玉華の長い夜・終結 2
大牙に案内された蓮姫は兵士が警護するある部屋の前へと着いていた。
扉に手を伸ばし大牙へと振り返る蓮姫。
「領主様。すみません…ソフィと二人で話がしたいんです。人払いを」
「………わかりました。弐の姫様…ご無理はなさいませんように」
大牙が頷くのを合図に蓮姫は扉を開いた。
その部屋にはベッドの中で上半身を起こし顔を両手でおおうソフィア。
小刻みに体が震えているソフィアへと近づく蓮姫。
ソフィアの周りには侍女も数人控えていたが、大牙に促され退室する。
最後に大牙が退室し部屋にはソフィアと蓮姫しか残っていない。
蓮姫はそっとソフィアの肩へと触れた。
「………ソフィ」
蓮姫しか呼ばないその呼び名にソフィアの体はビクン!と大きく震える。
そしてゆっくりと顔から手を離し、自分を呼ぶ声の方へと顔を向けた。
「っ!……お、お姉様……お姉様ぁ!!」
既に泣き腫らした真っ赤に染まる目には新たに涙が浮かびポロポロと零れていく。
ソフィアは勢いよく蓮姫に頭を下げ枯れた声で叫びだした。
「…ご…ごめっ……ごめんなさい!……お姉様っ!…ごめんなさいぃ!」
「…ソフィ」
「お、お兄様を…お兄様を……ひっく…お兄様を…傷つけてしまいましたぁ!…お姉様にも…酷いこと…たくさん……たくさん…言ってしまいましたぁ!」
「ソフィ…」
「ごめんなさっ…ごめんなさい!…お姉様ぁ!お兄様ぁ!ごめんなさいぃ!」
「ソフィ!」
泣き続けるソフィアの名を蓮姫は大声で叫ぶ。
再び震えるソフィアの体。
しかし蓮姫はソフィアの体を優しく抱きしめ、頭と背中を撫でてやる。
「ソフィ…大丈夫。レオも………きっと…大丈夫だから。だからお願い。…ソフィのせいなんかじゃないから…自分を責めちゃダメ」
「…っ!?…お、おね…お姉様……お姉様ぁあ!!」
ソフィアは蓮姫の体にしがみつくと、大声で泣きじゃくった。
泣き叫び自分を責める少女。
蓮姫はソフィアを強く抱きしめ、安心させるように撫でるが…悔しさが溢れ唇を噛み締める。
(ソフィのせいなんかじゃない。…悪いのは…巻き込んだのは……全部)
蓮姫は『自分を責めるな』とソフィアに言いながら、自分自身を責めていた。
「大丈夫だよ、ソフィ」
「お姉様…お、怒らないでぇ!…嫌いに…ならないで…下さいっ!ソフィアを…ソフィアを嫌いに…ならないでぇ!」
「大丈夫。ソフィを怒ったり嫌ったりなんかしない。何があっても…私はソフィが大好きだよ」
「おね…お姉様ぁ!!」
蓮姫は今回の件は全て自分の責任だとソフィアを見て改めて感じた。
だからこそ…自分自身に腹が立つ。
自分の愚かさ、無力さが悲しくなる。
自分を慕う少女を抱きしめて、胸が張り裂けそうに痛む。
(ソフィを傷つけた。レオを…傷つけた。私が…傷つけたんだ)
「お姉様!ごめんなさい!ごめんなさい!」
自分の腕の中で謝り泣き続ける少女。
きっと彼女も自分と同じように自分自身を責め続ける。
(ソフィは…きっとこれからも自分を責めて傷つく。レオも…目を覚ましたら…ソフィを見て…傷つく。どうすればいい…。どうすれば…二人の心の傷を…癒せる?)
