玉座の長い夜・終結 1
「……姫様………そろそろ休まれてはいかがです?」
「…まだ…大丈夫」
心配するユージーンの声に蓮姫は目を切なげに細めたまま答える。
その視線は目の前のベッドに横たわるレオナルドにのみ向けられ、ユージーンの方を向くことはない。
レオナルドから片時も目を逸らさず、彼の手を心配そうに握りしめる蓮姫。
それでもユージーンは声をかけ続けた。
「ですが…姫様だって想造力をたて続けに使用して疲れているはずです。そんなに心配でしたら代わりに俺が見ています。レオナルド様が目覚めれば直ぐに姫様にお知らせしますから」
「平気。…本当に…私は大丈夫だから」
「はぁ……今日の姫様もわがまま姫様ですか?」
「ジーン」
いつもの調子で嫌味を言おうとしたユージーンだが、やっと自分に向けられた視線に黙る。
しかし蓮姫の視線は、いつも繰り返される自分の嫌味を返すような強いものではなかった。
ただ切なげに、苦しげに、辛さを込めた弱い瞳。
「お願いジーン。……私は…レオの傍にいたいの…」
発せられたのは、今のユージーンが聞きたくなかった言葉。
舌打ちしたくなるのを我慢したユージーンだが、その代わりに再びため息が漏れる。
「はぁ………姫様。姫様のお気持ちはわかります。ですが…目を覚まさないのは姫様のせいではありません」
「それは…違う」
ユージーンの言葉を否定すると蓮姫はレオナルドへと向き直った。
レオナルドの手を強く握りしめ、苦しげに言葉を吐く。
「悪いのは……全部私だ。…私の……せいだ」
「姫様」
「レオも…ソフィも……私が巻き込んだ…」
あれから……蓮姫がレオナルドの傷を治した時から、随分と時間が経っていた。
それでもレオナルドは目を覚まさない。
初めはレオナルドが息を引き取ったのだと思い、蓮姫は泣き喚いた。
泣いて泣いて…彼の名を叫び続けた。
しかしユージーンは見落とさなかった。
レオナルドの胸が小さく上下している動きに。
見かねたユージーンがレオナルドの胸に手を当てると、弱く…だが確実に脈打つ鼓動を感じ取れた。
レオナルドは死んだのではなく、気を失っただけ。
それを蓮姫に伝えるユージーン。
安堵した蓮姫は再び涙を流した。
そして、いつまでも洞窟内にいる訳にもいかない、と大牙の提案により蓮姫達は玉華の街、領主の館へと戻って来た。
それが夜中のこと。
今では太陽は地平線から上り始め、窓から淡い日差しが入っている。
その間、蓮姫はレオナルドの傍を片時も離れなかった。
自身も想造力を多用し疲弊しているというのに、眠る事すら拒んで。
「姫様にとって、レオナルド様が大切な方なのはわかります。ですが、姫様まで倒れたら元も子もない」
「そう。…大切なの。…レオが…こんな事になって…レオが…死ぬかもしれないって思って……私…今までの事…凄く後悔した」
「姫様」
ユージーンは再度蓮姫を呼ぶ。
それは暗に、それ以上言うな、という意味が込められている。
きっと次に蓮姫が紡ぐ言葉は、先程のもの以上にユージーンが聞きたくない言葉。
正確には、今聞きたくない言葉、ではない。
今もこれからも…ずっと…一切聞きたくない言葉。
しかしそんなユージーンの願いも虚しく、蓮姫はその言葉を告げた。
「…私……やっぱり…レオの事が……レオが…好きだよっ」
握りしめるレオナルドの手を額に当てて、涙ながらに告げた蓮姫。
そんな蓮姫を見つめるユージーン。
その表情は、蓮姫と同様に悲しげに満ちている事を当の本人達は知らない。
ユージーンは胸がズキリと痛むのを感じた。
その痛みが示す意味を……ユージーンは自覚している。
だが胸の痛みを無視して蓮姫の肩に優しく触れた。
「姫様。大丈夫です」
「……ジーン」
ユージーンは優しく微笑みながら蓮姫へと声をかけた。
まるで自分の中に芽生えた感情を悟らせないように。
「姫様はレオナルド様を救いました」
ユージーンはあえて、蓮姫がアーシェを殺した時と同じ言葉をかける。
そして蓮姫の答えもあの時と同じ。
「…救った?違う。私のせいで…レオは傷ついた。私が…傷つけたんだ」
「そうやって何でもかんでも一人で背負わないで下さい。レオナルド様もソフィア様も…姫様がそんな顔をしていた方が傷つきます」
「だけど…ジーン…」
慰めるユージーンの言葉に蓮姫は素直に頷けない。
レオナルドが傷ついたのも、ソフィアが豹変したのも、全てが自分のせいだと蓮姫は思っている。
そしてそれは…彼女の思い込みではなく真実だ。
「俺は……姫様のそんな姿を見るのは…嫌です」
「……ジーン?」
ふいに告げられた言葉に蓮姫はユージーンの方を向く。
自分に向けられた視線に、ユージーンはニッコリと笑みを深くした。
「俺がそう感じてるんです。ならレオナルド様やソフィア様だって嫌に決まっています。お二人は姫様の事が…とても好きなのですから」
「…ジーン……ありがと」
「どういたしまして。……幸せ者ですね」
そう告げるユージーンはレオナルドの方へ目を向ける。
先程とは違い苦笑を浮かべて。
「……幸せ?何が?」
「レオナルド様が、ですよ。姫様にここまで想われて……レオナルド様は…幸せ者だと思います」
その言葉はまるで蓮姫に、というよりは自分自身にかける言葉だった。
