竹取の翁と梅吉 5
夕刻。
蓮姫達は翁達の用意した簡単な宴に参加していた。
宴といってもご馳走と酒があるだけ。
蓮姫達一行と翁、それと媼が共に食事をする本当に簡素なモノ。
この場で初めて会った媼は礼儀正しく人の良さそうな老婆だった。
「まぁまぁ。ロゼリアからこの大和まで来られたのですか。大変でしたね」
媼は豚汁をよそったお椀を蓮姫に渡しながら話す。
蓮姫は翁と媼に「ロゼリアから来た」と説明をしていた。
本当は王都からだが、ロゼリアも通っているし嘘ではない。
「ありがとうございます。いえ、私にはこの通り従者が数人おりますから、それほど大変ではありませんでしたよ」
「蓮様は従者様にも恵まれておるのですね。凛々(りり)しくお強い殿方ばかり。姫にもかような殿方が見つかれば良いのですが…」
ふぅ、と頬に手を当ててため息をつく媼。
火狼はそんな媼にこの場にいないかぐや姫の事を尋ねる。
「そのかぐや姫ってのは、今も御簾の奥にいんの?」
「えぇ。姫は年頃の女子ですので、お客様方の目に触れぬよう奥の間におります。今頃梅吉が持っていった夕餉を食べておりましょう」
やんわりと答える媼だが、つまり「客人とはいえかぐや姫には会ってはいけない」という事を意味している。
「ふ~ん。じゃあしょうがねぇか。しっかし見たかったな~。親のあんたらから見ても美人なんだろ?」
余程かぐや姫の容姿が気になるのか、火狼は同じ質問を翁達へと尋ねる。
翁と媼は顔を合わせると、ほぼ同時にニッコリと笑顔を浮かべた。
「親バカと言われるかもしれませんがの。姫はこの大和一の姫じゃ」
「目に入れても痛くない、とはこの事ですね。私達に子は出来ませんでしたから…どんな形であれ、やっと授かったあの子を…生涯大事にしたい。幸せになってもらいたい、と思うております」
「今じゃ姫は『かつての桐壺の更衣様の再来』と言われる程の噂まで出ておりますからの」
酒を飲み頬を赤らめながら娘自慢をする翁。
しかし今の話には、蓮姫にとって聞き覚えのある単語が混ざっていた。
(桐壺の更衣って…確か源氏物語の?まさか…『源氏物語』まで実際に起こってる?かぐや姫だけじゃなくて、光源氏まで実在してるってこと?)
こうなっては好奇心が止まらない蓮姫。
すかさず翁達へと問いかけた。
「翁。桐壺の更衣様とはどなたです?」
「これは失礼。皆様はご存知ありませんでしたな。桐壺の更衣様は先の帝のお妃の一人です。桐壺という居所を与えられた更衣様なので、そう呼ばれておりましたのじゃ。更衣は妃の称号の一つでございます」
「桐壺の更衣様は低い家柄の方でしたが、帝には深く御寵愛されておりました。それ故に他のお妃様からの嫌がらせを酷く受けたそうな。…また兄上様が謀反を計画していたと密告され、まだ幼い光の君様…先の帝と更衣様との間に産まれた皇子様と共に流刑となられたのですよ。おかわいそうに」
翁と媼の話に、蓮姫は自分の知っている話との違和感を覚えた。
(桐壺の更衣って……光の君を産んで数年後に病死したんじゃ……それに主人公の光の君まで一緒に流刑?私の知ってる源氏物語とちょっと違う。やっぱり想造世界通りに話が進んでる訳じゃないってこと?)
