③
一方、火狼と別れて無事薬屋へと辿り着いた未月は……途方に暮れていた。
「……薬…………どれだ?」
びっしりと、いくつもの棚に置かれた薬の数々。
その種類はおよそ数百。
頭痛薬と書かれた瓶ですら何種類も置いてあるのだ。
未月はその内のどれを買えばいいのか見当もつかない。
「に、兄さん?さっきから全然動かないけど…大丈夫かい?」
店に入り薬棚の前に立ってから微動だにしない未月に、店主も恐る恐るカウンターから声をかける。
最初は冷やかしかと思ったが、いつまでも動かない未月の様子に、むしろ心配してしまった。
「…俺…大丈夫。…でも…薬わからない」
「な、なんの薬が欲しいんだい?」
「…風邪薬と…解熱剤と…腹痛薬。…あとは……頭痛薬」
火狼が言っていた薬の種類を、一つづつ確かめるように話す未月。
彼がちゃんと薬を買いに来た客だとわかった店主は、カウンターから出て未月の側へと寄った。
「なんだい?誰か風邪でも引いたのか?もしかして…兄さんのコレ?」
そう言うと下世話な笑みを浮かべて小指を立てる店主。
しかし未月はそのジェスチャーの意味を知らず、ただ首を傾げた。
「…小指?…違う。…薬必要なの……母さん」
「あ、お袋さんかい?そりゃ失礼したな。…あ~……風邪薬も色々種類あるからねぇ。普段はどんなの使ってんだい?」
「……薬……使った事ない」
「……は?」
未月の言葉に店主は目を丸くする。
しかし未月は今まで薬を使った事は無かった。
病にかかった事は一度もない。
任務で怪我をしても仲間が魔力で傷を治し、また直ぐに新しい任務を与えられていたからだ。
「あんた……病気した事ないのかい?」
「……無い」
「ひ、冷やかしなら帰ってもらいたいんだが…」
「…帰れない。…母さんの為…薬いる」
「お袋さん…そうか……お袋さんが病気なんだな……グスッ。兄さん立派じゃないか!」
未月の言葉に涙ぐむ店主はバンッ!と彼の肩を強く叩く。
「……なんで…叩く?」
「よし!兄さんの為に、うちにある最高の薬をやろう!ちょっとこっちに来な!」
店主は未月の腕をグイグイ引っ張ると、カウンターへと戻りゴソゴソと何かを漁る。
そして何やら怪しげな小さい壺を取り出した。
「これは万能薬さ!」
「……万能薬?」
「そう!これ一つでどんな傷も病も治っちまう!世界でも扱ってる店は少ないよ!この店にもこれ一つ!ただ…安くは無いんだが…」
「……安くない?…………これで足りるか?」
未月は預かった金を全てカウンターへと置く。
その様子に店主は驚いた。
「た、足りるよ!むしろ…ちょっと多いな…」
「…さっき言った薬も…欲しい」
「あぁ、頭痛薬とかかい?よし!じゃあせっかくだからサービスしよう!お袋さん思いの兄さんの心意気に惚れた!金以上に薬をやるよ!」
「……そうか。…恩に着る」
怪しい万能薬に追加して、ドサドサと薬を渡された未月。
未月は気づいていない。
その薬の中には頼まれた物以外に、たくさんの種類が入っていた事に。
しかし任務を遂行出来たと安心する未月は、疑う事もせずに有り金全てを店主へと渡してしまった。
「まいどあり~!」
「……俺の任務……遂行出来た……良かった」
未月は薄く微笑むと薬屋を出て宿屋へと来た道を戻っていく。
前が見えない程に薬が入った紙袋を抱えて。
外出組が有り金全てを失っているのを、知るはずもない蓮姫とユージーン。
蓮姫は『病人なんですから寝てて下さい』とユージーンに言われていたが、ずっと寝ていた為に眠くなどない。
結果、蓮姫はベッドから上体を起こし、世界地図を眺めながらユージーンに世界について学んでいた。
「先ずは基本知識。王都のあった大陸が『クイン大陸』。そして今、我々がいるこの大陸は『ユラシアーノ大陸』です」
「王都に居た頃から思ってたけど、想造世界の『ユーラシア大陸』に似てる。名前も形も」
「想造世界が元で作られてますからね、この世界は。そういう部分もあるでしょう。気づくの姫様達だけですけどね」
「クインはそのまま女王の意味。女王陛下が住まう王都があるから『クイン大陸』か」
世界地図を眺めながら蓮姫は呟く。
しかし王都で世界地図を見た時から蓮姫には疑問に思っていた事があった。
「なんでクイン大陸が左端?王都…女王陛下がいる国のある、クイン大陸が中央じゃないの?」
蓮姫は想造世界での世界地図を思い出していた。
蓮姫がかつていた想造世界の日本では、日本が中央にくる世界地図だった。
