玉華の長い夜・突入 3
「何?話だと?」
オースティンは眉間の皺をより深くして聞き返す。
そんな彼に対して蓮姫は怯むことなく告げた。
「ソフィも…あの親子も、私のせいでこんな目にあってる。貴方の言う通り処刑されるのなら、せめてその前に……彼女達に謝る時間がほしい」
「ふむ。………そうだな。この者達は皆お前のせいで捕えられた…いわば弐の姫の犠牲者だ」
ソフィア達を捕らえたのは……卑怯な手を使い無理矢理人質にしたのは自分達だというのに、オースティンは口元に意地の悪い笑みを浮かべながら全て蓮姫の責任へと転嫁する。
しかし今の言葉には先程の余裕が戻ってきている。
彼は蓮姫が本当に覚悟を決め、死ぬ前に望みを口にしたと思ったのだ。
「全ては弐の姫と関わったがために…哀れだな。死ぬ前にせめて一言、謝罪するのが人としての礼儀か。どうせ逃げられんだろうしな」
わざわざ嫌味をこめて告げるオースティンに、蓮姫は必死に怒りを抑えた。
「逃げたりしない。だから少しだけ時間を頂戴」
「いいだろう。しかし…怪しい動きがあれば……わかるな」
「わかってる。本当に話をするだけだから」
蓮姫の言葉に頷くと、オースティンは数名の反乱軍を引き連れ石台へと足を向けた。
意気揚々と弐の姫処刑の演説のために。
演説で盛り上がる反乱軍達の声を背中に、蓮姫はソフィアへと足を向ける。
だがそれよりも先にソフィアが蓮姫の胸へと飛び込んできた。
まだ見張りの者は数人居たが、オースティンが離れたために恐怖が少しだけうすらいだのだろう。
蓮姫は手枷をつけられた手を、ソフィアの頭から通すようにして抱きしめた。
「ソフィ」
「お姉様!お姉様っ!怖い!怖いです!お姉様ぁ!!」
ソフィアは蓮姫の腕の中で泣きじゃくる。
そんなソフィアに、蓮姫は優しくしっかりと告げた。
「大丈夫。ソフィ。私が守るから。絶対にソフィを助けてあげる。私を信じて」
「っ、お姉様ぁ…怖い……怖いです」
「大丈夫だよ、ソフィ。絶対に私がなんとかする。だから大丈夫。大丈夫」
以前カインが、蓮姫の大丈夫は大丈夫じゃない時だ、と言っていたが今は違う。
自分の時ならば相手に心配をかけさせないために、無理をして大丈夫と言葉にしてしまう蓮姫。
だが自分ではなく、誰かに向けて発せられる彼女の『大丈夫』は本当に大丈夫な時。
大丈夫な場合でなくても、絶対に自分が大丈夫にするという覚悟が秘められている。
蓮姫はソフィアを更に安心させるため背中や頭を撫でてやりたかったが、手枷がそれを邪魔する。
仕方なく回した腕に力を込めて、抱きしめるように自分へと引き寄せていた。
「大丈夫だよ。泣かないでソフィ」
「お姉様…ぅう…………はい。お姉様」
蓮姫の対応にソフィアも次第に冷静さを取り戻していった。
「…お姉様が……助けて下さいます」
「そう。私が必ずソフィを助けるよ」
「っ、お姉様!きっとお兄様も助けに来て下さいます!それまで…ソフィアは泣きません!」
突然飛び出したソフィアの言葉に、ギョッとする蓮姫。
見張りの反乱軍数人もしっかりと話を聞いている。
だが、彼等は何も喋る事も動く事もせずニヤニヤとこちらを眺めていた。
その理由は、このアジトの場所が反乱軍しかわからない上、結界まで張ってあるからだ。
仮にこの場を突き止めても、結界は高度な魔術でしか壊せない。
普通の人間がわざわざ飛び込める場所ではないのだ。
そう、普通の人間にはほぼ不可能。
それがわかっているから、今の言葉にも大した意味を感じず、助けを待つ彼女達を嘲笑っている。
そんな彼等の様子に蓮姫は一安心する。
彼女の従者達は、揃いも揃って普通でない者ばかりだからだ。
「うん。偉いね、ソフィ」
ソフィアの言葉には深く触れずに、蓮姫は彼女の頭を撫でた。
