閑話~依頼人~ 1
「ふざけるなっ!!」
私は持っていたカップを、使用人の格好をした朱雀の者へと投げつけた。
淹れたばかりだった茶が服にかかり、その部分から湯気がたつが、そやつは微動だにしない。
容易に避けられたくせに、眉一つ動かさず私の制裁を受ける。
そうだ。
避けるなど許されん。
依頼人の私をこれ以上怒らせるなど!
「朱雀の者を多くけしかけ!賞金までつけて賞金稼ぎにも襲わせた!なのになんだ!賞金を外せ!?朱雀を引き払え!?未だに弐の姫を殺せんというに!その上…まだ待てというのかっ!」
腹立たしい!
あの邪魔な小娘を殺す為にどれだけの金を動かしたと思っている!
「恐れながら、頭領は必ずや弐の姫を殺しましょう。その為に時間を頂きたいと申し上げて」
「弐の姫が王都から出てどれだけの時間が経ったと思っている!小娘一人殺せんなど!朱雀が聞いて呆れるわ!」
弐の姫が次期女王となるなど、万が一にも有り得ん!
だが王位継承者の一人である事は紛れもない事実。
だからこそ……殺しておかねばならん!
次期女王となる壱の姫様に恩を売るためにも……。
「伯爵。朱雀は与えられた依頼は必ず遂行致します。しかし今回は相手が相手な為に時間を頂きたいだけなのです。遅いか早いかの違い。頭領自らが弐の姫に仕えるフリをしているならば、弐の姫の死は確定しているも同然にございます」
「現朱雀……あの若者が……」
私への嫌がらせで…わざと依頼を先延ばしにしているのではなかろうな?
あの若造にとって私は……目の上の瘤も同じ。
しかし奴は私を裏切る事は勿論、殺す事も出来んだろう。
あやつは……私に従うしかないのだからな。
朱雀の者は何処からか金の束……束と呼べる程の厚さではないが、それを取り出すと私へと向ける。
「頭領からの心ばかりの詫びにございます。はした金ですが…お受け取りを」
「ちっ。本当にはした金ではないか!」
もぎ取った金は、無いよりはいいというだけの枚数。
こんな額で私が満足するとでも思っているのか?
「必ずや頭領は依頼を成し遂げます。先代からのお得意様である伯爵の期待は、決して裏切りません。遅くなる分、代金も半額で構わないと頭領は仰せです」
「ちっ。…………下手な刺客や賞金に無駄金を使うよりは経済的…と、考えてやる。必ず弐の姫を殺すのだろう?」
「暗殺ギルド朱雀、一族の誇りにかけまして。必ずや頭領は依頼を成し遂げます。期待は決して裏切りません」
わざわざ先程と同じ事を言いおって。
いいだろう。
この者の顔を見るのもうんざりしていた所だ。
怒鳴っても急かしても、それこそ茶をかけようと表情を崩す事もせん。
これが若い女ならばまだ我慢出来るというに。
「仕方ない。ならば朱雀の頭領に全て任せる。お前はもう去れ」
依頼遂行を長引かせるのなら、こやつを側において逐一報告を受ける意味も朱雀へ文を出す意味も無い。
「わかりました。仰せの通りに。しかし伯爵。弐の姫以外にもご依頼がありましたらいつでもご連絡を。そちらは直ぐに遂行出来ますので」
朱雀の者は一礼するとさっさと部屋を出ていく。
本当にかわいげの無い奴だ。
次からは若い女か…せめて愛想のある奴を寄越すよう、あらかじめ伝えておかねばならんな。
コンコン
「誰だ?」
「メイド長にございます」
「入れ」
メイド長は部屋に足を踏み入れると、深々と頭を下げる。
そうだ。
これこそが私に対する相応しい姿勢と所作だ。
「なんだ?」
「壱の姫様と蘇芳殿がお越しです」
「もうそんな時間か。直ぐに向かう」
さて。
今日も小娘に媚を……いや、未来の女王様に楽しいひと時を過ごして頂こう。
私の未来のためにな。
応接室へ入ると、壱の姫様は既に椅子へと腰掛けお茶を飲んでいた。
「大変お待たせして申し訳ございません、壱の姫様。今日も我が邸のお茶会にお越し下さり光栄にございます」
「ブラナー伯爵、いつもありがとうございます。今日のお菓子もお茶も、とっても美味しいです!」
