疎まれる存在 2
久遠は初めて会った時のように、美しい顔に眉根を寄せて険しい表情をしている。
(なんでこの人はいつも不機嫌なんだろ?)
蓮姫の久遠に対する印象は『いつでも不機嫌美人』だった。
「弐の姫様に天馬を堪能して頂いた。とても筋が良くてな。黒天も弐の姫様を気に入ったらしい」
「…黒天が?……いや、そんな事はどうでもいい。飛龍大将軍。明日は討伐隊を向かわせる日でしょう。弐の姫と戯れている暇など無いはずですが?」
「え?」
久遠の言葉に驚いたのは蓮姫の方だった。
てっきり自分と同じように、休日か、もしくは暇を持て余していると思っていたが、違ったらしい。
久遠に言われ、蒼牙はバツの悪そうな顔をする。
「あ~~~……確かにそうなんだが…別に時間が無い訳じゃ…」
「一軍を指揮する総大将がそんな姿勢では困ります。女王陛下から直々に頂いた飛龍大将軍という誉れ高い階級。弐の姫と遊ぶ為に、陛下は貴方を五将軍の一人にされた訳じゃ無い。貴方にはもっと、飛龍大将軍としての自覚を」
「あ、あの!蒼牙さん!私、もう充分楽しめましたから!!お仕事に行ってください」
二人の話………いや久遠の言葉に割って入るようで悪かったが、ここで自分が出なくては、かえって蒼牙の立場が悪くなると思い、蓮姫は蒼牙を振り返った。
「ですが……弐の姫様」
「本当に大丈夫です!ありがとうございました!!」
「…………弐の姫様が、そう仰るなら。では、失礼します」
蓮姫を地面へと下ろすと、蒼牙は黒天の手綱を強く打ち、あっという間に空へ羽ばたいていった。
(歩くだけでも楽しかったけど、せっかくのペガサスだし…ちょっとは飛びたかったな)
蓮姫が遠くなる黒天を見つめながら、残念がっていると、珍しく久遠の方から話しかけてきた。
「それで?弐の姫は何故、このような場に居るんですか?」
「えっと……今日はお休みを貰ったんです。城に来たら蒼牙さんに会って、天馬に乗せてもらいました」
なるべく久遠を怒らせないように、当たり障りない会話をしようとしたが、それを聞き久遠は嘲笑うように蓮姫を見た。
「ふっ。弐の姫は余程暇か呑気らしい。壱の姫様は討伐隊を向かわせるよう指示を出したが、弐の姫は天馬で優雅にお散歩とは。次代の女王とされる候補の一人が…聞いて呆れる」
「壱の姫が討伐隊を?あの………だいたい討伐隊って?何を討伐するんですか?」
「………本気で言っているのか?」
ギロリと久遠に睨まれ、少し怯える蓮姫だが、知らないものは知らない。
今更言った言葉を撤回する訳にも、知ったかぶって後でバレても怖いので、彼女は力なく返事をするしかなかった。
「最近、隣国のレムスノアに反乱軍が現れ、混乱を招いている」
「反乱軍?」
「…………まさかとは思うが……ソレも知らないのか?」
「……………………はい」
蓮姫は気まずそうに頷くと、久遠はあからさまにため息をついて、説明した。
「反乱軍とは、反女王を唱える者達の事だ。『この世界を統率する王が、他の世界の…ソレも遥かに恐るべき力を秘めている女など、世界を乱す元だ。認められない』と。反乱軍の正確な数はわかっていないが、巨大な組織のように、奴等は世界中に幾つも散らばっている」
「そのうちの一つが……レムスノアに?」
「そうだ。だから壱の姫様が、反乱軍討伐の件を陛下に進言し、飛龍大将軍がその任を任された」
それが本当なら……いや、久遠は嘘などつく男じゃないだろうし、その必要も無い。
先程のアンドリューと蒼牙との会話も、コレでわかった。
「女王陛下が……民から反感を…。………知らなかった」
「無知な姫も居たものだ。さすがに弐の姫だな」
(また鼻で笑われた)
わざわざ壱の姫と比べて、劣っているという意味を込めて。
なんで自分は、ここまでこの人に嫌われているのか?
