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女王の思惑 5



【玉華】


蓮姫達の活躍により平和が戻った玉華の街。


反乱軍が倒され、呪詛も消えた彼等の表情は明るく、街の(にぎ)わいは数日前とは比べ物にならない程。


そんな街中を全力で駆け抜ける一人の青年がいた。


その姿は顔も服も所々泥で汚れており、髪はボサボサ、よく見ると腕にも小さな傷がいくつかある。


身にまとっているのは破れて汚れたマントに古臭い道着。


どう見ても不審者だが、街の者達は青年の姿を見ると親しげに彼の名を呼んでいる。


一方青年はそれに笑顔や手を上げて答える事はあっても、足は止める事はせず一直線に目的地へと走る。


そして彼は目的地へと到着した。


そこは領主の館であり、この青年の生家。


門番への挨拶もそこそこに、彼は門をくぐると腹の底から大きな声で叫ぶ。


「兄貴!お袋!今帰ったぜ!」


邸中に響き渡る程の大声を上げ息を切らす青年だが、懐かしい我が家を見渡すと自然に笑みがこぼれていた。


全力で走って来た事もあり、激しい呼吸をひとまず落ち着かせようと呼吸を整える。


大分落ち着いた頃、邸から玉華領主である大牙が現れ、その青年へと駆け寄った。


星牙(せいが)!やっと戻ったのか!」


「兄貴!一年ぶりだな!」


兄である大牙に名を呼ばれ二カッと太陽のような笑顔を浮かべる青年。


彼こそが玉華現当主である飛龍元帥蒼牙の二番目の息子、(サイ) 星牙(セイガ)