必ず助けが来る、とわざわざ近くにいる反乱軍に教える必要もないからだ。
まぁ油断している彼等が真に受けるとは思えないが、念には念を入れる。
「お姉様!きっと大丈夫です!ソフィアは大丈夫だと信じます!お姉様を信じます!」
「うん。ありがとうソフィ。……ちょっと待っててね」
蓮姫はそう告げるとソフィアから腕を外し、奥にいる親子へと近づく。
彼女達にも伝えなくてはならない言葉があるから。
「……………弐の…姫様…」
「???母ちゃん?弐の姫って?この人はまどうし様じゃないの?」
母親の言葉に桃花はキョトンとした表情をする。
そして更に、幼さゆえの純粋さか、何も知らない少女はあどけない顔で残酷な言葉を紡いだ。
「母ちゃん。弐の姫って戦争をする悪い人なんでしょ?」
「っ!?と、桃花!やめなさい!申し訳ありません!弐の姫様!」
「なんで?なんで怒るの?母ちゃんも町の人も言ってたじゃん。『弐の姫なんて早くいなくなればいい』って」
「桃花っ!!」
母親は慌てて娘の口を塞ぐが、桃花の言葉はしっかりと蓮姫の耳に届いていた。
小さく震えながら自分に背を向ける母親に、蓮姫は困ったように苦笑する。
自分には彼女達を責める権利も、怒る権利もないのだ、と。
弐の姫という存在がどれだけ世界の人間に受け入れられないか、蓮姫は身をもって知っていた。
それでも……やはり何度受けても慣れるものではない。
この母親はおそらく『蓮姫が怒り逃げ出すのでは?』『弐の姫が逃げ出した反乱軍の怒りの矛先は自分達に向かうのでは?』などと脅えているのだろう。
蓮姫は母親の肩にそっと手を置いた。
ビクンッ!と肩を大きく震わせた母親が何かを言う前に、蓮姫は一言だけ告げる。
「巻き込んでしまって、すみませんでした」
「………え?」
「全ては私が玉華に来たから……いえ、この世界に来てしまったから。だから関係の無いあなた方親子まで巻き込んでしまった。本当に…すみません」
「……弐の姫…様?」
振り返った母親は蓮姫の表情を見て困惑する。
何故、争いの元と言われた女が、自分や娘の発言に怒らず、ただ悲しそうに笑っているのか、と。
そして母親はやっと気づいた。
争いの元と言われ続けた弐の姫は…王都から逃げ出したと聞かされた弐の姫は…何の見返りも無しに関係の無い自分達を助けようとしてくれた事に。
「弐の姫様……何故?何故貴女が謝るのですか!?謝らなくてはならないのは…私の方なのに!」
「いいえ。貴女は何も謝る必要はありません。貴女は母親として自分の子供を助けたかっただけ。私のせいで危険な目にあわせてしまった。貴女は…娘さんも…被害者です」
「そんな…私達は……」
蓮姫の言葉に言い淀む母親。
娘を攫われた時から心の中に『巻き込まれた』『全部弐の姫のせいだ』という思いが常にあったから。
そして蓮姫は反乱軍に聞かれないよう、母親の耳元へ顔を近づけ小さく呟いた。
「大丈夫です。必ず二人共助けます。貴女達を無事に玉華の街へと帰します。必ず。だから…もう少しだけ…辛抱して下さい」
それでも、自分達を巻き込んだ弐の姫は、自分達を助けると言い切る。
強い瞳で告げられた言葉に、母親は自分達の身の事しか考えていなかった自分を恥じ目頭が熱くなった。
「……弐…の姫…様……弐の姫様っ、…申し訳…ありませんでしたっ!」
「謝らないで下さい。貴女は何も間違った事はしていないんです」
「何故?何故お怒りにならないのです!?」
「そう…ですね。いえ、私はこう見えて…かなり怒っているんです。……私自身に」
「自分…に?」
「はい。貴女達を巻き込んでしまった自分、考えが甘かった自分、弱い自分に怒りが止まらない。だけど…いえ、だからこそ…逃げ出さずに戦いたいんです。戦わなくちゃいけないんです。貴女達やソフィを守る為にも」