もし蓮姫の考え通りなら、かぐや姫にも何か別の事がおこるかもしれない。
ふと、蓮姫はかぐや姫の話の核心を尋ねる事にした。
「翁、媼。かぐや姫は月を眺める時、何か考え事をしている事がありますか?」
「はて……どうでしたかの?…あぁ、そういえば先日『月を見てると月餅が食べたくなる』と姫が申しましてな。妻が作って梅吉と四人で、月を眺めながら仲良う食べましたわ」
「そ、そうでしたか」
自分が期待していた答えとはまるで違う返答に蓮姫も苦笑するしかない。
「皆様にも是非振る舞いましょう。酒の肴には合いませぬが……と、酒がきれてしもうた。すみませぬな。お客様の為に用意したと言うに。おい、追加の酒を持ってきておくれ」
「はいはい。久々のお客様で嬉しいのはわかりますが、あなたは飲み過ぎですよ」
「うむ。ちと厠にでも行ってくるかの。失礼しますじゃ」
「では、お酒を持って参りますね」
翁と媼が退室し、遠ざかる足音を聞きながら蓮姫はため息をつく。
「話は聞けて良かったけど……逆に頭が混乱してきた」
「かぐや姫とやらが奥に引きこもってるなら関わる必要も無い。それがわかっただけで十分ですよ。それより姫様、話を聞くばかりでろくに食べていないでしょう。折角の料理なんですから食べたらどうです?なんならトマトあげますよ」
「それジーンが嫌いなの押し付けてるだけでしょ」
ユージーンが自分のお椀にトマトを乗せる前に、蓮姫はひょいとそれを避けた。
そして豚汁を一口飲むと、また別のため息が漏れる。
「美味しいけど…平安京に豚汁って。それにトマトも違和感が…」
「姫様にとって大昔の都に似てても、大和は千年以上前から存在している国です。外国との貿易も盛んですしね。トマトもあればズッキーニ、それこそアーティチョークなんかもありますよ」
「うわ……カルチャーショック。…いや、それとも違うけど…なんか色々と残念」
外観とは違いすぎる食文化に、何故かショックを受けてしまう蓮姫。
「まぁ、美味いからいいんじゃん?美味い飯もある。酒も飲める。寝床に風呂まである。至れり尽くせりで申し訳ないねぇ」
「申し訳ねぇんなら遠慮したらどうだ?犬らしく」
「犬ってむしろ遠慮しなくね?なぁなぁ、お前もそう思うよな!」
「…俺?……犬の事は…知らない」
「ですよね~。そうきますよね~」
いつものように賑やかに食事をする蓮姫達。
しかしユージーンと未月は一瞬、何かを感じ取りピクリと眉を動かした。
未月は動きを止めただけだが、ユージーンは持っていた箸を手の中でクルリと回すと、それに魔力を流し込む。
そしてそれを投げようと力を込めた瞬間……隣に座る火狼がユージーンの手に自分の手のひらを乗せた。
「悪ぃ、旦那。ちょっと待ってくんね」
「……てめぇ」
「うん。旦那の言いたい事も、やろうとしてる事もわかってんよ。でもさ…今回ばかりは俺に任せてよ。……マジで頼むわ」
そうユージーンに語りかける火狼の声は小さい。
まるで何かに…誰かに聞こえないように。
しかしユージーンに見せた表情は、火狼にしてはとても珍しく、真剣そのものだった。
まとう空気も何処か重い。
火狼はそれ以上何も言わず、またそれはユージーンも同じ。
しばらくの間、見つめ合う二人。
「な、何?二人して見つめあって」
蓮姫がいつもと違う火狼とユージーンの様子に気づき、声をかけるまで無言の見つめ合いは続いた。
しかし蓮姫の声に火狼は、ニパッと笑顔を浮かべ彼女に振り返る。
まるで何事も無かったかのように。
「うんにゃ。何でもないぜ。強いて言うなら…旦那はマジで整った顔してんな~、って思ってたんよ」
「え……なにそれ………二人ってそういう関係だったの?」
「断じて違います。姫様、気持ち悪い事言わないで下さい」
「んも~!旦那のいけず~!」
蓮姫の言葉に心底嫌そうな顔で答えるユージーン。
そんなユージーンにケラケラと笑う火狼からは、先程の表情は勿論、まとう空気も違う。
うんざりとした表情のユージーンだが、火狼を何処か探るように見つめているのを蓮姫は見逃さなかった。