外見は蒼牙や大牙と違いガッシリとした巨体ではないが、細身の割に程よく筋肉がついた健康的なもの。


腰のベルトには長さの違う剣が、後ろに交差される形でさされていた。


武術に長けた彩一族らしく、彼もまた武人なのだとわかる。


良家の次男坊というよりは、浮浪者に近い姿をした弟に大牙は苦笑を漏らした。


「星牙…随分と遅かったな。まったく、何処を寄り道して来たというんだ。頬に泥がついてるぞ。まぁ、頬だけではないが」


言葉は厳しいが、その表情は蒼牙に向けていたものとは違い、とても柔らかい。


頬についた泥を拭ってやるその姿は、弟を思いやる兄そのものだ。


星牙は、へへっと笑いながらも眉を下げて謝る。


「悪い。師匠がさ…天馬を貸してくんなかったんだよ。だから普通の馬と徒歩で……って、んな話より!銀牙は!?銀牙は大丈夫なのか!?」


「落ち着け。銀牙なら無事だ。大事をとって暫く休ませる事にはしたが、体はもう何ともない」


「そっか……そっかぁ~。あ~良かった~」


兄の言葉に心底安心したのか、星牙はその場に座り込むと、大の字に横たわり空に向かって叫んだ。


「地面に寝るな。みっともないぞ。まったく、お前という奴は。母上もお前に会いたがっていたぞ。早く中に入れ」


「そうだな!……だけど…その前に……」


大牙の言葉に勢い良く上体を起こす星牙だが、声の勢いは段々と小さくなる。


心配して弟の顔を覗き込もうとする大牙だが、ふいに聞こえた不協和音に動きが泊まる。


グゥ~~~~~。


「あ、安心したら…急に腹減って…何か食わせて」


照れたように笑うその姿に、ガックリと肩を落とす大牙はため息をついてしまった。


「……はぁ。ついでに風呂も入って着替えもしろ。母上には俺から説明しておく。後で銀牙の部屋に来い」


「はは…ありがとな、兄貴」


「兄上だといつも言ってるだろ。母上の事もだ。お袋などではなくちゃんと呼べ」


立ち上がる弟に手を貸しながらも大牙は彼の言動を(たしな)める。


しかし言われた方は、何を今更、と笑顔を浮かべていた。


「いいだろ?意味は同じなんだしさ」


「我等彩一族は玉華を束ねる貴族だぞ。お前も彩一族の一員として」


「悪りぃ兄貴……とりあえず飯食いたい」


「お前という奴は……わかった。さっさと行ってこい」


その言葉を合図に、星牙は飛び上がるように立ち上がる。


そのままの勢いで邸の中へと飛び込んで行った。


「落ち着きもなく、人の話もろくに聞かんとは。本当に……仕方のない奴だな」


星牙の後ろ姿を眺めながら呟かれたそれは、やはり言葉とは裏腹に優しいものだった。


星牙はその後すぐに軽い食事を済ませると、(はや)る気持ちのまま浴場へ向かい、湯浴みも短時間で終わらせてしまった。


使用人が用意した上等の着物を身にまとうと、弟の部屋へと再び全力疾走していく。


随分と落ち着きなく、その行動は貴族の息子とは思えないがそれを(とが)める者は誰もいない。


むしろ使用人達も帰還を喜び、微笑んで頭を下げていく。


「星牙様!」


「星牙様、おかえりなさいませ!」


「おう!ただいま!いつもありがとな!」


行動は貴族の息子らしくはないが、湯浴みと着替えを済ませた彼は先程までと見違える姿だった。


ボロボロで泥だらけだった道着は、銀の刺繍の入った絹製の青い着物へ。


ボサボサだった短い茶髪は湯浴み後という事もあり、しっとりと濡れている。


髪の色は父親に似たのだろうが、瞳の色は母親似らしく黒い色をしている。


星牙は笑顔を浮かべながら走り続けると、危うく目的地の部屋を通り過ぎそうになった。


「おっとっと、…よし!」


慌てて方向転換すると、一度深呼吸して気持ちと呼吸を整えてから扉を勢いよく開く。


「お袋!銀牙!今帰ったぜ!」


「兄上!おかえりなさい!」


「おかえりなさい星牙!よく戻ったわね」


「お前はまた…せめて髪を乾かしてから来い」


笑顔で星牙を出迎える兄弟と母親。


星牙は駆け寄ると弟の頭を優しく撫でてやる。


ニコニコと去年と変わらず無邪気な笑顔を浮かべる弟の姿に、星牙も嬉しくなった。


「銀牙~!元気になって良かったな!おっ?それにまた背が伸びたな!?流石成長期!」


「いつか兄上より、(おお)兄上より、そして父上より大きくなります!」


「ははっ!そりゃ(すげ)ぇな!俺もうかうかしてらんねぇ。師匠んとこに戻ったらまた鍛えてもらわねぇと!」


「星牙。大賢者様は息災か?」


大牙が言う大賢者。


それこそが現在この星牙の師であり、あの飛龍元帥蒼牙のかつての師でもある人物。


「もう元気元気。人使いの荒さも人一倍厳しいのも全然健在だぜ。今回だって銀牙や玉華の一大事だってのに『それ程の大事なら天馬に頼らず自力で向かえ。それすら出来なければ一人前には程遠い』だもんな!本当…師匠の厳しさにはまいるよ」


肩をガックリと落としながら話す星牙の脳裏には、甘い顔など一切見せない師匠の姿が浮かぶ。


「なんとか説得…というか土下座して頼み込んで、馬一頭と船代は貸してもらったけどさ。ミスリルから走り続けた上に慣れない船にまで乗せたから…馬がバテちゃって。馬をこっち側の港に預けてからは、自分の足で走ってさ。ようやくさっき着いたんだ」


