女王の思惑 2
目を泳がすレオナルドを見て、仕方ない、とサフィールは二人の会話に入る。
「陛下がご自分を責められることはありません。全ては弐の姫様が自ら招いたことなのですから。さて、レオナルド殿。貴殿は陛下より弐の姫様の監視を仰せつかったのでしょう?そのご報告をなさるべきでは?」
サフィールの機転をありがたく受け入れ、レオナルドは「は、はい」と頭を上げ報告を始めようとする。
しかし見上げた先の麗華には、つい先程までの憂いた表情など既になく、肩肘をついて意地の悪い笑みを浮かべていた。
「よい。そなたの報告は最初から当てにはしておらぬ」
「…陛下?」
「蓮姫を深く愛するそなたのことじゃ。蓮姫にとって都合の良い報告をするじゃろう?…勝手に王都へ蓮姫を連れ戻そうとしたくらいじゃからな」
「っ!?」
お前の考えなど全てお見通しだ、と麗華はレオナルドの目を見据える。
だがこれは、レオナルドを監視に付けようと決めた時から、麗華には分かっていた事だ。
「ふふ。責めるつもりはない。妾とて責められて当然の事をしてしまったからの。それに、蓮姫の同行はソフィアを通じて感じておった。…そなたは立派に役割を果たしてくれたのじゃ。感謝しておるよ、レオナルド」
自分はずっと女王の手のひらの上で転がされていた。
暗にそう告げられたレオナルドは絶句する。
蓮姫が甘えを出すエサとして。
蓮姫が嫉妬に狂う女に変貌する鍵として。
そしてレオナルド本人を傷つけ、蓮姫を苦しめるため。
麗華にとってレオナルドは、都合よく蓮姫を責める道具にすぎなかった。
「此度のことは、そなたにも酷な事じゃったろう。じゃがそなたは見事に役目を成し遂げた。大義であったぞ」
ニコニコと満足そうに微笑む麗華だが、レオナルドは目の前の女王を睨みつける前に深く頭を下げ唇を噛み締めた。
そして、麗華の口から思いがけない言葉が発せられる。
「此度のそなたの功績に対し、妾は褒美を遣わそうと思う」
「ほ、褒美……で、ございますか?」
「そうじゃ。その前に…実はそなたが玉華に行っている間、クラウスが妾の元に来ての」
「父が…ですか?」
父親の名に反応したレオナルドは、再度頭を上げた。
自分の言葉で頭を何度も上下させるレオナルドの姿がおかしいのか、麗華は笑いを漏らす。
「ふふ、顔を下げたかと思えば直ぐに上げおって。いっそ、そのまま上げておくがよい。大事な話じゃからの」
困惑するレオナルドを他所に、麗華が発したのは驚愕の言葉だった。
「そなたの父、クラウスじゃがの…此度の蓮姫が犯した大罪を償うため、公爵の地位を妾に返上すると申したのじゃ」
「っ!!?ち、父が!?それは真ですか!?」
「レオナルド殿。陛下が偽りをおっしゃるはずがないでしよう。不敬な言葉はお控え願いたい」
サフィールが再度レオナルドへ冷ややかな視線を向けるが、向けられた当の本人はそれどころではない。
レオナルドは王都に戻ってから、ソフィアを侯爵邸へと送り届けると、その足で城へと向かった。
帰還してから父とはまだ会ってもいない。
それは女王への報告が第一と考えたからだ。
「驚くのも無理はない。じゃがクラウスは、そなたも知っての通り蓮姫の後見を受けた身。後見として蓮姫の犯した罪は自分の責任だと、クラウスは考えておったのじゃ」
「で、ですが、父には何の落ち度も…」
「そなたの言い分も良くわかる。妾とて説得しようとはしたが……クラウスの意思は固くての。妾はクラウスの願いを聞き入れる事とした。蓮姫を守りたいという…クラウスの願いをの」
「蓮姫を……守るために?そのために父上は…公爵の位を返上するというのですか?」
父が公爵という偉大な地位を女王へと返す理由が、蓮姫の為だと聞き目を丸くするレオナルド。
何故、それが蓮姫の為になるというのか?
