閑話~若様~
生まれた頃から一族の為に生きる事は決まっていた。
俺の命は、この世の何もりも尊いものだと。
俺は一族の期待を、一族の運命を、この身に背負わなきゃならない。
だが必死に女王を廃そうとする一族と違って、俺はそんな事はどうでも良かった。
一族の人間が誰しも媚びへつらい、敬い、跪いても、鬱陶しいだけ。
むしろ、どう足掻いても自分はこの運命から逃れられない…と言われているようで疎ましかった。
本当はわかってる。
俺の命など他の人間と変わらない。
大層に崇められても……そんなものはただの虚像だと。
だから一族が忌み嫌う存在もどうでもよかった。
女王にも姫にも何の感情も抱いていなかった。
部下から、あいつが死んだ、と報告を受けるまでは……。
「報告致します!玉華でのオースティン様率いる者達ですが、逃げ出した二名以外全てが弐の姫と彩一族によって亡き者に!」
「全て……だと?……あいつは?あいつはどうなった!?」
その時の俺は酷い剣幕だっただろう。
報告しに来た部下は俺の顔を見て怯えていた。
「あ、あいつと申されますと?」
「……オースティンが育てた………13だ」
オースティンによって任務の為だけに生きるよう育てられた男。
死を恐れず、何も恐れず、何もわからない幼子のような青年。
任務にのみ執着し生きるようにと、ろくな名前すら与えられなかったあいつ。
唯一俺に媚びることも、へつらう事も、敬語すら使わなかった奴。
俺にとってあいつは……弟のような存在。
「は、13ですか。13はオースティン様が彩一族の屋敷を攻めた際、弐の姫によって殺された、と」
「…あいつが……死んだ?……弐の姫に………殺された…?」
「は!生き残った者達の報告です。間違いございません」
俺は持っていた蓮の花を握りしめた。
あいつと一緒に玉華の街を散策していた時、手に入れた蓮の花。
『救ってください』という花言葉を持つ花。
しかし所詮は一輪の花。
俺が唯一救ってほしい者は……救われなかった。
何も知らない、何もわからない、純粋無垢そのものなあいつは……無残にも殺された。
弐の姫に。
俺は生まれて初めて、自分の中に激しい憎悪が湧き上がるのを感じた。
どうでもいい存在としか考えていなかった弐の姫。
その女はたった今……
俺にとって憎い仇となった。
「生き残った奴等は?何処にいる?」
「は、はい。下半身に酷い凍傷を負っておりまして……今は静養させております」
「そいつらの所に案内しろ」
「若様?」
「戻って来たのなら弐の姫の顔を知っている。弐の姫を殺す為に……重要な人材だ」
「若様!」
俺が『弐の姫を殺す』と発言した瞬間、部下の表情は喜びに染まる。
俺は今まで女王暗殺や王都襲撃に対しても『勝手にしろ』としか言わなかった。
自分から女王や姫を殺そうと意見する事もなかった。
そんな俺の変化が嬉しいのだろうが、こいつにどう思われようが心底どうでもいい。
俺はあいつの仇を討つだけだ。
弐の姫だけは……
必ず殺してやる。
部下に案内された俺が見たものは、寝台に横たわる二人の男の姿。
しかし、片方の顔には白い布がかけられている。
俺が来た事に気づいた年老いた医者は、頭を下げながら近づいてきた。
「これは若様、おいででしたか。残念ながらその者は先程息を引き取りました。もう一人も危なく」
俺は医者が言い終わる前にその胸ぐらを掴む。
「いいか。何としてでも助けろ。弐の姫の顔を知る唯一の者だ」
「ぐ…わ、若様」
苦しみ顔を歪める老人。
相手が老人だろうと構うものか。
「顔さえわかればいい。世界中探し回ってでも…弐の姫を見つけ出す」
俺の怒りがわかったのか、ただ苦しいだけなのか、医者も口を開く。
「お、…恐れながら…こや…つは…弐の姫…を…見て…おりま…せん」
「どういう事だ?」
「お、お手を…」
喉が詰まっているのか、息も絶え絶えに告げる医者に俺は乱暴に手を払った。
「ゲホッゲホッ!」
俺は次の言葉を待ったが、相手が老人の為に息を整えるのにも時間がかかる。
時間の無駄だ。
俺は寝ている男の額と自分の額を合わせ、こいつの記憶を読み取ろうとした。
しかし、いくら探っても出てくるのは黒一色。
やっと見えたのは今よりも若いオースティンの姿。
その事実に俺は全てを悟った。
「こいつ……視力を失っていたのか」
「ゲホッ…………左様です。10年程前の事…こやつは王都軍との争いで目に傷を負い、視力を失いました」
やはりか。
そうなると……俺にはどうしようもない。
落胆する俺の態度に気づいたのか、医者は言葉を続ける。
「一族の中でも直系…更に高い魔力を持って生まれた若様のみが扱える秘術。『想い出返し』。しかし、いかな若様とて…見えぬ者の記憶は読み取れぬでしょう」
「チッ」
悔しいがその通りだ。
俺だけが使える、一族直系に伝わる秘術。
だが時の流れと共に直系といえど血は薄れ、術も劣化していった。
俺が見えるのは断片的な光景や湧き上がる感情だけ。
記憶を探っても、その者の声や詳しい思考まではわからない。