「そう……大変だったのね。でも、無事に帰って来てくれて嬉しいわ」


小夜は愛おしげに星牙の頬に手を添える。


星牙も母の手に自分の手を重ねると、照れたように笑った。


「遅くなって本当にごめん。でも銀牙も玉華も…お袋も無事で良かった」


「私の事も心配してくれたのね。星牙が優しい子に育ってくれて、私は嬉しいわ。きっと父上様も同じ気持ちでしょう」


「残念だったな星牙。お前の大好きな父上なら、もう王都に戻られた後だぞ」


「そっか。親父にも会いたかったな………て、兄貴?今なんて?」


兄から発せられた言葉の違和感に気づいた星牙は、不思議なモノを見るような目で大牙へと尋ねる。


大牙もそれに気づいたのか、オホンと咳払いすると、足早で扉へと向かった。


「母上、私は街に出て呪詛が解けた者達の様子を見てまいります。星牙、まだ暫くは玉華に居られるのだろう。積もる話はまた今夜だ」


そう告げると、大牙は気まずさから逃げるように部屋から出て行ってしまった。


そんな息子の様子に小夜は嬉しそうに笑いを漏らす。


「…兄貴……今、親父の事『父上』って呼んだよな?もう何年も『あの人』とか『大将軍』としか呼ばなかったのに」


「ふふ。自然と父上様を呼べるようになって、あの子も正直戸惑っているのよ」


「お袋……一体何があったんだ?」


「そうね。星牙には…それに銀牙にも…全てを教えなくてはね」


小夜は星牙と銀牙に座るよう促すと、三人分のお茶を準備する。


星牙は勿論だが、銀牙も全てを知っている訳では無い。


玉華で起こったこと、反乱軍のこと、弐の姫のこと、そして蒼牙と大牙のわだかまりが少しだけ溶けたこと。


それら全てを二人の息子達に伝える為、小夜は用意した茶を差し出すと、ゆっくりと語り出した。


小夜が全て語り終わる頃には、窓から注ぐ夕日の光で部屋の中が赤く染まっていた。


星牙は何杯目かのお茶を飲み干すと、茶碗の底を見つめてポツリと呟く。


「……そっか。……そうだったのか…」


「えぇ、全て事実よ」


「兄上。僕を助けてくれたのは、確かに弐の姫様だったよ」


「そうだよな。反乱軍の強い呪詛を受けた奴を一日で全員治すなんて……玉華の魔道士には出来ない。お袋や銀牙の話を疑うつもりはないよ」


玉華には元々魔力を持った人間が少ない。


呪詛を解くには強い魔力と、高度な魔術が必要になる。


それも強い呪詛を受けたり、呪詛の影響が強く出た者には更に強い魔力と高度な魔術が。


「玉華が助かったのは……悪い噂しか聞かない、あの弐の姫のおかげなんだな」


「星牙。弐の姫様は噂などとはまるで違うお方。それは比べるべくもない程に。弐の姫というお立場から悪い噂を流されただけで、あの方は民を愛し、他者を(いつく)しむ心を持った素晴らしい方だったわ」


「ごめん。弐の姫を悪く言いたい訳じゃないんだ。……そっか。そうだったんだな。……師匠は全部…お見通しだったんだ」


ふっ……と息を吐きながら小さく呟かれた言葉。


その言葉の意味がわからず、小夜も銀牙も首を傾げる。


そんな二人の様子に気づくと星牙は苦笑して話し始めた。


「師匠が言ったんだ。俺が慌てて『 直ぐに帰りたい!』って騒いでも、師匠は『お前が行かなくても全て解決する。お前はその後に行ってゆっくり家族と過ごせばいい』ってさ」


「大賢者様が?そんな事を」


「どういう意味?兄上」


「俺も師匠の言ってる意味なんて全然わかんなかった。でも…師匠は全部わかってた。だから呑気に『(あせ)るな』とか『落ち着け』とか簡単に言えたんだな。あの時は血も涙もない冷血師匠とか、この呑気(のんき)な年寄りめ、とか(はらわた)煮えくり返りそうだったけど」


だが、全てはその師匠の言った通りだった。


自分が帰って来た時には全て終わり、銀牙も回復している。


しかもそれは、尊敬する父や兄の功績ではなく、世間に(うと)んじられている弐の姫の功績(こうせき)


持っていた湯浴みをコトリとテーブルに置くと、星牙はゆっくりと本心を呟いた。


「…会ってみたいな……その弐の姫にさ」


「そうね。会えばきっとわかるわ。あの方の人となりが、優しさが。………あら?もうこんな時間。そろそろ大牙が戻ってくる頃でしょう。せっかく星牙が帰ってきたのだから、今日はご馳走にしましょう」


「やった!母上!僕、鴨が食べたいな!」


「ふふ、はいはい。鴨肉ね。星牙は何が食べたいの?」


「ん~~~……なんでもいいや!師匠のとこだと、肉や魚なんて滅多に出してもらえないから。何より家族と故郷の飯食えるんなら、それが一番贅沢じゃん?」


「……えぇ、本当に…そうね」


屈託の無い笑顔を向けられて小夜も嬉しくなる。


本当に息子が帰って来たのだと。


贅沢を言えば、この場に夫が居ればどれだけ幸せだろうか?


しかし夫は己の責務を全うする為、遠い王都へと戻ってしまった。


この世の誰よりも尊く、美しい女王を守るために。


それが誇らしくもあり……少しだけ寂しくもある。


「星牙が帰って来てくれて本当に嬉しいわ。今日は修行の成果を話してくれるのでしょう?父上様も認める剣の腕前が、どれほど成長したのかも見せてほしいわ」


「兄上!ミスリルの話や大賢者様のお話を聞かせて下さいね!」


「いいぜ!とは言っても…ほとんど愚痴になるかもだけど」


期待のこめた眼差しを向ける弟に、自分が日々受けている修行という名の酷な扱いを思い出して、星牙はため息を吐いた。


不思議に見つめる弟に「気にすんな」と頭をポンポンと撫でてやる。


そして立ち上がると三人揃って、大広間へと向かった。


先に歩く母と弟の姿を眺めながら、星牙はぼんやりと出立前に師が自分に告げた言葉を思い出す。




「『直ぐに帰って来なくていい。ゆっくり寄り道して…自分の道を見極めろ』…か。師匠のあれは…どういう意味なんだ?」


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