが悪いんだろ?…ん?そんな言いつけした俺も悪い、って言いたげだな。ホント、お前って俺の事嫌いだよね」
ガシ!と残火の頭を鷲掴みしながら、ため息を吐く火狼。
悲しげに眉を下げているが、蓮姫は今の火狼に同情する気は起きない。
むしろ縄で縛られ、声を封じられ、更に頭を捕まれ左右に振られる残火の方が何倍も気の毒だろう。
「狼。離してやらないと…そろそろ彼女吐きそうな顔してるから」
「おっと、ごめんな残火。でもさ…もっと酷い事これからする。……10年前の事も話すよ」
「っ!!?」
「悪いな。でもさ、お前がなんで俺の事をそんなに毛嫌いすんのか…それと、お前が危険人物だって事を説明するのにも、あの事件は欠かせない」
真剣な表情で言い放つ火狼。
残火はまた瞳を潤ませて睨みつける。
「狼。本当に私達に話していいの?事件っていうくらいだから、朱雀にとって大事な話なんじゃ?」
「別にいいよ。さて…10年前の事だけど。俺はまだ16の若造だった。残火なんて5才の子供。だけどその子供が…事件を起こす事になった」
火狼はゆっくりと語り出す。
時は10年前……朱雀の里。
まだまだ幼かった残火は常に、母親である朱火と一緒に過ごしていた。
この頃はまだ残火も母親を慕い、朱火も心を病んではいなかった。
ある日朱火は、当時の頭領の妻…火狼の母親の元を訪ねており、残火の側を朝から離れていた。
一人遊んでいた残火は退屈になり、里の外へと出てしまう。
それがいけなかった。
残火は里の外にいる魔獣達に囲まれてしまう。
生まれて初めて見る獰猛な魔獣。
いつ食い殺されてもおかしくなかった。
残火は恐怖のあまりパニック状態となり………残火の意志とは関係なく、防衛本能として魔力が暴走した。
瞬く間に周りは火の海と変わる。
その炎は魔獣だけではなく、周りの木々を燃やし……そして里にまで迫った。
事態に気づいた当時の頭領、朱火、そして火狼が三方向から朱雀の炎を放つ。
強力な魔力とはいえ子供の放った炎は、里の中でも強い魔力を持つ者達の炎で相殺され、里の被害は半分で済んだ。
しかしその後が問題だった。
強力な魔術を放った娘に対して、朱火は発狂してしまう。
娘である残火を強く拒絶し、娘を殺して自らも死のうとした。
頭領は残火と朱火を引き離す事にした。
その後、心を病んでしまった朱火の世話は一族の老女が行い、残火の事は頭領が引き取った。
しかし一目でも娘を見てしまえば、朱火は呼吸が荒くなり泣き叫んだ。
始めの頃は母親に何度も会いに行った残火だが、その度に母親に拒絶され、ついに会いに行く事をやめ…母親を恨むようになった。
そして朱火が死ぬその時まで…二人が心を通わせる事は無かった。
「俺はその後、朱火さんに何度も会いに行ったよ。俺に対しては普通だったからね。……睨むなよ、残火」
「っ!!っ、っ!」
「声出てないけど、何言ってるのかは大体わかる。何度も言うけど、朱火さんはたまに正気に戻ってた。その時の朱火さんは…確かにお前を愛してたし、大事な娘の行く末を案じてた。…どうせまた信じないだろうけど」
残火は火狼の言葉を信じない、とでも言いたいのか首を激しく左右に振った。
その様子を見て再びため息を吐くと、火狼は蓮姫達へと振り返る。
「朱火さんは残火が魔力を発動させた事で、自分を無理矢理襲った男を思い出した。紛れもなくその男の子供だという事実、証拠に心が耐えきれなくなったのさ。それ故の拒絶。残火を見ると度々泣いて叫び出した。それも朱火さんの本心じゃないけど……とりあえず、これが残火が母親を憎む理由。わかった?」
