残火 1
その日の夜。
蓮姫達はそれぞれ、翁に与えられた部屋で就寝していた。
蓮姫は年頃の女性という事もあり一部屋を、ユージーン達には離れた部屋を三人で一つ。
深夜を周り館の者が全員寝静まった頃……その者は動き出した。
蓮姫の部屋の天井で息を潜め、眼下の布団を見つめる。
寝ている人物…つまり蓮姫は寒いのか、頭まですっぽりと布団を被っていた。
しかし定期的に布団は上下し、息遣いも聞こえる事からその中に人がいるのは間違いない。
天井裏にいた人物は懐からナイフを取り出し構えると、そっと天井から飛び降りた。
静かに音もなく。
そして布団の真横で膝を折ると、布団目掛けてナイフを振り上げ構えた。
初めて人を殺すという事実から、その人物の呼吸は荒くなる。
しかし戸惑う事も、迷う事もない。
その者は勢い良くナイフを布団へと…中で眠る人物の息の根を止めようと、振り下ろした。
だが、次の瞬間。
「……かかった」
「っ!?」
布団から聞こえた男の声に動揺するのも束の間。
バッ!と布団がナイフを持つ人物へと襲いかかる。
布団を振り払おうとしたが、その人物の非力では叶わず、布団ごと壁側の床へと押し付けられた。
この部屋で寝ていた人物…未月はバタバタともがく布団の上に座り込む。
「…俺の任務…遂行した」
未月は薄く笑みを浮かべて達成感に浸っていた。
だが布団の中の人物はもがくのをやめない。
「貴様っ!そこを退け!重いんだよ、この馬鹿野郎!弐の姫の薄汚い下僕風情がっ!!」
「…汚い?…俺…汚くない。…風呂には入った」
「はぁ!?誰がそんな意味で言ったよ!本当に馬鹿かっ!?」
「…静かにしろ。…他の奴…起きると面倒」
刺客がギャンギャンと騒ぐ中、未月が変わらず淡々と言葉を返していると、蓮姫とユージーンそして火狼が部屋へと現れた。
「これで姫様を狙う刺客は生け捕り、と。ご苦労だったな未月。姫様、こいつ煩いので結界を」
「もう張った。未月、本当にありがとう。怪我してない?」
「…うん。…怪我してない。…母さんからの任務…ちゃんと遂行した」
蓮姫に声をかけられ、未月は何処か嬉しそうに答えた。
だが刺客はまだ騒ぐのをやめない。
「何ごちゃごちゃ話してるんだ!お前さっさと上から退けよ!私は弐の姫を殺すんだっ!」
「感情的になっているとはいえ、標的や目的をすんなり口にする辺り本当に半人前以下だな。未月、そこを退け。とりあえず縛る」
ユージーンは物置から失敬した縄を持ちながら未月へと支持する。
あらかじめ刺客が逃げれないよう、布団の周りを囲むようにユージーンと火狼、そして布団から退いた未月が三方を囲んでいた。
上にあった重りが無くなり、刺客は自力で何とか布団を退ける。
そして現れたのは…。
「え?…女の…子?」
自分よりも恐らく年下だろう少女の姿に、蓮姫は驚きを隠せない。
火狼と同じ黒装束をした少女。
えんじ色のウエーブがかかった髪は肩までの長さ。
瞳の色は火狼と同じ翠。
首には太く包帯を巻き付けている。
だがその少女の翠の目は、蓮姫ではなく別の人物を映していた。
今まで一言も発さなかった…火狼を。
「焔っ!!これは貴様の仕業だな!この狼野郎!」
「はぁ~……相っっっ変わらず口悪ぃな、お前。お久、残火ちゃん」
火狼はため息を深く吐くが、呆れた様子でヒラヒラと手を振り「残火」と呼ばれた少女へと話しかける。
それがまた少女の逆鱗に触れた。
「この一族の恥さらしがっ!裏切り者!弐の姫に信頼させ、油断させてから殺すと言っておきながら私の邪魔をして!その上、私を弐の姫達と一緒に捕まえるだと!?ふざけんなっ!」
「ホンットにペラペラ喋るな~。だからお前は殺し屋には向いてねぇんだよ。いつも言ってるだろ?一族として役に立ちたいなら子供達の教育係で治まってろ、って」
「貴様の命令なんか誰が聞くかっ!貴様みたいな奴が頭領なんて…絶っっっ対に認めないからなっ!この狼!犬!犬っころ!!」
「…はぁ~…顔合わせるといつもこれだもんな~。旦那、急いで縛っちゃって。あ、女の子だから優しくね?」