だが、それは彼だけじゃない。
「あの……一つ聞いていいですか?」
「今度は何だ?」
「なんでそんなに…私の事、嫌いなんですか?」
「君が弐の姫だからだ」
久遠から発せられた言葉は、理不尽極まりないものだった。
「だ、だって!私が弐の姫なのは、先に壱の姫が!」
「そう。この世界には、既に壱の姫様が居られる。誰かのように無知無能ではなく、姫として民のこと、世界の事を考え、迅速に行動できる方が。だというのに……世界や民に混乱を招くだけの存在などいらないんだ」
「わ、私は世界に混乱なんて!それに私だって毎日勉強してっ!」
「その勉学も身になっていないようだが?連日かなりの量を学んでいる割に、全くもって結果が出ていないと、もっぱらの噂だ」
今度こそ蓮姫は言い返せなかった。
結果が出ていないのは、自分が一番わかっている。
「別に君本人が世界を滅ぼすとは言っていない。だが君の力は脅威だ。使い用によっては、本気で世界を滅ぼせる。君にその気がなくとも、利用される可能性は大いにあるということだ。そんな時、君には対処できる程の頭もなければ、部下もいない」
久遠は蓮姫が口を挟む間もなく続ける。
彼女を傷つける言葉を、残酷にも淡々に。
「それだけじゃない。壱の姫様が現れた時は、世界は歓喜に満ちた。次の世代も安心だと。しかし弐の姫まで現れては話は別だ。王位継承権を持つ物が増えてしまった。今後は壱の姫と弐の姫、それぞれを支持する者達が現れ、やがて争いを生む。分かるか?必要とされていたのは、姫一人であって、二人以上はかえって邪魔なんだ。無用な混乱や争いの元など、誰が望むか」
次期女王となる姫、弐の姫として多くの人が自分に頭を下げる。
だが、人々は自分を心から敬ってなどいない。
蓮姫は初めて知った。
自分の存在は、この世界に望まれてなどいないという事実を。
「それでも、女王となる意思、素質があるならば周りは認めざるを得ない。だが、あの忌み子達に匿われ、その後は公爵邸に引き篭もり世界の情勢すら知らない?君は姫として相応しくない。俺は……君を認める訳にはいかない」
言いたい事を言うと、さっさと久遠は鍛錬へと戻って行った。
蓮姫はあまりの衝撃に、泣くこともできず、ただ呆然としていた。
泣きたくとも、そんな自分を受け止めてくれる人などいないから……。
「……なんで……私…こんな所に……この世界にきちゃったんだろ…」
蓮姫の呟きは誰にも聞かれず、ただ風に流された。
その頃、蓮姫と蒼牙と別れたアンドリューは、城にある謁見室に来ていた。
「これはアンドリュー殿下。陛下がお待ちです。どうぞお入り下さい」
サフィールに促され中へと入ると、中には女王だけでなく、蓮姫の婚約者レオナルドもいた。
「よう来てくれたの、アンドリュー殿。レオナルドも忙しい中すまぬな」
「いえ、私の事などお気になさらず」
「陛下、お久しぶりです。そちらが弐の姫の婚約者、レオナルド殿か。初めてお目にかかる、俺はレムスノアの第一王位継承者、アンドリュー=ラント=レムスノアだ」
「弐の姫の婚約者、レオナルド=フォン=ヴェルトと申します。以後お見知り置きを」
「堅苦しい挨拶などやめよ。そなたらは親戚関係。それもお互い姫の婚約者じゃ。仲良くおし」
麗華はにこやかに告げるが、ソレは無理な話だ。
親戚関係ではあるが、会ったのは今日が初めてだし、お互いの婚約者達は敵対関係にあるのだから。
「陛下。何故わざわざ、姫の婚約者同士を示し合わせたのですか」
「そなたらを示し合わせる事が目当てではないぞ、レオナルド。婚約者から見た、姫達の様子や現状を知りたくての。それに、姫とは仲良くやっておるのか?何処まで進んだのじゃ?もう初夜は済ましたのか?」