「…うん。…ありがとう、そんな大切な話を教えてくれて」
「どういたしまして」
素直に礼を告げる蓮姫に微笑みを返す火狼。
礼を告げるのも筋違いかとも思ったが、蓮姫本人の好奇心も汲み取り火狼が全て話したのも事実。
蓮姫は変に言葉を飾らず礼を言う事に止めたのだ。
だがユージーンの方はそうはいかない。
ユージーンは火狼がこの話をすると言った時点で、火狼の思惑を感じ取っていた。
「姫様。コレでわかったのでは?このガキは危険人物に変わりはない、と」
「ジーン。確かに彼女の魔力は危険かもしれないけど……だからと言って殺すのは」
「それです。それこそが犬の目的だったんですよ。だろ?」
火狼を見ながら告げるユージーンの瞳には、呆れと軽蔑がこめられていた。
火狼はあえて何も言わない。
ただ黙って苦笑する火狼の代わりにユージーンが再度口を開く。
「こいつは姫様の性格を良く知ってます。だからわざわざ朱雀のお家事情を丁寧に説明したんですよ。…姫様がこのガキに同情するように」
「ジーン…そんな言い方は…」
「いいよ姫さん。旦那の言う通りなんだ。優しい姫さんが事情を知れば、簡単に残火を裁けないだろう、ってね。実際そうだろうし……何より俺は…姫さんのそういう所が好きだから。だからさ……頼む、姫さん」
ユージーンの指摘をあっさりと受け入れた火狼だが、その上であえて蓮姫へと頼み込む。
「姫様。犬の戯れ言に惑わされてはいけません。危険人物は早めに殺すべきです」
「残火は自分の意思で魔力を発動させる事なんて出来ないよ。それに決めるの旦那じゃない。姫さんだろ」
再び睨み合うユージーンと火狼。
殺気を飛ばし合い、お互い一歩も引く気は無い。
「二人ともやめて。狼……まだ聞きたい事がある。どうしてそんなに残火さんを助けたいの?やっぱり…朱火さんの娘だから?」
蓮姫に再度同じ質問をされ、火狼は眉を下げて話した。
「そうだね。さっきも言ったけど…朱火さんは俺の前では本当に普通の女…いや、子供を愛する母親だったんだ。俺はそんな朱火さんと約束した。娘を……残火を守ってやるって。だからこいつには里から出ないように命令したし、朱雀の仕事は一切与えてない。危険な目に合わないように、ね。当然、残火は納得してないから、こんな事態になったんだけど」
「朱雀の仕事を与えてない、か。誰かを殺しに来たのは今回が初めて。その理由は仕事や使命感より…狼への対抗心や反抗心が原因…そういう事?」
「そういう事。だから……今回の責任は全部俺にあるんだ」
それはつまり…残火は悪くない、とでもとれる言葉。
全ての責任を自分が受けるという、火狼の決意の表れ。
蓮姫は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。
「狼の言い分はわかった。狼の思いも理解出来る。確かに命は狙われたけど…私は彼女を裁きたい、殺したいとは思わない」
「姫様っ!?」
「でも、ジーンの言い分だって当然だと思う。ここで彼女を見逃したら、また何度だって私を殺しに来る」
「……姫さん」
蓮姫は決めかねていた。
残火を生かすべきか、殺すべきか。
蓮姫の本音としては生かしてやりたい。
蓮姫はチラリと残火を……自分を殺そうとした暗殺者へと目を向けた。
まだ幼い…それこそソフィアと一つしか変わらぬ残火。
そんな残火を殺す事など…蓮姫には出来ない。
だが、逃がした所で同じ事を繰り返すだけだろう。
蓮姫はゆっくりと息を吐くと、一番信頼している従者へと問いかけた。
「ジーン……ちょっと相談がある。聞いてくれる?」
「……内容によりますよ」