「蓮姫が禁所で犯した事は一部の者しか知らぬはず。じゃがの……何故かブラナー伯爵をはじめ、多くの貴族達の間で『弐の姫が禁所へと勝手に足を踏み入れ、能力者の村を解放した』と噂が立っておる」
「そんな!?今回の事を知る者には緘口令が敷かれていたはずでは!?一体誰が漏らしたというのですか!」
「それは……妾には検討もつかぬ。キメラの件は知らぬようじゃがの……妾の勅命で禁所解放の件は重要秘密事項として扱われておるから、今はまだ内容も内容ゆえヒソヒソと囁かれている程度。しかし遅かれ早かれ…妾が蓮姫へと罰を下した事も、その蓮姫が変わらず旅を続ける事も、貴族達には知られたじゃろう。それを…そなたの父は見越しておったのじゃ」
憂いを帯びたように目を伏せる麗華。
そんな彼女の代わりにサフィールが話を補足する。
「陛下からの罰を受けて尚、弐の姫様は王位継承権を剥奪されてはいない。それを理由に貴族達が反発する事を恐れたヴェルト公爵は、後見である自分が、表向き全ての罪を被る事で沈静化しようとしたのです」
弐の姫の後見として、そして弐の姫を守る為に、クラウスは自分の地位を捨てる選択をした。
女王から授けられた地位、領土、領民、財産を捨てても構わない、と。
それは無謀とも考えなしの行動とも取れる。
だがそれだけの事をしなくては、壱の姫を次期女王にと推奨する多くの貴族を黙らせる事など出来はしない。
「レオナルドよ。妾はそなたの父の功績を忘れた訳では無い。そなたの父は我が子孫の中でも実に誇り高い男であり、民を慈しむ領主であり、妾に忠実な良き臣下でもあった」
「勿体ない…お言葉にございます。陛下にさような言葉を賜り、父も本望かと」
それはレオナルドの本心だった。
心から尊敬し、愛した父。
常に自分の目標であり、いつかは超えねばならぬ大きな壁。
そんな父こそ、レオナルドの誇りだったのだから。
「クラウスの功績は誰もが認めるところ。それ故にクラウスが公爵の地位を返上しても、ヴェルトからは公爵の地位を剥奪することはない」
「っ!?陛下……それは…まさかっ!」
麗華の言わんとする言葉の意味がわかったレオナルドは息を呑む。
麗華はニヤリと口角を上げると、レオナルドへと言い放った。
「レオナルド=フォン=ヴェルトよ!そなたに公爵の地位を授ける事とする!」
自分が想像していた通りの言葉とはいえ、驚きを隠せないレオナルド。
いずれは父の跡を継ぐのだと、子供の頃からそれを胸に次期公爵として育ってきた。
しかしまさか……こんなに早く公爵の地位を拝命する事になるとは、夢にも思わなかった。
あまりの衝撃に息すら忘れかける。
レオナルドは壊れた人形のように、ゆっくりと頭を下げ、またカラカラに乾いた喉から、絞り出すように声を発した。
「……恐悦…至極に存じます。陛下からの命…謹んで…お受け致します」
「ふふ。授与式はまた改めて行うが…そなたには期待しておるのじゃ。年若き公爵よ」
「勿体ない…お言葉です」
あまりの急な展開に、レオナルドはただ困惑してしまった。
これがあと数年…自分の功績が認められた事による公爵任命ならば、素直に喜べたかもしれないが。
(俺が……公爵に?…俺はまだ…父上の足元にも及ばない。他の貴族に比べて経験も浅く…何より若すぎる。…そんな俺が……公爵など…務まるというのか?)