「………弐の姫を殺す糸口は…絶たれた、か」
仇を討つ、と息巻いていたくせに。
その仇の姿を探る事すら、俺には出来ない。
結局……俺は……
……俺の存在意義は……。
「…う、……わ、若様」
「っ!?お前…意識が戻ったのか?」
ふいに響いた低い男の声。
唯一生き残った部下が目を覚ましたようだが、本音はもうどうでもよかった。
部下は瞳を開くが、やはりその瞳に光は無く俺を映す事も無い。
「若様…おめおめと…逃げ帰り…面目次第も…ございません」
「いや。お前だけでも生き残って良かった」
本音は違う。
こいつじゃなくて、あいつが生き残ってくれていたら………どんなに良かったか。
「若様……なにとぞ…私めに…今一度…機会を……弐の姫を…殺す機会を…お与え下さい」
「お前…目が視えないだろ。そんな奴には無理だ」
本当なら「直ぐに行け」とたたき出したい。
しかし弐の姫の姿も知らない奴なら意味が無い。
こいつ一人生き残っても弐の姫を探すのは絶望的だ。
せめて死んだのが逆なら……もしくは死んだ方があと数分生き長らえていたら、俺の魔術で直ぐに回復させたのに。
「恐れながら…若様。私は…目が見えぬ代わりに…耳が…良く効きます。弐の姫の声は…今も頭に…響いております」
「……それだけで探せるとでも?」
声を覚えているからなんだと言うんだ。
それで標的を殺せるなら、朱雀なんて誰も必要としない。
だがこの男も引く気は無いのか、見えていないのにその瞳は真っ直ぐと俺に向けられる。
「若様…私に…魔晶石を…お与え下さい」
「魔晶石だと?」
【魔晶石】
自然界に存在する魔力が結晶化した物。その価値はオリハルコンと同様に高く数は希少。魔晶石は主に魔力の増幅に使われる。また四方に魔晶石を設置する事で結界を張る事も出来る。
「魔晶石があれば…弐の姫を探せるとでも言うのか?」
「必ずや…探して…みせましょう。弐の姫は…オースティン様の…仇。…必ずや…死を……いえ…死以上の…苦しみを…」
なるほど。
こいつはオースティンを殺した弐の姫が憎いのか。
あいつを殺した弐の姫が憎い、俺のように。
その憎しみや怒りは……痛い程にわかる。
弐の姫の姿を知る者は全滅。
王都襲撃を行ったのも、今は亡きオースティンが率いる部下ばかりだった。
弐の姫を探す手掛かりを持つのは
こいつしかいない。
一族の中で魔晶石を所持するのは、俺のような直系かオースティンのような高い地位の者だけだ。
「いいだろう。魔晶石を与えてやる。しかし条件がある。……わかるな?」
「ありがとう…ございます…若様。…必…ずや…弐の…姫……を…………」
どうやら気を失ったらしい。
さすがに体が限界か。
こんな所で死なれても困る。
こいつは……弐の姫を殺す大事な駒だ。
「全てのものに許された、生きる力よ。今ここで輝かせ。満ち溢れ。咲き誇れ」
男の体に手をかざして詠唱を始めた俺に医者が焦り出した。
「若様!?若様自らが魔術をお使いになられずとも!」
「黙れ。こいつには……まだ生きててもらわなきゃ困る。弐の姫を殺す為に」
「若様……なんと……なんと喜ばしい事でしょう!若様が弐の姫を亡き者にせんと!ようやくあの御方の末裔としての自覚が!覚悟が芽生えたのですね!」
「数多くの一族を救ってきた功績を称し、特別にもう一度だけ言う。黙れ。三度目は無い」
怒気どころか殺気を向けられた医者は、慌てたように口を両手で抑えた。
喜ぶのはまだいい。
勝手に喜んでろ。
だが、最後の方は余計だ。
いつ聞いても……嫌な言葉だ。
俺は証を持たず生まれたのに……。
「……っ!?若……様?」
医者を咎めている間に男は目を覚ました。
血色を取り戻した顔を見る限り、体はもう完全に回復してるだろう。
恐らくこいつが玉華から逃げ帰る時に使った上級魔術『空間転移』。
その時に消費した魔力も回復してるはず。
男は全てを理解したのか、寝台から飛び出ると俺に向かって跪いた。
「若様!…この御恩は必ずや!必ずや弐の姫を殺し、若様の御恩に報いましょう!」
「そうしろ。…いや待て。さっき言ったな?死以上の苦しみを、と」
「はっ!自己犠牲呪文の中に空間転移を元にした呪いの秘術がございます!それを使えば探し出す事は勿論!忌まわしい弐の姫に地獄を見せる事も!目障りな従者と引き剥がす事も可能です!しかし…その術を扱うには相当な魔力が必要」
なるほど。
それで魔晶石か。
その上…自己犠牲呪文という事は……。
「…………いいだろう。お前の覚悟…この俺がしかと受け取った。好きにするがいい」
「は!必ずや若様の為!一族の為!オースティン様の為に!!弐の姫に地獄を味合わせてみせます!この命に代えて!」
「決して……しくじるなよ」
俺は…あれ程嫌ったオースティンのやり方と、同じ事をしようとしている。
だがそんな事は関係ない。
こいつが死のうが構わない。
俺は部下を放って部屋を出ると、懐の笛を取り出し夜空へと奏でる。
あいつによく聞かせていた想月花と
必ず弐の姫に、報いを受けさせるという想いが
せめて届くように、と。