疎まれる存在 5
何も答えず俯いている蓮姫に、レオナルドは焦ったように声を上げた。
「誰か!医者と薬師を呼べ!!蓮姫。医者が来るまで部屋で休んでいるんだ」
「………ううん。大丈夫。疲れただけだから。休ませてはもらうけど、心配しなくて大丈夫」
「しかし!」
「大丈夫。私は大丈夫だから」
『大丈夫じゃない時は、あんま大丈夫大丈夫言うな』
去り際にカインに言われた言葉が、頭の中を巡る。
それでも、蓮姫には他に言う言葉は無い。
弐の姫には泣き言も愚痴も甘えも……本音も許されない。
何をしても弐の姫には、疎まれる結果しか無い。
彼女はもう諦めにも近い感情を持っていた。
「………わかった。ならせめて、部屋まで送る」
「……ありがと」
本当は早く一人になりたかったが、『婚約者からの気遣いを無下にした』と、また周りに陰口をたたかれたくもない。
仕方なくレオナルドを伴い自室へと戻る事にした。
前なら……不器用ながらも心配してくれる優しい婚約者と…そう思えたのに。
今はもう……婚約者だから…弐の姫とはいえ、仮にも姫なのだからと、仕方なく付き合っているのかもしれない。
そう思えた。
「蓮姫?部屋に入らないのか?」
レオナルドの声に顔を上げると、目の前には自室のドアがある。
考えている間についたらしい。
「ありがとう。少し早いけど、もう寝ちゃうね。おやすみ」
さっさと別れを告げて部屋に入ろうとしたが、
「っ!?ま、待ってくれ!」
腕を捕まれ止められてしまった。
こんな積極的な行動…彼にしては珍しい。
「レオ?」
「す、すまない。早く休みたいのはわかるんだが…」
そう言うと、彼は蓮姫の腕を解放し、そのまま自分の懐を探る。
取り出したのは小さな小箱だった。
「もしかして……また贈り物?」
少し棘のある言い方になってしまったが、彼は気にしていない。
むしろ顔を赤くし、照れているのでそんな事は、聞こえていないようだ。
「た、たまたまレムスノアの商人を見掛けてな。そ、その……お前に似合うだろうと…」
受け取るべきか蓮姫は正直悩んだ。
だがやはり、婚約者からの贈り物を蔑ろにするのも失礼だ。
もはや事務的にすら思える、彼の贈り物を、彼女は受け取った。
「ありがとう。このまま見てもいい?」
「あ、あぁ」
いつもとは違い、顔を赤くさせたまま、ずっと緊張しているレオナルド。
そんな彼を不思議に思いながら、小箱を開けて中身を見ると、蓮姫は息を呑んだ。
「っ!?……これ」
「れ、レムストーンの耳飾りだ」
蓮姫の問に答えるレオナルドだが、彼女が聞きたいのは、そういう意味じゃない。
(これ……さっきソフィに渡してた耳飾り?なんで?)