心の中で自問を繰り返すレオナルド。
ふと、玉華で久々に会った蓮姫の笑顔が浮かんだ。
(そうだ。…俺は…蓮姫の婚約者として…蓮姫を守る為、支える為に…成長せねば。父上は蓮姫の後見として…成すべき事をした。…俺も蓮姫の…姫の伴侶に恥じぬ者として…父上のような公爵にならねば)
蓮姫への愛を胸に、レオナルドは固く決意をする。
レオナルドの蓮姫への愛が、そして蓮姫のレオナルドへの愛こそが、麗華が与える蓮姫への罰に繋がるとは知らずに。
麗華は口元が緩むのを堪えながら、レオナルドに声をかける。
それはわざとらしくも、悲痛な声色で。
「レオナルドよ。そなたの公爵任命について、妾から一つ提案がある。……聞いてくれるか?」
「は…なんで…ございましょうか」
玉華での事もあり、麗華の言葉に警戒するレオナルド。
そんなレオナルドに構わず、麗華は悲しげに目元を手で覆う。
次に発せられる言葉こそが、蓮姫への罰だと知るのは麗華とサフィールのみ。
「そなたと蓮姫の婚約………解消してはどうじゃ?」
「なっ!?何をおっしゃいます!陛下!」
「レオナルド殿、陛下にはお考えあってのこと。無礼な態度をとるより、まずは陛下のお話をお聞きになるべきでは?」
レオナルドの態度に怒りよりも、もはや呆れた様子でサフィールが窘める。
だが、レオナルドの言葉は止まることなく女王へと向けられた。
「恐れながら俺…いえ!私には何の不備も無かったと思われます!陛下のご命令通り玉華へ赴き、図らずも弐の姫への罰に貢献する事にもなりました!それは陛下が先程もおっしゃられた通り!弐の姫の婚約者としてお役に立つことが出来たと!…確かに……勝手に蓮姫を王都へと連れ戻そうとした事は…罪に問われても致し方ないとは思います」
前半はまくし立てるように叫んでいたレオナルドだが、後半は後ろめたさもあり徐々に声が覇気のないものに変わる。
だが次の瞬間、レオナルドは麗華を真っ直ぐ見据えた。
「ですが、私以上に蓮姫を…弐の姫を想っている人間はおりません。私以上に…弐の姫の婚約者に相応しい男など…おりません」
ハッキリと言い切るレオナルドだが、ふと脳裏に玉華で出会ったユージーンの姿が浮かぶ。
とても美しく、強く、蓮姫の従者として側に控えていた男が。
(あんな奴…あんな奴に俺は負けてはいない!蓮姫を誰よりも愛しているのも!彼女を守りたいと願うのも…相応しいのも俺だ!あいつじゃない!)
玉華に居た頃から、ユージーンに激しい対抗心を燃やしていたレオナルド。
しかし蓮姫が彼と共に(火狼もだが)玉華から旅立ったと聞くと、その対抗心は憎悪へと変わってしまった。
自分は前も、そして今回も蓮姫に置いて行かれた。
別れの言葉を告げられる事すらなかった。
しかしユージーンは蓮姫に選ばれ、共に行くことを許された。
その事実がどうしようもなく辛く、悲しく、憎かった。
レオナルドは今、心の底からユージーンを憎んでいた。
それがただの嫉妬だということも、レオナルド本人はわかっている。
そんなレオナルドに対し、切なげにため息を吐きながら麗華は重い口を開いた。
「妾もそなたの蓮姫への想いは、ようわかっておる。わかっておるからこそ…そなたを守りたいのだ」
「私を…守る……ですか?」
てっきり自分の落ち度を理由に責められ、その上での婚約解消だと思っていたから。
レオナルドには麗華の本心などわからない。
わかるはずもない。
彼女の本心は、これから語られる建前で隠されることになる。
それをレオナルドが知ることはない。
「そなたは今後、公爵という立場となる。しかし……そなたはまだ16。クラウスの功績があったとしても、妾の血がその身に流れていても、若いというだけで貴族達はそなたを軽んじる。その上、弐の姫の婚約者という立場があれば、更にそなたを追い詰める事になろう」
「恐れながら…それはすなわち、自分の保身の為に弐の姫を切り捨てる、ということ。陛下の命とはいえ…あまりにもそれは…」
麗華の言葉はもっともだが、やはりレオナルドは首を縦には振らない。
むしろ今の言葉で余計に意思は固くなった。
自分を守る為に、蓮姫を捨てるなど…それこそユージーンに劣る行為だと。
しかし女王の命令を「嫌だ」「したくない」と、子供のように駄々をこね拒否する事は出来ない。
葛藤するレオナルドに、麗華は彼が首を縦に振らざるを得ない切り札を口にする。