火狼は会話をするのを諦め、ユージーンに彼女を縛るよう頼む。
ユージーンは残火と呼ばれた少女を威嚇するように、持っていた縄をパンッ!と力いっぱい振り伸ばす。
「犬っころ、とやらに言われるまでもねぇ。おいガキ。怪我したくなけりゃ、大人しく縛られろ」
「そう言われて大人しくする訳ないだろ!来るなっ!」
残火は持っていたナイフをユージーンへと向ける。
しかし力量の差は誰が見ても明らかだった。
彼女が仮にユージーンに襲いかかっても、返り討ちにされるのは目に見えている。
「だろうな。…じゃあ……格の違いをまた感じれば…どうだ?」
「っ!!?」
ユージーンは夕方以上の殺気を残火に向けて放った。
ビリビリとして肌に突き刺さるような重い空気。
自分に向けられている訳でもないのに、蓮姫や未月の体は冷や汗が流れる。
そんな殺気を直接向けられた残火は瞬時に顔が真っ青になった。
体はガタガタと震え、その拍子にナイフを落としてしまう。
ナイフが残火の手元から離れたのを確認すると、ユージーンはゆっくりと彼女へと近づいた。
「もう一度だけ言うぞ。大人しくしろ」
それは強者から弱者への命令。
「………」
残火は声を出す事も出来ず、ただコクコクと頷いた。
ユージーンが一歩近づくだけで、残火はビクンッ!と大きく体を震わせ怯える。
しかしユージーンは彼女に危害を加える事はなく、手際よく縄で縛り付けただけ。
拘束されたというのに、残火は大きく息を吐き安堵した。
縛られただけで終わった事が、逆に助かったと勘違いさせる程、残火はユージーンに怯えていたのだ。
ふと蓮姫は残火の胸元に目がいく。
今まで気づかなかったが、縛られた事で残火の豊満な胸が強調されていた。
(…お……おっきい。……負けた)
場違いかもしれないが、何故か敗北感で項垂れる蓮姫。
そんな阿呆な敗北感を頭を振って消そうとする。
しかしふと聞こえた残火の小声に蓮姫は耳を傾けた。
「…おかしい。…だって…確かに弐の姫が…」
「えぇっと。…大丈夫…じゃないよね、貴女」
蓮姫が心配そうに声をかけるが、残火はバッ!と頭を上げると蓮姫を睨みつけた。
「っ!?おかしい!だって弐の姫が布団に入るのを私はこの目で見た!それにそこの三つ編み男!なんでそいつが出てくる!?そいつだけじゃない!他の奴だってこの部屋に入って来なかったじゃないか!いつ入れ替わったんだ!?」
「あのな~、残火。女王や姫は想造力が使えるって里で習ったろ?それも子供の頃に。姫さんにしてみりゃ、布団の中で従者と入れ替わるなんざお手の物なんだって」
「焔には聞いてないっ!黙ってろこのXXX野郎!」
激昂する残火にのほほんと説明する火狼だったが、それがかえって怒りを増長させた。
少女には似つかわしくない下品な言葉が出るほどに。
というより、この残火という少女は言葉や態度など関係なく、一族の長である火狼に対して強い嫌悪感を抱いている。
蓮姫とユージーンはそれに勘づいていた。
そしてそれは、このやり取りや残火の言葉を聞く限り事実だ、と。
ギャンギャンと火狼への罵声を続ける残火に、ユージーンは彼女へとまた一歩近づいた。
特に危害を加えるつもりは無いが、先程の事もあり残火はピタリとその口を閉じる。
「犬じゃなけりゃいいのか?なら改めて説明してやる。姫様はここに案内されて布団に入った後、時間をみて頭から布団を被った。離れた俺達の部屋でもこの未月が同じ時間に布団を被る。で、姫様が想造力を発動させて布団の中身…この場合は姫様自身と未月を入れ替えたんだ。そうすりゃ外見に変化は無い」
「姫さんの従者の中じゃ、こいつが一番姫さんに背丈近ぇかんな。旦那は背が高ぇし、俺の気配はお前も気づいちまうだろ?」
わざわざユージーンが説明したというのに火狼が横から口を挟む。
むしろ残火の反応を楽しんでいるかのようだ。
そして彼の企みは成功し、残火は顔を真っ赤に染めて再び怒り出す。
「だから!焔の説明はいらないって言ってるだろ!!いちいち喋るな!この裏切り者っ!!」