レムストーンと呼ばれた石は、想造世界のムーンストーンと良く似ていた石だった。
遠目ではどんな石かはわからなかったが、石を囲む月を模したデザインは、間違いなく夕方に見た耳飾りと同じ。
蓮姫は胸のうちがザワザワするのを感じながら、少し卑怯な手段をとる。
「……綺麗だね。ソフィが好きそう」
「ソフィア?……あぁ、そうだな。ソフィアも………っ!?い、いや。ソフィアも好きかもしれないが…ど、どうだろうな」
あからさまに慌てるレオナルド。
怪しい。
何かを隠しているだろう事は、直ぐにわかった。
「……そういえば、今日は予定があったんだよね?」
「あぁ。陛下に呼ばれていたからな」
「………一人で?」
「壱の姫の婚約者も一緒だった。まったく…陛下にも困ったものだ」
彼の口からソフィアの名は出てこなかった。
あえて出そうとしていない。
隠している、蓮姫はそう思った。
「そっか。忙しいのに、わざわざごめんね。ありがとう」
「い、いや。その………蓮姫。その耳飾りは付けてくれるか?」
蓮姫は今まで彼から貰った贈り物は、殆ど身につけたりしない。
大事にしているのもあるが、高価な物ばかりなので、自分には勿体ないような気がしていたからだ。
「うん」
「ほ、本当か?」
「でも、無くしたくないし、傷をつけるのも嫌だから。普段は大事に持っているね」
「あぁ。それでもいい」
蓮姫の返答が嬉しかったのか、彼は初めて、彼女に心からの笑顔を見せた。
その笑顔に蓮姫の胸も、ドキドキと鼓動が早くなる。
「え、えっと」
「っ!?すまない。もう休むのだったな。引き止めて悪かった」
さっきまでの動揺が嘘のように、キリッと普段通りの表情に戻り『おやすみ』と彼は戻って行った。
残された蓮姫は、早鐘のように鳴る胸を抑えて、部屋へと入る。
ドサリとベッドに身体を横たえて、貰った耳飾りを眺めた。
「そっか…………私……レオのこと…」
呟く声は誰にも聞かれず、部屋の中をこだまする。
いつからだろう?
彼がソフィアと共に居るのを、面白くない、嫌だと思うようになったのは?
彼に笑顔を向けて貰いたい、認めて貰いたいと思うようになったのは?
ユリウスやチェーザレの元に戻りたいと思いながらも、本気でここから離れる事をためらっていたのは?
「………好き………なんだ……私…」
無意識に口から零れ落ちた言葉に、蓮姫は再び頬が熱を持つのを感じた。
一度自覚してしまえば、全身が燃えているように熱く、早鐘のように鳴る心臓の鼓動が耳に響く。
身体を横たえたまま、先程レオナルドから貰った耳飾りを、手を高く上げながら月の光に翳して見つめる。
女性に贈るにしては、シンプルなデザインのピアス。
蓮姫には両耳にピアスホールがある。
しかし、そこはいつも長い髪に隠れ、一見ではわからない。
自分から言ったことも無いし、たまにつけるのも、想造世界から付けていた100均の小さな目立たない物。
それなのに……
「……知ってたんだ。……ちゃんと…気にして…見てくれてたんだ…」
蓮姫はギュッと耳飾りを握り締めた。
今日は散々な日だった。
この世界に来てから1番……最悪な日だと言ってもいい程に。
だが今の蓮姫の心は、そんな鬱蒼とした気持ちよりも、自分が好意を自覚した婚約者に、少なからず想われている、という歓喜の方が勝っていた。
実際は少なからずどころか、レオナルドは蓮姫に対して、かなり深い愛情を持っているのだが、蓮姫本人はソレを知らない。
蓮姫はベッドから跳ねるように立ち上がり、鏡台の前に行くと、ランプを点けて耳飾りを耳元まで持っていった。
「…つけたら……喜んでくれるかな?」
その顔はまさしく恋する乙女。
髪を耳にかけ上げると、何やら邸が騒がしい事に気づいた。
「なんだろ……誰か来た?」
ピアスを鏡台に置くと、扉を開いて廊下を進む。
蓮姫の与えられた部屋は二階にある。
廊下の先にある階段まで行く途中、聞き覚えのある声に、蓮姫は手すりから階下の広間を見下ろした。
その瞬間、見た事を……部屋から出た事を後悔した。
「…………ソフィ…」
広間には楽しそうに談笑するレオナルドとソフィアがいた。
先程まで自分の胸には、甘くて幸せな恋心しか無かった。
しかし今は、ドロドロとした嫉妬が胸を占めるのが自分でもわかる。
レオナルドはいつだって、ソフィアに優しく笑いかける。
自分が先程、初めて向けられたあの微笑み。
それを彼女は…何度向けられたのだろうか?
