玉華の長い夜・突入 4
「私が…いるから……全部…悪いのは…私の……せい?」
虚ろな瞳で呟く蓮姫にソフィアは微笑む。
「そうですわ、お姉様。だからお姉様は逃げなくてはいけません」
「私は……逃げなきゃ…いけない?」
「お姉様も逃げたいでしょう?自分を取り巻く全ての愚かな者達から。逃げれば全てが丸く収まる。お姉様も楽になれるのですわ」
「楽に…なれる。私は……逃げれば…」
逃げれば楽になれる。
ソフィアの甘い言葉が誘惑となり、蓮姫から考える力を徐々に奪っていく。
脱力したようにオウム返しをする蓮姫を見て、ソフィアは満足そうにうっとりと笑みを深くした。
蓮姫がソフィアの言葉に呑まれそうになったその時……
「弐の姫……様。大丈夫?」
幼い声が蓮姫を呼び戻す。
たった一言。
しかしその一言が引き金になり、蓮姫はハッ、と自分を取り戻した。
「っ、わ…たし。私…は」
「母ちゃん。弐の姫様もあのお姉ちゃんも…変だよ」
「桃花っ!」
大人ならば蓮姫を取り巻く妖しい雰囲気に呑まれていたが、幼い少女は自分の疑問を簡単に口にした。
まだ子供だからこそ理解出来ず、それがまた素直に自分の思いを口にすることが出来たのだろう。
蓮姫はふるふると首を大きく横に振ると、ソフィアへと向き直る。
「ソフィ」
「お姉様。逃げましょう」
「ソフィ。私は逃げたりなんかしない」
自分を取り戻した蓮姫は、キッパリとソフィアへと自分の思いを告げる。
その言葉と態度にソフィアは眉を寄せて舌打ちをした。
「チッ。…何故?逃げれば全てが報われるのに?何故逃げないのです?」
「私は弐の姫から…自分自身から逃げたりなんかしない。逃げる事が報われる事なんて…私は思わない」
蓮姫は再び甘言に惑わされないよう、自分を保ちながら答えた。
ソフィアもそれがわかったのだろう。
段々とその顔を歪ませていく。
「お姉様が逃げなくては誰も救われない。お姉様はこの世界を不幸にしたいのですか?」
「この世界を不幸になんかしない。弐の姫がこの世界を不幸にすると言うなら…私はそんな姫にはならない。絶対に。誰かを救える…そんな弐の姫になる」
「……ちっ。ああ言えばこう言う。なんと可愛げのないことか。流石は弐の姫。誰からも必要とされない愚かな邪魔者のくせに」
ソフィアの口調が急に荒くなる。
口調だけではなく、忌々しげに歪まれたその顔も別人のようだ。
そんなソフィアの変化にも、彼女への違和感にも蓮姫は当然気づく。
まるで……目の前にいるのが、ソフィアであってソフィアではない……そんな感覚に。
そして蓮姫の思惑を決定づける一言をソフィアが放つ。
「妾の手を煩わせる愚かで生意気な小娘。なんと愛おしくて憎らしいことか」
その言葉を呟いた時、ソフィアの姿が別の人物へと重なる。
蓮姫もよく知る人物の姿が。
「ソフィ?……今…なんて」
蓮姫がソフィアを問い詰めようとしたが、ガシリと強い力に肩を掴まれる。
痛みに顔をしかめながら掴まれた方をむくと、そこにはオースティンの姿があった。
「弐の姫よ。最後の歓談は楽しめたか?」
ニヤニヤと嫌味を込めて話すオースティン。
そんな彼を睨みつける蓮姫だが、急いでソフィアへと振り返る。
そこには先程までの顔を歪めるソフィアではなく、恐怖に脅えるソフィアがいた。
「お、お姉様……」
「ソフィ………大丈夫だよ」
蓮姫は優しくソフィアへと問いかける。
その言葉にソフィアはコクコクと涙を流しながら頷いていた。
(やっぱり……今の脅えてるソフィが本当のソフィだ。さっきまでのソフィ…あれはきっと…)
変化するソフィアの原因…定かではないが、蓮姫にはそれがわかった。
しかし考える時間はもはや与えられない。
オースティンが今度は蓮姫の腕を掴み、強引に引き連れる。