先程から気になっていたが、この残火という少女…火狼を『頭領』とも『火狼』とも呼ばない。
焔……と、そう呼んでいる。
蓮姫はかつての火狼の言葉を…アビリタで初めて彼に会った時の事を思い出していた。
「…成程ね。火狼の本名は焔、か」
「お前、ホントに捻りのない名前だな。幼名も本名も」
蓮姫の言葉にユージーンも呆れたように呟く。
火狼…焔は落胆しながら口を尖らせた。
「しょうがねぇじゃん。名前なんて親が勝手に付けるもんなんだし。姫さんや旦那も好きに呼んでいいよ…と言いたいとこだけど。前にも言ったけどさ、俺が朱雀になった時に、俺の本名は一族と陛下にだけ呼ばれる権利があるわけよ。だから変わらず『火狼』でヨロシクね。何より姫さんに『狼』って呼ばれるの俺好きだし~」
「あ、うん。前にも言ったけどそこまで本名に興味ないから。そのままでいくつもり」
「姫さん?俺いつかマジで泣いちゃうよ?」
サラッと告げられた蓮姫の言葉に、火狼はガックリと肩を落とした。
しかし直ぐにまた残火へと目を向ける。
残火は怒りや憎しみのこもった瞳で火狼を睨みつけるが、火狼は哀れみのような感情を残火へと向けていた。
「残火。お前の性格は俺が一番よく知ってる。どうせ今回の事を聞いて俺を疑ったか、邪魔したかったか…もしくはその両方ってとこだろ?無茶すんなよ。俺達の仕事は怪我じゃ済まされないんだぞ」
「はぁ!?何言ってんの!?保護者ぶるのも大概にしろよ!焔のそういう所がムカつくんだ!!」
「姫さん、旦那……マジで頼みがある」
残火の言葉を無視して、火狼は蓮姫とユージーンを見据える。
すると次の瞬間、彼はとんでもない行動に出た。
「っ!?狼?」
「…てめぇ…今度は何のつもりだ?返答次第じゃ…マジで殺すぞ」
「…火狼……なんで座った?」
火狼の行動に蓮姫は戸惑い、ユージーンは怒りを露わにする。
唯一、その行動の意味をよく知らない未月はただその意味を尋ねた。
そしてユージーン以上に、残火は火狼の行動に怒り、顔を真っ赤にさせて怒鳴る。
「焔っ!?…何処まで……一体何処まで私を馬鹿にすれば気が済むんだっ!」
火狼のとった行動。
それは土下座だった。
「頼む。こんな俺の土下座なんか意味無いのはわかってる。到底無理だって事もわかってる。それでも頼む。こいつを…残火を見逃してくれ。殺さないでくれ」
頭を深く下げ懇願する火狼。
普段嘘ばかりの彼からはそれこそ想像すら出来なかった行動。
今回も嘘なのか?
いや、違う。
コレは火狼の嘘偽りない本心。
本気で残火を見逃してほしい、と蓮姫とユージーンに懇願しているのだ。
蓮姫はただ火狼の行動と言葉に戸惑うがユージーンの方は違う。
「無理なのはわかってる…そう言ったな?その通りだ。姫様の命を狙う刺客を一々見逃してたらキリがない。誰だろうと、姫様の命を狙う奴は俺が許さん。そして、そんな奴を生かしてくれ、とかいうお前だって例外じゃねぇ」
「あぁ。わかってる。わかってんよ。そんなの当然だ」
ユージーンの言葉に火狼は頭を下げたまま答えた。
自分がどれだけ無理な事を要求しているのか…そして、それが通るはずも無い事だって火狼は理解している。
「わかってんなら、そんな土下座無意味だろ。このガキは当然」
「わかってる上で頼んでるんだ。なんなら俺の腕をもぎ取ってくれ。足でもいい。目を抉られたって構わねぇ。命を差し出していい…とは言えない。俺はこんなんでも朱雀だから。一族の長として命は捨てられない。殺す以外なら…どんな拷問だって俺が受ける。だから残火は…こいつは見逃してくれ」
頭を床に擦り付ける程に下げ、火狼は力強く再度頼み込んだ。
ユージーンは冷ややかな目で火狼を見下す。
それは軽蔑も含まれていた。
このままだと本当にユージーンが火狼に手を下すかもしれない。
そう考えた蓮姫は火狼へと近づくと、膝を折り彼へと問いかける。
「そこまでして彼女を助けたいの?どうして?朱雀の仲間だから?」
もしかして…この残火こそ火狼が執着した女性だろうか?