そしてユージーン同様、何かを感じた未月は蓮姫へと声をかけようと口を開く。
「…母さ」
「あ~!お前も全然食ってねぇじゃん!ほらほら~、若いんだからもっとしっかり食えよ!なっ!」
「え?…俺?…むぐっ!?」
未月が蓮姫に何かを話す前に、火狼は彼の口へと大きな肉をねじ込んだ。
いきなり口に肉を突っ込まれた未月は、必死にそれを飲み込もうとモゴモゴと口を動かし咀嚼しようとする。
こうなれば、話す事など出来ない。
そうこうしている内に、翁と媼が部屋へと戻ってきた。
「皆様、お待たせ致しましたの」
「追加のお酒を持って参りましたよ。どうぞ皆様も、遠慮せず飲んで下さいな。あらあらそんなに、お口いっぱい頬張って…お茶をどうぞ」
のほほんと未月にお茶を進める媼に、蓮姫は礼を告げながらも、視線は直ぐに火狼へと向けていた。
だが翁達の手前、深く追求する事は出来ない。
仕方ない、と蓮姫は一人立ち上がる。
「私もおトイレ、お借りしようかな」
「どうぞどうぞ。厠でしたら、このまま真っ直ぐ行きまして、突き当たりを左に行った先へありますよ」
「ありがとうございます、媼」
蓮姫が媼へと礼を告げ、足を踏み出そうとしたその時。
「あ、俺も俺も~。姫さんの護衛も兼ねて一緒に行くぜ~」
火狼も立ち上がり、蓮姫へと同行する旨を伝える。
「なら俺も」
「旦那はここにいて大丈夫大丈夫。姫さんの護衛なら俺がしっかりやるから。なんなら猫も連れてくし。猫、お前も姫さんの従者だもんな!」
「にゃうっ!」
火狼に声をかけられると、ノアールも元気よく一鳴きし蓮姫へと勢いよく飛び跳ねた。
蓮姫はなんとかノアールをキャッチすると、喉を撫でてやる。
「おい、なに勝手に」
「いいっしょ?それに姫さんだって俺になんか話あるみたいだし。ね、姫さん」
火狼は蓮姫へとウィンクしながら答える。
蓮姫の心中も彼は察していたようだ。
そんな火狼を睨むユージーンだが、蓮姫がそれを止める。
「ジーン、大丈夫。ノアもいるし…私は狼を信頼してる」
「うぉっ!姫さん姫さん。それって愛の告白ぅ!?旦那じゃなくて俺を選んでくれんの?いや~照れちまうね。モテる男ってのは辛いぜ~」
「何処をどう聞いたらそうなるの?では翁、媼。少し失礼しますね」
翁達に頭を下げると、蓮姫はノアールを抱え直し部屋を出る。
火狼もそのまま蓮姫の後をついて行った。
「いやはや、皆様は大変仲がおよろしい」
「恐れ入ります、翁。……おい未月、大丈夫か?」
ユージーンは翁に頭を下げると、未だに口の中の肉と格闘している未月へと声をかけた。
彼を気遣うフリをして未月へと近づく。
「ほら、お茶もう一杯飲め」
「……ん…んく…んぅ…………はぁ…ユージーン…さっきの」
「しっ。声を落とせ」
ユージーンは未月へと小声で話しかけた。
翁と媼に聞こえないように。
幸い二人には同僚を心配するようにしか映っていない。
「俺も気づいた。今ここを離れた事も」
「狙いは……母さん?」
「だろうな。翁達には気づかれないようにしろ。知られると面倒だ」
「…わかった」
ユージーンの言葉に未月はコクリと頷くと、それ以上は何も言わなかった。
(あんなあからさまに殺気を向けるなんざ…舐めてるのか、余程の阿呆か。はたまたどっちもか。…くそ…あいつ何を考えてやがる。確かにノアもいればまだ安心だが……姫様だって、あいつの本性忘れた訳じゃねぇだろうに。なんで信頼してんだよ。俺の方がよっぽど姫様を)
「ユージーン殿。さぁさ、一献」
「……では遠慮なく。ありがとうございます、翁」
心の中で悶々(もんもん)と愚痴っていたユージーンだが、翁からすすめられた酒を受けるとグイッとそれを一気に飲み干した。
(ちっ。姫様になんかあったら…あいつ八つ裂きにしてやる)
「おぉ!ユージーン殿、よい飲みっぷりですなぁ」
「恐れ入ります」
「さぁさ、もう一献。遠慮なさいますな」
「えぇ。遠慮せずにヤケ酒させて頂きますよ」
「は?」
「いえ、こちらの話ですので。お気になさらず」
ユージーンはニッコリと微笑むと、注がれる酒を次々と飲み干していった。