「本当のお楽しみはこれからだ。愚かな弐の姫よ。お前の望んだ通り、この場で処刑してくれる」
石台まで連れられた蓮姫は、無理矢理に跪かされる。
隣には剣を高く振り上げたオースティン。
「皆の者ぉ!我等の悲願が叶う時が来たぁ!女王と同じく忌まわしい存在!弐の姫をこの場で処刑する!」
オースティンの言葉に反乱軍達は大いに歓声を上げた。
この場にいる誰もが思った。
弐の姫処刑の時が来た、と。
しかし蓮姫だけは違う。
必ず自分を助けに来る者達が来る、と固く信じているからだ。
そんな蓮姫の心中など知らないオースティンはにやけながら、乱暴に蓮姫の前髪を掴んで無理矢理上を向かせる。
痛みに顔をしかめる蓮姫にオースティンは笑いながら声をかけた。
「無様だなぁ、偉大なる弐の姫様よ。これが女王となる為にこの世界に来た…お前の末路だ」
「っ、私の末路を貴方なんかに決められたくない。自分の最後くらい自分で決める」
「ふふ…ははははは!!そうだな!お前は望んでここに来たのだ!無関係の親子や女を助けたいなどと綺麗事をぬかしてな!哀れ!愚かな弐の姫!貴様に助けられて感謝する者など誰もいない!」
オースティンの言葉に反乱軍達も笑い出す。
彼等も蓮姫とは、いや弐の姫とは愚かな馬鹿者にしか映らないのだ。
蓮姫を馬鹿にしたように笑う反乱軍達から離れた位置で、桃花の母親は再度自分達の過ちに胸を締め付けられた。
弐の姫が今このような目にあっているのは…自分達のせいなのだ、と。
そんな彼女の様子が目に映り、蓮姫は母親に向かって微笑んだ。
「ん?何を笑っている弐の姫?気でもふれたか?」
「貴方にはきっとわからない。でも私は……こうなった事に後悔なんてしてない」
「はは!流石でございますなぁ!弐の姫様!立派なお方だ!笑いすぎて涙が出そうだ!」
「それと…一つだけ言っておく」
笑い続けるオースティンを蓮姫は睨みつける。
そして強い口調で言い放った。
「私は貴方になんか決して屈しない。貴方だけは…貴方達だけは……決して許さない」
蓮姫の心には王都で亡くしたエリックの姿が思い浮かぶ。
彼女を最後まで慕ってくれた小さな騎士。
その小さな友人が死んだ原因は……この場にいる彼。
目の前にいるオースティンが、反乱軍を率いて王都を襲撃した事によりエリックは命を落とした。
手枷で自由に動かせない両手を、爪がくい込む程に強く握りしめる蓮姫。
だがオースティンは蓮姫の言葉が、最後のささやかな抵抗だと思った。
「最後の言葉はそれでいいのか?随分とお粗末な一言だ。もっと泣き叫び、助けを乞うかと思ったが…弐の姫というものは最後の時までつまらん存在らしい」
「……………」
「ふん。今度はだんまりか。まぁいい。そのつまらん存在も命もここで終わるのだから…なっ!」
オースティンは前髪を掴んだ時よりも更に強い力で蓮姫を解放すると、倒れ込んだ彼女の背中を踏みつける。
痛みに咳き込む蓮姫の姿、弐の姫を踏みつける首領の姿に反乱軍がさらなる歓声を上げる。
オースティンは持っていた剣を、周りの部下達に見せつけるよう高く掲げた。
その時は来た……とでも言うように。
歓声の中、悲鳴を上げるソフィアと桃花の母親。
「お姉様っ!!嫌ぁ!嫌です!お姉様ぁ!」
「弐の姫様!逃げて!逃げて下さい弐の姫様ぁ!」
側の反乱軍に抑えられながらも、泣きながら訴える二人。
そんな彼女達の叫びすら、今のオースティンには快感でしかない。
彼は今、弐の姫を部下達の目の前で殺せるという事実に酔っていた。
自分の予想する未来を信じて疑う事はなかった。
「それでは……愚かで哀れ…弱き弐の姫よ。我等が悲願のためだ。ここで……死ぬがいいっ!!」
オースティンの持つ剣が大きく蓮姫へと振り下ろされる。