楽しそうに……それはもう楽しそうに麗華は二人に尋ねる。
その言葉に、レオナルドは耳まで真っ赤にし、アンドリューは声を上げて笑った。
「ハハッ!相変わらずですなぁ、陛下。残念ですが、壱の姫とは口づけ程度です」
「ふ、ふしだらです!殿下!!」
あっけらかんと答えるアンドリューに、真っ赤になり叫ぶレオナルド。
お互いの婚約者である姫同士より、よっぽど正反対な二人だ。
「おや?手が早いと噂のアンドリュー殿にしては意外じゃのう」
「壱の姫の傍には、常に蘇芳殿がおりますからね。壱の姫が蘇芳殿を離したがらないのもありますが…。まぁ、陛下のお許しがあるのなら、今夜にでも」
「殿下っ!!まったく……陛下も御戯れが過ぎます」
「ほほほ。妾もまだまだ若いゆえ、許しておくれ。しかし……その様子では、レオナルドと蓮姫は全く進展が無い……ということか?」
「へ、陛下!!そのような話はよいのです!姫の現状をお聞きになりたいのでしょう!」
「おぉ。そうであった。では、この話は一先ず後にしよう」
後回しにされたとはいえ、まだ恋バナをやめる気がない麗華に、レオナルドはガックリと肩を落とした。
「して……そなた達の目に、今の姫はどう写っておる?」
「蓮姫は………正直まだまだ姫としては未熟です。ですが、壱の姫に劣ると決め付けるのは時期尚早。彼女は少しづつ成長しています」
「随分と主観のこもった報告だな。レオナルド殿は弐の姫に、相当入れ込んでいるらしい」
自分の婚約者に入れ込んで何が悪い。
だが、相手は一国の皇太子。
レオナルドは口をつぐむしかなかった。
「アンドリュー殿の方はどうじゃ?」
「残念ながら……陛下に報告できる程、私は壱の姫と多くの時間を過ごしていません。今回の討伐は、とても迅速に対処して頂きましたが……私と一緒に過ごす彼女からは想像もできません」
「ふむ。と、いうと?」
アンドリューの報告を聞き、口元に手を当て考える素振りを見せる麗華。
その仕草はユリウスと似ていた。
「私と一緒に過ごす壱の姫は、とても無邪気です。政の裏側や血生臭さが、無縁に思える程に。討伐ともなれば、多くの命を奪う可能性もある。それを指示するとは……正直驚いています」
アンドリューは謙遜でも、壱の姫が築き上げてきた物を否定したい訳でもない。
だが、彼はずっと疑問に思っていた。
自分と会えば無邪気に喜び、その反面蘇芳に気まずそうな視線を向ける。
彼女の心は、自分と蘇芳の間で揺らいでいるのが直ぐにわかった。
そんな彼女の心境は、当の二人にバレている。
自分の気持ちすら上手く隠せず、二人の男に揺れ動いている女が、討伐やら政治が何故こうも上手くいっているのか?
「アンドリュー殿下は、随分と自分の婚約者を信用していないようですね」
先ほどの仕返しとばかりに、レオナルドは言い放つ。
「まぁ……貴殿のように、一つ屋根の下で、共に暮らしている訳ではないからな。凛のことは知らぬ事も多い」
「ふむ。アンドリュー殿もレオナルドも、婚約者としては、まだまだということか」
麗華はニヤニヤと笑うが、その瞳は目の前の二人ではなく、その奥を……ここに居ない別の二人を見ていた。
「蓮姫も凛も不憫じゃのう。婚約者とはただの飾りではないのだぞ。もっと姫と親密に、婚約者らしく接してやらぬか。女の事を理解する努力を怠る男など、妾ならまっぴらごめんじゃ。逃げられてから後悔しても遅いのだぞ」
麗華のその言葉にレオナルドは一瞬、ユリウスとチェーザレの元へと戻る蓮姫を想像して、一気に血の気が引いていった。
「……して、そなたらは姫とデートぐらいはしたのか?」
再びウキウキと他人の恋愛事情に首を突っ込む女王に、レオナルドは再び肩を落とした。