宴の部屋を離れ、蓮姫と火狼は二人並んでトイレまでの道のりを歩く。
「いや~、広い家だね~。いや館か。ただの竹取がこんだけ凄いの建てれるなんざ相当の金掘り当てて…あ、姫さん。やっぱ俺が左側歩く」
「いいけど。…何なの?今日の狼はなんかおかしい」
「俺はいつだっておかしいよ~…なんてねっ。そうそうかぐや姫も美人だろうけど、やっぱ一番は姫さんかもな~」
ケタケタと笑いながら告げる火狼からは、不穏な様子は全くない。
蓮姫にはそれがむしろ、わざとらしく違和感を覚えた。
「狼ってば、今日そればっかり」
「だって美人が気にならない奴なんていないっしょ~。あ、やっぱ護衛らしく後にいようかな」
そう言うと火狼は蓮姫の後方へと移動した。
「前から思ってたけど…狼って女好きで女ったらし」
「わ~お。姫さん辛辣~」
「に、見せてるだけでしょ?」
振り返りニヤリと笑う蓮姫に、火狼はピタリとその足を止めた。
蓮姫もまた足を止め火狼へと向き合う。
「……なんでそう思うん?姫さん」
火狼は薄ら笑いをやめると、蓮姫へと問いかけた。
逆に蓮姫は笑みを絶やさず、ノアールを撫でる。
「前に私に襲いかかろうとした時も本気じゃなかった。かぐや姫の事だって、興味はあるかもしれないけど…本気でお近づきになりたい訳じゃない。そうでしょ?」
「ふ~ん。そう思う根拠は?」
「根拠?……そう言われると無いけど…ただの女の勘だし。………あ、強いて言うなら…狼が半分、狼だから」
「正確には魔狼族ね。ただの狼じゃなくて、俺の半分は魔獣だから」
火狼は蓮姫の言葉を訂正するが、その表情からは怒り等はない。
むしろ蓮姫の言葉を楽しんでいるようだ。
「学校の課題で…あ、想造世界に居た頃の話。前に図書室で勉強した事がある。狼は動物の中でも特に番への想いが強い、って。一度、番になった相手の事は死ぬまで想いやる。雌の狼が人間に捕まったら、雄の狼は死をも恐れず助けに向かう。相手が死んでも他の狼と番にはならない。勿論、例外はあるけど」
そう語る蓮姫をジッと見つめる火狼。
しかし次の瞬間、プッと吹き出す。
「なにそれ。なんか取ってつけたような理由じゃん」
「狼が『根拠は?』って聞くから、取ってつけた」
「ありゃま。そりゃ俺が悪いね~」
いつものようにケタケタと笑う火狼。
すると一通り笑い終わった次の瞬間、火狼は蓮姫の体を引き寄せ抱きしめた。
蓮姫の腕の中にいるノアールを潰さないよう、本当にそっと優しく包み込む。
蓮姫は火狼の行動に驚くが、敵意や強引さ等は微塵も感じない為、彼を引き剥がす事も暴れる事もしない。
「狼?」
「姫さんは…やっぱいい女だよ。俺さ…本気で姫さんの事、気に入ってる。姫さんが弐の姫なんて、勿体無さすぎ」
「でも、だからこそ会えたでしょ?……命を狙う刺客とその標的として、さ」
「ハハッ!違いねぇや」
蓮姫の言葉に火狼は再度笑う。
その顔は蓮姫からは見えない。
しかし、だからこそ火狼は本当に楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「俺さ…姫さんのこと好きだわ。めっちゃ好き」
「狼?いきなりなんなの?言っておくけど…私は狼の事、全然タイプじゃない」
「でしょうね~。まぁ…真面目に聞いてほしいんだけど。出来ればこのまま、俺の顔見ないでね」
蓮姫が頷くのを感じると、火狼は一度深呼吸してから口を開いた。
「姫さんが勉強したっていう話は本当だよ。狼……特に雄の狼ってさ、一匹の雌に執着するんだ。それこそ死ぬまでね。俺にもさ……昔、執着した女が一人いたんだ」
初めて自分の事や過去について語る火狼。
心無しか口調も普段のようにふざけたモノとは違う。
蓮姫はただ黙って彼の話を聞く。
「姫さんも凄ぇいい女だよ。それは本当。俺の本音。でもさ…あの人以上のいい女はいねぇ。俺にとってあの人は…きっと生涯ただ一人の…特別な女だったんだ」
蓮姫を抱きしめてはいるが、火狼は目を閉じたまま話す。
まるで瞼の裏に誰かを映しているかのよう。