その言葉とは裏腹に苦笑しつづけるユージーンを、蓮姫は不思議そうに見つめる。
自分を慰めるためだけの言葉ではない。
それだけは感じ取れた。
蓮姫がユージーンへ声をかける前に、ユージーンは蓮姫へと視線を戻す。
「姫様。俺は…姫様がご自分を責める気性なのを充分理解してます。ですから…それをやめて下さい、なんて言いません」
「ジーン?」
「その代わり…俺にも背負わせて下さい。俺は姫様の………ヴァルになる男ですから」
寂しげに告げるユージーンに蓮姫は言い知れぬ不安のようなものを感じた。
何が原因かはわからない。
しかし……ユージーンは何処か傷ついた顔をしている。
そしてユージーンが傷ついているのも、間違いなく自分が関わっていると感じた。
レオナルドの手を握っていた両手が緩み、片手をユージーンへと伸ばそうとしたその時…。
コンコン。
扉を叩く音が部屋へと響く。
二人の視線は同時に扉へと向けられた。
「弐の姫様。私です。玉華領主、大牙です。入ってもよろしいですかな?」
「領主様?はい。どうぞ」
入るよう促された大牙は扉を開けると蓮姫へと足を進めた。
ユージーンは一歩下がると大牙へと深く礼をする。
先程までの憂いは一切感じ取れない完璧な仕草で。
「弐の姫様…レオナルド様はまだ目覚めぬようですな」
「……はい。…領主様、ソフィの方は…どうですか?」
この館に戻ってからもソフィアは眠り続けていた。
そんな彼女もこの館の別室で休ませてもらっている。
万一の事……また豹変する事を考え、武装した侍女達に見守られながら。
蓮姫の問いに大牙は重いため息を一つついてから答える。
「……ソフィア様は…お目覚めになられましたが……」
「領主様?ソフィは…ソフィは大丈夫なんですか?」
言いよどむ大牙に蓮姫はふらりと立ち上がり詰め寄る。
ろくに休んではいないその体は疲弊しており、倒れそうになるのをユージーンが支えた。
蓮姫はユージーンに支えられながらも不安気な表情で大牙を見つめる。
大牙はもう一度ため息をついてから答えた。
「医者や魔導士の話ではソフィア様は健康そのもの。身体的には心配することは何も無いそうです。……ですが…ソフィア様は今…ご自分を責めております。レオナルド様を刺した事、弐の姫様に無礼を申したこと。泣き続け他者の言葉などまるで聞こえていない様子でした」
「ソフィが…自分を責めて…」
蓮姫は下を向き呟くと唇を強く噛んだ。
ユージーンは蓮姫の様子を悲しげに見つめた後、大牙へと声をかける。
「姫様へのご報告。感謝致します、領主様」
「これが私の務め。貴殿が気にする事はない。…弐の姫様…そろそろお休みになられて下さい。レオナルド様の看病でしたら我が邸の者がいくらでも代わりましょう」
大牙もユージーンと同じ表情で蓮姫へと声をかける。
彼も気にしていたのだ。
自分のせいだと全てを責めるこの弐の姫を。
蓮姫はゆっくりと顔を上げると、一度レオナルドの方へと首を向ける。
切なげに愛しい男を見つめた後、蓮姫はユージーンの手を優しく解いた。
「姫様?」
「ジーン。レオのことを見ててくれる?」
「はい。目覚められたら直ぐに姫様へとご報告に参ります」
「……頼んだよ」
蓮姫はおぼつかない足取りで大牙へと近づく。
大牙は扉を開けて蓮姫を促した。
「どうぞ弐の姫様。隣の部屋に休めるよう準備をしております」
「いいえ、領主様。私はまだ休めません」
大牙の申し出を断る蓮姫に大牙は驚く。
休むためにユージーンにレオナルドを任せたと思ったが、彼女の思惑はどうやら違うらしい。
「ソフィの所に…案内して下さい」
「弐の姫様!?ですが!」
「お願いします。どうしても…ソフィの所に行きたいんです」
頭を下げる蓮姫に戸惑う大牙。
視線を彼女の従者へと向けるが、ユージーンは大牙の意図をわかりながらも主と同じように頭を下げる。
「私からもお願い致します、領主様。姫様のお望み通りに」
「ユージーン殿……わかりました。弐の姫様…ご案内致します」
「ありがとうございます。領主様」
蓮姫は礼を告げると大牙と共にこの部屋を後にした。
残されたユージーンは蓮姫の座っていた椅子にドカッ!と乱暴に腰を下ろす。
「……くっ………ふふ……ははは…」
片手で頭を抑えながら笑うユージーン。
乾いた笑いが響く室内。
しばらく笑っていると、ユージーンは誰に聞かせるでもなくポツリポツリと呟いた。
「…はは……まさか…この俺が?…いい冗談だ。…この俺が…こんなガキ相手に…はは…馬鹿みてぇ」
レオナルドを見るユージーンの目には嫉妬と屈辱の色が映る。
「…色恋なんざ…馬鹿のすることだ。…勝手に好きになって…勝手に傷ついて…面倒くせぇ。…んなもんに振り回されるのは…馬鹿そのものだ。…お前だって馬鹿さ。…大馬鹿者だ…公爵家のお坊ちゃま」
ユージーンはわかっている。
寝ているレオナルドに向けて放っているはずの言葉が、全て自分に返ってきていると。
「俺は…姫様の…………ヴァルだ。…そうさ。誰にも邪魔出来ねぇ絆がある。……だけどよ…」
ユージーンは笑顔のまま。
しかし紅い瞳は鋭い眼光を放ちレオナルドを見据える。
「…お前みてぇな……無力で大馬鹿なガキが………今は羨ましくて……憎らしくて…たまらねぇ」