蓮姫は心の中で自問自答を繰り返す。
そして……ある考えが浮かんだ。
ソフィアとレオナルド……二人をこれ以上傷つけない…ある方法が。
蓮姫は撫でていた手を両肩に移すと、ゆっくりとソフィアの体を自分から離す。
そして優しく、優しくソフィアに語りかけた。
「ソフィ…ソフィはなんにも悪くない。悪いことなんて何もしてないよ」
「お姉様…でも……でも…ソフィアはお兄様を…お姉様を…」
俯きながらソフィアは言いよどむ。
自分が悪くないと、自分の言葉を否定してほしいと願いながらも、蓮姫に庇ってもらって本心は嬉しいソフィア。
しかし蓮姫やレオナルドを傷つけた現実は変わらない。
いくら蓮姫が…そしてレオナルドが許しても、ソフィアが負った心の傷は暫く癒えないだろう。
何も知らない世間知らずで甘やかされた貴族の少女だからこそ、傷ついた事や傷つけた事への耐性がないのだ。
「大丈夫。ソフィの心は……私が守る」
「お姉様…?」
「ソフィ…本当に……ごめんね」
蓮姫はソフィアを再び腕の中に閉じこめる。
そして想造力を発動させ、淡く光を放つ掌をソフィアの頭に添えた。
強い眠気を感じたソフィアは、瞼が段々と閉じ視界が狭くなる。
「…おねぇ……さ…ま」
「ソフィもう…傷つかなくていい。背負わなくていい。……だから…もう休もう」
「……お…ね……さ…」
蓮姫の言葉に笑顔を浮かべるとソフィアはそのまま蓮姫の腕の中で再び眠りについた。
だが蓮姫は想造力を解除することはせず、ソフィアの深い意識まで潜り込む。
(………陛下。まだここに居られるんですよね?答えて下さい…陛下)
頭の中でのみ問いかける言葉。
蓮姫はソフィアの中に潜む女王麗華の意識を探していた。
この事態を生み出した張本人を。
そして蓮姫の声に応えるようにソフィアではない別の意識が蓮姫へと流れ込む。
(ふふ。ソフィアの記憶を消すとは…そなたはほんに愚かで弱虫な…妾の期待通りの弐の姫じゃの)
(………陛下)
(久しぶりじゃのう蓮姫。妾からの贈り物はどうじゃった?)
(陛下。全ての罰は私が受けるべきもの。…何故…二人を巻き込まれたのですか)
蓮姫の黒い瞳はその場にいない女王を睨みつけ鋭い眼光を携えていた。
だがそれすらも楽しむように麗華の意識は笑い続ける。
(ふふ…はははははっ!何を言う?妾ではない。全ては蓮姫…そなたのせいではないか)
(…っ、………そうです。全ては…私が招いた事。…陛下からの罰…謹んで…お受け致しました)
(ふふ…そうじゃ。それでよい。妾を愛さぬ所業をしたそなたが悪いのじゃ。可愛い蓮姫よ)
蓮姫の脳裏には妖艶に、そして満足気に頷く麗華の姿が写った。
それは彼女の想像か…もしくは麗華の想造力のせいか。
(…陛下。もうソフィを…この子を解放して下さい)
(よかろう。妾はこの可愛いソフィアを愛しておる。これ以上悲しませるのは本意ではない)
(…ありがとう…ございます。……陛下)
(じゃが…蓮姫よ。覚えておくのじゃ)
麗華の声が急に低くなる。
まるで冷気を帯びたほどに冷たい声。
蓮姫は自分の首筋に冷や汗が流れるのを感じた。
(妾を愛さぬ者を……妾は決して愛さぬ。愛しく可愛い蓮姫よ。二度とこのような真似…妾にさせるでないぞ)
(……陛下…)
(夢ゆめ忘れるな、蓮姫。妾を本気で怒らせれば…これしきの事では済まぬとな)
(っ、………陛下のお言葉…この胸に…しかと…)
(ふふ。それで良いのじゃ。そなたに再び会える日を…楽しみにしておるぞ…蓮姫)
その言葉を最後に麗華の声は聞こえなくなった。
蓮姫は想造力を解除した掌を強く握りしめる。
そしてソフィアをベッドに優しく寝かせると、この部屋を後にした。
そして蓮姫が向かった…いや、戻った先は…
「姫様、レオナルド様はまだ……。姫様?」
レオナルドが眠る部屋だった。