子供の頃からそれを見て勉強もしたし、他の国でも自分達の国が中心になる世界地図を見ていただろう。
ユージーンは蓮姫の持つ世界地図の中央を指さす。
「世界の中心……ここには今、何もありません」
「うん。海だけ…………え?今は?」
「そうです。今は、何も無い。ですが……かつてここには島がありました。古の王が治めた、彼の王国がね」
「何千年も前に居た……この世界の王…」
蓮姫はこの世界の歴史を思い出す。
今でこそ想造世界から現れた女性が、女王としてこの世界の頂点に立っている。
しかし遥か昔……この世界には別の王が居たのだ。
「古の王は最初にこの世界の全てを治めた存在。当時大きな勢力を持った七人の王も、人間以外の種族も彼に忠誠を誓いました。彼こそが世界の中心だった。この世界地図の形はその名残りです」
「古の王か……凄い人…だったんだろうな」
「ただの偉人の一人ですよ。そんな事より……このユラシアーノ大陸はクイン大陸より安全ではありません」
「……そうだった」
ユージーンの言葉に、蓮姫もため息をつく。
クイン大陸は女王がおわす王都がある。
そして王都の周りは勿論、大陸全てにある国(アビリタは除く)が女王派だ。
しかしユラシアーノ大陸は違う。
女王派、中立国、そして反乱軍の三つが存在している。
特に反乱軍の報告が一番多いのがこの大陸なのだ。
「反乱軍と中立国が多い大陸…か。中立国はまだ安全?」
「そうとは限りませんよ。なんせ中立とは言っても女王の庇護を必要としない国ばかりです。特に『ギルディスト』はそうですよ」
「ギルディスト?」
ユージーンから発せられた聞いた事の無い地名。
蓮姫は世界地図に指を走らせ、ユラシアーノ大陸の中央左寄りにその地名を見つける。
「ここか。…そんなに大きくない」
「領土が広くないからこそ、国そのものが要塞と化しているらしいです。ギルディストは『強さこそ全て』を謳う国。その軍は王都に勝るとも劣らない。そして家柄重視の王都とは違い実力主義。能力の高い者こそ上に立てるとか。あ、国を治めているのは王族です」
「へぇ……王族が立派に国を治めて、武力も強いから女王陛下に守ってもらわなくてもいいってこと?」
「表向きはそうですね。しかし物事はもっと単純です。現在のギルディスト王は…女王と犬猿の仲だとか」
「犬猿の仲?」
ユージーンの言葉に眉を寄せる蓮姫。
実力主義というやり方が、王都と確執を生んだのだろうか?などと考えるが、真相はもっと単純なものだった。
「20年くらい前ですかね?女王が封じられた俺の所に来て言ったんですよ。現在のギルディスト王は女性だそうで、彼女が王位につく際、国民にこう告げたそうです」
『真に強くて美しい女王はギルディストにいる』
「……それは……よくあの陛下が怒らなかったね」
「怒ってはいましたが、ギルディストの武力は厄介ですからね。下手に戦争を起こしたら王都もただでは済みません」
やれやれ、ため息を吐きながら話すユージーン。
女王とギルディスト王の関係を心底馬鹿らしいと考えているからだ。
「反乱軍のように表立って女王への謀反を行ったり、他国へ侵略したりはしません。しかし自国を攻撃する者には容赦なく返り討ちにする」
「強国だからこそ発言一つで攻め入る事は出来ない、か」
「しかもギルディストの女王様は、世界の女王に対抗して『女帝』と名乗ってるとか。この国はあくまで中立を名乗ってるだけで、女王派につく事も無いんですよ」
中立国といえば聞こえはいい。
しかし女王派ではないのなら、それはつまり女王の下につくつもりは無い、という事でもある。
「わざわざ女帝なんて名乗って陛下に対抗意識を燃やしてる、か。もしかして…姫に対してもいい感情は無い?」
「姫様は弐の姫ですから、それだけでも待遇はよろしくないでしょう。まぁ、ギルディストは特殊ですが、中立国だからと言っても安全では無いんです。下手に足を踏み入れれば厄介ですよ」
「それに加えて反乱軍…………」
「姫様?」
急に黙り込み何かを考えている蓮姫。
世界地図を端から端まで眺めると、ユージーンへと顔を向ける。
「王都で聞いた事がある。反乱軍は巨大な組織のように、世界中に幾つも散らばっているって。正確な数は陛下や軍も把握出来てない」
「そうですね。実際、姫様が玉華で倒した反乱軍は氷山の一角に過ぎないでしょう」
「そもそも……反乱軍はいつから存在してたの?」
反乱軍とは女王を廃する為に結成された者達。
では彼等は、いつ頃からこの世界に現れ、ここまで大きくなっていったのか?