「壱の姫様に喜んで頂ける事こそ、私の幸せでございますから」
招待主が来る前から勝手に茶菓子にまで手を出すとは…。
いつもの事だが…この方は礼儀というモノを全く知らない。
だが礼儀など関係ない。
この一見普通の小娘こそ未来の女王……壱の姫なのだから。
「おや?壱の姫様。それは先日お送りしたドレスでは?」
「はい。黄色地に白いレースの花がたくさんあって可愛いです。それに花の中心には大きい真珠も使ってくれたんですね。とっても気に入りました。似合ってますか?」
「実によくお似合いです!作らせた甲斐があったというもの!陛下に引けを取らぬ美しさですな!」
名高い職人を雇い、上等な絹と真珠をふんだんに使わせたドレスだ。
それこそ庶民ならば、このドレス一つで家がいくつも建つほどに。
気に入ってもらわねば困る。
「ありがとうございます。……蘇芳は?どう思う?」
「伯爵様は『陛下に引けを取らぬ』とおっしゃいましたが…私にとって姫様こそ、この世の何より美しい御方にございます」
「ふふ。ありがとう、蘇芳」
「い、いや~。参りましたな。蘇芳殿は流石に壱の姫様の事を心得ておられる。私はまだまだですな。蘇芳殿に御指導して頂かなくては」
余計な事を言いおって。
蘇芳殿はいつものように、従者らしく後ろに立ったまま控えているな。
何処の馬の骨とも知れん男には茶すら勿体ない。
しかし、この男は壱の姫様にとって一番の従者。
……この男は未来のヴァル。
蘇芳殿にも媚を売って損は無い。
「さぁさ!蘇芳殿もどうぞお座り下さい!共に茶会を楽しみましょう!」
「伯爵様……私のような者。姫様や伯爵様と共に座ることなど…」
「またそれですかな?いつもいつも何をご謙遜なされるのです!貴方様は未来の女王陛下のヴァル!貴殿以上に壱の姫様に相応しい方はおられんでしょう!」
そうだ。
壱の姫様はこの男を好いており、またこの男も壱の姫様に誠心誠意お仕えしている。
二人が想い合っている事など誰の目にも明らかなのだからな。
ほら見ろ。
未来のヴァル、と言った瞬間こやつは笑みを浮かべおった。
だが蘇芳殿以上に壱の姫様は喜び頬を染めておられる。
「ブラナー伯爵もそう思いますか?」
「はい、壱の姫様。蘇芳殿は誠に立派な従者にございます。王都中…いや!世界中を探し回ってでも蘇芳殿以上に、壱の姫様に相応しいヴァルはおりません!」
「ふふ。ありがとうございます!ねぇ、蘇芳聞いた?私達お似合いだって」
確かにそういう意味だが……。
いや、余計な事は言うまい。
しかし一つわからんのは……。
「私などには勿体ないお言葉です。姫様、伯爵様。ですが私は、ヴァルになどなれずとも良いのです。ただ一重に……私の姫様のお役に立てれば…それこそが私の生きる意味であり、幸せにございますから」
蘇芳殿はヴァルになるつもりは無い、といつも遠回しに断る。
本気で謙遜し、遠慮しているのか……だとしたらただの阿呆だ。
ヴァルに、と望む壱の姫様や推薦した私に失礼極まりない行為。
いや。
壱の姫や女王のヴァルになりたくない者などいない。
ヴァルになる事こそ、何の後ろ盾も無い輩が絶対的な権力を得られる一番の近道。
四大ギルドの始祖や宰相のサフィール殿がいい例だ。
こやつの望みだってヴァルのはず。
そうすれば愛しい壱の姫様といつも共に…………今と大して変わらんがな。
まぁ…今は謙遜していても、結局この男はヴァルになるに決まっている。
さて、冷めぬ前に私も茶を……。
「そういえば伯爵様。以前姫様が伯爵様にお伝えした『弐の姫様による禁所解放』の件、貴族様方の間で噂されているそうですね」
「ブッ!!?」
な、何故今その話をする!?
「陛下の御勅命により他言は禁止されているはず。しかし姫様は私と、深く信頼しておられる伯爵様にしかお伝えしていないのです。おかしいとは思われませんか?何故他の貴族様方がご存知なのでしょう?」
こ、この男!?