そう考えた蓮姫だが、すぐにその考えは間違いだと気づく。
あの時…火狼は過去形で話していた。
それにあの時の口調と残火への口調の違いからして、相手はこの幼い少女ではない、と。
蓮姫の問いかけに、やはり頭は上げずに火狼は淡々と答える。
「…あぁ。一族の長として部下を助けるのは当然だ」
だがその言葉に、今まで黙って聞いていた残火は再び激昂…いや爆発した。
「いい加減にしろっ!頭領気取りの犬畜生が!貴様みたいな半端者に助けてもらいたいなんて私はこれっちぽっちも思ってないんだよ!いっそ殺せ!お前に助けられるくらいなら死んだ方がマシだ!死んで伯父上様に会える方がよっぽど幸せなんだよ!」
「残火。少し黙ってろ」
残火の怒鳴り声に少しだけ頭を上げる火狼。
だが火狼と目が合った残火はその目に憎しみを込めて叫んだ。
「焔が黙れっ!貴様の命令なんて誰が聞くかっ!知ってるんだよ!お前が伯父上様を…自分の父親を殺して頭領になったって事ぐらい!」
「「「っ!!?」」」
残火の言葉に蓮姫達は驚いて火狼を見る。
だが、当の火狼は感情のこもっていない瞳を残火に向けていた。
「確かに親父が死んだ後そんな噂が里で流れてた。でもな、そりゃ間違いだ。親父は病死だったんだからな」
「違う!お前の母親はあの優しい伯父上様を憎んでいた!狼風情がお情けを貰って妻になったくせに!その上、他の魔狼族と手を組んで一緒に朱雀を乗っ取ろうと企んでたんだ!だからマザコンのお前は伯父上様を殺して頭領になったんだ!」
「お袋は俺を産んだ後、里から出た事もない。人の姿に変えられてから狼に戻る事も出来なかった。そんなお袋が、どうやって他の魔狼族と手を組めるんだ?」
「そ、そんなの…わ、私が知るかっ!」
「それに親父がいつ死のうが跡取りは俺しかいない。遅かれ早かれその事実は変わらない。俺は一族に疑われた後、親父の死体を掘り起こして検死解剖までさせた。医療のスペシャリスト、玄武さんに頼んでな。結果、親父は間違いなく病死だった。お前だって知ってるはずだろ」
火狼の正論に残火はグッと口ごもる。
どうやら彼女の言葉は真実というより、彼女が抱く火狼への懐疑心。
それが原因となるただの言い掛かりのようだ。
「わかったんなら、少し黙ってろ。俺がなんとかする」
火狼の言葉に再び口を開こうとした残火。
だが彼女は今までの怒りの形相ではなく、軽蔑した眼差しを火狼に向けて鼻で笑う。
「ハッ。何を偉そうに。それで私が感謝するとでも?有り得ないね!いつもそうだ。貴様はいつだって私の事を大切にしてるように振る舞う。でも…私の事なんて…最初から見てないじゃないかっ!」
「おい残火」
「貴様は私なんて見てない!私を通してあの女を…自分の叔母を重ねて見てるだけだ!気持ち悪いんだよっ!この近親相関の獣野郎!!」
残火の言葉に今度は火狼が言葉に詰まった。
その様子を見る限り…事実……ではなくとも当たらずとも遠からず、といったところだろう。
黙り込む火狼とは逆に残火の言葉は止まらない。
「図星だろ?私が惚れた女の子供だから、あの女に似てるから構ってるだけだ。それどころか『将来、俺の女にしよう』とか、もっと気持ち悪い事考えてんだろ?この見境なしの畜生が」
「…残火…俺はお前に、そんな感情を抱いた事は無い。それに朱火さん…自分の母親を『あの女』呼ばわりするな」
「あんな女っ!!自分にあの女の血が流れてるってだけで吐き気がする!母親だなんて思いたくもない!さっさと死んでくれて清々(せいせい)したよ!」
「残火!それ以上言うと…俺も本気で怒るぞ」
残火の失言に、今まで彼女を庇っていた火狼も流石に怒りを露わにした。
怒気のこもった翠の瞳で、同じ色をした残火の瞳を見据えて睨みつける。
お互い睨み合う朱雀の二人。
蓮姫もユージーンも口を挟まず、ただ成り行きを見守る。
しかしそんな二人に口を挟む者が一名いた。
「…なんで…母親死んで……清々する?」
それは未月。
未月は残火の言葉の意味が本当に分からなかった。
急に言葉を発した未月に、その場にいる者全員が注目する。
特に残火は呆れたような視線を向けていた。
「は?だからそう言ってんじゃん。三つ編み男」
「…だって…母さんは…優しくて…あったかい人」
なんの疑問も躊躇もなく、サラッと告げた未月。
だがその発言で、残火の怒りの矛先は火狼から未月へと移った。
そして瞳に涙を溜めながら、残火は悲痛な叫び声を上げる。
「っ!?ふざっけるなっ!お前の親なんて知らないけどな!親の全部が全部、子供を愛してるわけじゃないんだよ!勝手に産んだくせに…見捨てて!子供を憎む親だっているんだ!」