再会 6
コンコン
不意に響いたノック音。
蓮姫が返答する前に、扉を叩いた人物は声をかけた。
「レオナルドだ。……蓮姫の様子を見に来た。開けてほしい」
レオナルドの声に俯けていた顔を上げ、ベッドから立ち上がろうとした蓮姫。
だがユージーンは、そんな彼女を無言のまま手で制する。
「…ジーン?」
「………………」
ユージーンは蓮姫の方に顔を向けると、言葉を発さずに左手の人差し指を自らの唇に当てる。
そのまま火狼へと視線を向け、彼が頷いたのを見ると扉へと手をかけた。
カチャリ
「っ!……ユージーンか」
部屋から現れた男の姿に一瞬怯むレオナルド。
本音を言えば蓮姫が出迎えてくれると思っていた。
そんな彼の胸中が手に取るようにわかるユージーン。
部屋の中の様子がレオナルドから見えないように、ユージーンは扉を最小限に開け、その僅かの隙間に身体を滑り込ませると後ろ手で扉を閉めた。
「はい。レオナルド様、ご足労頂き申し訳ありませんが……姫様は既に休まれまして」
頭を下げ従者らしい態度をとるユージーンだが、その言葉には『さっさと帰れ』という意味が込められている。
さすがのレオナルドもソレがわからぬほど鈍感ではない。
そしてユージーンも言っていたように、休むとあらかじめ伝えておいた婚約者の元へわざわざ足を運んだのだ。
今更引くつもりも無かった。
「そうか。ならば蓮姫が起きるまで中で待たせてもらおう」
「申し訳ございまんが…それは出来ません」
「何故だ?俺は蓮姫の婚約者であり次期公爵。ただの従者に……追い返される言われはない」
ただの従者、という部分を強調しながらユージーンを睨むレオナルド。
それでもユージーンは顔に浮かべた笑みを絶やすことはせずに続ける。
「だからこそ、です。婚約者であるレオナルド様に寝顔を見られたとなれば、姫様がどう思われるでしょう?婚約者であっても、まだ婚儀も挙げられていない男性が姫様のお部屋に入り浸るのは……些か外聞がよろしくないかと」
「その婚約者でもない、ただの従者ならば許されるというのか?おかしな事を言う」
蔑むように鼻で笑いながら、レオナルドは扉に手をかけようとする。
だが触れる直前にユージーンがその手を掴んだ。
「無礼な。その手を離せ」
「いいえ。その命をきくことは出来ません。私は姫様の従者。姫様の為にのみ生き、姫様の命だけを受ける者。どうぞお下がりください、レオナルド様」
レオナルドはユージーンの手を振りほどこうとするが、その手は決して離れない。
むしろ振りほどこうとすればするほど、自分の腕にレオナルドの指がくい込んでいく。
顔を顰め、ユージーンを再度問い詰めようとしたレオナルドだが、彼のまとう威圧感に自分の背中に冷たい汗が流れたのを感じた。
「どうぞ、お下がりください、レオナルド様」
先程と全く同じ言葉を一言づつ、区切りながら強調して告げるユージーン。
それは従者が貴族へと乞う態度ではなく…逆に命令されているようだ、とレオナルドは感じた。
承諾しなければ手は離さない、と。
「っ!……わかった。この度は諦める」
「ありがとうございます」
レオナルドのその言葉を待っていた かのように、ユージーンは笑みを更に深くし手を話した。
袖で見えないが、きっとレオナルドの腕にはきっかりと赤い手形が浮かんでいることだろう。
お互いを見つめ合うレオナルドとユージーン。
しかし一方は睨みつけ、一方は満面の笑みだ。
暫く互いに視線を交わす二人だが…レオナルドが部屋に背を向けた為にソレは終わる。
来た道を戻るレオナルドの背にユージーンは更に彼を追い込む一言を放った。
「一つだけ訂正をさせて頂きます。私はただの従者ではなく……姫様だけのヴァル。姫様と…この世の何よりも強い絆を築ける者です」
その言葉に勢いよく振り返ったレオナルドだったが、既にユージーンは扉の奥へと消えていた。
パタン
ユージーンが扉を閉め、ため息混じりに蓮姫の方を向く。