ユージーンは蓮姫にレオナルドの容態を伝えようとするが、彼女のまとう空気の不穏さに気づく。
先程まで泣いていた蓮姫からは考えられない程の冷たい空気。
怒りや憎しみといった負の感情が今の蓮姫には感じる。
ユージーンはレオナルドから離れ蓮姫へと近づき声をかけた。
「姫様?一体どうされたんです?ソフィア様に何かありましたか?」
「ソフィは……」
「ソフィア様は?」
ゆっくりとユージーンを見つめ、蓮姫は静かに答えた。
「記憶を消した。目覚めたらもう何も覚えてない」
「………姫様?何を言ってるんです?」
「領主様にも伝えた。ソフィは昨夜の騒動に何一つ関わってない。長旅で疲れて眠っていた。そう周りにも振る舞ってもらえるように」
「ちょ、ちょっと待って下さい!姫様!それが本当なら…自分が何をしたかわかってるんですか!?」
淡々(たんたん)と話す蓮姫にユージーンは声を荒らげて彼女の言葉に割り込む。
「ソフィア様の記憶を消したって…なんでです!?」
「ソフィをこれ以上傷つけないため。だからソフィから記憶を」
「違います。姫様……それは…ソフィア様のためなんかじゃない」
ユージーンは主である蓮姫に対し厳しい口調で言い切る。
「それは言い訳です。ソフィア様のためじゃない。姫様は自分のためにソフィア様の記憶を消したんです。傷つき悲しむソフィア様を見て…姫様が傷つきたくなかっただけだ」
何故こんなことになった?
自分が側を離れた数分の間に…蓮姫に何があったのだ、とユージーンは自分に問いかける。
何も答えない蓮姫にユージーンは今日何度目かわからないため息を吐いた。
「姫様…何があったんです?そんな真似…姫だからと許される事じゃない」
「…姫だから…私が弐の姫だから…レオもソフィも傷ついた。だから私が助ける」
「助けてません。姫様が助けたのは姫様自身です。それをソフィア様が望んだって…叶えていいものじゃない。レオナルド様だって………姫様…まさか」
ユージーンは気づく。
蓮姫がこの部屋に戻り何をしようとしているかを。
ユージーンは蓮姫の行く手を自分の片手で塞いだ。
憎いと思っていたレオナルドを庇うように。
「駄目です。姫様…レオナルド様の記憶まで消してはいけません」
「…ジーン」
「姫様…それは駄目です。俺が止めます」
「退いて…ジーン……私は…レオを」
「姫様はあの時レオナルド様を救いました。命を…心を…救ったんです。だから…レオナルド様を……自分の愛する人を…傷つけてはいけません」
放たれた言葉に…蓮姫は息を呑む。
レオナルドを助けようとしている行為は、レオナルドを傷つけることになる、という事実。
本当はわかっていた。
それでも…蓮姫にはこれしか思いつかなかった。
「ジーン…教えて。私は…どうすればいい?」
泣きそうになるのを必死に堪えながら蓮姫は尋ねる。
潤む瞳に映るユージーンは首を横に振った。
「どうもしてはいけません。姫様は全てを受け止めなきゃいけないんです」
「…全てを…受け止める」
「自暴自棄になって…大切な人を傷つけて…自分を守ってはいけません。それこそあのブスの思い通りです」
蓮姫よりも麗華を知るユージーン。
普段の麗華への悪態も彼女の本性を知るからこそ出る言葉。
だからこそユージーンは気づいた。
蓮姫の異変の原因に。
「姫様。あのブ…女王と何かありましたね」
「ソフィの意識を探った時に…残っていた陛下の思念と話した」
「…やっぱり」
ユージーンは頭を抱え小さく呟いた
。
「姫様の意識まで勝手に操りやがって………あのクソドブス…」
「ジーン?」
「……なんでもありませんよ。姫様…少し失礼します」
首を捻る蓮姫にユージーンはニコリと微笑むと彼女の体を抱きしめた。
そしてパチッと指を鳴らすと、蓮姫の体は一瞬で脱力する。
ユージーンの腕が支えているから良いものの、それがなければ蓮姫の体は床に崩れていた。