『自分の目の前にいるのは本当に弐の姫か?』と母親は再度困惑した。
幼い頃から聞かされ、自分も子供に教えていた弐の姫の姿とは真逆過ぎる蓮姫に、ただ驚きを隠せない。
「弐の姫様は……本当に…弐の姫様なのですか?」
母親は確かめずにはいられなかった。
蓮姫が自分達が幼い頃から聞かされていた、また王都から逃げ出したと噂される弐の姫と本当に同じ人物なのか、と。
蓮姫は迷いなく頷いて答える。
「はい。だからこそ…貴女達を巻き込んでしまいました。私は…愚かで弱い弐の姫です」
自嘲気味に呟く蓮姫だったが母親は目に涙を溜めたまま、それを強く否定する。
「弐の姫様……それは、それは違います。私達を巻き込んだとおっしゃいましたが…弐の姫様を巻き込んだのは私です。愚かなのは…弱いのは私の方です」
「いいえ。貴女は何も悪くないんです。子供を助けようとした貴女は、強くて立派な母親です。自分を責めたりしないで下さい」
涙ぐみながら告げられた謝罪にも、蓮姫は穏やかに微笑みながら答えた。
その様子に母親は必死に流すまいと堪えていた涙を溢れさせる。
「母ちゃん?どうして泣いてるの?まど……弐の姫に何かされたの?」
「違う!違うよ桃花!弐の姫様は何も悪くないんだ!悪いのは…悪いのは…」
自分達だ…そう続くはずだった言葉は、涙が邪魔をして口からは出てこない。
蓮姫はそっと母親の肩に手を置くと「大丈夫ですよ」と優しく告げた。
もはや母親の中には弐の姫に対する偏見は無くなっている。
桃花も…意味がわからず理解出来なくとも、母親の変化を幼いながらも感じていた。
桃花もその母親も、弐の姫に対する認識を改めていたその時……蓮姫の後方からゆっくりと近づく人物がいた。
その人物とは反乱軍ではなく、蓮姫もそれが誰かわかっていた為に気にしてはいない。
だが…その人物……ソフィアが口にした言葉に蓮姫は再び悩まされることになる。
「悪いのは……お姉様ですわ」
「っ、ソフィ?」
「悪いことは全部…弐の姫のせい。弐の姫がいるからいけないのですわ。そうでしょう?お姉様」
ソフィアはあの時……玉華が反乱軍に襲われ、蓮姫とソフィアが二人きりになった時と同じようにゆったりとした口調で話す。
蓮姫がソフィアの言葉に振り返る。
あの時は混乱していたが、改めて見ると同じ人物とは思えない妖艶さが今のソフィアにはあった。
いつもの無邪気な姿が本当のソフィアなのか?
それとも……これこそがソフィアの本性なのか?
混乱する蓮姫に構わず、ソフィアは言葉を続ける。
あの時と同じ言葉を。
「逃げましょう…お姉様」
「ソフィ、何を言っているの?今逃げたりしたら直ぐに反乱軍に囲まれる。この二人だってどうなるか」
「そんな庶民……どうなっても構わないではありませんか」
「っ、ソフィ!」
「いっそ反乱軍に殺されてしまえばいい。お姉様もそうはお思いませんか?」
蓮姫は弾かれるようにソフィアの両肩を掴んだ。
「ソフィ!なんで!なんでそんな酷い事を!」
「だってそうでしょう?この庶民のせいでお姉様は捕えられたのです。報いを受けるべきですわ」
「っ!この人達は被害者なの!何も悪くない!悪いのは」
「そう。悪いのは弐の姫ですわ」
ソフィアはパシッ!と蓮姫の手を払いながら言い放つ。
その言葉に再び蓮姫の黒い瞳が揺れた。
「そ、そう。私の…せいで……」
「だから逃げ出せばよいのです。弐の姫がいなくなれば、皆が幸せになれるのですから」
「私が…いなくなれば……」
「はい。そうすれば…皆が幸せ。弐の姫がいたから、この庶民も巻き込まれた。お姉様も自分で言っていたではありませんか」
確かに、蓮姫は自分でそう告げていた。
他ならぬ巻き込んだ桃花の母親に。
しかし…ソフィアに言われた事により、その言葉は自分が言った以上に重くのしかかる。