誰もが息を呑んだ瞬間……。
「氷柱・弾!」
「炎弾!」
振り下ろされた剣が蓮姫に触れる直前、反乱軍達の後方から氷柱と炎の塊が飛び出す。
放たれた氷柱と炎は真っ直ぐにオースティンが振り下ろした剣へと向かう。
急な攻撃に慌てたオースティンは蓮姫から剣を引くが、氷柱が剣の中心へと当たり一瞬でその箇所だけ凍りつく。
更に凍った箇所に炎が当たり、剣が勢いよく折れた。
「っ!?ぐっ!」
衝撃に耐えられずオースティンは仰け反る。
オースティンから開放された蓮姫、そしてこの場にいた者達全員が同じ場所を見つめる。
氷柱と炎が放たれた場所……この洞窟の入り口へと。
「助けに来たぜ!姫さん!!」
「蓮姫!!ソフィア!」
「弐の姫様!」
「ご無事ですか!?弐の姫様!」
そこには巨大化したノアールに跨る火狼とレオナルド。
両端に飛龍元帥蒼牙、玉華領主大牙。
そして中心に
「お待たせしました、姫様。今、お傍へ参ります」
蓮姫のヴァル、ユージーン。
蓮姫を慕い、彼女を助けるために駆けつけた男達の姿があった。
「っ!飛龍元帥っ!?貴様らっ!何故ここが!?」
オースティンが折れた剣を向けながら叫ぶ。
反乱軍達も内心、急に現れた男達に驚きながらも戦闘態勢をとる。
「何故?姫様がいる所なら何処だろうと、誰に捕らわれていようと関係ない。俺は姫様のヴァルとして駆けつけるだけだ」
オースティンを睨みつけながらユージーンは呟く。
その目には強い殺気が込められていた。
「犬、ノア。予定通り行け」
「あいよ~!坊ちゃん!しっかり捕まってて下さいよ!」
「なっ!誰が坊ちゃんだ!?」
火狼に坊ちゃん呼ばわりされ怒るレオナルドだが、直ぐにそんな余裕はなくなる。
「あ、こっからは喋んない方がいいっすよ。行くぜ猫っ!」
「グァアアアア!!」
火狼の声に返事をするように唸るノアール。
次の瞬間、ノアールは反乱軍に向かって飛びかかった。
行く手を阻む者は容赦なく噛みつき、真っ直ぐにソフィア達の元へと向かう。
それに気づいたオースティンは部下達に叫んだ。
「っ!狙いは人質だ!早く殺せ!」
オースティンの言葉を聞き、ソフィア達の近くにいた反乱軍は武器を手に彼女達に斬り掛かる。
「おっと!そうはいかねぇよ!炎弾!」
火狼の掌から生み出された炎の塊…いや弾丸は、その反乱軍達に撃ち込まれ、瞬く間に彼等は炎に包まれる。
その間にもノアール達は突き進み、ソフィア達の元へとたどり着く。
レオナルドは勢いよくノアールから飛び降りると、ソフィアへと駆け出した。
「ソフィア!」
「お兄様っ!お兄様ぁ!!」
ソフィアは泣きながらレオナルドへと抱きつく。
レオナルドもしっかりとソフィアを抱きしめると、その顔を心配そうに覗き込んだ。
「ソフィア!無事か!?怪我はないか!?」
「だ…大丈夫…です。ふっ、お、お兄様!怖かったです!お兄様ぁ!」
泣きながら訴えるソフィアをあやす様に、再び抱きしめるレオナルド。
そんな二人を背に火狼は少女が捕らわれた檻を破壊し、少女を解放してやる。
「母ちゃん!」
「桃花!桃花ぁ!ありがとうございます!ありがとうございます!」
「どういたしまして~。……よっと!」
親子を助けながらも反乱軍達への攻撃を止めない火狼。
ノアールも再び反乱軍の集団に飛び込んでいた。
「人質はあの者達だけで大丈夫です。我々も参りましょう」
蒼牙と大牙に短く伝えるとユージーンも反乱軍……いや、オースティンへと駆け出した。
「姫様を踏みつけたその足……凍らせて砕いてやる」
オースティンへの怒りを口にしながら、颯爽と反乱軍の間を駆け抜けるユージーン。
その途中、奪った剣で斬り捨てていく姿は魔王のように映った。
その姿は、殺気は、反乱軍やオースティンに恐怖を与える。