彼女は自分と強い絆を築ける者を睨み、怒りを向けていた。
「……どうしたんです?姫様」
「なんで……レオを追い返したの?」
「お会いしたかったとでも?」
「だって……わざわざ来てくれたのに……追い返す必要は無かったのに」
「…………本気でおっしゃってるんですか?」
レオナルドに向けた時よりも更に鋭い視線を、主である蓮姫に向けるユージーン。
先程と違うのは、レオナルドに向けていたのは牽制。
今蓮姫に向けているのは……軽蔑に近い。
「何度も言っているでしょう。芝居を打ったんですからソレを通して下さい」
「少しレオと話すくらい……別に」
「はぁ……いい訳ありません。とりあえず姫様はここでジッとしてて下さい。いいですね?」
「………………」
ユージーンの問いには答えず、蓮姫はベッドの上に足を上げると膝を抱えて顔を埋めた。
いじけているような彼女の態度に、ユージーンはまた『はぁ~』とわざとらしく大きなため息を吐く。
そんなユージーンと蓮姫の様子を、またオロオロしながら見るはめになった火狼。
ノアールも心配そうに二人を見つめるが、そのどちらにも寄り付こうとしない。
「……いいですか。呪詛を解いた姫様の存在は反乱軍にも伝わっているはず。今後、単独行動は控えて下さい」
「………………」
「これからはいつ反乱軍が襲ってくるかわからない。宴の最中だろうと入浴中だろうと、就寝時であろうと常に気を張らなくてはいけません」
「………………」
「……なんですか?言いたい事があるのならちゃんとおっしゃって下さい」
「…………言ったって……ジーンは私の気持ちなんて、分かってくれないもん」
顔を膝に埋めていた蓮姫の声は、くぐもって聞こえた。
しかしどんなに小さくても、聞こえ辛くとも全く聞こえない訳ではない。
蓮姫の言葉に眉根を寄せるユージーン。
「姫様の気持ちですか?馬鹿げた提案でなければ聞き入れますよ。えぇ、馬鹿げた事を言わなければ」
蓮姫の態度に苛つきが増していくユージーン。
それはもう従者が主に向ける態度ではない。
ソレがわかっていても、もはや制御出来ない程に怒りは達している。
「だ、旦那……そんな言い方しなくてもさ」
「お前は黙ってろ」
「……ジーンも黙ってよ」
「嫌ですね。だいたい婚約者に会いたがるなんてどうしたんです?記憶の中ではあんなに避けていたというのに」
口から勝手に出る蓮姫を挑発する言葉を、ユージーンはもう止められなかった。
見下しながら、馬鹿にしたような笑みを浮かべて蓮姫へと声を浴びせる。
「まさかとは思いますが……愛されてた、会いに来てくれたと知り、婚約者に尻尾でも振りたくなりましたか?その愛のこもったピアスとやらを持って媚びようと?だとしたら姫様は…とんだ愚か者ですね」
「っ!!」
バシン!!
蓮姫はたまらずに、立ち上がってユージーンの頬を叩いた。
その目は彼を強く睨みながらも、今にも溢れそうなほどに涙を溜めていた。
「ジーンの馬鹿っ!意地悪っ!そんな事を言うジーンなんて嫌い!大っ嫌い!!ジーンなんか……ジーンなんかもういらないっ!!」
泣きながら叫ぶと、蓮姫はそのまま部屋を飛び出してしまった。
「だ……旦那」
「黙れ」
地を這うような低い声に制され、火狼はもうユージーンに何も声をかけられなかった。
蓮姫が去り静寂に包まれる部屋の中で、ノアールが寂しげに鳴いた。
部屋を飛び出した蓮姫は泣き腫らした顔のまま、弱々しく廊下を歩いていた。
俯きトボトボと行くあてなく歩く自分の足を見つめては、ユージーンにぶつけた言葉を思い出し、ただただ後悔する。
だがどんなに後悔しても、口から出た言葉が戻る事はなく、その言葉をぶつけられた人間が忘れてくれる事もない。
「……なんで……あんな事…言っちゃったんだろ」
ピタリと立ち止まると、本音が零れる。
蓮姫も自覚していた。
先程から自分の様子がおかしいことに。
だが……どうおかしいのか?