「反乱軍が世間に周知されるようになったのは『傾城の時代』ですよ」
「あの想造世界の男の人が王になって、美女に溺れたっていう時代?」
「そうです。姫様もご存知でしょうが、彼は国を三つも滅ぼしました。恐るべき力を持ちながら民を顧みず美女に溺れた。そんな王の愚行を止めようと発足されたのが反乱軍の始まりだそうです」
「まさしく王への反乱、か。でも当時なら…正当化される。反乱軍こそ正義と扱われてもおかしくない」
悪政を行った王や貴族に市民がクーデターを起こした。
想造世界の歴史でも何度か起こっている。
「確かに。当時は反乱軍に属する人々も多くいたそうです。しかし直ぐに姫が現れ次代の女王となり、悪政を正しました。世界中の殆どの人間が新しい女王を喜んで迎えた。かといって想造力を持つ者は恐ろしい。やはりそんな者に王位を任せては世界が滅びる。そう考えた一部の者達が結成した集団。それが現在の反乱軍の元、とされています」
それが後世に残る反乱軍の歴史。
ユージーンが今話した事は、この世界の人間なら誰もが学ぶ歴史の一つだ。
しかし蓮姫は何処か納得がいかない様子で眉をひそめる。
「本当に…それだけかな?」
「どういう意味ですか?」
「玉華で聞いた首領の言葉がずっと引っ掛かってる。『この世界の真実を知らない』って。反乱軍は何か…私達も、世界も知らない何かを知ってて…その為に戦ってるんじゃないか?って」
反乱軍にも戦う理由がある。
想造世界の女王を廃し、この世界を元の秩序に戻すという。
それが彼等の存在理由。
しかし、それだけではない。
蓮姫は反乱軍にはもっと深い…何か因縁めいたモノを感じていた。
しかしユージーンは蓮姫の話に対して興味もない、という風に肩を落として答える。
「それこそ、いくら考えても答えなど出ない。考えるだけ無駄ですよ」
「でも反乱軍を無視して進めるほど、私達の旅は簡単じゃない。でしょう?」
「えぇ。俺も姫様が寝ている間に未月に色々聞いてみたんですが…基本『俺…わからない』の返しばかりでしたからね。あれはホントに知らない様子でした」
「私が寝てる間に…なに勝手に未月に勘ぐり入れてるの?」
サラリと告げられた言葉に、蓮姫は額に青筋を浮かべながらユージーンに見えるよう拳を握りしめる。
未月が仲間になったその時から、蓮姫は未月を信頼している。
それは未月の境遇や子供のような無垢な雰囲気が、蓮姫の母性本能をくすぐるせいもあった。
が、蓮姫が怒る事も予測済みのユージーンは驚く様子もなく淡々と答える。
「姫様が怒る事は想定内ですよ。その上で言いますが、折角元反乱軍を従者にしたんです。情報を得ようと思うのは自然ですよ」
「まぁ……一理あるけど」
ユージーンの言葉に蓮姫は、渋々と頷く。
本心は嫌だったが、確かにその話は的を得ていたからだ。
「でしょう?しかし当の未月は反乱軍の数もアジトも、何も知らないようでした。唯一知れたのは、未月の居た反乱軍のアジトは結界が張られており、余所者は入れない。未月も仲間と一緒じゃなければ帰れないようでした」
「未月の話だから嘘じゃない。…何処かの誰かさん達と違って、未月は嘘をつかないから」
「そうですね。犬と違ってそこは信用出来ますよ」
「なんで自分を入れないかな。でも…そうか。少しでも反乱軍の事について知りたかったけど…仕方ない」
そう呟く蓮姫にユージーンは、コホンと一つ咳払いをする。