なんという事を壱の姫様の前で言うのだ!?
確かに弐の姫の醜態を晒す為、ヴェルト公爵を失脚させる為に言いふらしはしたが…。
それも全ては私の出世……いや壱の姫様の為だというに!
そんな困ったような顔をして…空気も読めん愚か者めが!
「そ、それはおかしいですなぁ!」
「あの…ブラナー伯爵。もしかして…他の人に喋ってしまいましたか?」
「い、いいえ!壱の姫様!!陛下と壱の姫様に誓って!決して他言はしておりませぬ!はっ!?もしや壱の姫様からお話を伺った際、使用人が聞き耳を立てていたのやも!?弐の姫を貶める為に言いふらしたのでは!?なんという!直ぐに使用人全てを集め、厳罰を下してやりましょう!」
こうなれば使用人共のせいにしてしまえ!
他の貴族も自分の地位が大切!
使用人から聞いたと口裏を合わせれば、責められるのは庶民だけだ!
「えっと……どう思う?蘇芳」
「既に多くの方々に知れ渡ったのであれば、使用人の方を咎めても意味がないかと。それどころか伯邸伯爵様の邸から情報が漏れた、と良くない噂が流れる可能性もございます。事を荒立てない方が良いかと」
「わかった。それに全員に罰なんてかわいそうだもんね。ブラナー伯爵、どうか使用人達を責めないで下さい」
「壱の姫様!なんと慈悲深い!」
た、助かった。
壱の姫様はいつも蘇芳殿に意見を伺い、それに従う。
主従関係とは逆だが、それだけ壱の姫様にとって蘇芳殿は信頼出来る存在なのだ。
「そういえば聞きました?弐の姫の婚約者が、お父さんの代わりに公爵になるってお話」
壱の姫様は先程の話に大して興味もなかったのか話題を変える。
ありがたい。
そのまま話を逸らしてしまおう。
「存じております。弐の姫が起こした問題。それの責任を取るためにヴェルト公爵は公爵位を陛下に返上。代わりに陛下はご子息に公爵位をお与えになった、と。異例の出世でございますからな。その上、弐の姫との婚約も晴れて解消された。貴族達も既に噂しております」
逸らされたのはありがたいが、全く面白くない話だ。
折角ヴェルト公爵が失脚したというに、まだまだ青二才に公爵位を与えられるとは。
陛下は本当に血族にばかり甘い。
相手は何の経験もない16歳の子供。
だというに、公爵と言うだけで私よりも格上の存在になった子供。
まぁ、他の貴族達も同じ思いに決まっておる。
父親ほど苦労はせぬだろうしな。
早々にその椅子から退いてもらうとしよう。
「新しい公爵様。まだ歳若く、貴族様方の上に立つには…いささか早すぎる気も致しますね」
新しいケーキに手をつける壱の姫様の代わりに蘇芳殿が口を開く。
今度は余計な事ではなく正論だな。
「そうですな。いかなヴェルト公爵家といえど…貴族の中には正直良い感情を持っていない者は多いのです。反感はこれからも強まりましょう」
「え?そうなんですか?」
「はい、壱の姫様。公爵はいわば……そう。我々貴族の頂点、長のようなものなのです。だからこそ…歳若い子供にその席を任せるのは……いささか不安がありますな」
本当に壱の姫様は何も知らないのだな。
だからこそ扱いやすいのだが。
「レオナルド殿は将来有望で、正規の手順通りならば立派な公爵となられたはず。しかし、このような形で公爵位を受けては……。経験も知識も浅い若者には重荷でしか無いでしょう。私は…出来ることなら公爵位を代わってやりたい」
「ブラナー伯爵がですか?」
「分不相応な願いとは存じておりますが……出来る事なら…私は公爵となりたい。決して権力が欲しい訳ではありません。しかし……今後の王都や壱の姫様のお力になる事を考えると…伯爵位では難しい事も出てくるのです。なんと不甲斐ないことか……壱の姫様…どうか私の低い身分を…力になれぬ私をお許し下さい」
権力?
欲しいに決まっている。
だからこそ利用するのだ。
この何も知らぬ小娘を。
未来の女王陛下を。