どこが変なのか?と聞かれてもわからず、答える事も出来ない。
(なんか……記憶が曖昧…。思い出そうとした事がゴチャゴチャ。昨日玉華に着いて……あれ?一昨日だっけ?)
記憶も定かではなく、自分の気持ちもわからない。
(私が…ジーンにヴァルになってって言ったのに…あんな事言うなんて………でもなんで…ジーンは私のヴァルになったんだっけ?)
何かが邪魔しているかのように、自分の記憶を遡れない。
ただ今の自分は何かがおかしい …と漠然と感じ、原因もわからぬ為に困惑してしまう。
(私……私………どうしたんだろ…)
「…蓮姫……?」
一人俯く蓮姫にふと声をかける人物。
声の方へ蓮姫が振り向くと、そこには先程自分を尋ねてきたレオナルドが立っていた。
彼は振り返った蓮姫の顔に驚愕し、慌てたように彼女へと駆け寄る。
「蓮姫!どうしたんだ!?」
「レオ?」
レオナルドはガシッ!と蓮姫の両肩を掴む。
急に至近距離へと寄せられたレオナルドの顔に、蓮姫は照れるよりもまず驚いて目を丸くした。
「何故そんなに目が赤いんだ!?いや、それよりも部屋で休んでいたのではなかったのか!?」
「あ、うん。休んでたんだけど…」
レオナルドに詰め寄られ口ごもる蓮姫。
自分で蒔いた種とはいえ、この状況から蓮姫は逃げたくなった。
しかし答えに戸惑う蓮姫の様子を見たレオナルドの頭の中にはある考えが浮かぶ。
「まさか…!」と呟きながら、レオナルドは蓮姫の肩を掴んだ両手に力を込めた。
「れ、レオ。痛い…よ」
「まさか……あのユージーンとかいう男か?」
「え?ジーン?」
「あの男に……何か無体な事でも!?」
「ち、違う!大丈夫!そんな事ないから!大丈夫!」
レオナルドの勘違いを解こうと、蓮姫は必死にその考えを否定する。
自分で予想した最悪の事態だったが、蓮姫の態度からソレは違うと知り、レオナルドはホッと自分の肩を落とした。
「そうか。……ならいいが。あ、いや、良くは…ないんだが」
「あの…レオ……近い、ね?」
「っ!!?す、すまない!」
蓮姫に指摘され、バッ!と勢いよく手を離すと、レオナルドは彼女から一歩離れた。
その顔は真っ赤に染まっている。
そんな婚約者の顔を見て、蓮姫は笑ってしまった。
「ふふ……ははは」
「…………笑うな」
言葉はぶっきらぼうだが、耳まで赤く染まる顔に蓮姫は何処か安心した。
「はは。ごめんね。レオもそんな顔するんだね」
「はぁ。次期公爵であり弐の姫の婚約者だとしても…俺だって16の若造だ。照れもするし、不安にもなるし…勘違いだってする」
「そっか。私より歳下だもんね」
「………今の話で気にする所はそこなのか?」
レオナルドが不満げに呟いた後、二人は顔を見合わせる。
そして同時にプッ…と吹き出して笑ってしまった。
「ふふ、あははははは」
「はははははは」
「はは。変なの。レオとこんな風に笑うの……初めて…だよね?」
「はは。そうか?いや………そうだったかもしれんな」
蓮姫の言葉に、レオナルドは穏やかな笑顔を浮かべた。