ふとレオナルドが、ソフィアの髪を耳にかける。
次の瞬間
「っ!!?」
蓮姫は踵を返し、部屋へと戻った。
足音が下の者達に聞かれないように、しかし急いで部屋へと駆け込む。
部屋に入ると、先程とはとは全く違う……しかし同じ様に鼓動の五月蝿い胸を抑える。
「……なんで………なんで…」
脳裏には先程の二人の姿が浮かぶ。
幸せそうな、楽しそうな二人の姿よりも……蓮姫にはもっと衝撃的な光景があった。
「…ソフィも………してた………」
レオナルドがソフィアの髪を耳にかけた時、美しい耳飾りが見えた。
自分と同じ石の耳飾り。
ソフィアにはピアスホールが無いので、イヤリングだろう。
しかし、違うのはそれだけではない。
ソフィアのイヤリングには、石の周りに色とりどりの華がデザインされていた。
女性が好きそうな、派手で可愛らしいデザイン。
鏡台に置いたままのピアスを、再び手に取り見つめる。
ソレは、全体的に銀色で月しか模されていない、シンプルな物。
「……ふふっ………ははは…ハハハハハッ!」
蓮姫は狂ったように笑い出した。
どうして今の今まで失念していたのだろう?
元々この耳飾りは、ソフィアとレオナルドが一緒に買いに行った物ではないか。
まさか自分がソレを知らないだろうと、わざわざ自分に隠して出かけた際に。
「そっか。……ふふ………そうだよね…」
(私は弐の姫なんだから。……愛されるわけない)
一度、嫌な想像をすると、次から次へと怨嗟や憎悪が溢れてくる。
(レオとソフィは、お互い好きなんだもん。邪魔したのは私の方。わざわざ上辺だけの婚約者に、ついでにピアス買ってくれただけなのに……浮かれて…舞い上がって馬鹿みたい!!)
蓮姫は腕を振り上げて、ピアスを投げ捨てようとした。
が
腕は震えるだけで、ソレはできなかった。
暫くして、だらんと腕が下りる。
ポロポロと涙が両目から溢れ出て来た。
「………馬鹿……みたい。……ホント…馬鹿みたい…」
蓮姫が好きだったのはレオナルドだけではない。
ソフィアの事も友達として、時には妹のように可愛かった。
いつも自分やレオナルドに対して、応援してくれていたソフィア。
レオナルドだけではなく、自分に対しても懐いていた…とても。
でも今の蓮姫には、裏切られたと、騙されたとしか思えない。
自分達の関係を隠して、影で嘲笑っていたのではないか?
弐の姫など、どうせすぐに壱の姫に女王の座を奪われて、さっさと想造世界に帰る。
帰るまでの間、上辺だけでも仲良くしていたのではないか?
相手は姫だから、媚を売っていただけではないのか?
そんな考えばかりが浮かんで、涙となり溢れてくる。
「私…馬鹿っ…みたいっ!………勝手に浮かれて……勝手に…失恋してっ……」
蓮姫の中でこの恋は、自覚した次の瞬間に……終わりを迎えていた。
「帰りたいっ!ユリウスとチェーザレの所にっ!家にっ!!元の世界に…かえりたいよぉっ!!」
ボロボロと流れる涙を、心から溢れ出る情念を、蓮姫は止める術を知らない。
蓮姫は泣き疲れて寝てしまうまで、ずっと涙を流し続けた。
そんな彼女を見つめる男が……居るとも知らずに。
窓の外……月を背に宙に浮かぶ男の姿は、誰も気づかない。
「愛していますよ。俺の姫。貴女を受け入れるのは俺だけです。貴女が女王になれてもなれなくても……貴女は俺の物なのだから」
蘇芳は恍惚の笑みを浮かべて、窓の外から蓮姫を眺めていた。
「貴女を…この世の誰よりも愛しているのは……俺だけです」